9

「余計に動けなくなったなぁ」


 港町の喧噪はいつものこと。

 しかし、それは活気、ではなく混乱によるものであった。

 カーテン越しに窓の外を見遣ると、甲冑を身にまとった港には似つかわしくない軍人が視界に映る。物珍しい光景では無いが、普段よりも圧倒的に数が多い。


「入れたのはいいんだけど、まさか出られなくなるなんて」


 いや、まさかということもないか。辺境地のマルタ村でも外出禁止の令が発布されていたのだから、国の玄関口にあたる町なら当たり前の話だった。

 王都まで――と目的を定めたはいいものの、では早速と歩を進めるにはあまりにも無謀だった。

 普通に行くなら馬車が必須な道のりだった。

 足を手配するにもそれなりの規模の街に移動する必要があったため、二人はひとまず近場の港町、エンテージへ向かった。

 人目を避けるように街道を避け、森の際を縫うように目的地へとたどり着き、マルタ村から出たときのように正規の出入り口を避けて脇道の隙間から町へと入った。

 その時は多少の混乱は感じられたものの意外にも普段の街並みを保っていた。港は完全に封鎖されていたが、住宅街はまだ平穏の域だった。が、二人が町へ入って一晩足らず、それはもうあっという間と言っていいほど迅速に、町全体に本国の軍による民間人の出入りの規制に強化がかけられた。

 たった一人の公人しかいなかったマルタ村とは違い、それなりの人数の見張りが町を囲うように立っている。


「ラストスはなんでこんなことをするんだろう」


 危ないから外に出るな、ということなのだろうか。


「不審者の動きを制限する意図があるんじゃないかな」


 くれないのぼやきにも似た疑問に、傍らにいた少女が答えた。


「不審者かぁ……」


 馴染みのある町とはいえ、こっそりと侵入しているという現状を思えば自分たちも立派な不審者だなと思った。あまり考えたくはない。

 小さな宿の部屋の一室。その窓から外を見遣ると、見慣れた景色の中で一際目立つ異物が空を分断していた。


 黒い、柱。


 柱という表現が適切なのかは分からない。ただ、実態が不明な以上、他にどう称すればいいのかも分からないので便宜的にそう呼んでいる。


「こんな騒動になるってことは、やっぱりあれは良くないものなのかな」

「……多分、本国側もはっきり現状を理解してないと思う。だから民間に対して正確な情報は出せないし、説明も出来ない。この強引な規制はただの一時凌ぎなんじゃないかな」

「……そういうことか」


 マルタ村に訪れた公人の言動を思い出す。状況を問いかけても説明の義務はないという言葉で一蹴されたが、なるほど、彼も知らなかったのか。

 知らないなら知らないと言ってくれればよかったのに、なんて思うが、あの公人の横暴な態度を考えると、素直に分からないとは言えなかったのかもしれない。無駄にプライドが高そうだ。

