14
物音を聞いて目が覚めたら、丁度アスカが戻ってきたところのようだった。
たかが数時間だったが、久しぶりに深い眠りに落ちていたようでしばらく意識がぼんやりした。
「遅くなった。起こして悪かったな。だが休みたいならちゃんと寝床で休めよ」
「ありがとうございます……」
よく眠れたのはよかったが、身体を横たえていたのが板の間だったので全身の節々に痛みを感じた。今夜はもっと、上質な睡眠がとれることだろう。
しかし、ただの仮眠でも驚くほど頭の中がスッキリした。今まで意識したことはなかったが、睡眠がいかに大事な行為かを知れた気がした。
「明日には発とうと思っていたが、もう少し休むか?」
「あ、大丈夫です」
傍らにいた少女を見遣ると、問題ないという風でこくりと頷いた。
「……君が寝ているところを一度も見てないからちょっと不安になるんだけど」
「一緒に休んでるから大丈夫だよ」
相変わらず表情に乏しいので元気そう、と判断するにはなかなか難しい彼女の面持ちだったが、特段疲労の色が見えるわけでもなさそうだった。顔色も悪くない。というか、元の肌が白すぎて判断が難しい。
ならいいんだけど、と一先ず納得して、改めてアスカへ視線を向ける。
今朝方まで黒装束を纏っていた彼は、今は薄青の軽装を着ていた。雰囲気が明るくなり印象が変わる。鍛え抜かれた長身の体躯と端正な顔は勿論そのままで、
羽織を前で合わせて帯で締める彼の衣服は、フレイリアでは珍しいが、紅がマルタ村に来る前に住んでいた場所では馴染みがあったため少し懐かしい気分になった。
「……そういえば、アスカさんはなんで王都へ?」
軍人の目を掻い潜って異様な事態に巻き込まれている子ども二人は端から見れば大分不審だと思うが、大人とは言えアスカも同じ事をしようとしている。
そもそも何故、
と、考えれば考えるほど様々な疑問が湧いて出てきた。寝たおかげで頭が回り始めたのかもしれない。
「……この里は、代々フレイリア王家に仕える造園家の集団なんだ」
アスカが紅の心中を察して答えた。
「里の起源は俺の何代も前に遡るが、元は東方の大陸から流れ着いた異邦人だったそうだ。当時のフレイリアには余所者を受け入れる文化がなかったから、周囲の目から逃れる為に隠れ里として独自に繁栄した。その名残が今も続いているんだな。フレイリア王家はそんな流れ者のご先祖達を哀れんで、ちゃんと生きていけるようにと庭師としての職を与えた。それが代々受け継がれて今に至っているのさ」
「じゃあ、アスカさんは王都で働いている人なんだ」
彼が王都へ向かう所以に納得する。話を聞けば、王家との
「……造園で思い出しましたが、確かフレイリア王都の庭園って凄い有名ですよね」
本大陸まで及んでいるかどうかは不明だが、王都から離れたマルタ村でも噂は聞く。
「おれ、小さい頃に花祭りに行ったことがあって、その時に見た庭園が凄い綺麗だったんだ」
年に一度、国の繁栄を願う名目で開催される王都の花祭り。マルタ村からは距離があるので紅はあまり参加したことがなかったが、幼い頃に叔母が気まぐれで連れて行ってくれたその楽しい催しを今でも覚えている。
緑が豊かなフレイリアの大地だが、色とりどりの花々が一面を覆うように咲き乱れる様は王都の庭園でしか見られない。その花々が、祭りの期間中は庭園だけでなく、街中にも溢れるのだ。
「あれ、そういえば花祭りって、雨期明けの今頃の季節だったような……」
「ああ」
アスカか、声のトーンを落として言った。
「毎年、今頃は祭りの準備で忙しくなるんだ。造園を担う里の者だけでなく、王都中の国民総出で準備に勤しむからな。そんな
一体何がどうなっているんだか、と心苦しげに吐き捨てる。
「――というわけだ。まあ、短期間の道のりとはいえ共に行動をするんだ。信用は大事だよな。もう疑問はないか?」
「す、すみません……」
