19

 進路を塞ぐ障害を力任せに切り捨てる。

 芯を割かれ、たちまち霧散するそれは次々に湧いて後を絶たない。

 本来ならば村人達の避難を優先させなければならないのだろう。

 周囲の悲鳴が耳を劈く。


 ――ごめん。

 ――見捨ててごめんなさい。


 誰にも届かない罪の意識を抱きながら、アレルは無我夢中に走った。

 熱を含んだ風が吹き荒れ、炎が全身を焼く。汗が出る間もなく蒸発し、まるで地獄のようなありさま。しかし、気にかける時間など微塵もない。

 この炎は人為的なものだろう。

 ここまで瞬間的に、爆発的に燃え広がったのもそのせいだ。

 元を絶たなければ消えることはない。

 そして、その元の正体を、アレルは知っていた。

 覚悟はあった。

 いつかきっと、それは近いうちに、こんな日がくるのだろうと思っていた。

 それは先日、依頼元の教会で、あの足跡を見たときから。


 何故、それが今なのか。

 最悪で最低なシナリオに、アレルは怒気を込めて剣をなぎ払った。

 魔物の躯体とともに、視界を覆っていた火柱が裂ける。

 一瞬にして開けた視野の先に、それはあった。

 己の目で見ても尚、間違いであって欲しいと思った。

 眼前にある光景は、何かの間違いであってほしいと、願わずにはいられなかった。

 そんな望みは、現実によって痛ましくも葬り去られる。


 一人の男。

 よく見知った男の背。


 アレルの記憶の中にある、そのままの男が、そこにいた。

 意識が、絶望に押し潰されるような、そんな気持ちだった。

 男がゆっくりとアレルの方へと振り返る。


「……なんということだ」


 男が言った。聞き覚えのある声色で。


「なんでお前がここにいるんだい、アリーシャ?」


 アリーシャ――そう名を呼ばれた瞬間に、虫唾が走った。

 この男は間違いなく、アレルの父であった。


「……説明してもらおうか。この状況を」


 男の問いを無視して、アレルが吐き捨てるように言った。

 平静を保つのが、酷く困難だった。


「お前に説明したとして、分かるものかね」


 男がにやりと笑う。

 嫌悪感で、ぞわりと肌が粟立った。


「まぁ、無駄だとは思うが教えてあげよう。特別だ。この村には《柱》が存在するのだよ。このセカイを支える支柱が、ね。それを解放した……その結果がこれだ」

「……」


 やはりお前には理解し得ないだろうと男が言う。

 確かに男の言っていることは何一つ分からなかったが、アレルは一つの心当たりを思い出した。


 一年前に行った任務。

 魔物が増加した原因と思われる、遺跡の調査。その手助けをした時のこと。

 その時は未解決に終わっていた。

 男が言う《柱》とは、あの遺跡のことだろうか。

 あれから一年経って尚、進展がなかったということなのか。

 アレルは思考を打ち消すように頭を振った。

 理解し得ないものを考えている余裕はない。


「……教会の件もあんただな」

「教会? ああ、あれか。よく知っているな。あそこにも《柱》らしき存在があってね。調査をしていたんだが……邪魔が入るわ調査結果は不発だわ。散々だったよ」

「……一人の旅人の男が、死体も残さずに消えた。現場を見て、すぐにあんたが関わってる可能性を疑った。絶望したよ……あんたはあたしが殺したと思っていたのに」


 男が、鼻で笑った。


「馬鹿を言うんじゃない。あれくらいで死ぬものか」

「……さすが化け物って事か。ちゃんと、止めを刺しておけばよかったな」


 吐き捨てるように言った。

 漏れ出た言葉は、自分でも驚くほど失意に満ちていた。


