22

 孤児院の主は、穏やかな雰囲気の老婆だった。

 旅人の来訪には慣れている様子で、くれない達を怪しむことなく出迎える。


「帝都までは少し距離があるからねぇ。持て成すことは出来ないけれど、今夜はここで休んでいきなさいな」


 そう言われて案内された部屋は砂壁に囲まれた簡素な小部屋だった。

 寝台ベッドもなく使い古された毛布が何組か置いてあるだけだったが、男二人が雑魚寝するだけなら十分な空間だ。


「……システィナさん、どっか行っちゃったけど」

「気にするな。考えるだけ無駄だろ」

「そりゃそうだけど。冷たいなぁ」


 身分証を預けて――気持ち的には人質を取られて――いる故に気が気ではなかったが、だからといって勝手に動いたところで何か建設的なことが出来るという状況でもない。

 経緯ややり方はどうあれ、システィナは現状のままでは帝都に入れない紅のために動いてくれているのだ。

 今は彼女を信じて待つしかなかった。


「子どもの声がする」


 外から、楽しそうにはしゃぐ声が聞こえた。


「ここは孤児院だからな」

「そういえばそんな話だったっけ」


 陽はまだ高い。

 子ども達の声に誘われるようにおもてへ出ると、五人の子ども達が追いかけっこをしながら楽しそうに遊んでいた。

 その様子を遠目で眺めながら、ふと、イクセルと交わした剣の稽古をつけるという約束を反故にしてしまったことを思い出した。

 しばらくマルタ村には戻れないだろう。

 イクセルは勢いに任せて村を飛び出した紅の姿を目撃している。彼はあの後、どうしているだろうか。見たことを周囲の大人に告げたのか、それとも黙ったままでいるのか。もしかしたら心配させているかもしれない。

 海で隔たれた遠い地に想いを馳せていたら、いつの間にか子ども達に囲まれていた。


「ねえねえ、お兄ちゃん。お姉ちゃんを知らない?」

「……お姉ちゃん?」


 紅の衣服の端を摘まみながら、子どもの一人が言った。


「そう、お姉ちゃん。毎日わたし達と遊んでくれるの」

「今日はいないの?」

「うん。昨日、トスカテージの港町に行ったまままだ帰ってこないの。お母様もいないの。二人とも何処行っちゃったの?」

「お母様……?」


 楽しげにはしゃいでいた様子から一転、子ども達が不安を滲ませた面持ちで紅を見上げていた。


「……もっとお話、聞かせてくれるかな?」


 少しでも彼らの不安を和らげようと、紅は身を屈めて子ども達と目線を合わせた。

 もしかしたら何か良くないことが、この孤児院に起こっているのかもしれない――そんな不穏な空気を感じた。











「ごめんなさいね、旅人さん。不安にさせてしまったかしら」

「いえ、おれなんかより、子ども達のほうが……」

「まあまあ……」


 子ども達を連れ立って、詳しい話を聞くために紅は孤児院の主を尋ねた。

 老婆は嫌な顔をせず、縋り付く子ども達をあやしながら語り始める。


「もう何日も前のことですよ。私の娘がフレイリアに行ったきり帰ってこないの」

「……フレイリアに?」


 この時点でおおよその予測はついたが、黙って話の続きを聞いた。


「娘が出て行ってからすぐ後、あの大陸で何かよくない出来事が起こったらしいのよ。いつも巡回で来て下さっている軍人さんが教えてくれたのだけど……それっきり娘は帰ってこないから、もしかしたら事故か何かに巻き込まれてしまったの、かと……」


 老婆が苦しげに声を詰まらせた。


「……それでね、前々から子ども達の遊び相手をしにこの孤児院に来てくれていた女の子が『様子を見てくる』と、彼女までトスカテージへ行ってしまって」


 トスカテージとはこの孤児院から近い場所にある港町のことだった。フレイリアの港町であるエンテージと航路で繋がっており、本大陸の玄関口のひとつだ。


「それが昨日、ですか」

「そう。危ないから止めなさいと言ったのに……。本当は私も後を追いたいのだけど、足がね、あまり動かせなくて」

「……」


 子ども達の言う《お母様》というのがこの老婆の娘で、子ども達の遊び相手をしているという女の子が《お姉ちゃん》ということか。


「あの、娘さんは何故、フレイリアへ?」


 紅が問う。

 何日も前のフレイリア、と聞いたら、思い当たるのは一つしか無い。


「今、フレイリアは王都で色々あって規制が厳しくなってて、国を出たくても出られない状況なんです。もしかしたらそのせいで帰れなくなってるのかも」

「まあ、そんな大事になっているの!?」


 驚いて、老婆が目を見張った。


「フレイリアには娘の夫がいるのよ。彼は王都のアルステトラス城下で働いていて、私の手伝いをしている娘とは離れて暮らしているの。久しぶりに会いに行くんだと喜んでいたのに、まさか、そんなことに……」


