10

「もっと苦労するかと思ってたんだけど……」

「ラストスの軍って適当だから」

「それはそれで都合はいいけど、うーん……」


 夜明け前。誰にも見つからずに町を抜けるという行為は、思っていた以上にすんなりと上手くいった。

 事前に抜け穴を調べていたからであるが、厳しい規制の割には実に雑な警備である。


「フレイリアにいる軍人はラストスから左遷されているからあまりやる気が無いって、父さんが言ってたよ」

「……嫌な話を聞いてしまった」


 今宵に限っては助かるが、実に失礼な話だ。

 軍事力を放棄しているフレイリアはその力の全てを本国であるラストスの助力で補っている。属国故に対等な関係ではないということは理解しているが、とはいえ、という話だ。


「村にもラストスの軍人は来てたけど、高圧的であまり良い印象がないんだよな」


 そう言って紅は、あ、と小さく声を漏らした。


「いや、ティアさんはそんなことないけど」


 ラストスの――と一括りにしてしまうのはよくなかった。目の前の少女の父親――と改めて称するとやはり違和感を覚える――もラストスの組織に属する人間であったことを失念していた。


「あの人は……頭がおかしいから」


 身内を悪く言われて不快に思ったのではという紅の懸念を余所に、少女が更に失礼なことを言った。身内だからこそ、だろうが、つい笑ってしまった。


「組織の中でも変人って呼ばれているって話だから」


「……変人? そうかな……学者っていうと偏屈で高慢な印象だけど、ティアさんは全然そんなことないよね。優しいし」


 ラストスの公人が皆彼のような人だったらよかったのに、という紅の呟きに、少女は否定の意味を込めて首を横に振った。


「あれは少数派マイノリティだから存在を黙認されているのであって、構成者が全員あれだったら組織が成り立たないよ」

「そ、そうなのかな……」


 優しいに越したことはないと思うのだが、それだけではどうにも出来ない社会の事情があるのだろう。

 何にしろ、ラストスの公人でもフレイリアの役人でもない一般人の紅には無縁の話であった。


「……ところで、いつまでもここにいていいんでしょうか。進む?」

「あ……うん。そうだね」


 目の前を指し示す少女に、紅は苦々しい表情を浮かべて頷いた。

 つい会話に逃げて現実逃避をしてしまっていた。

 軍人の監視の目を抜けて町を出たはいいものの、そこは完全なる藪の中であった。

 おもてひらけた道に出る選択肢も無いわけではない、が、軍人に見つかれば強制送還されるか、もしくは――。


「不審者扱いされたらやっぱ揉めるよな。しばらくこの藪の中を進むしかないのか」

「森よりはマシじゃない?」

「……迷いの森と比べたらどんな悪路だって大体マシだなぁ」


 手持ちの灯火ランプに火をともすと、辺りにぼわっと光が拡散する。

 視界は悪いが、十分注意すれば問題なく進めそうだ。

 足場が悪いのはネックであったが。


「もうしばらく経てば夜が明けるかな。火種は十分あるけど、基本的には移動は日中だけにしたほうがいいかもね」


 まともに休める場がない分、体力には必要以上に気を付けなければいけない。当初は六日、と計算したが、やはりもう数日かかることを想定した方がいい気がした。

 慎重すぎるだろうか。しかし、今までまともに旅なんてしたことがない素人だ。気をつけるに越したことはない。

 そんなことを考えていたら、一歩後ろを歩く少女の視線が己の手元にあるのに気付いた。


灯火ランプがどうかした?」

「……それ、随分と原始的だと思って」


 紅はああ、と声を漏らした。

 一般的に、火をおこすには魔力を利用する。

 魔力とは火だけで無く、このセカイに存在する何ものにでも姿を変えることのできる、神懸かみがかり的な力である。それは空気と同じようにどこにでも存在し、森羅万象に宿り、人にもまた例外ではない。

 便利で都合のいい力と思われるが実際は誰もが使いこなせるというわけではない。 魔力を物質・現象に変換するには術式と呼ばれる専門的知識が必要であり、それらを統括・管理・運用しているのが帝国ラストスの統治組織、ラスティアードの一部である魔道院まどういんと呼ばれる機関であった。

 現状は魔道院所属の学者しか扱いを許されていない術式だが、それを民間人用に能力を押さえて簡略化させ、日常生活に役立つ道具として開発されたのが魔力器具と呼ばれる機器である。

 魔力器具は予め術式が仕込まれており、人が触れるだけで扱うことが出来るようになっている。知識を持たない一般市民は主にその道具を利用して火をおこしたり、井戸を潤したりするのだ。

 魔力なしではセカイの発展はなかったといっても過言ではなく、現代においては生活に必要不可欠なものである。


 ――しかし、紅が火を灯したそれは魔力器具ではなかった。


「おれ、魔力がないから」


 手の中にある金属と石が、カチリと音を立てた。

 魔力が無い――その事実を知っているのは身内の叔母くらいで、マルタ村の住人も知らないことだった。今まで他人に言ったことは無い。


「よく分からないんだけど、魔力器具って自分の魔力を使うんでしょ? おれにはないから、そういう便利なものが使えないんだ」


 だから物理的に火を付けるのだと、紅は持っていた火打石と火打金を打ち合わせた。

 闇の中で小さな火花が散り、一瞬で消える。


「……珍しい」

「確かに、まだおれ以外に会ったことないかも」


 少数派マイノリティであることに劣等感があるわけではないが、周りから変な目で見られてしまうかもという恐怖があり他人に打ち明けづらい性質だった。

 今ここで躊躇いなく話すことが出来たのは、目の前の少女はきっと気にしないだろうと思ったからだ。なので特に反応もないだろうと思い込んでいたが、思いの外、珍しく考え込むような様子を見せた。


「……じゃあ、何で……」

「……?」


 何かが不可解だと言いたげに首を傾げた少女に、紅も不思議に思って問う。


「どうしたの?」

「……いや」


 ゆるりと、少女がかぶりを振る。


「大変だよね。魔力有りきの、セカイだから」

「うーん。でも、生まれつきだからもうあまり不便さは感じないかな」

「なら、よかった。悪いことじゃないと思うよ。……それはきっと、誰も知り得ない自由だから」

「……?」


 パキリと、枯れ枝を踏み折る音が響いた。

 木陰の隙間から、いつの間にかうっすらと朝焼けの光が差し込み始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る