16

「これでいいか」


 そう言って、テレサは数枚の紙が重なった束を紅の前に置いた。

 机上に置かれたそれは、箇条書きで短い単語が綴られている。どうやら人の名前が綴られたリストのようだった。

 人名程度の簡易な文字なら読める。


「それはあの黒い障壁が出現した日の入退城者に関する記録だ。仕組みはよく分からんがラスティアードの技術で、城門が来訪者の身分証情報を読み取って時刻と共に記録するようになっている。個人情報に対する観念から読み取るのはラストネームだけだがな」

「入退……城?」


 リストを手に取り、見落としのないように上から順に目で追った。


「私は当時、祭りの準備の為に城に仕える多くの者を率いて城下に降りていた。その記録はシステム上、城の者の名が全員自動的に載る。故に、簡単な人員管理をするときによく利用していたのだ。だから、あの日も城を出る直前のデータを出力したものを持っていた。このリストがそれだ」


 束の最後にある紙の、一番下。おそらく城に常駐している者以外の訪問者ビジターを記録していると思われる枠に、見覚えのある一人の名前を見つけた。


「……みーちゃん、これ」

「……」


 そのページを抜粋して隣に座る少女に渡す。

 明確に記された『アーレンハルト』の文字が僅かな希望を波で攫う。

 叔母の名は見当たらなかった。しかし――。


「あの日は早い時間に二人の来訪者があった。最初に来たのはラスティアードのアーレンハルト殿だ。陛下に謁見をとのことだったので私が取り次いだ。ベルナディーナ様がお見えになれたのはそのすぐ後のことだ」

「……やっぱり。このリストに名前は無いけど……」


 ああそうか、と。テレサが気まずそうな表情を浮かべた。


「ぬか喜びをさせてしまったならすまない。これはシステム上の問題で」

「大丈夫です。さっきテレサさんがラストネームしか記録しないって言ってたので、多分そうだろうなって思いました。身分証に記録されているおばさんの本名はラストネームが無いから……ですよね。俺もそうなので、分かってます」


 叔母や母親が生まれ育った島国では、島全体で一つの家族、という観点が根付いており住民全員にラストネームが存在しない。生まれがフレイリアである紅の名にその文化が反映されているのは母親、もしくは両親の意向なのだろう。

 今までラストネームがないことで不便さを感じたことはなかった。しかし、こんなところで――。


「紅君、大丈夫?」

「……!」


 いつの間にか、少女の赤い瞳がじっと紅を見ていた。声をかけられるまで気付かず紅は慌てて首を縦に振る。

 ――大丈夫とは言ったが、実は一瞬、ほんの少しだけ期待した。あの災厄の日、叔母は城にはいなかったのでは、と。

 失望を悟られないように、拳に力を込める。落ち込んでいる場合ではない。


「ベルナディーナ様は、確か、忘れ物だったか紛失物だったかを取りに来たとおっしゃっていた。だが私には分かりかねた故、対応を別の者に頼み私は城を出たんだ」

「あの黒い柱は、その後に?」

「その通り」


 少女から返されたリストに再び視線を落とす。


「そのリストに退城の記録が記されている者は全員この場にいることが確認されている。そして、それ以外の、当時城の中にいた者は全員、不在だ。ベルナディーナ様と……国王陛下を含めてな」

「……」


 ティアの名にも、退城の記録はない。

 そっと少女の様子を窺うと、彼女はこの状況でも尚、平静な面持ちを崩さずにまっすぐに目の前のテレサを見ていた。


「このような状況下で、何も出来ずにいる自分が情けない。騎士の恥だ」


 テレサの声色に、怒りが滲む。自分に向けた怒りのようだった。


「……この国フレイリアは災厄の連鎖に呑まれている。かつて、まだ幼かったクリスチナ王女が病で逝去され、そのすぐ後に内乱で当時の国王皇后両陛下を喪った。ここにきてアルフェリア陛下まで失うことになったら、一体この国はどうなってしまうというのか」