アスカを不審に思った訳ではなかったが、余計な気を遣わせてしまい恐縮する。
「さて、無駄話はここまでにして飯でも食うか。勿論お前達の分も作らせるし、先に湯でも浴びたかったら自由にしてくれ」
アスカの発する言葉のひとつひとつが、今の紅にとってとても魅惑的だった。
不便さを体験したからこそ、当たり前の日常が、実は当たり前ではなかったことを思い知る。
感慨に浸る紅を余所に「そういえば」とアスカ思い立って言った。
「無理にとは言わないが、俺に対してあまり畏まらないでくれ。里の者は立場上仕方ないと割り切っているが、元々堅苦しいのは苦手なんだよ」
そう言って白い歯を見せたアスカは、ただ目の前に立っているだけにも関わらず惚れ惚れするほど様になっていた。
里の
無類の信頼を寄せるに足る力を、紅はアスカの中に感じたのだった。
*
それからの道のりは決して楽とは言えなかったが、それまでと比較すれば順調そのものだった。やはり、先導する大人がいるという心強さが大きい。
そしてその大人――アスカは大層腕が立った。腰帯に差している得物は全体に反りがある片刃の細身の刀で、長いものと短いものが一本ずつ。フレイリアでは滅多にみかけない、彼の里に伝わる伝統工芸の一つだという。
両刃の長剣に慣れている紅には扱いづらそうに感じたが、刀身を抜く彼の姿は長身の体躯と伴ってとても格好良かった。
道中は術式の加護もあって魔物を見かけることは殆どなかったが、王都に近づくにつれてその気配の色が濃く感じられるようになっていった。稀に不意を突くように襲ってくる異形の塊に対して、アスカはそれをいとも容易く両断し、的確に魔物の《
発ってからいくつ目かの小さな宿場で、囲炉裏を囲みながら紅がアスカに聞いた。
「何でそんなに強いの?」
捻りも何もない、素直な疑問と興味だった。
庭師だという
「何でって……」
あまりにも率直過ぎる少年の質問に、思わずアスカが苦笑した。
「お前の言う強いというのが何なのか分からないが、ただ単に力の強さのことを言ってるなら――そうだな、背負わなきゃならないものがあるから、だろうな」
くべた薪を炉に押し込みながら答える。
「本元の隠れ里を始め、フレイリアには里の宿場が各所に点在している。
「頭目って、つまり、村で言うところの村長ってことだよね」
「ああ。俺がまだガキの頃に、当時の
「失踪……?」
言い辛いことを語らせてしまっただろうかと思ったが、その紅の不安を察したアスカが気にしないでいいと笑った。
「いつそういう状況になってもいいようにと、物心付く前から修行と訓練を受けていたんだ。たかが造園家の集団が大袈裟だと思うだろうが、実情はなかなか面倒でな。本当ならずっと剪定鋏だけを握っていたいもんだがなかなかそういうわけにもいかない。フレイリアは魔物こそ少ないが、野盗の
「そっか……」
彼と始めて会った時も野盗に襲われていた
おそらく、逃げたか、もしくはラストスの軍に引き渡されたとか、そういう何かしらの形で
「……何で強いか、なんて、それが当たり前の環境で生きてきたから改めて考えたことなんてなかったな。新鮮だ。たまには外の人間と交流を持つのもいいもんだな」
次いで「で、お前はどうなんだ」とアスカが言い、紅が目を丸くした。
「どうって、何が」
「別に、将来的に本国の軍に行きたいって訳でもないんだろ。なのに、実戦経験は乏しいにしろ、その年でそれなりの鍛錬を積んでるみたいだから妙だと思ってな」
「……おれのこと?」
彼の前で剣を握ったのは出会った最初のときだけのはずだったが、そんなことを思われていたのか。
「本国の統治下に置かれて国の規律が一変し、民間も傭兵を雇うのが容易くなった。そんな中で兵に志願するでもないのに自ら力を付ける若者は珍しいからな」
「そうかなぁ……」
村には同年代の知り合いや友人がいなかったのでいまいちピンとこない。
