14
月の光が差し込む祭壇。
無機質な光が、ステンドグラスを通して色鮮やかに辺りを照らしていた。
とても神秘的で、幻想的な光景だった。
「悪かったな、怪我させて」
沈んだ声色で、アレルがぼそりと呟くように言った。
少女の腕には白い包帯が巻かれている。怪我は幸い浅いものであった。
以前にも似たような光景を見たなと、苦笑する。ここ最近はどうも気が抜けているらしい。自覚して、アレルは嫌な雑念を振り払うように
「でも助かった。初めてにしちゃセンス大有りだよ」
一瞬にして魔物が消えた――それは、的確に敵の急所を突いたということだ。
本来ならば、子どもができる業ではない。
昔の自分を思い出す。
剣柄の握り方さえ知らなかった。
恐ろしくて、手は愚か、全身が震えていた。
本当に臆病な子どもだった。
「お前を連れ回している理由は、なんとなく昔のあたしと重なるところがあるからだった。でも最近は、たぶん違うんだろうなと感じることがある。お前はやっぱり、あたしとは、違うんだろうな」
祭壇の奥。聖櫃に灯された炎が風も無いのにゆらりと揺れる。
まるで心の奥に生まれた嫉妬心を見透かされているようだった。
「……そういえば、話が途切れてたな。消えた男の話だったか」
残された血痕。消えた男の存在。そこに残された、人間のものらしき複数の足跡。
「たぶん、あれ、あたしには分かる」
「……」
少女はじっと、アレルを見上げた。
「似たような事象を知っている。見たことがあるんだ。……あたしがまだ、なんの力もなかった頃の、昔の話だけど」
ありとあらゆる鎖で雁字搦めにして、心の奥深くに、二度と浮かび出ないようにと無理矢理押し込めていた記憶の箱。
もう二度と開けることは無いと思っていた、箱の蓋。
押し込めてから時間が経ちすぎて、中身はきっとどろどろに腐りきって、異臭を放っているだろう。
吐き気を覚えた。
この蓋を開けることは事件の答えだけでなく、かつて己が犯した《罪》まで露わにするということになってしまう。
今いる場所が教会の聖堂だなんて、なんて皮肉で、お誂え向きなのだろう。
これも、精霊様のお導きというものなのか。
「神が全てを許すように、汝、隣人を許せ――
懺悔になるのだろうか。
これが、人生で、最初で最後の告解。
「ちび……お前、人を殺したことがあるか?」
アレルの視線が宙を泳いだ。
見つめる虚空の先には、非情な憧憬が映る。
「あたしは、ある」
生涯で最初に握った凶器は、子どもでも容易く持てる小さな果物ナイフだった。
かつて母親が果実の皮を剥くために使っていた、何の変哲もないナイフだ。
「実の父親を刺した。ゴミ捨て場みたいな環境から自由になりたかったから」
その当時、父親だと思っていた人は、いつの間にか心が壊れた、人では無い何かへと変貌していた。
彼は、魔力を利用した何かの実験をしていたようだった。アレルに詳しいことは分からなかったが、最初の実験体――犠牲者は母親だった。
父親にとって自分はもはや血の繋がった娘ではなかった。
ただ彼にとって都合の良い、モルモットになっていた。
父が父でなくなり、母がいなくなってからの生活はただただ悲惨なものであった。
それは絶望の淵にいた時。
ふと、視界の端に映ったナイフの刃が、幼い少女の衝動を煽るように鈍い光を帯びた。
母の穏やかで優しい笑顔を思い出し、同時に気が狂ってしまいそうなほどの激烈な怒りに、心が呑まれた。
眼前に父親の背。
今しか無いと思った。
この方法でしか、自由になることが出来ない、と。
選択肢が他になかったのだ。
逃げることが出来なかった。逃げられないのなら、この手で断ち切るしかない。
ナイフを握る。その両手に、全身の力を込める。
恐怖に震える身体を必死に抑え込んだ。
――やらなきゃ。
振りかざした刃を、止めるものはいなかった。
今でも尚、鮮明に覚えている。
無機質な金属が人間の――否、人間だったものの肉を突き刺し、抉る感覚を。
一度、刺してしまえば、躊躇いは消え去った。
その後は何度も何度も、幾度となく刃を立てた。
生臭い血と内蔵の強烈な悪臭にむせかえりながら、必死に刺し続けた。
かつて人の形をしていたものはもはや原形を留めない程に崩れ落ち、気付けばただの細切れの肉塊になっていた。
握っていたナイフの刃は、いつのまにか根元から刃が折れていた。
「実験によって魔物化した人間は《失敗作》と呼ばれていた。そして消されるんだ。何度もその光景を目の前で見てきた」
それと同じだ。
旅人の男は魔物になったのだ。
――された、といったほうが正しいかもしれない。
何らかの理由で訪れた招かれざる客――他にその場にいたであろう、一人、もしくは複数人の何者かの手によって。
そして消されてしまった。
魔物は死体を残さない――だからこそ、男の死体も残っていない、きっとそういうことなのだろう。
手の平を見た。
時が経ち、それでも尚、父親の血がこびり付いている錯覚に陥る。
一生拭うことはできないのだと、絶望する。
もし本当に、精霊様が全てを許し、救い下さる存在であるならば。
――人と、魔物が《同じ存在》であるならば。
もう《人》ではない、あたしの、この罪すらも、許されるというのだろうか――。
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