6
ここはやはり、書庫だった。物置、といってもいいかもしれない。
目が覚めた時にいた部屋に、再び紅はいた。
「ごめんね、小さい家で。まともな部屋がなくて」
そう言うティアは心底申し訳ないといった様子だった。
「本来は住む用途で建てた家じゃなくてね。二階もほぼ屋根裏って感じだし、
「い、いえ。お構いなく」
一晩置いて貰えるだけで十分過ぎるほど有り難いので気にしないで欲しいと思った。
「外に出ると側に納屋みたいな小さな建物があるんだけど、俺はそこにいるから。何か問題あったら遠慮無く来て大丈夫だから。何なら上にいる娘に言ってもらっても」
「はい……え、納屋?」
「仕事場みたいなものかな。本当にただの物置なんだけど、狭くて暗くて居心地が良いからそのまま自分の部屋にしてて」
この家も似たようなものでは……などとつい失礼なことを思ったが、感性や好みなんて人それぞれだ。
変わった人だなと思いながら、あの変人の極みのような叔母と友人だというのだからと妙に納得した。一回り以上年が離れているだろう彼女と交友関係を持つに至った経緯が気になったが、寝床を得て落ち着いたからか不意に眠気を感じ、またの機会に聞こうと思った。
じゃあまた明日ね、と。外へ出て行くティアの背を見送って、紅は再び元いた書庫に戻ったのだった。
「静かだなぁ」
と、ぽつりと呟いた言葉は、思った以上に部屋の中に響き渡る。
それだけ音が無いと言うことだろうか。外から魔物の気配くらい感じてもおかしくない雰囲気なのだが、不思議とそれも無い。
今ではもう、昼間に襲われた頭痛は消えていた。
倒れた場所もこの家も、同じ森の中なのに不思議だ。もしかしたら、この家自体に何かしらの魔術的な力が働いているのかもしれない。
その
小窓から外を覗くと、奥深い闇が広がっていた。
視認できる範囲は狭いもののやはり魔物の姿は無い。
疲労と眠気に身を任せながらぼんやりと窓の外を見ていたら、コンコンと、軽く木を叩く音が聞こえた。
数秒の間の後、
「あ、はいっ」
てっきりティアだと思い込んで
しかしそこにいたのは、彼ではなく――。
「あっ!」
驚いて、紅は思わず一歩後ずさった。
「……」
紅の様子を不審に思う素振りも無く、一人の少女が無表情で紅を見上げた。
「ごめんなさい、起こしたかもしれない」
窺うように少女が小首を傾げると、耳にかけていた長い青銀の髪がサラリと肩から落ちた。その動きを目で追いながら、紅はしどろもどろに言葉を返す。
「大丈夫……あの……起きてた、から」
「そう。ならよかった」
少女が
「……?」
中を覗いてみると、布の塊のようなものが入っていた。衣服だろうか。
「父さんが渡し忘れていたみたいだったの」
「……着替え?」
改めて、己の身なりを顧みた。
付いていた泥は払ったが、確かにこのまま寝るには
「……ごめんなさい。抱えられなくて引き摺ったから」
「抱え……? あっ」
ティアが、助けたのは自分ではないと言いかけていたのを思い出す。
「もしかして、君がおれをここまで運んだの?」
「……いつもなら父さんに頼むんだけど、今日、あの人夕方までいなくて」
気を失っている人間というものはなかなかにして重い。紅は大柄な体格ではなかったが、それでも少女の細腕で運ぶには無理があったはずだ。
「ご、ごめん……重かった、よね。ありがとう」
見捨てず、途中で放り投げもせず、引き摺ってでも安全な場所まで運んでくれたことに感謝する。
「この部屋の隣に湯浴み出来る場所があるので、必要があれば使って下さい。あと、袋の中に携行食が入ってます。この家、あまりまともな食べ物が無くて申し訳ないんですけど」
紙袋の底に小さな固形物の感触があった。思えば朝から何も食べていない。頭も胸の中もいっぱいいっぱいで、つい空腹も忘れていたことに今更気付かされる。
それから少しの間を置いて、淡々とした面持ちで少女が「……あの」と切り出した。
「あともうひとつ、謝らないとと思って」
「あ、さっきのなら全然、もう痛くないから」
もうひとつ――の心当たりに、そっと自身の頭に触れた。
忘れていた鈍痛が響く。軽く瘤になっていたが、つい強がってしまった。
「……いや、それも、なんですけど」
「……それ、も?」
「……昨日、
「あ」
色々あってすっかり頭から抜けていた。彼女とは今が初対面ではなかった。
「助けてもらったのに、何も言わないで逃げたから」
「いや、無事だったならいいんだ。イクセルのこともあったし」
そうか、と納得した。あの後、てっきりエンテージへ向かったのかと思い込んでいたが、この家に戻っていたのか。その時はまさか森に人が住んでいるなんて思ってもいなかったので、その発想に至らなかった。
有り難うございました、という言葉の後に、更に少女が続けた。
「それで、ひとつ、お願いが」
「……?」
「街道で起こったこと、父さんには言わないでほしくて」
希薄な表情のまま、微かに少女の目が真剣味を帯びたような気がした。
「え?」
「……ちょっと、面倒なので。心配かけると」
「それは、いいけど」
戸惑いながら紅が頷くと、少女はすみませんと言った。
そこで何となく察する。
先ほど頭上に本を落とされたのは手が滑った故の事故ではなく、故意だったのだろう。彼女の姿を見た瞬間、うっかりティアの前で声を上げかけたから。
小さな瘤をそっと擦りながら、紅は苦笑した。
家族に心配をかけたくないという気持ちはよく分かる。今も、夜が更けても家に戻らない紅を同居人はどう思っているのか。それを考えると少し胸が痛む。
ティアが少女を《娘》と呼んだときは大層驚いたが、彼を《父》と呼ぶ少女の姿はとても自然だった。
一切の血の繋がりがなくとも親子になれるのだと、ぼんやりと叔母と自分の関係性を重ねながら、どことなく安心するような、そして親近感を覚えたのだった。
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