確かに傭兵はエンテージにあるラスティアード支部に要請すれば簡単に雇うことが出来た。ただ、小さいマルタ村では紅がいるだけで事足りたため、その機会は殆ど訪れなかった。
「べ、別に、おれは強くなりたいとか思ってるわけじゃないんだ」
アスカのように、
「……家族が、物凄く剣の腕が立つ人で。その人に小さい頃からずっと、無理矢理鍛えられてきたんだ。だからおれの意思なんて有って無いようなって感じだし、全然褒められたもんじゃないよ」
叔母の生業は占術師のはずだが、何故か剣の腕も一流だった。そして強かった。
当時、刃物など包丁くらいしか持ったことがなかった幼い紅にとって、自分を鍛えようと真剣を構えて仁王立ちする叔母の姿は恐怖でしかなかった。
結果、その鍛錬が今では役に立つことが多々ある。
過去の強制的な積み重ねにより今があると思えば、感謝の心がないわけではない、が――。
「……むちゃくちゃな家族だな」
軽く引き気味のアスカの台詞に、同意するように紅は大きく頷いた。
「……そうだ、アスカが王都で働いてるならもしかしたら知ってるかも。ガルゼ・ノールズベルナディーナっていう人なんだけど」
実のところ、これは占術師としての通り名であって彼女の本名ではない。が、友人だというティアもこの名で呼んでいたことを思い出し、一般的に広まっているのはこっちなのだろうと叔母の名を告げた。
「ベルナディーナ……?」
アスカが炉の中に引っ掻き棒を落とした。
「お前、あのノールズベルナディーナの息子だったのか?」
「へ? いや、違うよ。えっと、似たようなもんだけと……おばさんは母親の姉妹だから、いとこ?」
「……そうか」
炉に落ちた引っ掻き棒が高熱で赤く染まる。そんな、手を滑らせるほど驚くことだろうか。
「やっぱり知ってるんだ」
「知ってるも何も、少なくとも
「……え、騎士? 副団……?」
何のことか分からず、眉を
「知らないのか。国が
「は、初耳だ……」
紅が叔母の存在を知った時、彼女はすでに占術師だった。ずっとそうだと思い込んでいたのでまさかそんな過去があったのかと、意外な所で身内の昔話を聞いて驚いた。
通りで強いわけだ。
「そうか、王都で家族の安否が不明だと言っていたが、あのベルナディーナのことだったのか」
「……今の話聞いたら大丈夫な気がしてきた」
「あの女傑に何かあるとは考えられないが、まあ状況が状況だ。とにかく王都に行けば何か分かるだろうさ」
「うん」
現状が変わったわけではないけれど、心なしか気分が軽くなったような気がした。
「ティアさんもきっと、おばさんと一緒にいるよ」
だから大丈夫だよ、と。そう囲炉裏の向かいに座っていた少女に話しかける。
が、返答はなかった。
「……みーちゃん? 大丈夫?」
「……あつい」
囲炉裏の炭から
「……外、出ていいですか」
「やめとけ。里の領域であまり俺の目の届かないところに行かないでくれないか。玄関の戸の近くなら夜風が入るだろう」
「はい」
制止を受けるも特に不満そうな様子も見せず、少女は立ち上がって平屋の出入り口へ向かった。古い建物で、少女が歩く度に板の間がギィと音を立てる。
「……あ、紅君」
紅の側で立ち止まって、少女が紅を見下ろして言った。
「たぶん、大丈夫なんじゃないかな」
「……うん?」
遅れて、さっきの返答だと気づく。
紅が何か言おうとしたときにはすでに、少女は玄関口の戸に手をかけていた。ほんの数センチだけ、隙間を空ける。冷たく心地よい夜風が吹き込んできて少女の銀髪をさらりと揺らした。
そのまま外には出ず、二人に背を向けてその場にペタリと座り込む。
「とんだマイペースだな、あの嬢ちゃんは」
「うん……」
そのマイペースさに最初はどうなることかと思ったが、ともあれ、ここまで無事でいることが出来た。
王都はもう、目前だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます