17

 城――というよりは、大きめの屋敷、という表現がしっくりくる。

 昔、仕事の都合で初めてフレイリアへ訪れた際にこの城と呼ばれている建造物を見て、ティアは大いに悩んだ。


『ラストスのお城と比べられたらちょっと困っちゃうな』


 この屋敷の主は笑ってそう言った。自虐じみた台詞だったが、この小さな建物はこの国の平和の象徴でもあった。

 大陸の最北端に位置するフレイリア国、その心臓部である王都、アルステトラス。

 ティアが最初にこの街に訪れたのは、おおよそ十年前、彼が魔道院の学者になったばかりの頃だった。


「……まさか、こんなことになるとは」


 まるで塗料をぶちまけたような、濁りのない純粋な黒。そんな空間が広がる外を見つめながら途方に暮れたように呟いた。窓に映った自分の顔に疲労の色が見える。


「外の魔力が凄いことになってるけど、そんな窓際に近寄って平気なのかい?」


 この屋敷――否、やはり城と呼ぶべきだろうか――の主が、ティアの背後からそっと声をかけた。


「……屋内の内側から、急ごしらえではありますが簡易的な結界を張っています。大丈夫だとは思いますが、念のため近寄らない方が良いでしょう」

「君は?」

「俺……私は、調べたいことがありますので。心配はいりません」


 ティアの説明に、城主はそうかと頷いた。


「ところで、結界とは?」

「現在試験的にラストスの帝都の城壁に採用しているもので、魔物除けの加護があります。仕組みとしては魔力を打ち消す術式を利用して魔物を接近し難くさせる、というもので、一時的にこの城全体を魔力器具化させて同じ術式を施しました」

「なるほど。では、屋内にいる限りは安全ということだね」

「はい。……外はほんとヤバいですけど」


 そう言って、ティアは漆黒の窓を見遣った。光を一切通さない壁は城の中を暗闇に染めている。術式のせいで光源を灯す魔力器具の効果が薄くなっており、視界はまるで日が届き辛い森の中にいるかのように悪い。

 そんな環境にティアは慣れていたが、城主を始めこの城にいる者は大変な苦労を強いられていることだろう。しかし、城主自身は常に、少なくとも誰かの前に居る時は、その整然とした佇まいを崩すことはなかった。


 ――さすが、フレイリアの王、ということだろうか。


 弱冠、齢三十の若き王は、この事態の中にあっても冷静さを失うことはなかった。

 その様子が、巻き込まれた城の人間にとってどれほど心強く思えることか。


「しかしアーレンハルト殿、急な出来事だったけどその結界はよく間に合ったね」


 冷静ゆえに、状況がよく見えている。


「僕は魔術式のことはよく分からないんだけど、そんな迅速に作ることが出来るものなのかい?」


 その王の問いかけに、ティアは僅かに肩を揺らした。


「……ええ」


 少し間を開けて、今度はティアが尋ねた。


「陛下、つかぬ事をお伺いしますが、この城には以前から何かの術式が施されていた、という事はありませんか?」

「……以前から?」


 若き王は、不思議そうに首を傾げた。


「いや、僕は把握していない。何故だい?」

「……いえ、今回の件でアンチ魔力の術式を施したことによって、もし元々何かの術式がかけられていた場合、展開式の干渉により予期せぬ不具合が起こる可能性があったもので。念のため確認しておきたかっただけなので気にしないで下さい」


 不要な不安を与えないようにと、落ち着いた声色を心がけてティアが説明する。


「そうか。難しいことは分からなくて……すまないね。君には申し訳ないが、君が居てくれて良かったと思っている。君が偶然来てくれなかったら、今頃この城はどうなっていたことか」

「……」


 ティアが、考え込みながら口を開く。


「外の魔力障壁のことはもっと詳しく調べてみないと分かりません。おそらく、それなりに時間がかかるでしょう」

「しばらく籠城生活、ということか」


 主の言葉に、ティアは小さく頷いた。


「幸い、花祭り……街の催し事の準備を始めるところで城の人間の大半は城下へ出払っていた。蓄えに限りはあるが、それでも半年くらいは籠城に耐え得るだろう。それでどうだろうか?」

