19

 混凝土コンクリートの壁に、二人の足音が反響する。思っていたよりも高さのあるドーム型の天井は外との繋がりを完全に遮断し、夜の静寂とはまた違った人工的な静謐さを感じさせる。肌に感じる冷たい空気は意外と心地よかった。

 ――海の底である、という事実さえ考えなければ、そこはただの隧道すいどうであった。


「ちゃんと息が出来る……」

「そりゃあ、人間の為に作られた人工的な道だからな。当たり前だろ」


 何を言っているんだとアスカが呆れて言う。「いや、そうなんだけど」と返して、くれないがアスカを見上げた。


「……なんか、思っていたより空気が綺麗というか、道も綺麗というか、設備がしっかりしているというか」


 もう何年も使われていない――という事前の情報からどんな廃墟染みたおどろおどろしい場所なのかと不安に思っていたが、目の前の光景は思い描いていたものとは真逆の綺麗さを保っていた。


「そうだな……」


 アスカが訝しげに天井を仰ぎ見る。

 打ちっ放しの混凝土コンクリートのような無機質な壁。作られてから年数が経っている故に所々部材が剥がれ落ちてはいるが、それにしても――。


「……この隧道すいどうが閉鎖されてからもう何十年かは経っている。その間に破落戸ごろつきに見つかってにでもされている、と考えるのが自然か」

「はぁ!?」


 驚いて、紅は思わず足を止めた。


「他に人がいるって事?」

「と考えないと、この綺麗さに説明がつかないだろう。破落戸ごろつきかどうかは知らんが、定期的に人の手が入っているのは間違いない」

「……なんか怖いなぁ」


 そう言う紅を余所に、アスカは特段臆する様子も見せず歩を進めた。

 通常なら船で二日かかる距離を、己の足だけで進む。

 何日かかるかも分からない道のりをただひたすら歩くだけというのは、想像するよりもずっと苦行だろう。

 だとすれば、どんな輩が潜んでいようとも少しでも環境が整っている方が良い。


「紅。お前、結局付いてきてるけど本当に大丈夫か?」


 引き返すなら今のうちだ、と。少年に忠告する。

 付いてきても構わない、と言ったのはアスカの本心だが、無理強いだけはさせたくないと思った。


「……めちゃくちゃ迷ったけど、結局動いてないと気が狂いそうなんだ」


 考えながら、紅が言う。


「だから村を飛び出したし、王都へ行くっていうみーちゃんにも付いて行った。今も、アスカが付いてきていいって言ってくれたからここにいるだけなんだ。だから正直、大丈夫かどうかは分からない……でも、自分の体力を過信しちゃいけないってことはマルタ村から王都までの道のりでちゃんと学んだよ」

「……まあ、そんな心配すんな」


 外界と違って、おそらく目的地に着くまで景色が変わることが無い。

 気をつけなければいけないのはきっと、体力面よりも精神面の方なのだろう。

 ならば、一人よりも連れがいた方が、アスカにも都合がよかった。


「いざとなったら里の連中を何人か引き連れていこうと思っていたんだが、まさか会って間もない子どもと旅をすることになるとは」

「……嫌になったらちゃんと嫌って言ってよ。迷惑はかけたくないし」

「気にすんな。同行を許可した以上、最低限の面倒は見てやるよ」

「見られないように気を付けるよ……」

 あまり自信ないけど、と。紅が肩を落として言った。

「あまり弱気になるなよ。長旅に重要なのは気概だぞ」

「うん」


 とりとめの無い会話を繋ぎながら、延々と続く灰色の壁を後ろへと流していく。

 この調子で本大陸まで何事もないまま着けば良い、とアスカは祈るように思った。











 人が住み着いている、というアスカの言葉は正しかった。

 ただし、それは破落戸ごろつきなんかではなく――。


「さあ、どうぞ。心のままにおくつろぎ下さいませ」


 見目麗しいプラチナブロンドの令嬢が、男二人の前で優雅に礼をした。ここが王宮の間であるとか、そういった格調高い場所であったら何の違和感もないのだが、生憎混凝土コンクリートに覆われた寂れた隧道トンネルである。


