seconda: Episode 4

16

 ずっと、望んでいた。

 叶うことのない願いの海の中で、ただひとつ。

 それだけが、己の力で唯一、成し遂げることができたから。


 最期の瞬間まで、あたしは《あたし》のままでいるのだと――。






 その村に訪れるのは随分と久しぶりだった。

 近いうちに寄る――と、告げて離れた日からおよそ一年の月日が経っていた。


「この周辺で以前、魔物の数が増える現象が起こったんだ。今回の任務はその後の様子見。調査員の報告では最近は落ち着いてるって話なんだけど」


 半歩後ろを歩く少女に説明をしながら、アレルは目前の村を目指していた。

 以前来たときと変わらない、整備が雑な寂れたレンガ作りの街道。

 懐かしいと思える程には足が遠のいていた。


「実際に住んでる村人の話を聞きたいって理由で、わざわざあたしに声がかかったんだけど……」


 ああ、そういえば――と、補足を付け足す。


「あたし達は偶然、たまったま、近くに来たついでに立ち寄ったって設定だからな。あの村は軍の組織を毛嫌ってるんだ。だから依頼元の話は厳禁ということだ」


 まあ、お前が喋ることはないか――と、アレルは笑った。

 少女がアレルを見上げる。その愛想の欠片もない表情から感情を読み取ることはできないが、おそらく了承したという意味だろうと勝手に解釈した。

 意思疎通が出来ない状況は変わらず続いている。が、少女と行動を共にするようになってから約一年、今ではそれなりに接し方も心得ている。

 とはいえ、アレルの方から過剰に干渉することはほとんどない。

 会話が成り立たない以上、アレルがいくら話しかけたところでただの独り言で終わる。一方的なコミュニケーション――それに意味があるのかは不明だが――にはなるだろうが、そこにそれ以上の意味は存在しない。

 ただ度々、視線を感じることが多くなってきた。

 アレルは少女の視線に気付かない振りをすることもあれば、何事かと問いただすこともある。目を合わせたりもする。

 合わせたところで何が起こるということもなく、ただじっと、観察されているのだろうなとアレルは思う。

 この子どもはきっと、賢い。近くにいる人間から学びとる力を持っている。

 そしてそれを確実に吸収している節がある。

 例えば武器。手持ちの短剣を与えてからというものの、今では当たり前のように使いこなすことが出来ている。最初は握り方すら知らないはずだった。

 アレルは何も教えていない。少女自身がアレルを見て、知ったのだ。それは決して容易いことではないだろう。

 アレル自身がそうであった。誰の指導も乞えない環境で、幾度となく命を失いかけながら何年も実経験を経て今に至った。

 少女を拾った人間があたしではなかったら――そう、例えばかつて知り合った、あのお人好しの賢い学者であったなら――きっと、もっとまともな、別の生き方を選ぶことができたのかもしれない。

