seconda: Episode 3.5

15

 それは、星の綺麗な夜だった――。






 漆黒の闇が空を覆っていた。

 冷え切った空気が肌をそっと撫でる。

 吐く息がうっすらと白い。

 時間が経つにつれて下がる気温がアレルを憂鬱にさせた。

 耐えがたい肌寒さに、頭から羽織を被る。

 ふと傍らの少女を見遣れば、普段と変わらぬ冷めた顔。


「お前寒くないの?」


 そう問うも、相棒は無表情にアレルを一瞥しただけだった。


「……朝起きたら凍死してましたとか冗談じゃ無いからな」

「……」


 どうやら本当に大丈夫らしい。

 チビで、華奢で、肉もまともについてないような貧弱な身体をしているくせに、何故平気な顔をしていられるのかと不思議だった。


「あたしが育った場所はあまり気候の変化がなくてさ。ラストスも、季節によるけど似たようなもんだろ? だから暑いのも寒いのも苦手なんだよ。……お前はきっと、北の生まれなんだろうな」


 知らないけどな、とアレルは己の独り言が馬鹿らしくて苦笑した。

 そこは大陸の遙か北方に位置する場所だった。

 依頼で訪れたそこは、アレルが初めて行く大地だった。


「調査が終わるまで一晩かかるそうだ。夜明けまでここで待機だと」


 大木の根元にある浅い洞穴に、二人は身を潜めていた。

 野営のための寝床にするには些か――いや、かなり――頼りない洞穴だったが、如何せん他に最適な場所が無い。

 風よけになるというだけでもましと思うべきなのだろう。


「楽な仕事だと思ったけどこうも寒いとなぁ……」


 依頼されたのは軍の調査員の護衛。ラストスを立ってから目的地、そして帰りまでの道中を調査員と行動をともにすればよいだけの単純なものだった。

 目的地までは随分と距離があった。馬車を使って移動すること五日。そこからひたすら歩いて約三日。

 そしてようやく辿り着いたのは、人気ひとけが皆無な無人の荒野。


「季節によっては雪というものが降るらしい。雪ってのは氷なんだと。氷が空から降ってくるってどういうことなんだろうな。怖くない?」


 体験したことの無い自然現象に興味を抱くも、これ以上寒くなるのは御免だなとも思う。

 腹ごしらえに支給された果実を囓ると、余計に身体が冷えた。


「ほら、食っとけ。帰りも道のりは長いんだから」


 そう言って、少女に赤い果実を手渡す。


「ちゃんと、食えよ」


 しつこくアレルが念を押す。


「……」


 しばらくして観念したのか、少女が気乗りしない様子で一口囓った。

 生き物である以上、空腹にならないはずがない――のだが、何故か少女はいつもアレルが口を出すまで何も食べようとしない。

 基本的に手のかからない子どもであるが、この件に関してだけはアレルも頭を悩ませていた。

 食欲とは生きるための欲求だ。それが欠けているということは致命的なことだ。

 どうしたものかと思案しながら、大木の壁に背を預ける。

 ふと、眼前の空を見上げた。

 星が異様に眩しい。空気が澄んでいるせいだろうか。


「……なあ、ちび。こんな話を知ってるか?」


 ぼんやりと、夜空を見上げながらふと思い出して言った。


「精霊様がセカイを造ったって話。ただの御伽話だけどな。あの話以外にも、世の中にはいろんな神話や逸話、迷信、信仰がある。そして、それら全ての元になってるのが、頭上にあるあれだ」


 徐に指を指す。

 遙か上空の彼方。

 今にも掴めそうなほど近く、しかし気が遠くなるほど遠い煌めき。


「空は常に動いている。雲も星も、陽も月も。ただ、あれだけは唯一、動かない。いつだってあの北の空にある。だから、あれは《軸》なんだ」


 闇夜の海の中に無数に散らばる、砕いた宝石の欠片のような星々。

 その中で一際まばゆく輝く、一等星。

 ラストスのような、夜でも町中に光が絶えない場所にいる時はさほど目立ちはしないのだが、今ははっきりと視認することが出来た。


「あれがこのセカイの基軸――万物を統べる、《マイスティア》」


 基軸。中心。核。心臓部。

 呼び方は多々あるが、意味するものは全て同じ。

 たかが、たった一つの星に随分と規模の大きい話を押しつけたものだとアレルは思う。


 ただ実際、北の方角に魔力の強大な力場が存在すること。その力場が何故存在するのかが不明であること。その場所があの星の方角とほぼ一致するらしいということ。

 ――そして、ありとあらゆる学者、研究者が、その関連性に裏付けを得ようと試みるも未だ確実な成果が出ていないということ。

 それらがその星――そもそも星なのかどうかも不明な存在――に超自然的な印象を与えていることは事実であった。

 とどのつまり、真相が何も解明されていない故に、神話という名のお伽噺に対して否定も肯定も出来ないということだ。


「一説によれば、あの星に願い事をすれば精霊様が叶えて下さるそうだ。子どもがやる幼稚な願掛けだけどな。……でも、こんなによく見える場所ならさ、もしかしたら、本当に叶えて貰えるんじゃないか?」


 戯言であるという自覚はあった。

 ただ、本当にそうであるならいいのに、と思った


 叶う願いなど、持ち合わせてはいないけれど。

 ――ただ、ひとつを除いては。


 いつの間にか、少女も空を見上げていた。

 何か思うことでもあったのだろうか。

 アレルも、改めて天を仰いだ。


 今まで見てきた景色の中で、一番綺麗な星空だった――。

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