§3 海底隧道
15
少女の空色の瞳に映るのは、悠久の大空ではなく無機質な
何年も、何年も。
見飽きたその光景から逃げるように目を閉じる。
少女の空色の瞳が写すのは、瞼の裏に広がる一面の戦火。
何度も、何度も。
忘れないように、その凄惨な景色を脳裏に焼き付ける。
少女の空色の瞳が臨むのは、遠い安寧の記憶ではなく今来の孤独。
冷たい灰色の壁を見つめながら、手の届かない海と空の青色に恋い焦がれる。
少女が望むのは――。
*
年に一度、行くか行かないか。
フレイリア随一の規模を誇るこの街は、普段であれば活気に満ち溢れている大都市だった。同じく栄えている
田舎の辺境地とは違い至る所まで整備された美しい街並み。それでいて緑の豊かさを存分に生かした景観はフレイリア特有の文化そのものだ。
しかし、街の中央に建つ――否、建っていた
そしてその瓦礫を取り囲むかのように
「ど、何処から入ったの……?」
「正規の門から少し外れた場所だ。昔はここが正門だったがラストスの介入で新しく作り直されて今は使われていない」
藪の道からそのまま街へ入ると、過去の記憶とは異なる景色が広がっていた。
「……廃れた裏路地って感じだ」
「こんだけ大きな街だ、そりゃこういう場所もあるさ。ここなら組織の連中も手薄だろうと思ったが正解だったな」
靴裏にこびり付いた土を
「
地理を熟知している様は流石だった。
「しかし凄い魔力の濃さだな。これじゃあ民衆はたまったもんじゃないだろう」
「……そう、だね」
鬱陶しそうに眉を
「みーちゃんは大丈夫?」
「うん」
少女を顧みると彼女の目線は上を仰いでいた。つられてその先を追うと、何度見ても見慣れることのない漆黒の柱。
「ほんと、真っ黒だ」
接近してみれば何か分かるかもという期待があったが、見た目も印象も遠目で見るものとさほど変わらなかった。
違うところといえば、空と柱の境目にある景色が若干歪んで見える、というくらいか。こんな近場で見てもあの柱に物理的な質量があるのか、それともただ空間が黒く見えているだけなのか判別がつかない。相変わらず気味が悪いと、
「……城下は無事のようだが、城が丸ごとあの黒い円柱に呑まれてるな」
アスカの表情も険しかった。
「お前らの問題は身内の安否だったか。中央にある軍の……ラスティアードの支部に行けばはっきりするだろう。――俺もそこに用がある。さっそく向かうが大丈夫か」
「もちろん……!」
今更休憩を挟む理由はない。
家族の行方を求めて、紅は緊張しながらアスカの背を追いかけた。
静まりかえった街並みはやはり記憶にあるものとは異なっていて。
「そういえばマルタ村も外出が禁止されたっけ……」
「
人ひとり見掛けないというわけではないが、街の規模の割にまばらな人通りはまるで廃れる寸前の
店や露店の
その中で、街の何処を見ても必ず視界に入ってくる、おそらく警備に就いているであろう甲冑や軍服を纏った人間はやたらと目に付いた。
「あまりキョロキョロすんなよ。本国の連中に怪しまれたら一発でアウトだ」
「うう……」
それらは中央の時計塔に近づくにつれてその数を増やしていった。
「職務中すまない。支部の中に、フレイリアの関係者がいるか尋ねたいんだが」
「あ、貴方は確か、庭師の」
アスカがひとりの若者に声をかけた。彼もまた、かっちりとした軍服を着ていた。
比較的若めの、話の通じそうな人相の青年を選んだのだろうなと察する。しかし偶然にも、この若者はアスカのことを知っていたようだった。
「ご無事だったのですね。あの黒い障壁の出現以降お姿を見かけなかったので、てっきり貴方も巻き込まれたのかという噂でしたが」
「噂にされるほど名を上げた覚えはないんだが……。あの日は陛下の使いで王都にはいなかったんだ」
「そうでしたか。あ、ということは、
