第5話 契約

アントニオは受け取った指輪を弄びながら先程の事について考えていた。


「あのシャイロックと名乗った男を何処まで信用する?普通に考えればあんな得体の知れない奴の言う事を真に受ける馬鹿はいないのだが、こっちも後が無いのは事実。だが元から騙すつもりだったら・・・」


投げ上げた赤い指輪がランプの光を受けてキラキラと輝く。


「やはりあいつを信用するのはリスクが高すぎるな。何とかここを出たら、こいつを売り払って赤字の補填をするとしよう。」


落ちてくる指輪を掴みポケットに仕舞うと馬車の所へと道を戻る。


「アイツは、出入り口は一つだと言っていたが、あれだけの神殿を建てるのにこの入口では小さすぎる。どこかに資材の搬入口があった筈だが何処に在るのだろう?途中にそれらしい所はないから、あるとすれば奥なのだが、最悪、天上の可能性もある。調べるとしても何日掛かるか分からないから必要な物はなるべく持って、もう一度あそこを調べよう。」


方針が決まると足どりは少しだけ軽くなり、気力も戻ってきた

足早に進んでいると遠くから何かが聞こえてくる音に気が付いた。


―――ヒヒィ―――ン―――


それは切迫した馬の嘶きいななきだった。


ハッとして足を早めたが、絶え間なく聞こえる馬の鳴き声と獣の唸り声に不安を募らせる。

息を切らして辿り着いた先には暴れる馬と馬車の下から這い出ようとする魔狼の紅い目があった。

馬車の下は身体の大きな魔狼が入れる程の隙間はなかったが、地面を掘り広げてきたらしい。

今も馬に向かって吠える合間に足元を掘り広げており、もうしばらくすれば大きな顔がこちら側に抜けてきそうになっていた。


「クソッたれ!少し離れていただけでこれかよ。」


一瞬、馬を囮にして逃げる事を考えたが、魔狼が追いかけて来ればそんな事をしても意味はないと気付いて前に走り出した。


走りながら武器になりそうな物を探したが、都合のいい物はなかったのでこぶし大の石を一つ拾う事しかできなかった。


アントニオが近づくと、魔狼が牙をガチガチと鳴らして噛み付こうとした。

幸いにもまだ口先を付き出すだけの隙間しかなかったので噛まれる事はなかったが、ここまで近づかれては這い出て来るのを阻むのは難しい。

開いた口に手にした石を投げつけて、怯んだ隙に最後の煙り玉を馬車の下に投げ入れた。


―――ギャンッ!―――


赤い煙が馬車を包むと悲鳴の様な鳴き声を上げて魔狼が遠ざかった。


「今のうちに荷物を纏めなくては・・・」


馬車に飛び乗って荷台を開けようとした時、吹き込んできた突風が赤い煙を洞窟の中へ押し込んだ。


「ゴフォッ、ゴフォッ・・・何が起きた!」


馬車を包んでいた煙は全てなくなり、隙間から外を窺うと魔狼が再び押し寄せようとしていた。

群れの中にひと際大きな身体をした魔狼が1頭おり、それ周りに砂塵を纏わせて風の魔法を使っているのが見える。


「くそっ!上位種がいやがる。」


もはや猶予はない。

馬車を降りて縛っていた馬の手綱を解くと、ランプを片手に馬に飛び乗った。




人が走るより早いとはいえ、馬はこのような曲がりくねった通路を走るのに適しているとは言い難い。

広い平原を走らせれば魔狼にも引けを取らないだろうが(それでも持久力の面で逃げおおせるとは言えないが)、この様な場所では本来の半分もスピードが出ていればいい方だろう。

対する魔狼は森の木々を縫って走る事になれており、左右に進路を変えながらでもトップスピードを維持する事が出来た。

後から襲われる恐怖に耐えながら懸命に馬を走らせたが、神殿まで半分も行かない内に背後に迫る気配が感じられるまでになっていた。


「追いつかれる!こうなったら、一か八か賭けるしかない。」


覚悟を決めたアントニオは手綱を口に咥えると開いた右手で赤い指輪を取り出した。

言われた通り左手の薬指にはめようとするが、激しく揺れる馬の上では中々狙い通りに行かない。

その上、人以上に鋭敏な聴覚を持つ馬が背後に迫る魔狼の気配に怯えて足を縺れさせた。

馬は転倒しなかったが両手を放していたアントニオは落馬して地面に投げ出されてしまう。

ランプが割れて小さな炎が周囲を照らすと、背後に迫る魔狼の群れが闇の中に浮かび上がった。


当然の様に持っていた指輪もどこかに落として無くなり、転倒を免れた馬はそのまま奥に向かって走り去った。


「最後は馬を囮にして逃げるつもりだったのに、まさか自分が馬の囮になるとは思いもしなかったな。だが、これで赤字も借金も関係なくなるのか。大赤字を覚悟していたのだから、随分と頑張った方かもしれないな。」


最後の言葉はもちろん自虐以外の何ものでもなかったが、これから死ぬと言うのに妙に気持ちが軽くなっていた。


「出来れば苦しむ前に死にたいな。」


他人事のように呟いてハッキリと見え始めた死神たちを眺めていた。


『本当に君は退屈させないねぇ。面白かったから今回はサービスしてあげるよ。』


頭の中で声がすると、壁際から赤い光がアントニオの手の中に飛び込んできた。


「指輪?」


唖然としたのは一瞬の事、助かると思えば先程までの潔さなど忽ちに濁流の如き生の欲に塗れて消える。

直ぐに指輪をはめると、何かを叫びながら暗闇に向かって走り出した。


『主契約が締結されました。これより契約内容を表示します。』


声はなかったが、頭の中に文字が響いた。

不思議なことに声を聞いた様に瞬時に理解できるのだが、同時に頭の中で手紙を見る様に文字として認識している。

但し、この時のアントニオにはそんな事を理解する余裕はない。


「うわぁーーーー。そんなことは後でいいから早く助けてくれ!」


『主契約の内容表示を取りやめました。続いて個別契約の依頼を受理しました。依頼内容を表示します。依頼内容は依頼者(甲)の生命の保全でよろしいですか?』


「そうだ。・・・いや待て、待ってくれ。俺と馬、・・・いや、俺と馬と俺の荷馬車を王都まで運んでくれ。直ぐにだ!」


『依頼内容を確認します。依頼者(甲)と甲の所有する馬及び荷馬車を当該国の王都まで移動します。契約履行の対価として・・・』


「細かい事は任せるから早くしてくれぇーーー!」


『個別契約が締結されました。これより契約の履行を開始します。契約の履行を確認。これにて個別契約を終了します。』


気が付くと目の前には巨大な王都の外壁がそびえ立っていた。

隣りを見ると傷ついてボロボロになってはいたが、ちゃんと馬を繋いだ荷馬車がある。

夜になり閉まった門の前でアントニオが我に返ったのは、それからしばらくした後だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る