第12話「怒りと優しさの紙一重」

 怒り。

 それは暁月にとっては最も遠い感情でありながら、最も近いもの。

元気で、素直、子供っぽく、忙しなく、言うことは聞く。

けれども、明らかにおかしい話。

どんな子供も駄々をこね、嫌がり、怒る。

それらが欠落している暁月は感情を持つ人間として欠陥であり、そして《憤怒の罪》を持つ者としてあまりに出来損ない。

こいつもたまにはムッとする事はあるが、それは演技でしかない。

怒りが宿ってない。

 それがどうだ。

この眼は、この瞳に宿る殺意は、怒りが宿っている。



 ルナは暁月の刀を握り締め、その力みを掌握します。

それと同時に刀を伝い滴り落ちる血液は、美雪と朦朧としているアウロラ、イアを目を見開かせました。


「待って……ルナさんなんで!篭手をしてないの!?」


 美雪が驚きを隠せない程の大声で言いました。

ルナは両手どちらにもしっかりと篭手を装備できます。

しかし、手を守る役割である篭手を装備しているのは、暁月の刀を止める左手ではなく夜冬を沈黙させた右手でした。


「さぁな、判断ミスだ。まぁコイツの死体見るより私の血を見る方が安いだろう」


 ポタ……ポタ……

と一滴一滴、ルナの血は床に落ちて行きます。

その音が何回もする間にルナは刀から手を離しました。

その刀は振られる事無く停止していました。


「落ち着いたか?暁月」


 その言葉を聞いた暁月は刀を落として、膝から崩れ落ちました。


「ルナ姉……ごめんなさい……」

「気にするな、今のお前のせいじゃない」

「ごめんなさい…」


 暁月は俯いてしょぼくれていました。

ルナは右手の篭手を消すと、暁月の頭を撫でてやりました。


「気にするなと言ってるだろう。美雪、暁月を頼む。私は原因を顕現けんげんさせる」

「ほら、暁月くん。こっち来なさい」


 美雪はまるで泣いて帰ってきた子供を抱き寄せる母のように暁月をそっと胸に抱き寄せた。

 ルナと同様に暁月の頭を撫でて、落ち着かせる。


「でもルナさん。先に怪我を手当しないと…それにさっき帰ってきたばかりなのに状況が…」

「手当は後でいい。夜冬が小娘の首絞めてる時にちょうど帰ってきた。あと、左眼をアウロラが抑えてるのと、夜冬の左眼も瞑りかけてたから、『罪』が原因だろう?違うか?」

「…確かに2人とも罪に原因があるって言ってた…ルナさんは平気?」

「目が時々眩む程度だ、苦しむ程じゃない」

「個人差…?どういう関係があるんだろ…」

「百聞は一見にしかずだ。これを見れば美雪、お前でさえも何か分かる」

「え?」


 そう言って、ルナは荒々しく呼吸していたイアに近寄り、胸ぐらを掴んで立たせます。


「安心しろ、すぐ終わる。小娘、私の目を見ろ」


 ハァハァ…と苦しむ呼吸と恐怖の呼吸が入り交じったイアはルナを直視出来ませんでした。

そんなイアを引き寄せて、再度忠告しました。


「小娘、私の目を見ろ」


声色が更に変わり、その忠告は死の宣告になり始めていました。

 イアは荒い呼吸の中、恐る恐るルナの目を見ます。



