12
黒衣の青年は、男二人の巨体を手際よく木の根元に縛り付けた。
「これくらいなら自力で
「……」
男の一人の喉にはナイフが刺さったままだった。痛々しそうに顔を
「殺しちゃいないさ。治療は必要だけどな。助けたきゃもう一人の男がなんとかするだろう。……本来なら生かしちゃいないが、子どもに死体を見せるわけにもいかないからな」
物騒な発言は本気か、それともただの冗談なのか。
ナイフは思いっきり急所っぽい場所に刺さっているように見えたが、男の生死を確かめる勇気は紅には無かった。
「で、次はお前達か」
青年が、焚き木を挟んで立っていた紅と少女へ向き直る。
「二人ともこの辺じゃ見ない顔だな。迷い込んだのか?」
「……いや、迷っているわけでは」
そう言いながら、全く説得力がないなと冷や汗を垂らす。
こんな真夜中に子どもが雑木林の藪の中で野営をしていれば、それは誰がどう見たってただの迷子だ。
「なるほど。迷っていないというのなら、何か明確な目的を持ってここにいるということになるな。……こんな
青年の青い瞳に険呑の色が帯び、紅の背に冷たい悪寒が走った。
下手に誤解を受けて、先ほどの野盗と同視されたらたまったもんじゃないと慌てて口を開く。
「あ、あの、勝手に入り込んでしまってすみません。この場所に用があるわけじゃなくて、ただ、誰にも見つからずに歩ける道を探していて……」
「紅君、それだとわたし達ただの不審者だよ」
しどろもどろな紅に、少女が冷静に指摘する。
「た、確かに……」
人目に付かない道を選ぶということは、後ろめたい事情がある人間がすることだ。
口を開くたびに墓穴を掘ってしまいそうで、紅は思い悩んだ。
もしかしたら適当に誤魔化して迷子ということにしておいたほうが無難にやり過ごせたのかもしれないと、初動の受け答えを後悔する。
「……誰にも見つからずに、か」
呆れたように、青年が溜め息をついた。
「その様子だと誰にもじゃなくて、軍の連中に、が正解だろうな。とすると、今のフレイリアの状況は理解しているようだ。……どういった事情かは知らないが、帰る家があるなら戻った方がいい」
「それはそう、思いますけど……」
「……思う? 紅君、戻るの?」
「い、いやっ!? 違うんだよ、そうじゃなくて……」
ただでさえ余裕が無い精神状態の中、少女の平然たる問いかけが余計混乱を招く。
戻った方がいいと思っているのは事実だか、帰りたいというわけではない。
この気持ちの微妙な
一人で混乱する紅と、その様子を窺う少女の二人を目の前に、青年はどうしたものかと再び溜め息をついた。
「……一先ず、この場を離れるぞ。この野盗どもと一晩共にする気はないだろう」
付いてこいと二人に告げて、青年が背を向けた。
「は、はい!」
慌てて焚き火の処理をして、荷を纏める。
戸惑いながらも、青年の後を追うしか今は選択肢がなかった。
夜のうちは暗くて分からなかったが、空がうっすら白んできた頃、音を立てないようにそっと提供された寝床を抜けて見た光景で、ここが集落であることを知った。
「こんなところに……?」
「いわゆる隠れ里、というやつだ」
独り言に返事が返ってきたので、紅は驚いて肩を揺らした。
「あ、おはようございます」
背後に黒衣の青年が立っていた。
長身で端正な顔立ちをした男だった。年の程は見目、二十前後くらいだろうか。肩よりも少し長い濡れ羽色の髪を後ろで括っている
「まだ寝てても大丈夫だが」
「いや、大体いつもこの時間に起きるので」
――夜明け前に起床し、港町へと赴く。そして昔から世話になっている仕事場の食堂で仕込みの準備を始める。
それが普段の日課だったので、前の日の夜が遅かったにも関わらずつい早朝に身体が起きてしまった。
身体に気怠さが残っているが仕方ないと諦める。
「まあ、あんなボロの物置に突っ込んでおいて寝てろというのも無理があるか。悪かったな」
「い、いえ、助かりました……もの凄く」