 王都に行った、ということは、やはりあの黒い柱の騒動に巻き込まれたに違いない。

 老婆を安心させるために「大丈夫」と言いたいところだったが、柱の出現による人的な被害の具合を紅は把握していなかった。もっと、テレサに聞いておくべきだったと後悔する。分かっているのは、柱に呑まれ、城に取り残されている人が数名いるということだけだった。

 城下にいる夫に会いに行ったという女性が城を訪れているとは考え難い。

 しかし、無事だったとしても、しばらく本大陸へ帰ってくることは出来ないだろう。

 震える老婆の細い肩を、紅はそっと擦った。

 肉親の安否が分からないという状況がどれほどつらいものか、紅には痛いほどよく分かっていた。


「……せめて、寿弥じゅやちゃんだけでも無事でいてくれたら……でもあのも戻ってこないのよ。一体どうしてしまったというのかしら」

「……じゅ、や?」


 紅の手が、老婆の肩の上で止まった


「そう。娘を追って行ってしまった女の子。ここから港町は目と鼻の先なのに、どうして帰ってこないのかしら……まさか魔物に……!」


 ガタリ、と。老婆か椅子から立ち上がろうとして、その場で崩れ落ちる。子ども達が驚いて声を上げる中、紅は咄嗟に老婆の細い身体を抱き留めた。


「旅人さん、ごめんなさい、関係の無い貴方にこんなことを頼むのは、どうかと思うのだけど……」


 言い淀む老婆の意図を察して、紅が先に口を開いた。


「分かりました。大丈夫です、おれ、港町まで行ってきます」

「まあ……」


 老婆の目尻に、うっすらと涙が浮かんだ。


「……ごめんなさいね。こんな見知らぬ老いぼれの我が儘を聞いてもらって……。頼んでおいて言えたことではないけれど、どうか、無理だけは止めてちょうだいね。危ないと思ったらすぐ帰ってくるのよ」


 その老婆の言葉は、まるで母親みたいだなと思った。

 紅には実母との思い出は何一つ残っていないが、もし生きていたなら、この老婆のような優しい人だったのだろうかと想像した。


「分かりました。……ところで、港町ってどこにあるんでしょうか」


 隧道トンネルを出てから真っ直ぐ孤児院へ訪れた紅は、周辺の地理に疎かった。

 地図さえあればと思ったが、当然ながら鞄の中にはフレイリアのものしか入っていない。そもそもマルタ村を出たときには本大陸に来るなど全く想定していなかったのだ。なれば、用意のしようもない。


「あら、知らないの? 旅人さん、貴方はこの大陸の人ではないのかしら?」

「えっと……」


 フレイリアでは規制が――と説明した手前、フレイリアから来ました、とは言えなかった。自分が不法入国状態にあることをすっかり忘れていた。


「……あの、おれ、もの凄く方向音痴で……」


 誤魔化すように、はは、と笑う。

 方向音痴と言って、ふと、フレイリアへ置いてきた少女の顔が脳裏をよぎった。

 今頃彼女は、無事に森へ帰れただろうか――。










「というわけで、おれ、今から港町へ行こうと思うんだけど」

「……いつの間にか訳分からん話に巻き込まれてんな」


 呆れた様子でアスカが紅を一瞥した。


「ひとりで大丈夫か」

「本音を言うなら一緒に来て欲しいんだけど、システィナさんがいつ戻ってくるか分からないんだよね」

「……あの女を待つっていうのも癪だが」

「またそういうこと言う……」


 二人して不在の最中さなかにシスティナが戻ってきてしまったら、またどんな苦言をねちねちと言われるか。

 想像に容易く、やはりひとりで行くしかないか、と紅は諦めた。


「この近くにある港町はフレイリアと繋がっている玄関口だ。もしかしたら同様に規制がかかっているかもしれないぞ」

「……おれ、今、不審者なんだよね」

「そう。だからもしラスティアードの軍人を見掛けたらなるべく姿を隠せ。それが出来なかったら極力普段通りに振る舞うように努めろ。少しでも怪しまれたら即刻で捕縛されるぞ」

