3

 のんびりとした時間が流れる田舎の村とは正反対の、港町特有の賑やかな喧噪。

 マルタ村からはそう離れていないはずなのに、大勢の人が行き来するというだけでまるで別の国のようだ。

 港町エンテージ。島国であるフレイリアと他大陸を繋ぐ玄関口。その活気に満ちた光景は、いつ訪れても元気を貰えるような気がした。


「まいど! いつもありがとな!」


 長年通い詰めてすっかり顔馴染みになってしまった露天商の男がくれないの肩を叩いた。


「サービスしといたから、また来てくれよな」

「ありがと。どうせなら値引きもして欲しかったなぁ」


 そりゃまた今度な、と男が笑った。いつもそう言うが今まで値を負けて貰った試しはない。紅も期待しているわけではなく、いわば恒例の挨拶みたいなものだ。

 商人から麻袋を受け取り、はち切れんばかりに詰まった中身を確認する。色とりどりの鮮やかな野菜、果実、小麦。なるほど、確かに頼んだものよりかなり量が多い。

 普段なら商人の言う甘言サービスなどほんの気持ち程度のものだが、今日は何故か太っ腹だ。

 袋の底の方に詰められていた果実を見て、その原因を察する。

 食べられないという程では無いが客に売るにははばかれるであろう、少しだけ痛みかけた真っ赤な林檎。

 長雨の影響はどうやら商売にも及んでいたらしい。所謂いわゆる、在庫処分というやつだ。

 運が良い、と。心が躍った。

 生食してもいいが砂糖水で煮るのもいい。そうすれば保存も出来る。いっそ煮詰めてジャムにしてしまおうか。保存用の空き瓶なら確か――。

 と。考えを巡らせている最中で、はっと我に返った。


「ごめん、この荷物少し預かってて欲しいんだけど」


 そう頼むと、商人は快諾した。


「なんだ、これから店番か?」

「いや今日は違うよ」


 首を横に振ると、商人は肩を落とした。


「なんだ、今夜、お前んとこの店に行こうと思ったんだが」

「残念。また今度ね」


 港町エンテージには紅が仕事場として行き来している大衆食堂があった。老夫婦が営む老舗で、商人は昔からの常連だった。長雨の時期は毎年休暇を貰っていた為そろそろ顔を出しておきたいところなのだが、今日の所は止めておく。

 麻袋を再び商人へと渡した。


「今日は夕刻には店仕舞いするからな。それまでに戻ってこなかったら没収するぞ」


 了解と首を縦に振る。そして、そういえば、と思い立ったように言った。


「……あのさ、今日この町で、女の子を見かけなかった?」

「はぁ?」


 唐突に問われて、商人は何を言ってるんだとばかりに眉を顰めた。


「そりゃお前、女ならそこら中を歩いてるだろうが」

「あ、そうか。ごめん」


 それはその通りだと自身の発言に苦笑した。考えなしの言動はどうにも言葉足らずになる悪い癖がある。


「こう、銀色の髪で。小柄な感じの……」

「あぁ? そうだな……この町にゃいろんな人種が行き来するからなぁ。あ、でも銀髪は見た気がするぞ。ここらじゃ珍しいから目に付いてな」

「ほんと!?」

「おう、港の方に行ったと思うが」


 思いがけない情報だった。正直期待していなかった。

 人通りの激しい露店街で、たかが一人の通行人の印象なんて残る方が稀だ。


「しかし何だ、女を探してるだなんて、お前もやっとそういう年頃になったのか」

「そ、そんなんじゃないって!」


 妙な勘違いをされているようで、慌てて否定した。


「届け物をしたいだけで……と、とにかく! ありがとう!」

「……あ」


 商人が、いや待てよ、と言った。が、紅は既にその場を逃げるように去っていた。


「……」


 困ったように頭を掻く。


「ありゃ多分、女じゃなかったな」


 まあいいか。戻ってきたら勘違いだったと誤魔化せばいい、と。

 気を取り直して、商人は本来の仕事へ戻るべく客引きの声を上げた。





「港、かぁ」


 港町の活気も、肌や髪をべとつかせる潮風も、嫌いじゃなかった。

 ただ、海は好きではなかった。

 だから今まで数え切れないほど訪れた馴染みの町であるにも関わらず、港へは殆ど行ったことがない。

 海とは別に、町を縦断するように小さな小川がささやかに流れている。居住区および露店街、そして港を分かつその川の上には、人の通行用に桁橋が架かっていた。

 なんとなく橋を渡れないでいるまま、紅は錆びた欄干に手をかけて眼前に見える水平線を眺めていた。

 港の方、ということは、もしかしたらすでに船に乗って町を出て行ってしまったかもしれない。その確率は高いだろう。風が強い割には波が穏やかだ。晴天も相まって、今日みたいな日は船の便も多い。