「……いや、俺たちはくつろぎたいんじゃなくて、ただ通り過ぎたいだけなんだが」

「まあ、随分と冷たいことをおっしゃる殿方ですこと! わたくし、人とお会いするのがとても久しぶりですの。少しくらいお相手願ってもよろしいじゃないですか!」

「……」


 一体何がどうなっているのだと、紅はその場で呆然と立ち尽くした。アスカも似たような様子で、彼にしては珍しいなと思った。

 ――いやしかし、この状況では仕方がない。

 フレイリアを発ってから、およそ六日の日が過ぎていた。

 断続的に休憩を挟みながら順調に隧道すいどうを進み辿り着いたそこは、混凝土コンクリートの壁はそのままの、ぽっかりとひらけた空間であった。


「ここはフレイリアと本大陸の主要国家、ラストスとの狭間。つまり昔は関所として機能していた場所ですわ」

「そっか、だからこんなに広いんですね」


 なるほどと紅が言うと、令嬢はええ、と首を縦に振った。


「詰め所も兼ねておりましたので、宿泊施設も完備しておりますわ。さあさあ、貴方もどうぞ、思う存分お休みくださいませ」

「……えっと、あの、いや?」


 困り果てて助けを求めようと紅がアスカを見ると、アスカも同じように困惑した顔をしていた。


「まあ、もしやわたくし、怪しまれてますの? その心配には及びませんわ!」


 肩先まで伸びたプラチナブロンドの髪を揺らしながら、令嬢が自身の潔白を語る。


「ほんの、それはもう数年に一度あるかないかでございますが、たまに貴方あなた方のように迷い込んでこられる旅行者がおりますの。わたくし、それが嬉しいのです! そういった迷える子羊をお迎えするために毎日毎晩、床を磨き、寝台ベッドを整え、料理の腕を磨いておりますわ。だからどうか、この場で心と身体を休めて頂けると、わたくしの日々の努力も報われるというものなのです!」

「……随分と暇を持て余しているようだな」

「ご存じの通り、ここには娯楽も何もありません故に」


 うふふ、と笑う令嬢の出で立ちは気品に満ちていた。それはもう、とても不自然なほどに。

 怪しい以外に言い様がなくて逆に対応に困る。


 ――しかし、紅は思った。


 勿論、アスカは無視して先へと進むだろう。ならば、自分はそれに付いていけばいいのだ。女性に対して無下な対応をすることに抵抗があったが、その状況であれば後ろ髪を引かれることなく振り切ることが出来る――。


「……紅、お前はどうしたい?」

「はぁっ!?」


 アスカに問われ、紅は言葉を詰まらせた。いや、ここで何でおれに聞くのか。


「考えなくていい。正直に言え」

「……そりゃ、休めるものなら休みたい……です、けど」


 いや休まなくていい。先に進みたいと言えばいい、それなのに。

 スカイブルーの瞳を潤ませながら期待の眼差しを向ける令嬢の視線から、紅は逃げることが出来なかった。

 そして、「そうか」とアスカが頷く。いやいや、何故そこで頷いてしまうのか。

 困惑と混乱に陥った紅を余所に、話は進められていった。


「……半日だけ世話になる。それ以後は何度引き留められても聞かないからな」

「まあ、嬉しい!」


 令嬢は心底喜ばしいと言わんばかりの笑みを零した。


「半日と言わずに、どうぞお好きなだけゆっくりしていって下さいませ」


 微笑みながらそっと紅の手を取る。きゅっと、軽く力を込められて少しだけドキリとした。その様子を見て、女性はふふ、と声を漏らす。

 こんな暗がりの混凝土コンクリートに囲まれた空間で、彼女の笑顔はまるで晴れた日の太陽みたいだなと思った。






「アスカが来ないからカレンさん寂しがってたよ」

「……お前、この状況でよく馴染めるな」

「アスカこそよく我慢できるよね。おれには無理だったよ」


 令嬢――カレンと彼女は名乗った――が持て成しとして用意した食卓は、連日簡素な携行食しか口にしていなかった紅の理性と胃袋を大いに揺さぶった。

 空腹だったわけではない。

 市販の携行食も嫌いじゃない。パンを固めたようなそれは、水と一緒に食べないとなかなか飲み込み辛いのが難点ではあったが味自体は普通に美味しい。小型な割に栄養バランスも綿密に考えられていて実に効率的な食事だと思う。