わざとらしく、若者は苦々しい表情浮かべて注意した。
「見逃してくれ。仕方なかったんだ」
「いいですよ。下手に報告を上げてややこしいことになったら僕の仕事が増えるだけなので」
どうやら出世欲がないタイプの人間のようだった。アスカが国の関係者であるということが知れていたからこそ信用されたのだろうが、しかし、根本的に気の抜けた、どことないやる気の無さが感じ取れる。以前少女が言った、フレイリアにいる本国の公人は左遷されている――という話を思い出した。
マルタ村に来た不遜な態度の公人とは随分と性格が違うようで、天下のラストス帝国にも色々な人がいるのだなと紅は認識を改めた。
「で、フレイリアの関係者でしたっけ。祭りの準備で城下に降りたまま帰れなくなった人達を集めた場所ならありますよ。この近くですけど案内しましょうか?」
「頼む。助かる」
いえいえ、と。ひらひらと片手を振りながら若者が笑った。
「実は僕、貴方のファンでしてね。役に立てるなら嬉しいですよ」
「男のファンねぇ……。俺は別に嬉しくねぇな」
「ははっ、実は結構いるんですよ?」
何となく分かる。変に誤解されたら嫌なので口には出さなかったが、紅は心の中で若者に共感を覚えた。
ただ純粋に彼の姿そのものに惹かれるのだ。憧れと現実が離れ過ぎていて、自分が彼のようにありたいとは微塵も思えないほどに。
顔の造形は遺伝子の問題なのでどうにもならないとして、せめてもう少し背が伸びてくれたらなぁ、と。目上にあるアスカの黒髪を見上げながら、その背を追うように彼の後を付いていった。
やがて、先導していた若者の足が止まる。
若者に案内されたのはラストスの建設物が建ち並ぶ場所の一画だった。
「あの小屋……じゃなくて、ええと、城に住んでた人達は大体ここにいるみたいですよ。まあ、国王陛下の姿はありませんが」
「……そうか」
アスカの顔付きが険しくなる。
今この場所に国王の姿がない――その言葉が意味することは一つしかない。
あの黒い柱に呑み込まれたのだろうか、などと、紅は恐ろしくて口に出せなかった。
「……騒がしいな、何事だ?」
不意に、外から物音が聞こえたからだろうか、一人の女性が目の前の建物から姿を現した。
外階段の上に立つその人は、すらりとした長身の、過剰なほど背筋が伸びた精悍な印象の女性だった。見目三十代前後に見えるが、美しいワンレングスのブロンドと凜とした佇まいから実年齢よりも若く見えているかも知れない。
「おや、テレサ殿ではないですか」
「ラストスの武官か。こんな所に何用だ。もしや何か動きが――」
若者と言葉を交わしながら、ふと、彼の傍らにいる人物に視線を移す。その瞬間。
「ひぃっ!?」
突然、女性が突拍子もない叫び声を上げた。
「き、来た!? やっぱり来た! あの方が言っていた通りではないか!!」
「……やべぇ、よりによって面倒なのに会ったな」
「し、知り合いなの?」
紅が恐る恐る尋ねると、不満そうにアスカが頷いた。
「王室付きの侍女だ」
「はぁあっ!?」
アスカの言葉に反応して、更に不満を上乗せするように女性がズカズカと石段を下りて詰め寄った。
「ぬかせ! 誰が侍女だと!? 私は王の護衛だ!」
「騎士団は
「ふんっ、いくら剣を奪われようと、陛下の御身をお護りすることは出来る。草を刈ることしか能が無いどこぞの若造と違ってな!」
「……だから面倒だっつってんだよ」
あのう、と。横からそっと、ラストスの若者が横やりを入れた。
「僕もう、戻っていいですかね。勝手に持ち場離れてるの不味いんで」
「ああ、悪い。もう大丈夫だ。助かった」
「いえいえ。何かあったらまた言って下さいよ」
姿勢正しく一礼した後、若者はそそくさと去っていった。もしかしたら面倒ごとに巻き込まれそうな雰囲気を察したのかもしれない。