 ふとそんな考えがよぎって、振り払うように頭を振った。

 仮定の話は非生産的で無意味だ。


「……あれだ。見えてきた」


 見慣れた景観が視界に入り、安堵感を覚えた。まるで故郷に帰ってきたような心地だ。

 その裏で、冷え冷えとした風が胸の内に吹く。

 もしかしたら、この村に来るのはこれが最後になるかもしれない。

 訪れるたびに、そう思ってきた。

 これは仮定なんかではない。

 現実はいつだって、アレルに残酷な現状を突きつけてきた――それだとしても。

 最期まで後悔はしないと心に決めている。

 してはいけないという覚悟がある。

 それが、非情な現実に対する精一杯の抵抗であった。


 *


 久しぶりだねぇ、と女将が屈託のない笑顔でアレルを出迎えた。


「あんまり顔を見せないから何処かでくたばったのかと思ってたところさ」

「冗談じゃないや」

「あはは、でも元気そうで安心したよ」


 ふと気付いて、女将の視線が落ちた。

 突っ込まれるだろうなという予測は付いていたので、女将が口を開く前にアレルが切り出す。


「今色々あってちょっと面倒みてんの」

「あんたが子どもを!? まぁたなんでそんな……子守かい? これも傭兵の仕事だっていうの?」

「ん……まあ、そんなとこ」 


 んなわけあるかと思いつつ、これ以上詮索されても困るので適当に会話を断ち切る。

 が、アレルの思いとは裏腹に、女将はよいしょと屈み込んで少女の髪についていた埃をさっととり払った。

 警戒したのか、少女が半歩、後ずさる。


「あらあら、うちのロジェと同じくらいの歳かねぇ? まぁこんな可愛いのに質素な服なんか……あんたまともに面倒みれてんのかい」


 女将は子ども好きな性分であった。故に、予期せず訪れた少女のことが気になって仕方が無い様子だ。


「なんだかんだなんとかなってるよ。気にしないでくれ」

「まぁたそんな適当なこと言って……。あなた、お名前は?」

「……」


 相変わらず強引な人だなと苦笑しながら、アレルは少女の手を取り自身の方へと引いた。


「こいつ目茶苦茶人見知りだからさ。今は勘弁してやってよ」


 本気で戸惑っているのだろう、少女はそのままアレルの背に身を隠しながら、怪訝そうに女将を見た。

 どことなく怯えた様子の少女に、女将は残念だわ、ごめんなさいねと落胆の息を吐いたのだった。


「まぁせっかく来たんだからその辺歩いておいでよ。今ロジェを買い出しに行かせてるんだ。どっかにいるんじゃないかね」

「うん、そうするよ」


 そもそも視察する予定だったのだからちょうど良いと、アレルは慣れた足取りで村の中心部へと向かった。

 その後を少女が追う。


「……この村は余所者には優しいんだが、誰に対してもやたら馴れ馴れしいのが良いところであり、困ったところでもあるんだよな」


 ふと振り返ってみれば、女将がにこやかな笑みで手を振っていた。

 少女に向けてのものだろう。


「村中みんなあんな感じなんだよな。あたしは構わないけど、お前にとっちゃとんだ迷惑だな」

「……」

「ま、できる限りは助けてやるから」


 後を付いてくる少女とアレルの距離がいつもよりも近く感じるのは、きっと気のせいでは無いだろう。


 *


「あ! アレルじゃねーか!」


 よく知った声が耳に届く。

 元気なのは変わりないなと思いながら、アレルはその声に応えた。


「ロジェ」

「なんだよぉ! くたばってなかったのか!」


 先ほど聞いた物騒な台詞をそのまま繰り返される。さすが親子だなと笑いながら、アレルは前方から駆け寄ってくる少年――ロジェを迎えた。


「ちょうどいいところに来たな! これを見てくれ!」


 じゃじゃんっ、と声で効果音を付けて、ロジェがアレルに一冊の本を差し出した。


「随分唐突だな……今度は何だよ。まぁた怪しいやつか」

「怪しくなんかねぇよ! これは絵本ってやつだ!」


 ぺらぺらと捲ってみれば、各頁に色とりどりの絵が描かれていた。

 絵を主体にした本――なるほど、まさに名の通り『絵本』だ。


「これならアレルにも読めるだろうなぁと思ってたところだったんだ」

「まぁ……」


 ぽつりぽつりと文字らしきものも書かれているが、圧倒的に絵による情報量の方が多い。

 これならば確かに、文字が読めないアレルにも大まかな内容は理解できるだろう――が。


「本来はガキ向けの本なんだけどな!」

「……お前絶対あたしのこと馬鹿にしてるよな」

