18

 昔は正門だったという、王都へ入るために通った入り口に再び戻ってきた。そこから外へ出て、元来た藪道から外れた方角へ進んでいく。そうしてテレサが三人を案内したのは海に面した雑木林の中だった。時折吹き抜ける潮風が肌を擽るように撫でる。


「着いたぞ。ここから、人知れず本大陸へ渡ることが出来るだろう」


 まさか海岸に船でもあって、それで海を渡れと言われるんじゃないかとくれないは内心冷や冷やした。が、テレサが示したのは、海岸ではなく雑木林の中にあるものだった。


「……井戸?」


 浅い、円形状の石壁の中央にぽっかりと深い空洞が空いている設備。どこからどう見ても竪井戸のたぐいだったが、ボロボロに廃れている様は長年使われていないことが一目で分かった。


「水も枯れてそうですけど」

「ああ。というか、元々水は汲めない。これは井戸に見せかけた通路なのだ」


 テレサの説明に驚き、恐る恐る穴の中を覗き見る。底まで光が届いていないのでまるで地獄へ通じる奈落のようだ。


「知っている。これは海底隧道すいどうの出入り口だな」


 アスカが、紅の隣で同じく深淵を見下ろしながら言った。


「大昔のまだ船が無かった時代、人間はこの海底を掘った隧道トンネルを歩いてフレイリアと本大陸を行き来していたって話だ。技術の発展と共に使われなくなり、とうの昔に閉鎖されたと聞いていたが……」

「じゃあこの穴、本大陸まで続いているの?」


 通りで深いわけだ。闇の中を覗き込みながら紅は感心した。昔の人は一体、どうやってこんな深い穴を掘ったのだろうか。


「システィナ殿はこの井戸を使えと言ったのだ。空路も陸路も今は規制がかけられて禄に使えんからな。……果たしてこの何百年も使われないまま放置されていた通路がまともに機能しているのかは謎だが」

「普通に考えたら無理だろう、が。降りてみないと分からないな」


 で、どうする。と、アスカが井戸を覗く紅を見下ろして訊いた。


「どうって?」

「俺はこのまま行くつもりだが、お前達はどうするかって話だ。当初は王都までっていう話だったが、ここまで来て何か状況が改善したというわけじゃないからな。もし付いてくる気があるなら止めないが」

「……! 一緒に行っていいの!?」


 ここでアスカを見送るつもりでいたので、思いがけない提案だった。


「……わたしは、ここで」


 井戸から少し離れた場所で静観していた少女が言った。


「わたしは王都ここに来たかっただけだから」

「そっか……」


 そもそも最初は少女が王都へ向かうと言い、それに便乗したのが始まりだった。言葉通り来たかっただけだというのなら、彼女の目的はすでに果たされている。


「お前はどうする。勿論、帰りたいというのならそれでも構わない」

「……」


 正直、悩む時間が欲しかった。しかしアスカはこのまま向かうという。


「少年、もし君が帰るというのなら私が責任を持って自宅まで送り届けよう。無理にこの男に付いていって危険な道を進む必要は無いさ」


 テレサが笑って言った。彼女の言うとおりだと思った。それでも――。


「アスカ、おれ、一緒に行くよ」

「そうか」


 紅の返答に、特に嫌な顔もせずアスカが頷いた。


「この井戸から下へ垂れている縄……魔力を込めて編まれているから劣化はなさそうだが、元の耐久力に不安があるな。底へはひとりずつ降りた方がいいだろう」

「……ほんとに今すぐ行くんだね」

「時間が勿体ないからな」


 王都に来たばかりで行動自体は性急だが、本人は至って落ち着いている。王都に車での過程でアスカのことはすっかり信頼していた。故に、紅に不安はなかった。


「底へ降りたら灯火ランプで合図を送る。が、灯火ランプの光が地上まで届くかは分からない。だから念のため縄を持っていてくれ。縄の緊張が解ければそれが俺が地下に降りたという証拠になる」


 じゃあなと言い残して、アスカは何の躊躇もなく井戸の下へと落ちていった。降りた、ではない。落ちたのだ。

 思わず絶句したが、数秒後に触れていた縄から下方へ引っ張られる感覚が伝わり、彼が縄を掴んだことを知る。それからしばらくして縄の緊張が緩み、カチカチ、と僅かに井戸の底が点滅するのが見えた。どうやら無事に地底へ辿り着いたようだ。


「……紅君、気を付けて」


 顧みると、少女の赤い瞳と目が合った。

 表情に乏しい顔からは相変わらず感情が読み取れない。しかし、かけられた言葉は紅の身を憂うものだ。その気持ちが嬉しかった。


「みーちゃんも、気を付けて帰って」


 そして何故だか、どうしようもなく寂しかった。少女と一緒にいたのはほんの数日で、別に今生の別れというわけでもないのに不思議な感覚だった。

 その感傷を振り切るように改めて通路へと繋がる穴を見下ろした。覚悟を決めて、井戸の縁に手をかける。流石にアスカのように飛び降りる度胸はなく、下に降りるまで彼の何倍かの時間がかかりそうだ。時間が勿体ないと言っていたアスカには申し訳ないが待っていてもらうしかない。


「少年よ、システィナ殿に宜しくな」


 テレサの言葉に頷く。

 そして、紅もアスカに次いで深淵の中へと消えていった。






「さて、君は帰るのだったな。家まで送ろう。場所は何処だろうか」


 隧道すいどうへと向かった二人を見送って、テレサが少女へ向き直りそう言った。

 しかし、少女はゆるりと首を横に振る。


「その必要はないです。わたしは――」


 その時、視界の端に空に浮かぶひとつの影を捉えた。


「おお、あれはラスティアードの飛行船じゃないか!」


 同じものを見上げてテレサが声を上げる。


「どうやら本部が動いたようだ。ようやくこの事態に進展が望めるかもしれないな」

「……」


 海の向こうから徐々にフレイリアへ近づいてくる飛行船。

 空を泳ぐその巨大な塊は、陽の光と重なり少女の顔に暗い影を落とした。

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