11

 もしこれが一人旅だったら、きっとすでに心がバキバキに折れて村へと踵を返していたかもしれない。

 同行者がいてくれてよかった――という思いと同時に、かねてより抱えていた複雑な感情に苛まれる。


「……やっぱり女の子に野宿させるなんて」


 心の声のつもりだったが、うっかり口から漏れていた。


「どうぞ、お構いなく」

「……」


 途中休憩を挟んでいるとは言え一日中歩き倒したとは思えない、疲労の色が全く感じられない声色で少女が返す。

 元気、というわけではなく、いつも通りの静かで落ち着いた声だ。

 見かけで判断するのは失礼かもしれないが、彼女の小柄で細身な身体はお世辞にも体力に自信がありそうには見えないから不思議だった。

 港町を発ってから最初の晩。

 獣除けの焚き火が、闇の中をゆらゆらと照らしている。


「気を遣わせているならごめんなさい。でも気にしないで。森の中でもよく外で寝ていたから慣れてる」

「そ、そうなの……?」


 そうか、なら大丈夫だ――などと思うはずもなく、何故外で、という疑問が湧く。

 成り行きで共に行動をすることになって間もないが、掴み所のないだと思った。

 笑顔を見せず表情に乏しい印象でいまいち感情が読めないが、不思議と接しにくさというのもは感じない。

 そういう面では叔母と通ずるものがあった。しかし、叔母のように高圧的でもなければ我が儘でもなく、これといった強烈な印象もない。

 やはり、掴み所がない、という表現がしっくりくるだろうか。

 ただ、当初の出会い方そのものはとても印象的で鮮烈だった。


「……あのさ、聞いていいことなのか分からないんだけど……」


 なんとなく、ずっと気になっていたことがある。


「何か」

「えっと、あの、あれは……もう大丈夫なのかな」

「……あれ?」


 敢えてぼかした、とかそういうわけではなく、どう言っていいのか分からないが故に曖昧な指示詞になってしまった。


「あの、初めて会ったとき……」

「ああ、あれ」


 曖昧なままで通じたようだ。

 初対面は迷いの森の中ではなく、その外だった。

 彼女の他にもう一人。陽の光の下にいて尚、その身に闇を纏ったようなあの黒衣の少年はその後、姿を見ていない。

 彼から姿を隠していた様子からして、追われていたように思えたのだが――。


「今は、何もない、と思う。その節はご迷惑をおかけしました」

「い、いや、大丈夫ならいいんだけど。……あれ、なんだったの?」

「えっと……」


 うーん、と思案するように、少女の視線が宙を泳いだ。


「……付き纏いストーカー?」

「えっ!?」


 ぎょっとした。


「……それ、本当に大丈夫なの?」

「うん、慣れてるから」

「な、慣れ……?」

「あ、しばらくはああいうことは起こらないから安心して。気にしなくて大丈夫。巻き込んでおいて言えたことじゃないけど」

「いや、えっと……」


 躊躇いながらも尋ねたのは単に少女の身を案じた故であったが、もしかしたら彼女と行動を共にすることでまた同じ目に遭って巻き込まれることを危惧しているのだと勘違いされたかもしれない。

 後者は紅にとって大した問題ではなかったし、どちらかといえば紅の方が勝手に首を突っ込んだようなものであったが、当人に気にするなと言われてしまったらそれまでの話だった。

 これ以上追求も出来ず、紅も口を閉ざす。

 会話が途切れて、辺りに夜特有の静けさが満ちた。

 パチパチと焚き火の火の粉が弾ける音が、やけに鼓膜に響いた。


「……」


 その状態をおかしいと紅が思ったのは、しばらくの静寂が続いた後だった。


「静かすぎる。魔物の気配くらいあってもいいのに」


 夜は魔物の活動が活発になる。月の光、そして満ち欠けがそれらの行動に影響する――という一説があるらしいが、紅には分からない。ただ、そういう事実がある以上、身体を休める時間とはいえあまり気を抜けないなと思っていたのだが――。


「……紅君、紐のこと知ってる?」

「紐?」

「うん。森の中にある、木に結んである紐」

「ああ、あの赤いやつ?」


 それなら迷いの森から出る道中でティアから説明を受けた。小屋と森の外を繋ぐ道導という役割と共に、魔物除けの効果があるとも言っていた。


「あれって、紐自体はただの糸を編んだだけの変哲のないもので、それに魔物除けの術式を刻んでるだけなのね。だから別に、紐である必要はなくて。目印にするために木に結ぶ必要があったから敢えて紐を使っているだけで」

「うん」

「なので、術式を刻むだけなら例えば木とか、地面とか、石とか、その辺に転がっているものでも問題ないわけです」

「……つまり?」


 今いる場所、もしくは近くある何かに、その魔物除けの術式とやらがかかっているということだろうか。


「魔物除けの仕組みって、術式が直接魔物を追い払っているわけじゃなくて、魔力の力場を無効化する術式を利用して魔物を近寄りにくくしているだけなのね。魔物は魔力に引き寄せられる性質があるから。だから紅君は気付いてないと思うんだけど、少し前からこの辺り一帯、魔力が全く無い」

「……えっと、餌が無い場所に獣は来ない、ってことだよね。だから静かなのか」


 明確に裏打ちされた理由があるなら安心して大丈夫か。

 ――いや。


「……何も知らなくて申し訳ないんだけど、術式って……人が使うものだよね?」


 じわりと、嫌な予感が込み上げた。


「……自然界でも魔力の力場がない場所は存在するし、そういう所では勿論術式なんて使われてない。けど、魔道院の調査では今のところフレイリアでそういう場所があるという報告は上がってない。だから、ここは人の手が入ってるってことになるね。……きっと、誰かの私有地か何かなんじゃないかな」