 しかし。そんな状況であるならば、今この町からはそう簡単には出られそうもない、ということなのか。

 この状況下では馬車の手配など出来るわけがなかった。即刻却下の上、不審人物として拘束されかねない。

 脇机テーブルに広げた地図を見下ろして、紅は溜め息をついた。

 馬車が使えないとなると、もはや手段は徒歩しかない。

 歩くこと自体は構わないが、問題はその距離だ。

 フレイリア国の王都、アルステトラスはこの大陸の最北端に位置している。一方、紅達がいるエンテージは極めて南寄りだ。

 ラストスのある本大陸と比べれば何十倍も小さい島国とはいえ、縦に長い地形が疎ましく思うくらいには、やはり距離がある。


 馬車であれば飛ばして三日、しかし――。


「歩き、か。歩くのか……となると、どれだけ時間がかかるんだろう」


 疑問を声に出して、余計に気が滅入った。


「……問題が距離だけならいいんだけど」


 意味深な少女の呟きに、紅が眉をひそめた。


「……他にも、何か?」


「港があるとはいえ王都から離れているこの町でこの規模の規制がかかってるなら、近づけば近づくほど、もっと厳しくなっているんじゃないかな」


 それは確かに。


「……ということは、この町から出たらもう他の町や村には入れない?」


 マルタ村やエンテージは土地勘があった故に人目に付かないで出入りできる場所を見付けられた。しかし、ここから以北の町については殆ど行ったことがない。

 馬車でなら三日――しかし徒歩なら何晩かかるかわからない道のりを、野営確定で進まなければならないことになる。

 考えれば考えるほど、あまりにも無謀だった。

 やはり、もしかしたら、マルタ村へと戻った方がいいのでは――という思考を読まれたかのように、少女が言った。


「……紅君が引き返すなら止めないよ」

「うっ」


 図星を指されてドキリとした。


「……みーちゃんは」

「行くけど」


 そう言いながら、少女が地図を手に取った。


「……あれ、えっと」

「ん?」

「今、どこにいるんだっけ」

「……うーん」


 この極端に狂った方向感覚でどうして「行く」と涼しい顔で言えるのか。

 このまま彼女を一人で行かせるのは不安極まりなかった。


「……帰らないよ。じっとしてるよりは動いていた方が気が楽だし」


 依然として叔母の行方は知れない。もしかしたらエンテージにいるかもしれないという一縷いちるの望みがあったが、それは叶わなかった。

 ここにいないとなるとすでに王都へ向かってしまったのだろう。

 村を発ってからの日数を考えると、空が闇に覆われた時点で王都には着いていたはずだ。

 とにかく、少しでも家族の行方の手がかりが欲しかった。


 ――それなら自ら動くしか、今は術がない。


 そう、強く思い込んで、村へ帰らない理由を作る。

 どんなに、幾度となく覚悟を決めても、少しの不安ですぐに揺らいでしまう。それはきっと、じっとしているからだ。

 動いていた方が楽というのは本心で、行くのであれば早くこの町を出たかった。

 しかし、そんな紅の思いとは裏腹に、三日の日を跨いでも尚、町の規制が緩むことはなかった。

 その間に警備が手薄な場所を探したが、緩むどころかむしろ兵が日に日に増えているように感じられた。


「これ以上待つと余計に出辛くなるかも」


 その少女の言葉に、紅は同意した。


「……じゃあ、今夜決行かな」


 馬車とはいえ丸一日休まずに走り続けているわけもなく、一日の移動距離は徒歩の倍程度だ。ならば、徒歩なら約六日。

 杓子定規の計算上の日数なので、もう少し余裕を見ておいた方がいいだろう。


「食料、大丈夫かなぁ」


 顔馴染みのよろず屋から携行食を買い込むも、先の見えない旅路は不安が募る。

 やはり、道中、町や村に立ち寄れないというのはさすがに怖い。

 自分ならば、いざとなればその辺の野草でも食べればいい、が――。


「大丈夫だよ」


 考え込む紅の傍らで、少女が言った。


「わたしも家からそこそこ持ってきたから」


 ほら、と肩掛けの鞄の被せ蓋を開けてみせる。


「……さすが、一人で行こうとしていただけある」

「動けなくなったら困るもん」


 女の子の所持品をまじまじと見るのもどうかと思いすぐ視線を逸らしてしまったので細かいところは分からなかったが、視界に映った限りでは携行食しか入っていないように見えたのが少し気になった。

 が、それでも反射的に村を飛び出した故に旅の準備など何もしていない紅とは違う。

 王都へ歩いて行くなんて無謀なことを言う少女に対して不安しかなかったが、反省すべきは自分だったなと猛省した。


「あと、ほら、困ったら草とか食べればいいわけですし」

「……それはおれだけでいいよ」


 山羊ヤギみたいな――と嫌そうに言った叔母の顔を思い出してつい笑ってしまった。

 雑草をみ泥水をすするような事態は避けたいところだが、こればかりは未来になってみないと分からない。

 本音を言えば、女の子に何日にも及ぶ野宿を強いることにも抵抗があった。だが、行くと決めたのは彼女自身であり、そもそも自分は着いてきて欲しいと言われたわけではない。


「……ねえ、みーちゃん。今更なんだけど、おれ、君に着いて来ちゃって大丈夫だったのかな」

「……何故?」

「いや……」


 そういえば、と。迷いの森から出るときに、もしかしたら彼女によく思われていないかもしれないと不安に思ったことを思い出した。


「……君が嫌じゃないならいいんだ。無理矢理着いてきたみたいな感じだから」


 今のところ拒絶されているわけでも我慢を強制させている様子もなさそうだった。


「紅君も王都へ行きたいんだよね」

「……うん」


 諸々の雑念が邪魔をして迷うことはあれど、それは間違いない。


「そうだね、行きたい」

「なら、いいんじゃないかな」


 どことなく、問いと返答の間に微妙なズレを感じた。が、いい、という言葉を素直に受け取って深く気にしないことにした。


「……正直、王都まで無事に着けるかは分からないけど、少しでも近くに行けば何か分かるかも知れないもんね」


 願わくばそうであって欲しいと思いながら、窓越しに未だ日が高い空を仰ぐ。

 大きな不安と僅かな期待を抱えて、れる心にじっと耐えながら夜を待った。

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