第8話 魔法鞄
しばらく休んだ後でアントニオは商業区画を歩いていた。
「とりあえず使わなければライフが減る事はないのだから、その点は良かったな。これが指輪を持っているだけで命が削られていく仕様だったら、指ごと切り落とさなきゃならなかったかもしれない。新たな契約をしなければ寿命は減らないなら・・・。」
独り呟く声が力を失くして立ち消えて行き、小さなため息が漏れた。
「はぁ~、あと62年と少しか・・・。」
それは、ライフから計算したアントニオの残りの寿命だ。
彼を落ち込ませているのは契約についてではなく、自分の寿命を知ってしまったが故の虚しさだった。
享年81歳・・・20歳、30歳で死ぬことも珍しくない世界でここまで生きられれば十分長い生を送る事になる。
だが夕食の献立を知ったのとは訳が違うのだ。
これから先、何をしていても残りの時間が頭の一角を占める事は間違いなかった。
「はぁ~、知りたくなかったなぁ。読んでいる本の結幕を言われた気分だ。まぁ、気を抜けば幾らでも短くはなるんだ。今は後悔しない様に準備をしよう。」
昨夜は、魔狼に対抗する手段がほとんど無かった為にこんな事になってしまったのだ。
もしも同じような状況になれば、やはりシャイロックの力を借りるかもしれなかった。
例え寿命を縮めるとしても、優先しなければならない事など幾らでもあるのだ。
だが、他に手段があれば選ぶことが出来る。
「10年分だ。死ぬ時には後悔すると思うが、そのくらいは生きていたい。だとすれば原価もあるから使える時間は3年分。なるべく効果的に使って、70歳の自分が納得するような老後を確保しなけりゃならないぞ。その為には準備だ。準備。ちゃんと儲かる所で使わなけりゃ勿体ないからな。」
元気を取り戻した途端に「歩く時間がもったいない」と気の急くままに足を早めた。
「いらっしゃい。あら久しぶりね。」
歩いた先でレンガ造りの一軒の店を訪ねていた。
『魔導具屋 ポーシャ』
魔導具師であるポーシャが自分の製作した魔導具を取り扱う工房兼店舗だ。
魔導具は商会の様な所でも取り扱っているが、こうして直接買い付けに来る方が当然易くなるし、伝手があるなら更に値引き交渉も出来る。
要望を伝えればより良いものを手に入れる事が出来る。
フェアリードロップを仕入れる際に買った保管箱も実の所ポーシャに造ってもらった物だ。
品質を維持するために劣化防止と凍結の機能を付け、運搬中の振動を受けない様に衝撃緩和の処置を施してもらっている。
このお蔭で積荷の品質をほとんど傷める事無く納品する事ができたのだが、かなり高機能にしてしまったのでこれの製作費用で今回の利益の半分が消えていた。
支払自体は商業組合から支払われているのでポーシャに迷惑が掛かる事はないし、組合もしがない行商人の資産を押えるよりも貸付け扱いにした方が良いので、いきなり奴隷落ちという事にはならないが大きなデメリットは避けられない。
入金が遅れて信用度が下がると、以降は組合経由でのお金のやり取りが制限されてしまうので売り買いの度に現金を持ち歩く必要が出て来る。
常に大量の現金を持ち歩かなければならない行商人など、人に知られれば山中で襲ってくれと言っている様なものだ。
とてもじゃないが商売を続けられる状況ではなくなってしまうだろう。
「どうやら今回も儲かったみたいね。今日が期日だと言っていたのに帰ってこないから心配したわよ。」
「それはすまなかったな。大雨で足止めされてしまって危ない所だったよ。」
実際は魔狼にも襲われて命さえも危なかったのだが、余計な心配を増やす事もない。
「ふ~ん。」
一瞬探る様な目をしたポーシャだったが、大きく息を吐いて視線を落とした。
「何を隠しているのかは聞かないけど、どうしてもと言う時はちゃんと言ってちょうだいね。あの保存箱の代金だって態々組合を通さなくて良かったのに、私なんかに見栄を張るから自分の首を絞める事になるのよ。」
「ポーシャ
「はいはい、分かりましたよ。じゃあ商人様とお仕事の話をしましょうか。顔を見せに来たわけじゃないんでしょう?」
「ああ、実は容量拡大機能の付いた魔法鞄が欲しいんだ。」
「んんんっ~どう言う風の吹き回し?今まで頑なに要らないって言っていたのに・・・。」
「ちょっとな。・・・ほら、今回の事で俺も商人として一皮むけたと言うか、儲けも結構出たからランクアップしたいと言うか・・・。馬車に置きっ放しにできない様な高額な商品も扱う事になる・・・かもしれないから、常に身に着けておける様にする必要が出て来るわけというか・・・だよ。」
「なんか怪しいなぁ。悪い事に使うのでなければ持つ事自体は賛成なんだけど、今は時期が悪いなぁ。値上がりしている材料があってね、ちょっと手に入れる事が難しいのよ。」
「どのく待てばいい?」
「見込みがつかないわよ。それにしばらくは手に入っても値段が高くてちょっと買えないと思うよ。」
(様々な事態に対処できるように道具や薬関係、それに武器などは持ち歩ける様にしたかったのだが、高騰している時に仕入れるなど商人としてはとても容認出来ないな。)
多少高くても必要な物を必要な時に手に入れたいのだが、急ぐ理由が分からない周囲の者は『仕入れ時も分からないダメな商人』と見られかねない。
こんなことで評判を下げては商人として受けるデメリットは計り知れなかった。
しばらく考えた末に顔を上げると申し訳なさそうにしているポーシャと目が合った。
相手が同じ商人であればこの表情も当てにはならないが、店を開いていてもポーシャの基本は職人だ。
材料の話にしても本当の事なのだろう。
それに今更ポーシャを疑う意味はない。
彼女に騙されたのなら自業自得と言うものだ。
「手に入らない材料を教えて貰えるか?俺の方で当たってみるから、その前提で見積りを作って欲しい。」
その後、鞄の形や大きさ、必要な機能について打ち合わせをすると、日も暮れかけた頃に店を後にした。
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