「そういうこと――」


 だよね、と言い終える前に、突如背後に現れた強烈な殺気に紅は反射的に真横へと飛び退いた。

 瞬間、木のへし折れる音が不快に鼓膜に響く。

 今まで腰をかけていた木の根が、振り下ろされた鉈で真っ二つに割れていた。


「ちっ、しくじった」

「焦りすぎだ兄弟」


 姿を現した荒々しい様相の二人の男は、見るからにまともな人間ではなかった。


「野盗か!」


 飛び退くと同時に掴んでいた剣を鞘から抜く。


「魔物除けって魔物は除けられても人除けにはならないんだよね」

「……みーちゃん、ちょっと離れててもらえると……」


 驚きも困惑も恐れも感じさせない少女の台詞に、つい脱力しそうになる。


「しっかし、やっぱり出るよなぁこういうの」


 想定していなかったわけではない。マルタ村でもそういった輩が侵入してくることはあった。この、黒柱の出現によっておそらく大陸全体が非常事態に陥っているであろう状況で、あらゆる街道や町が本国の公的機関の監視下に置かれている中、森や藪などの人目に付かない場所にいて野盗と遭遇する確率が低いわけがない。


「ガキが二人、か。ハズレだな。金目の物は期待できねぇ」

「どうする。殺すか、そのまま売っぱらっちまうか」

「ガキっつったって高値で売れる頃合いは過ぎてんだろ」

「女はいいだろ。見ろよ、上玉だぜ。それに銀髪なんてここらじゃ珍しい」

「確かに。男は腹かっさばいて中身をバラせばいい金になるか」


 酷く耳障りな会話だ。

 耳を塞ぎたい心地を堪えるように、剣柄を握る手に力を込めた。


「ひょろっちいガキ相手なら一人で十分だろ。この前はオレがやったから今日はお前が働けよ」

「へいへい」


 鉈を振り下ろしていた男が、そのまま一歩前へと出た。

 ひょろくて悪かったな、と。不躾な発言に気を悪くするも、しかし今だけは己の地味な風体ふうていに感謝する。十七年生きてきて未だ叔母の頭を抜かせない――が、一応まだ伸び続けている――身長は、屈強な山男と比べたら確かに貧弱だ。


 夜目は利く方だが、それにしても視界が悪い。足場も荒れている雑木林では地の利は相手にあるだろう。その中で二人同時に襲いかかられたら流石に面倒だったが、歳と容姿のお陰で舐めてもらえるというのなら好都合だ。

 ――そして、出来ることなら舐めてもらったままかたを付けたい。


 思って、男が木の根から鉈を引き抜くよりも先に駆け出した。

 地を這う蔓に足を取られぬように――となかなか思い通りに身体が動かなかったが、それでも距離を詰めることに成功する。どうやら男の反射神経は鈍い。

 足を払って男を転ばせ、手から落ちた鉈を後方へ蹴飛ばした。そのまま地に伏した男を踏ん付けると、ぎゃあ、という叫び声が響いた。

 人を相手にするのは苦手だった。経験不足で慣れていない。そして、相手がどんな悪人であれ、痛い思いをさせてしまうことに抵抗感が拭えない。

 そうとも言っていられない状況なので「ごめんなさい」と胸の中で謝罪し、そのまま踏ん付けた男を踏み台にして紅は傍らのもう一人の男へと斬りかかった。

 男の首元の寸前で刃を止める。勿論、本当に斬る意思はない。しかし威嚇には十分だった。

 男が怯んだ一瞬の隙に全身を使って男を押し倒す。頭を打ち付けて昏倒したようだが、念のため男の懐に帯剣されていたナイフを奪った。


「クソが!」


 踏み台にした男が、腹を抱えて苦しげに立ち上がった。痛み、そして怒りに歪んだ醜い顔が紅を捉える。だが――。

 男が紅に背を向けた。未だ燃え続ける薪の、その先には。


「みーちゃんっ!?」


 男が駆け出す。遅れて紅も追うが、一瞬遅かった。手を伸ばしたところで男の背には届かない。が、長剣の剣先ならば――。

 斬るしかなかった。迷ってる間もなく、紅は駆けながら剣を握る両手に力を込める。

 ――次の瞬間。


「……っ!?」


 少女に向かって雄々しく振り上げられた男の拳が、突如大きく痙攣した。同時に全身が硬直し、壁か何かにつかったかのように少女の眼前でピタリと止まる。

 がぁ、と。潰れた声を上げると、男はそのまま巨体を力なく後方へ倒した。

 慌てて紅も立ち止まる。斬りかかろうとしていた勢いの反動で剣を落とした。


「……な、何?」


 何が起きたのか、分からなかった。

 倒れた男に駆け寄ると、喉元に小さな刃物が突き刺さっていることに気付く。短い鉄製の両刃に片手で握れるほどの細い柄がついた、変わった形をしたナイフだ。


「……ったく。余所者とはいえ野営くらいなら目を瞑ってやってもよかったんだが、こう暴れられたら放っておく訳にもいかなくてな」


 木の陰に立つ少女の背後から人影が現れる。

 夜の闇を編んだような黒衣を纏う、一人の見知らぬ青年だった。

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