「言葉を慎みなさい、アリーシャ。神に死は存在しない、ということだよ」


 懐かしいその声色の一つ一つが、アレルの神経を逆撫でする。

 もう二度と聞きたくなかった。聞くはずが無かった声。

 この手で終わらせた、そのはずだったのに――。


 彼はやはり、人間ではなかった。

 魔物だ。


 幼い自分が振りかざした小さな果物ナイフでは、いくらその肉を滅多刺しにしようとも、首を落とそうとも、この化け物を殺すことができなかった。

 魔物が持つコア。人で言うところの、心臓。

 それを傷つけることができなかった――故に。

 それ故に、男を殺すことができていなかった。


「……反吐が出る」


 耐えがたい吐き気とともに、激昂した。


「神を名乗るなんて烏滸がましい……今のお前はただの化け物だ」


 絞り出すように、言った。


「神なんかじゃない。お前は魔物だ。いや、魔物ですらないのかもしれない。魔物よりも性質たちの悪い、悪魔の権化」


 全てを吐き捨てる。かつて父に抱いていた、憧れとともに。


「お前が《失敗作》と呼んでるものと同じ。――あたしと同じ化け物なんだよ!」


 その昔、男が行っていた研究。

 人体を用いた非人道的な実験。

 男の手によって魔力を植え付けられた人間は、セカイの規律ルールに反した十字架を負い、その代償に罰を受けた。

 その身を異形へと堕とされ、強制的に与えられる人としての、死。

 魔力――神の御業と呼ばれる力。このセカイを形造る、全ての根源。

 決して人が弄んでいいものではなかった。

 人は神になれる、などという男の戯言の為に付き合わされた、何の罪もない、大勢の人たち。


 その中に――アレルもいた。


「慎みなさいと言ったはずだが?」


 男の顔が、不快に歪んだ。


「アリーシャ。私はお前とは違う。私は神に選ばれた」


 狂気に満ちた瞳が、炎に照らされてギラリと光る。


「分かるだろう? ほかの多くの人間どもが、この神の力を受け入れることができずに朽ちていった。だが私はこのとおり、人の形を保っているのだ」


 高笑いが響き渡る。


「まぁ、お前も大したものだよ。《失敗作》であるその身で、その歳まで自我を保ち生きながらえているのだから。大抵は即効に壊れてしまうものだがね……手放したのは間違いだったかな」


 是非、研究させてもらいたかった――と。

 言って、ゆっくりと首を振る。


「……だが、残念ながら、もう不可能のようだ」


 男が嘲るように笑った。


「……っ」


 限界だった。

 立つこともままならず、アレルはその場で膝からくずおれた。

 息苦しい。酸素を求めて空気を吸えば吸うほど、肺が潰れていくようだった。


「おそらく、これまでも前兆はあったのではないか? 是非、教えて頂きたいものだ……人としての自我を失っていく絶望というものを」

「ぐっ……」


 吐瀉物が飛散する。

 力が一気に抜け、そのままアレルの身体は地へと伏した。

 全身が動かない。抵抗する術を奪われて、意識が闇に呑まれ、混濁していく。


「遺跡の開放によって一時的に周辺の魔力が高まっているわけだが、お前もその影響を受けたのだ。……今、無様に暴れ狂っている魔物どもと同様にな。こんな辺鄙な村などに来さえしなかったら、もう少し生きられただろうに」


 運が悪かったな、と。男があざ笑う。


 屈辱だ。

 酷い、恥辱を受けていた。

 今すぐにでも、眼前の男を消し去ってしまいたい――それなのに。

 身体が動かない。腕はおろか、指一本すら。

 いつものように剣を持つことができたら、一瞬で叩き切ることができるのに。

 悔しい。


 ――悔しい!