「……」


 平和には何にも変えられない――というのが、マルタ村の年寄り達の口癖だった。そのことを思い出して胸が痛む。


「……もっと、城に近づくことは出来ないんでしょうか」


 城下から城まではそれなりの距離がある。あの不気味な柱を、もっと間近で見てみたいと思った。見たところで自分に何か有益なことが分かるとは思えなかったが、とにかく。少しでも傍に、行きたかった。


「何を言ってるんだ君は」


 そんな紅の心中を余所に、とんでもないとテレサは声を上げた。


「城下ですらこの魔力濃度で、ラスティアードの連中が観測史上類をみないと言っている程だ。それが城に近づけば近づくほど悪化していて、おいそれと近寄るのはただの自殺行為だ。高濃度魔力は人体に悪影響を及ぼすと、近年魔道院で報告が上がったばかりだからな。当然組織によって厳重に規制が張ってある。街の警備の比じゃないほどにな」

「そんな……」


 城に近づけば近づくほど――では、あの城の中にいる人達は、果たして。


「……これくらいだな。私が城について分かっているのは」


 力になれずすまない、と。テレサは苦々しい表情で頭を垂れた。


「……」


 紅と少女の二人の背後で、静観して立っていたアスカが不意に動く。


「これくらい? もっと言えることがあるんじゃないか?」

「……っ!」


 机上に片手をついて、テレサに詰め寄る。


「あんた、最初に俺を見たとき『やっぱり来た。あの方の言うとおりだった』と言ってたな。その意味を教えてくれないか」

「……私としたことが、つい余計なことを口走ってしまった」


 言っていないとしらを切ることも出来たはずだが、他に目撃者がいるからだろうか、テレサは不服そうにしつつも素直に話し出した。


「……庭師、お前に言付けを預かっている」

「言付け? 誰からだ」

「……知らん」

「はぁ?」


 ふざけるなと言いかけたアスカに対し、黙って聞けと制止してテレサが続けた。


「若い女性だ。名を《システィナ》という」


 その女性が王都に現れるようになったのはここ数年の話で、いつの間にか城の中を勝手に彷徨くようになっていた、とテレサが語る。


「不審だと誰しも思ったが、何故か陛下がお許しになったのだ。好きにさせてやれとな。だから私は彼女が何者なのか、未だに素性を知らない」

「……陛下が? 城の関係者じゃないのか」


 そもそも自分に心当たりがないとアスカが不可解に眉を顰めた。


「貴様は常に城内にいるわけじゃないだろう。知らなくてもおかしい話じゃない」

「……」


 反論はしないものの、アスカの面持ちに納得した様子はなかった。


「あの黒い障壁の出現後、私の元に一人の使者から通信があった。近いうちに必ず、庭師……貴様が王都へ来るから、そうしたら自分の元へ寄越せ、と。彼女は使者を通じて私にそう伝えたんだ」


 怪しい人物だと紅は思う。誰が聞いてもそう思うに違いない。


「……私の話だけでは貴様は納得しないだろうが、実際会ってみれば彼女がどういう人物か分かる。システィナ殿は不思議な女性ひとだ。私だって最初は警戒したが、今ではそんな気も失せてしまった」

「……素性も知らないのにか」

「貴様にはこの感覚は分かるまい」


 ふん、とテレサは鼻息を鳴らす。


「彼女は陛下と懇意にされていた。一体何故、システィナ殿が貴様などを指名したのか……正直理解に苦しむが、もしかしたら今回の災厄と関係があるかもしれん。彼女を訪ねる価値はあると私は思うが、それは貴様の判断に任せよう」

「……」


 しばらく考え込んで、アスカがテレサに問う。


「その女は今、どこに居るんだ」


 行くんだ、と。紅はアスカの心中を察した。自分がアスカの立場でも、きっと行くと言うだろうと思った。

 現状、状況から読み取れる情報が少ないからだ。いくら怪しくとも、誘導されていようとも、敷かれた道があるのなら進む以外の選択肢は無い。


「……本国だ」


 テレサが答える。


「彼女は今、ラストスにいる」

「……は?」


 その意外な場所にアスカが眉を顰め、紅も思わず目を丸くした。

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