「人聞きが悪いぜ! おれはお前に……ええと、なんだっけ……きょーよー? だったか、何かそういうものをだなぁ」

「教養を語るならちゃんと言葉の意味を理解してからにしてくれ」

「お前に言われたくねぇや!」


 はは、とロジェが彼の母親によく似た屈託の無い笑顔で笑った。


「この本お前にやるよ! おれはもう完全に読み切って理解してるからな。お前も本くらい読めよ!」

「余計なお世話だって。荷物になるしいらないよ」

「ちぇ。人がせっかく親切にしてやってるのにな!」


 一年ぶりだというのにまるで昨日も会っていたかのような気安さは、やはりアレルにとって心地よいものに感じられた。

 この村を故郷のように思えるのは、きっと、ロジェや女将達のような村人のほがらかさのおかげなのだろう。

 それは根城を持たないアレルにとって、救いにも似た環境であった。

 ――しかし。


「……誰だ? お前、見ない顔だな!」


 アレルの陰に潜んでいた少女の存在に気付き、ロジェが声を上げた。


「……」


 アレルの背後でじっと息を潜める少女。その面持ちには、強い警戒心と、若干の不快感が滲んでいた。先ほどの女将の件もあるからだろう。

 そんな少女の様子を気にとめることなく、ロジェはじっと少女を見つめた。

 この村には余所者の旅人が足を休める為に度々訪れはするが、同じ年頃の子どもともなればきっと珍しいことなのだろう。

 人見知りなど微塵もせず、いくらでも初対面の人間の懐に飛び込むことができるロジェが興味を抱くのも当然のことだ。


「そんな風に女の子をまじまじと見るもんじゃないぞ。失礼なやつだな」

「わっ、悪ぃ!」


 ハッと我に返り、ロジェが飛び退いた。


「……まぁ見ての通り反応が薄いけど、別に悪い奴じゃないから気を悪くしないでくれ。せっかく久しぶりに来たんだし、しばらく一緒に世話になるな」

「お、おう! よろしくな!」


 元気よくそう答えると、ロジェは再び持っていた絵本を差し出した。

 今度はアレルでは無く、少女に。


「お前にやるよ! アレルはいらねぇっつうからな。これ読めるようになったらアレルより凄くなれるんだぜ!」

「おいおい……」


 呆れるアレルの傍らで、ロジェは半ば強引に少女に本を押しつけた。


「アレル、お前も先越されたくなかったら頑張れよ!」

「興味無ぇんだよなぁ……文学とやらはさ」


 不可解そうに手元の本を見つめる少女。宥めるように、アレルは少女の頭をぐしぐしと撫でた。

 きっと少女にとって、このようは触れ合いは不慣れ――もしくは初めての経験――なのだろう。

 最初は戸惑うだろうし、嫌な思いもする。

 しかし、これが良い刺激になればいいと、アレルは思った。


「あっ。そうだ、今シェンナとさ、母ちゃんに頼まれた買い物してたところだったんだよ。あっちにいるから一緒に行こうぜ!」


 いけね、とロジェは賑わう広場の方を指さした。

 シェンナとも久しぶりだな、とアレルは一年前の出来事を思い出した。

 いじめっ子の大将とは仲良くなれたのだろうか――と、話の種を考える。


「ああ――」


 ――行こうか。と。

 そう言いかけた時だった。


「――!?」


 心臓が、どくり、と大きく蠢めいた。

 視界が回転する。

 倒れそうになる身体を、咄嗟に両足に力を込めて支えた。

 頭に激痛が走る。

 脳の血管が一気に破裂してしまうかのような、酷くおぞましい感覚。

 脂汗が全身から吹き出していた。


「アレル……?」


 ロジェが怪訝そうにアレルの顔をのぞき込んだ。


「おい、アレルってば」

「……いや、悪いロジェ、最近働き詰めでどうやら疲れているらしい。今日はもう宿に行きたい」


 ロジェが驚いて目を丸くした。


「まじか。そりゃ大変だ。じゃあまたうちにこいよ! 母ちゃんもきっとその気だし!」


 いつも悪いな、とアレルが詫びる。

 こっちこっちと足早に先導するロジェの背が、やたら暗く見えた。

 狭窄する視界。尋常ではない動悸。

 胸の内を込み上げる不快感を無理矢理呑み込んで、アレルはロジェの後を重い足取りで追った。


「あ、ぼーっと突っ立ってないでお前もこいよ! うちは寝床だけなら沢山あっから!」


 そのロジェの言葉は、少女に向けられた。

 ロジェを追うアレルの背。

 それを見据える少女の面持ちが、僅かに陰っていた。

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