 激情に、涙が溢れていた。なんと情けない姿だろう。


「ふふ、死にゆく人間の様ほど醜いものはないな」


 狂気に満ちた瞳が、アレルを冷酷に見下ろす。


「見るに堪えない、が。特別に見届けてやろう。私は、お前の、父親だからな」


 くそったれ――と、声にならない声で吐き捨てた。

 村を守れなかったどころか、全てを失ってしまった。

 ぎゅっと、目を瞑る。

 脳裏に、小さな人影がよぎった。


 ――その時。


「なっ……!?」


 男の目が、驚愕に見開かれた。

 瞬く間に血走り、血管が浮き出た眼球を、ぎょろりと動かす。

 その視線は背後へと向けられる。


「なっ……んだ……と?」


 激烈な怒りと絶望を滲ませて、男がうめき声を上げる。

 男の姿が、瞬く間に消えた。

 一瞬だった。

 それはまるで、核を破壊された魔物の最期のように。

 残ったのは、小さな人影。

 アレルが脳裏に見た、愛おしい人影。

 その手に握られた短剣は、きっと、男の背に突き刺されていたのだろう。

 そこにはただ一人、少女が立っていた。


「ちび……」


 大きく息を切らせて、全身で呼吸をしていた。

 全力で走ってきたのか。

 こんなところまで。

 部屋から出るなと、あれほど言ったのに。


「なん……で……」


 手を伸ばした――つもりだった。


 実際は、指先が僅かに動いただけだった。

 少女がアレルに駆け寄って膝を折る。短剣が、からんと音を立てて地に落ちた。

 少女の小さい手が、アレルの指先に触れた。

 触れられたという感触すら、もうアレルには分からなかった。

 気を抜けば、意識が持っていかれそうだった。


 呑まれてしまう。

 こうなることは分かっていたのに。

 分かっていたはずだったのに。

 だから、その前に。

 自分で自分の命を絶たなければいけなかった――そのはずだったのに。


 ほの暗い視界の端に、ギラリと光る刃が写った。

 喉から手が出る程、欲しいと思った。

 懸命に手を伸ばした。伸ばそうとした。

 無駄な行為だと分かっていも、それを止めるわけにはいかなかった。

 ふと、アレルの指先に触れていた少女の手に力が籠もった。

 包み込むように、アレルの手を握った。まるで彼女の行動を制止するように。

 アレルが視線を上げる。少女と目が合う。

 ふるふると、力を振り絞って、アレルが首を横に振った。


(駄目だ)


 きっと、今まで、会話をしてこなかったからだろうか。

 目を見ただけで、たったそれだけで、少女の考えていることが分かってしまった。

 やめろと、言った。

 声が出ない。唇が僅かに震えて、終わった。

 どうかやめてくれ、と。伝えたい言葉が伝わらない。

 目を、見ないで欲しかった。

 きっと今の自分は、遠い昔の、《あの日》と同じ目をしているから。

 かつてこの短剣で、旅人の男に殺して欲しいと願ったあの日と、同じ目を。

 少女の顔が苦しげに歪んでいた。なんて酷い顔だと思った。

 そんなに苦しいのなら、こんな、瀕死の人間のことなんて見捨ててしまえばいいのに。

 少女の手がアレルから離れ、短剣に触れる。


 駄目だと――そう思っているはずなのに。

 それなのに、アレルは少女の瞳から目を離すことができなかった。

 ずっと、望んでいた。

 それだけが唯一、己の力で叶えられる、最後の願いだと思っていた。

 意識が、闇に呑まれるその前。

 自分が自分でなくなってしまう、その前に。

 人のまま、人として、《あたし》という人間のまま死んでいくのだという――それだけの願い。


 ――嗚呼、叶えてくれるというのか。この少女が。


(違う……違うのに)


 この幼い手を汚してまで、叶えたいと思っているわけではない。

 そんなことは、決して願っていない。

 それなのになのに――。


 それは本当に、最後の力だった。

 両手を伸ばす。震える手で、剣を握る少女の手を、包み込む。

 小さく、温かい手だった。泣きたくなるほどに。


「ご……めん……」


 酷く掠れた声は届いただろうか。

 それは謝罪、それと――。


 ただ繰り返し、繰り返し、想い続けた。

 意識が途切れるその時まで。

 

 ごめん。

 ありがとう。


 ――ごめんなさい。

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