「うげっ……」


 それだけは避けなければならない。もしそのような事態に陥れば、今現在、紅のために動いてくれているらしいシスティナの行動が全て無駄になってしまう。

 苦言を言われるどころじゃなくなってしまう、と紅はしかと心に留めた。


「なんなら俺が行ってもいいが」


 そう提案するアスカに、紅はいや、と首を振った。


「ちょっと、自分の目で確かめたいことがあるんだ」


 そう言う紅を、アスカが不思議そうに見遣った。











 老婆の言うとおり、港町は目と鼻の先にあった。

 なんとなくマルタ村からエンテージまでの距離を想像していたが、実際はその三分の一ほどの道のりにも満たない。

 時間にして、約十分。少し歩けば街を取り囲む石壁が視界に入り、確かに、この程度の距離なら一晩経っても戻らないというのはおかしい。


「……近いのはいいんだけど、やっぱ簡単には入れなさそうだな」


 石積みの塀に囲まれた街の、おそらく出入り口と思われる門には甲冑を身に纏った二人の男が立っていた。フレイリアでも見掛けるラスティアードの軍人だ。

 エンテージのようにどこか見つからないように出入りができる場所がないかを探したいが、土地勘が無いまま下手に動くことははばかられた。

 門を潜らずとも背の低い塀を乗り越えることは出来る。が、塀の内側の様子が外からは分からない。乗り越えた先でもし見張りの兵に出くわしたらそこで終わりだ。背伸びをすれば中を覗くことは出来そうだったが、その姿を誰かに見られたらそれこそ不審者以外の何者でもなくなる。

 ここは一度引き返し、システィナの帰りを待って、己の不法入国者というレッテルが剥がれてから再度訪れるべきだろうか。

 近くの雑木林に身を隠しながら思案していると、不意に、ざわざわとした喧噪が街の出入り口の方から聞こえてきた。

 何事かとそっと様子を窺う。


「……あれは」


 遠目だが、視力は良いので何となくの状況は確認出来た。誰かが、番兵と揉めているようだった。

 見つからないように身を屈めながら、少しずつ、石壁伝いに近づこうと試みる。やがて、はっきりとした状況を目視できる距離まで辿り着き、紅は驚いて目を見張った。

 門のすぐ側で、軍人の男と一人の少女が口争いをしている。

 そして、その少女のことを、紅は知っていた。


(――やっぱり!)


 いさかいの内容を把握しようと、そっと石壁に耳をそばだてる。


「すぐ戻ってくるって何度も言っているじゃない! だから一度私を外へ出して欲しいの!」

「駄目だと何度言えば分かる!? この街は昨日から出入りの規制が強化された。いくら子どもの頼みとはいえ、上からの指示を無視して許可を出すことなどできない!」

「もうっ! 軍の人って皆揃って頭固いのね!」

「うっ……」


 少女の剣幕に弱冠の怯みを見せつつも、番兵は断固として引かなかった。

 少女は憤りをつけるように男をひと睨みして、その場から離れる。

 石壁沿いに歩く少女の足音を塀越しに確認して、紅は番兵に見つからないように身を屈めたままそっと追う。

 端から見たら完全に怪しい人間、もとい付き纏いストーカーだなと自覚しながら、しかし背に腹は代えられなかった。出入りに規制がかかっているおかげで街の外に人の姿が無いのが幸いだ。

 しばらくして番兵から距離が遠のいた頃を見計らい、石積みの隙間から少女の周囲に人がいないことを確認して、紅は極力潜めた声で少女の名を呼んだ。


寿弥じゅや


 途端、少女の背がびくりと揺れた。


「え?」


 驚いて、歩を止めて辺りを見回す。後頭部で一つに纏めた薄紅色の髪が、彼女の動きに合わせて大きく揺れた。


「ここだよ、寿弥」

「何っ……て、きゃあっ!?」


 石壁の隙間から、身を潜めていた少年の姿を認めて少女は驚いて声を上げた。


「あの、おれ……」

「わ、分かるわよ! あなた、紅なのね!? どうしてそんな所にいるの!?」

「それはおれの台詞……というか、ごめんもうちょっと声の音量下げて欲しい」


 しぃ、と人差し指を唇に当てながら、紅は慌てて少女の周囲を見回した。幸い町の外れにあたるのか、人影は見当たらなかった。


「おれ、今、誰かに見つかったらヤバいんだ」

「はぁ? 何、どういうことなの? あなた、まさか密入国でもしているの?」

「……えっと、その通りだよ」


 適当に言ったと思われる少女の指摘がずばり的確過ぎて、紅は気まずそうに頷いた。


「……訳が分からないわ」


 呆れと、困惑と、その他の色々な感情が交ざったような。

 そんな複雑な表情が、少女――寿弥の顔にはっきりと浮かんでいた。

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