夜半、紅と少女が連れてこられたのはこぢんまりとした小屋だった。その時は周囲に明かりがなくて分からなかったが、どうやら納屋の中だったようだ。
「この里は基本的に同胞以外の人間の出入りが禁じられている。隠れ里というのはそういうものだ。だからお前達の存在が里の者達にバレるとちょっと面倒なことになるもんで、本来なら皆が起きる前に出て行ってくれと言うところなんだが……このまま逃がしたところで昨晩と同じことを繰り返されたらそれはそれで困るわけだ」
どうしたものか、と。青年が含みを持たせた眼差しで紅を見下ろした。暗に、大人しく帰れと言われているのが分かった。
しかし、素直に従う訳にはいかない。
「……あの、おれ達、どうしても王都に行きたいんです」
「王都?」
青年が訝しげに眉を
「何が目的だ。今、王都で何が起こっているのか分かっているのか」
「分からないから行きたいんです。家族が、王都に行ったきり
出会ったばかりの他人にどこまで話していいものか、と探りながら、しかし結局のところ今までの経過の全てを説明するに至った。
ずっと心許なさを感じていた。だから、誰でもいいから
そうか、と青年が呟く。しばらく考え込むように無言の間を挟んで、早朝の冷たい風が頬を掠めると同時に青年が口を開いた。
「俺も訳あって、これから王都へ向かうところなんだ」
「えっ!?」
その言葉に、驚いて青年の顔を見上げた。
「本当はもっと前に……王都にあの黒の魔力障壁が出現した時にすぐ向かうはずだったんだが、ちょっとトラブルが起きて足止めを食らってな。だが、もうそろそろ
「……」
いけないと思うもつい、期待を込めた目で青年をしげしげと見つめてしまった。
紅の視線を感じ取り、青年が軽く頭を押さえて溜め息をつく。
「……お前達が進んでいた雑木林は普段俺や里の者が王都へ出入りするために使っている道だ。地図に一切の記載はないが、道なりにこの里と同じような宿場が点在していて寝泊まりが出来る。……俺の後を付いてくるのは勝手だが、子どものお守りなんて柄じゃねえ。自分の面倒は自分で見る前提なら……仕方ない、好きにしろ」
「……!」
言葉尻はどことなく投げやりだったが、願ってもない提案だった。
昨晩はもしかしたら怖い人なのではと思ったが、即刻胸の内で訂正する。滅茶苦茶良い人だ。
「で、お前もそれでいいのか」
そう言いながら青年が
「――みーちゃん!?」
つられて紅も顧みると、屋根の際から少女の足が覗いていた。
「い、いつの間にそんなところに……」
「……いつ? ずっとここにいたよ」
ずっと、とは。もしかしたら自分が起きる前にはもう、納屋の中にはいなかったのだろうかと驚いた。つい、まだ寝ているものだと思い込んでいたのだ。
「……話を聞いていたなら取り敢えずその屋根の上から降りてくれないか。目立つところにいられて里の者に見つかったら厄介だ」
「はい」
青年に大人しく従い、少女が屋根から飛び降りた。小さい納屋とはいえ彼女の身長以上にある高さだったが、なんの
あまりの線の細さに足が折れてしまうのではないかと思ったが、着地の痛みすら感じさせない平静な面持ちで少女は青年を見上げた。
「……余所者は出禁だというのに、本当に付いていっていいんです?」
普段通りの抑揚の無い声色で、青年に問う。
「一応、一通りの説明は俺がする。苦言を呈する者は出てくるだろうが、まぁ、俺と共にいる限りは問題にならないだろう。……とはいえ古くから伝わる里の掟なんだ、多少の厳しい目は我慢してくれ」
「……あなたは、一体?」
恐る恐る、紅が尋ねた。
隠れ里というものがどういった場所なのかは分からなかったが、人の目を避けるように存在するのはそれなりの理由があるのだろう。そういった場所に、やすやすと外の人間を招き入れるのは相当な
――という疑問は、次の青年の言葉で全て解決した。
「そういえば、まだ名乗っていなかったな。俺はアスカ。この里の、
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