13

「どうぞ、履物はきものを脱いでお上がり下さい」


 そう言って、一人の少年が紅と少女を家の中へと招き入れる。

 中央に囲炉裏があるだけの一間しかない小さな平屋。

 履物を脱ぐ家は珍しいなと湧き立つ好奇心を抑えつつ、囲炉裏の側の板の間へ腰を下ろす。少女もそれに倣って紅の側に座った。


頭目とうもくから話は聞いています。この度はご協力、誠にありがとうございました。小さな里で大した持て成しは出来ませんが、何卒なにとぞ楽にして下さい」

「……どうも」


 一通りの説明はする――とアスカは言ったが、一体何をどう説明したのか。協力、という少年の台詞に全く覚えがなかったが、事前に「何を言われても話を合わせろ」と言われていたので適当に頷いて誤魔化した。


「一応、あなた方のことは里全体に伝達していますが、里の女子供おんなこどもはあまり外の人と触れ合ったことがないので戸惑っていると思います。窮屈で申し訳ないんですけど、頭目が戻るまで外出は控えていただければと思います。あ、僕は大丈夫ですよ。いつも頭目の後について外を回ってるので慣れていますから」


 紅と同じか、少し下ほどの歳だろうか。裏表を感じさせない純朴な笑みが印象的な優しい少年だった。


「今、頭目は所用で外に出てますが日が暮れる前には戻ってくると思います。一緒に王都へ発たれると聞いてますが、今日はどうぞゆっくりお休みになってください」


 膝をついて丁寧にお辞儀をしたあと、少年は平屋を後にした。


「……」


 少年の姿が見えなくなったのを確認して手持ちの地図を床へ広げる。歩いてきた道のりと時間を換算して、おおよその現在位置を把握した。


「隠れ里か……こんな場所があったなんて」


 ここはおそらく、大陸の際に位置する山岳部。平地が占める割合が多いフレイリアで唯一、そこまでの標高はないものの、山と言える山が存在する地帯だ。迷いの森ほど奥深くはないが同じように木々に囲まれている。地図上の表記は何もなかった。


「そういえば私有地かもしれないって話をしてたっけ。その通りだったね」

「うん」


 地図を覗き込みながら、少女が頷いた。

 エンテージを発ってからまだ一日と少し。王都まではまだまだ距離があるが一先ずはどうにかなりそうだった。先が見えない旅から状況が進展して安堵したせいか、今になってドッと疲労が襲ってくる。


「……みーちゃん、疲れてない?」


 歩き通しからの昨晩の件だ。その後に納屋で休んだとはいえ、地べたに藁を敷いただけのまともな寝床ではなかった。


「大丈夫。紅君は休んだ方がいいと思う。顔色悪いから」

「……」


 この少女は一体どんな体力をしているんだ。それとも自分が非力過ぎるのだろうか。体力には自信があったはずなのに、それは単なる勘違いだったのか。

 そんなことを考えているうちに酷い睡魔に襲われて、耐えきれずにその身を板の間に横たえた。


「……ごめん、少しだけ」

「うん。おやすみなさい」


 瞼を落とす。一気に全身の力が抜けて、意識が闇の底へと落ちていった。


「――ごめんなさい」


 その少女の言葉は、深い微睡みの中にいる紅には届かなかった。











 気配を消すのは容易いが、今、その必要は無い。

 木の枝を踏むと、バキリという小気味良い音が響いた。


「ようやくかたを付けられるな。随分と手間取らせやがって」


 アスカが赴いたのは、昨晩、子ども二人がいた場所だった。そこには――。


「く、クソっ……てめぇは……」


 意識を取り戻して縛られていた縄をほどいた男が、ひとり。

そして。


「……そう睨むなよ。殺しちゃいないはずだ」

「ああ、死んじゃいねぇ。だが、目も覚まさねぇ!」


 喉に苦無クナイを刺されたまま昏睡しているもうひとりの巨体を抱えながら、怒りを帯びた目で男がアスカを睨み付けた。


「そりゃそうだ。……そうしたからな」


 男の鋭い眼光を、冷めた面持ちで受け止める。


「ふざけやがって!」


 男ががなり立てると同時に、アスカを纏う雰囲気が一変した。


「――おいおい、ふざけてるのはどっちだよ」


 宵闇に凍てついた氷を溶かしたような、感情を潜めた蒼い瞳が男を射貫く。


「そもそもお前達が国の混乱に乗じて里を荒らしたのが発端だろうに」


 それは数日前。王都が得体の知れない闇に飲まれた直後のこと。二人組の野盗は偶然見付けた隠れ里へと侵入した。

 自給自足で細々と暮らしている小さな里。故に甚大な被害はなかったが、同胞の何人かが軽傷ではあるが、怪我を負ってしまった。


「王都の異変に気を取られていたとはいえ、お前らごときを取り逃がすとは俺もとんだヘマをしたもんだ」


 野盗を追って先に見つけたのは、二人の少年と少女だった。野盗に加えて迷子まで――と次々起こる問題に頭を抱えたが、好機とも思った。

 もし野盗がまだ遠くへ行っていないとするなら、この子ども達を見逃すはずがない。弱者を虐げることに生き甲斐を見出みいだしているような痴れ者なのだ。

 その読み通り、野盗は二人の前に現れた。意外だったのは子どもと侮った少年の腕が立ったことだ。一人を取り逃しかけたが、それは仕方がない。

 事情を知らない紅は全く自覚がないだろうが、正真正銘、まさしく彼はアスカにとって《協力者》だったのだ。

 王都まで同行することを許可したのはその礼だった。


「隠れ里とはいえ、稀にお前らみたいな輩に見つかるんだよな。処理しなきゃいけない俺の身にもなってくれよ」

「処理……だと……」


 怯む男を前に、アスカが腰帯に差していた刀を引き抜いた。片刃の、細身の脇差しだった。


「冥土の土産になるかどうかは分からんが、最期に教えてやる。お前らが襲った里はこのフレイリア国の《最高機密》だ。存在を知られたからには生かしておく訳にはいかない。――特に、お前らみたいな法規を逸脱している輩はな」

「ひっ――」


 声を上げる間もなく男の首が飛ぶ。吹き上げる血しぶきが木々の幹を鮮明に汚し、アスカが纏う黒衣を濡らした。


「ったく、汚れた人間は血まで汚ぇな」


 頬に付いた返り血を雑に拭う。


「あとは魔物が処理してくれりゃ楽なんだが、生憎、魔物は人間の死体を食わねぇんだよな。野生の獣に食ってもらうか、土に還るのを待つか、どっちが早いかね」


 脇差しに付いた血を払いながらもう一方の男へ歩み寄ると、喉に刺さったままの苦無クナイ躊躇ちゅうちょ無く踏みつける。

 残酷で凄惨な光景だったが、アスカにとっては見慣れた景色だった。

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