 銀色の右眼が睨んで私を見ていた。

そしてこの人が暁月くんの言っていたルナ姉らしい。

銀色の髪、綺麗な瞳、白く透き通るような肌、あらゆるパーツが一線を画し、その中で尚桁違いな美しさ。

私は彼女の目を見ると同時に見蕩れていた。

 そして彼女が左眼の眼帯を取ると、何故か先程まで認識出来た銀色の右眼は無くなり、色を認識出来なくなってしまった。

何の色なのか、認識するどころか、記憶が無くなったように分からない。

しかしその両眼はじっと私を見つめていた。

 その時私の両眼が熱く燃えるように、何かが現れた。



「あ…それは…!」

 美雪はそれに見覚えがありました。

イアの眼からは炎が浮かび上がり、ノーネームに属する面子が確実に見た事のある程に馴染みある炎。

《罪の炎》でした。


「用は済んだ」


ルナは胸ぐらを掴んでいた手を離し、イアは座り込みました。

変わらず、左手からは血が垂れて落ちています。


「なんで…その子が持ってるの…?」

「さぁな、そこまでは分からん」


 美雪は明らかにイアの目に燃ゆる2つの炎に既視感を感じていました。

右眼で燃える金色の炎。左眼で燃える桃色の炎。

美雪の記憶上、全く同じだったのです。

美雪が固まる中、ルナは解説するかのように言葉を紡ぎます。


「《慈愛の罪》と《色欲の罪》、消息が途絶えた2つの罪が宿主が変わってここに帰ってきた。面白い話じゃないか。本人は理解どころか存在を認識出来ていなかったみたいだがな」


 ルナは面白い話と言いますが、顔は全然笑っておらず冷たさを感じる普段の顔をしていました。


「え、じゃあルナさん。これが原因で皆…」

「そうだ、右眼は異端故にその力も違う。小娘は無意識下で威嚇していたんだろう」

「威嚇って……」

「──これ以上話すのは気分的に面倒だ。あとはお前達で考えて小娘に教えると良い」


 呆れてダルそうにルナは吐き捨てました。


「私はまた出掛ける。小娘の罪は有用なのは美雪、お前が1番よく知ってるよな。炎は起こした、あとは意識させて繋ぐだけで勝手に使える」

「え…うん…やってみる」

「あと、──3人。逆浪とアウロラは3時間後に起きる。夜冬は半日。暁月は軽く休ませてやれ。面倒事が多いが頼む」


 ルナは美雪に指示を出すと、そのまま扉を開けて出ていってしまいました。


「────」


 美雪は10分にも満たない間に起きた出来事と情報量の多さに少し頭が停止し、首を横に振って頭を起こしました。


「よし!とりあえず暁月くん。夜冬くんと光くんは私が連れていくから、部屋で寝転んできなさい。ついでにアウロラくんも連れてって。あと、この娘は私が面倒見とくからゆっくりしてなさい!」

「うん…」


 暁月はいつの間にか眠っているアウロラを担いで、2階へ上がって行きました。



 そこから美雪はドタバタとしていました。

途中だった皿洗い、夜冬と光を部屋に寝かせ、出しっぱなしの解体された拳銃をパパっと組み上げ、床に染み始めていた血を拭き取り、その合間合間にイアの様子を見ていました。