「十分です。……助かります」

「こんな『屋敷』でも、一応この国の城、だからね」

「……頼みますから、昔の失言はどうか忘れて下さい」


 参ったように肩を落とすティアに、王はいたずらっぽく笑った。


 ――そう、この屋敷はどんな規模であれ、この国の城なのだ。


 城が得体の知れない闇に呑まれ、その中には国王がいる。

 外の様子は窺えないが、主を失った国がどれだけ混乱にまみれていることだろうか。

 せめて王の無事を知らせることさえ出来ればよかったが、現状それもままならない。


「すまないね、巻き込んでしまって」

「大丈夫です……むしろ……」

「……?」

「……いえ」


 ゆるりとかぶりを振って、ティアは王を見た。


「私はしばらく、調査も兼ねて外の様子を見続けます。陛下はどうぞ皆の元へお戻り下さい」

「……頼り切りで申し訳ない。何か出来ることがあればいつでも言ってくれ」

「いえ、お役に立てて光栄です」


 ティアが小さく礼をすると、王は「頼んだよ」と言い残して部屋を去った。

 小さく溜め息をついて、ティアは再び窓の外を顧みる。


「……むしろ、巻き込んだのは俺の方だよな」


 それは独り言だった。が。


「ふむ。それは聞き捨てならんな」

「――っ!?」


 王とは別の、聞き慣れた女性の掠れ声ハスキーボイスが背後から投げかけられ、ティアは驚いて息を呑んだ。


「……ガルゼ、いつの間に!?」

「この部屋には今さっき来たばかりだ。王と学者の内密な話を立ち聞きするなど無作法な真似はしていないぞ」

「……思いっきり聞いてたよね、それ」


 先ほど王が出て行った扉の前に、見知った友人が立っていた。


「まさか君もこの城に来ていたとは」

「忘れ物を取りに来た、ただそれだけだったのにこれは一体何の災厄だ?」

「……それは……運が悪かったね」

「そんな慰めはいらん。お前がさっき吐いた言葉の説明を求める」

「……特に意味は無いんだけど」


 面倒臭いと思いながら、しかしそんな曖昧な台詞で誤魔化せるとも思っていない。

 今後は独り言には気を付けようと心に留めて、ティアは窓硝子ガラスをコツンと叩いた。


「……この屋敷、実は事が起こる前に、すでにアンチ魔力結界がかけられていた。これは先ほど陛下にも説明した通り、魔道院が先導してラスティアードが試験的に運用を始めた術式で、現状、組織内でも一部の上層部しか詳細を知らない。ましてや、この結界の魔術式を構築したのはこの俺なわけですよ」

「……よもや貴様が仕掛け人というわけじゃないだろうな。犯人は組織の関係者か」


 断定するガルゼに、ティアはどうだろうと首を傾げた。


「それか、もしくは外部に技術を盗まれたという可能性もある、けど。あとは、まあ……これは内密にしてほしいんだけど、俺、陛下のふみでここに呼ばれたんだよね。でも陛下は俺がこの場にいることを偶然だと思っているようだった」

「……なるほど。完全に仕組まれているな」


 肯定するように、ティアが頷く。

 何者かの誘導によって、完全に身動きがとれない状態に陥ってしまった。

 自分だけならともかく、よりによってフレイリア王家を巻き込んだのは戴けない。事前に察することが出来なかったとはいえ、そういう状況を招いてしまった自分自身にも辟易する。

 事前に術式がかけられていた、ということは、命を取ろうとする意図はないということだろうか。それが一体、何を意味するのか――。

 考えて、ティアはゆるりとかぶりを振った。


「大体貴様は無意識に敵を作り過ぎなんだ。この機会に反省するといい」

「……そんなつもりはないんだけど、確かに知らない間に知らない人に恨まれたりはままあるんだよな。遺憾だ」

「巻き込まれた私も遺憾だ」


 ガルゼの憎まれ口に苦笑しながら、ティアは視線を窓へと移した。

 何度見たところで景色が変わらないことは分かっている。しかし、どうしようもなく外の様子が気になる。


「しかして、この黒い壁は本当にどうにもならんのか」


 ガルゼもティアと並んで、黒壁を疎ましそうに見上げた。


「……そうだね。これは例えるなら、魔力の間欠泉みたいなものなんだ。元々この地に眠っていた魔力が何らかの刺激で吹き出している状態だよ」

「……元々?」


 どういうことだとガルゼが詰め寄る。


「えっと、迷いの森と呼ばれてるあそこもそうだけど、フレイリアはそこら各地に魔力の溜まり場スポットが存在しているんだ。だからラスティアードが率先して保護しているんだけど」

「危ないったらありゃしないな。あの森はそんなに危険だったのか」

「だから森の中に魔力の推移を観察するための監視小屋を作ったんだよ。あの森は俺の管轄だからね。……しかし、ここも刺激さえ与えなければ安全なはずだったんだけどね……」


 黒壁を見つめながら、外の景色に想いを馳せた。


「そういうことだから、一時的に吹き出しているだけなら時間が経てば収まるとは思うんだよ。ただ、そこからもし、更に人の手が加わっているとしたら定かじゃ無い」

「結局のところは、貴様にも分からない、ということだな」


 肯定の意味を込めて、ティアが頷く。情けない限りだった。

 この魔力の濃度を考えれば、自然に収まるとしても明日や明後日、一週間後などの短期間でどうにかなるようには思えなかった。城内の備蓄は半年と言っていたか。

 それまでにはどうにか――そう思いつつ、それ以外の懸念がティアの脳裏をよぎる。


(――いや、違うと思いたい)


 どうか――と。


 祈ることしか出来ない己に歯痒さが募る。

 込み上げる不穏な予感を抑えるように、ティアは羽織の上から衣嚢ポケットに入れっぱなしにしていた記章を握りしめた。

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