 すぐに後を追えていたら間に合ったかも知れないが、紅はイクセルを村へと送り届けてから来ている。

 時間の損失ロスを考えると、これ以上は無駄足になるのではないか。

 そう考えながらも、どこか苦手な水場に近づかなくて済む理由を探しているようで情けない気持ちになった。


 ――さて、どうするべきか。


 拾い物を手の中に握りしめたまま、紅は途方に暮れた。せめてこれが、何の変哲もない、持ち主にとって思い入れも何も皆無のただのガラス玉であってくれたらよいのだが。

 その判断は紅には出来なかった。

 一度家に戻ろうか。

 魔力器具に詳しいであろう叔母に聞けば何か分かるかも知れない。


 ――そう思って引き返そうと決めた、その時。


 どっ、と。幅員の狭い橋に多くの人がなだれ込んできた。きっとまた、他大陸から船が着いたのだろう。この人数だとおそらく、本国ラストスのある本大陸からの便だ。

 小さな島国のフレイリアとは違い、本大陸はいくつもの国が連なる大規模な陸地だという。地図上でしか知らないが、フレイリアの何十倍、何百倍の広さがありそうで、紅にとっては未知のセカイだった。

 そんな大それた大陸からこんなちっぽけな国に一体何の用事で訪れるのだろうかと常々疑問に思う。

 通行の邪魔にならないように端へと除けて、ぼんやりと人の流れを見ていた。

 そして、あ、と小さく声を上げた。

 ひらり、と。紅の足元に一枚の紙切れが舞って落ちた。

 つい反射的に拾ってしまった。ごみならそのまま処分してしまうところだが、どうやら落とし主のメモ書きのようだった。メモとはいえ厚手の紙に安っぽさはなく、空白を惜しむかのようにびっしりと文字で埋め尽くされている。

 簡易な共用語であったら学がない紅もどうにか読めたのだが、そこに書かれている文字は見慣れない複雑なものだった。

 今日はよく落とし物を拾うなと思いながら、紅は人の流れの背を追う。落とし主なら覚えている。ちょうど紙が落ちる瞬間を見ていたからだ。

 器用に人混みの合間を縫いながら、一人の男の背に声をかけた。

 声だけでは喧噪にかき消されて気づいてもらえなかったので、軽く肩を叩く。

 ようやく、男は驚いた様子で紅の方へ振り向いた。

 人の波の中で二人が立ち止まったせいで、流れが乱れる。迷惑そうに側を通り過ぎる通行人に申し訳なさを覚えながら、紅は男へメモ書きを差し出した。


「余計なことだったらごめんなさい、落としたところを見たので……」

「あっ!」


 男が目を丸くした。

 紅からメモを受け取ると、安心したように頬を緩ませる。


「よかった、見当たらなくてどうしようかと思っていたんだ」

「……その本から落ちたように見えましたけど」


 男は片手で麻袋を抱え、脇に書物を挟んでいた。その書物を指差すと、男が、え、と声を漏らした。


「あ、そうか。思い出した。栞代わりにすれば無くさないし丁度良いなと思って挟んであったんだった。すっかり忘れていた」


 男の様子から察するに、ごみではなくどちらかといえば大事なもののようだった。

 余計なお世話にならずによかったと安堵する。


「仕事で使う大事なメモだったんだ。拾ってくれてありがとう」

「たまたま気付いただけなので」

「この人混みだ。すぐに拾ってもらわなかったら今頃踏み破られてただの紙屑になっていたんじゃないかな。本当に助かっ……あれ?」


 手元のメモ書きから紅へと視線を移した男が、小首をかしげた。


「……?」


 もしかして顔見知りだったかというような反応だが、男の顔に覚えはない。


「……何か顔についてますか?」

「あ、いや、違うよ。ごめん、何でもない」


 何事かと問いかける紅に、男は慌てて頭を振った。


「本当はお礼をしたいんだけど、今はちょっと時間がないんだ。申し訳ないんだけど、また今度でいいかな」

「い、いや、おかまいなく……」


 改まって礼を受けるほどのことではない気がするのだが。


「まあそう言わずに」


 またね、と。萎縮する紅を余所に、男は急ぐようにその場を立ち去った。

 その背を見送って、紅は不思議に思う。

 またね、と言われたところで紅は男の名も所在も知らない。逆に訊かれもしていない。偶然、という機会がない限りは再び会うこともないはずだ。

 聞きそびれたのだろうか。急いでいた様子の反面、どことなく穏やかでのんびりとした雰囲気を持った男だったのでうっかりもありえそうだった。

 もともと、見返りを期待してメモ書きを拾ったわけではない。

 また落とさないといい、と思いながら、いつの間にか人の波が落ち着いた橋の様相を見遣った。

 きっと、このままここにいても、本来の目的を果たすことはできないだろう。

 諦めて露店街へと戻った紅に対して、商人の男はどこか挙動不審げな様子だった。


「ごめん、せっかく教えてもらったのに遅かったみたい。船ももう、何本か出ちゃってるみたいで」

「お、おう。そうかそうか、そりゃよかった」

「……よかった?」


 言葉尻に違和感を覚える。反復して尋ねると、商人は何かを誤魔化すように咳払いをした。


「おっと、なんでもねえよ! ほら、荷物返すぜ」


 そう言って、預かっていた麻袋を紅に押し付ける。


「ありがとう。……って、あれ? なんかさっきより重くなってる気がするけど」

「おうよ! 袋の隙間に追加で色々突っ込んでおいたぜ。とっときな!」

「え、うそ」


 不自然なほど気前がいい。


「……あ、ありがとう。でも何で?」

「ま、まあ、気にすんな! いつも世話になってるお得意様だからな!」


 今までにない過剰な接待サービスに、嬉しく思うも、どこか不気味さを覚えたのだった。

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