 一段落して気付いた時には、イアは美雪の忙しなく動く様を床に座ったまま眺めていました。


「えーと、あなた名前は?」

「……イアです」

「よし、イアちゃん。とりあえず息は整ったようだし、ちょっとお話ししようか?」

「はい…」

「怖がらなくてもいいよ。首締めるとか胸ぐら掴むとかじゃなくて、普通に椅子に座って話すだけ」


 美雪はイアの手を掴み、立たせるとじーっとイアを見回すように眺めて小さく呟いた。


「ほほぅ…これまたスタイル抜群…いいなぁ…」


 美雪は舐め回すように見ていると、イアはそれを察したのか隠す必要も無い場所を隠しました。


「あっ、ごめんごめん!あの子が連れて来たから、不思議だったんだよね。飲み物でも出すよ」


 台所に向かって、棚を開けるとそこにはビンと紙袋が何個か入っていました。


「緑茶、麦茶、烏龍茶、ほうじ茶、紅茶にコーヒー、なんならジュースもあるけど何飲む?」

「じゃあ…紅茶で」

「はーい、少し待っててね。その間にっと…」


 台所から出てきた美雪はイアの手を引っ張って、空間の隅の席に連れて行き、イアを席に着かせると背後の窓を美雪が開けました。


「雰囲気もそうだし、空気も淀んでるから換気しなきゃね!」


 窓が開けられると、まるで待っていたかのように風が中に入り込み、中の空気を攫って別の半開きの窓から流れ出ていきました。

 一気に澄んだ空気が中を洗浄しました。



 少しして、紅茶を高級そうなカップに入れて持ってきた美雪はイアの前にそっと起きました。


「ありがとうございます…」

「おかわりもあるから、ドンドン飲んじゃっていいよ!」


 ニコッと美雪はイアに笑顔を見せて、少しでも気を楽にさせようとしていました。

その時、イアの頭の中では美雪の笑顔と口調に何処と無く暁月を感じていました。

しかしそれを口には出さず、カップを口に運び、紅茶で唇と喉を潤しました。


「──美味しい」

「口にあった紅茶で良かった。ふふっ」


 美雪もその紅茶を1口飲みます。

琥珀色で透明感ある色合い、甘く花のような香り、何も入れずとも味はしっかりしているシンプルな紅茶でした。


「ほっ…ドタバタしちゃったから、一服すると気が抜けちゃうなー」


 背もたれに背を預けて、溶けていきそうな勢いでズルズル下がっていきます。


「いつもはもうちょっと静かなんですか?」

「んー、そうだねぇ。たまにうるさい時はあるけど、普段は各々がやりたい事やって時間を過ごすだけだよ」


 よいしょっ、と美雪は体勢を戻します。


「そうそう、イアちゃんは集落の子?お家は?家族は?暁月くんが連れて来たけど何も聞いてないからちょっと教えてくれない?」


 ・・・


 イアは美雪に暁月に話した事を同じように言いました。


「んん~…?」

美雪は頭を捻りました。


「確かに何かおかしいね……誰も憶えて無くて、あるはずの物も無くて、外で目覚めた…謎ねぇ……」

「はい…」

「あぁー、でも、なるほど。だからあの子連れてきたんだ。あの子の性格上必然ねぇ…」


 イアは静かに頷きます。

けれど、イアは先程からある呼び方が変わっていることに気付きました。


「あの子って暁月くんの事ですか?」

「ん?あぁ、ごめんね。そうだよ」

「えーと…みゆきさん?は暁月くんのお母さんですか?」

「んー………まず私の名前教えてなかったね。それで少し関係も分かるかな?」


 美雪は胸ポケットからメモとペンを取り出し、ササッと自身の名前を書きました。

そこには『日向美雪ひむかい みゆき』と達筆な字で書かれていました。


「日向美雪、それが私の名前。下で呼んでくれていいよ。上はあんまり馴染みないから」

「日向…美雪さん…」


 そこでイアは気付きました。


「暁月じゃない…?血縁関係じゃないんですか?」

「うん、それらの関係も踏まえて、イアちゃんには沢山話す事があるの。ここにいる人達の事、《罪の炎》と呼ばれるものの事、私達が何をしているのか、そしてイアちゃんは何をするべきか、それらを理解してもらうための色々な話」

「───」


 イアは言葉に詰まります。

それを読み取って、美雪はらしくない台詞を言いました。


「イアちゃん。脅す様で、そして勝手で悪いけど、貴方はもう私達から離れちゃいけない人なんだ。ここに住むことに関しては追い出しはしないけど、逃げるなら考える必要がある。貴方の力はとても必要だから…」


 申し訳なさそうではあるものの、手段を選ばなさそうな目付きはイアにとっては心的不安を感じさせましたが、彼女の中である想いが覚悟へと導きました。

『自身を知らず、彼らに教えられて自身を知って、そして彼らを、彼を知る』という想いでした。


「──教えてください。私の事、皆さんのことを」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る