 ただ、蓄積された疲労を誤魔化していた身体が味の濃いものを求めてしまった――誘惑に負けた理由を述べるならそれで十分だろう。


「我慢も何も、日頃から信用の置けない人間が提供する食事には手を付けないようにしているんだ。身内や友人ならともかく、あんな不審の権化のような女が差し出すものなんて食ってられるかよ」

「そっか、勿体ない」


 不審、と言いながらも最低限の恩恵にはあずかっているようで、カレンに案内された寝室にいたアスカはすでに水浴すいよくを済ませていた。


「アスカの言ってることは分かるし、おれもあの女性ひとはもの凄く怪しいと思うよ……でも悪い人じゃないとも思うんだよなぁ」

「根拠は」

「えっと……な、なんとなく?」

「却下。理由になってねぇ」

「うう……」


 胃袋を掴まれて懐柔された自覚はあったのでそれ以上は何も言えなかった。胃袋もだが、料理そのものにも興味を引かれた。見たことの無い食材が使われたあの料理は、一体どうやって作るのだろうか――。


「まあいい。お前、あの女と何を話した?」

「へ?」


 舌に叩き込んだ料理の味を反芻しながら調理法レシピを探っていたら、つい上の空になっていた。慌てて食卓を囲みながらカレンとした会話を思い出す。


「えっと、軽い身の上話かなぁ。カレンさんがどうしてこんなところで暮らしているのか、とか」


 元々はラストスの帝都で暮らしていた貴族の娘であったが、諸々の事情で――没落がどうとかそんな話を聞いたが紅にはよく理解できなかった――身を隠さなければならなかったと、彼女は身の上の不幸を涙ながらに語った。

 親族は皆すでに故人となっており頼れる者もおらず、身寄りのない彼女が一人路頭を彷徨さまよっていたところに偶然この海底隧道すいどうを見つけたという話だった。

 以来、この隧道トンネルでただ一人、ひっそりと慎ましやかに暮らしているという。


「偶然、ね」


 ぽつりと呟き、アスカは紅に向き直った。


「お前、その話聞いておかしいと思わなかったのか」

「……大変だなとは思ったけど」

「まず一人で暮らしているというのは嘘だ。それが真実なら、じゃあお前が食べたという食事はどこから来た」

「外じゃないの?」

「ここは大海原のど真ん中だぞ。それにあの女が最初に言ってただろう、人と会うのが久しぶりだと。外に出てそれなりのグレードの食物を買い込むような女がひっそりと慎ましやかに暮らしているだと? そもそも資金はどうなってるって話だよ」

「……た、確かに」


 アスカに詰め寄られて、紅はこくこくと頷いた。


「それに、この隧道すいどうは確かに綺麗に保たれているが、それこそ変な話だろ。この詰め所だけでなく、フレイリア側の道からすでに整備の手が行き届いていた。おそらくラストス側も同じなんだろう。これをあの女一人でやっているというのか? んなわけあるか。俺達の足でもここまで来るのに六日かかってるんだぞ」

「……確かに!」

「……お前、いつか痛い目見るぞ」


 頷くばかりの紅に、アスカは呆れた様子で溜め息をついた。


「とにかくだ、少なくとも女が何かしらの嘘をついてまで俺達に近づいてきたというのは間違いない。意図が知れない以上、過剰に関わりを持つのは危険だ。一眠りしたらすぐに出て行くからそのつもりでいろよ」

「うーん……」

「……」

「……はい」


 無言の圧力に屈して、紅は大人しく頭を垂れた。


「……でもやっぱり、悪い人じゃないと思うんだけどなぁ」


 そんな純粋な少年の呟きを、アスカは静かに黙殺した。

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