水を差されたせいで女性も先程よりは落ち着きを取り戻したようだが、閉口するも苦々しい面持ちでアスカを睨み続けていた。
「……で、その王の護衛のあんたが、この王不在の場所で一体何を?」
「ぐっ……」
「っつうか、こんな無駄話するためにここまで来たわけじゃねぇんだよ。取りあえずあんだが分かってること全部教えてくれ」
「何故貴様などに!」
理由の分からない険悪さに、はらはらとしながら紅は傍らでじっと二人の言動を見守っていた。が、再び悪い方向へ加熱しそうな雰囲気を感じ、すかさず「あの!」と口を挟んだ。
その時、女性は初めて紅とその一歩後ろに立つ少女の存在に気付いたようで驚いて目を丸くした。
「こ、子ども? 二人ともここでは見ない顔だな。どうした、迷子にでもなったか」
「い、いえ……」
森や雑木林の中ならともかく街の中にいて尚、迷子に間違われるほど道に迷っていそうな顔をしているのか――と心に傷を負いつつ、紅は否定して首を横に振った。
「家族がこの街で行方不明になっているんです。だから探しに来たんですけど……」
紅の言葉に、女性は目を見張った。横からアスカが補足する。
「こいつは、あんたもよく知っているベルナディーナの身内だ」
「はぁっ!? 何をほざくか。ベルナディーナ様は独り身で息子などいな――っ」
否、と。すぐさま
「いや、この赤毛、確かに既視感が。もしや、君はアガットのご子息では!?」
――誰? と聞き慣れない名に首を傾げつつ、いやなんとなく聞いたことがあるような気もする、と、思い出すのも困難なほど昔の記憶を大急ぎで探った。
そういえば、完全にうろ覚えだが、小さい頃に叔母からそんな名前を聞いたような。
「……ち、父親が、確か、そんな名前だったらしいと」
「やはり!」
女性のキリとした眉尻が上がった。
「そうか、アガット団長はベルナディーナ様の姉上の伴侶。なれば、たしかに身内に違いない。私としたことが気付くのが遅くなって申し訳ない」
いちいち情報量が多すぎて処理しきれない。
(父親がなんだって? 団長?)
突然親の話を出されたところで、紅は自分の両親のことは殆ど知らない。しかしこの場で詳しく聞く話でもないような気がして、曖昧に笑ってやり過ごした。ちゃんと理解したのは、この目の前の女性が叔母と旧知らしい、ということだ。
「名乗るのが遅れたな。私はテレサ・マルグレット。かつて存在していたフレイリア王立騎士団で、アガット団長とベルナディーナ副団長の下にいた騎士だ」
「騎士……」
言われてみれば、背筋の伸びた彼女の佇まいは確かに騎士の風格を匂わせた。
フレイリアの騎士団は国が内乱後にラストスの属国に下った後、武力の放棄と共に解散されている。アスカは侍女と言ったが、それは騎士という立場を奪われた今現在の彼女の
こんなところで立ち話もなんだと、テレサと名乗った女性は石段を上がって一同を屋内へ招き入れる。
「ついでだから貴様の入室も許可する。その少年に感謝するんだな」
「俺が一体何したってんだよ……」
「ふん。下賎な庭師ごときが少々陛下に気に入られているからといい気になるなよ」
「はいはい」
アスカはすっかり慣れてしまったという
「……テレサさんがアスカにキツいの、もしかして嫉妬?」
――庭師ごときが、というのはつまりそういうことなのだろう。
テレサの耳に届かないように極力声を潜めてアスカに問う。
「見ての通り陛下への忠誠心と国に対する愛国心が一点突破してる御仁だ。そして俺みたいに親の代を継いで陛下に仕えているわけじゃなく、彼女は自分自身の力だけで現在の立ち位置にいる。だから、俺みたいなのが気に食わないんだよ」
「……大変だなぁ」
何か言ったか? と顧みるテレサに何でもないと首を振りながら、紅は慌ててテレサの後を追った。
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