13

 そこは教会のすぐ裏手だった。

 無残に倒壊している納屋は、おそらく簡素な作りのものであっただろうが、しかし相当な災害が起こらない限りはここまで壊れたりしないだろう。

 こんな近距離でこんな惨状が起こったというのなら、修道女シスターはさぞ怖い思いをしただろうと察する。


「野生の熊の仕業ってわけでもなさそうだなぁ」


 強烈な魔力の残り香を感じた。

 人や獣のものでは無い、魔物独特の質の悪い魔力だ。


「血痕……か」


 無造作に瓦礫を漁っていると、一部にまるでペンキをぶちまけたような赤黒い跡が広がっていた。

 鼻を突く錆に似た臭い。

 酷く嗅ぎなれたそれは、紛れもなく血液の乾いたものだった。

 おそらく、旅人の男のものなのだろう。魔物は血すら残すことはない。

 しかし、ここにあるのは血痕のみ。修道女シスターの言うとおり、死体は見当たらない。

 それは見るからに異様な状況であった。


「……」


 一通り現場を確認して、アレルは背後の少女を見遣る。


「……あたしには細かいことは分からん。それはラスティアードの連中に任せるとして、とりあえず数日様子をみようか」


 少女はアレルの言葉を聞いて、じっと血痕の染みを見下ろした。

 何か気付くものがあったのかもしれない――が。

 それをアレルが知る由は無かった。


 *


 夜も更けた時のことだった。

 簡素な寝台ベッドを横目に、アレルは窓際に立って、外を眺めていた。


「眠かったら寝ていいからな」


 そうアレルが言うも、少女は向かいの椅子に腰をかけたまま微動だにしなかった。

 やはり屋外でないと眠れない性質たちなのだろうか。

 それはそれで構わないのだ、が。


「魔力の残滓がやたら凄いんだよな。魔物は魔力に寄ってくる性質があるから、これが残ってるうちはこの場所はいつ魔物に襲われてもおかしくないわけだ」


 流石にそんな状況で、外に出ることを許可するわけにはいかなかった。

 ましてや屋外で寝るなどとんでもない話だ。

 少女もそれを理解しているのだろう。アレルと同様、じっと窓の外を見ていた。

 そもそも根本的な事案の原因も不明なのだ、いつ何が起こるか分からない。

 しばらくまともに眠れそうにないなと、ほぼ確定されている寝不足にうんざりしながら、アレルは再び窓へと視線を移した。


 ――不明。


 果たしてそうなのだろうか。

 アレルの胸中には一抹の不安が過ぎっていた。

 不可解な状況であると両手を挙げながら、本当は、ただ一つ、考えられる原因があるだろうと。

 自分は知っているのではないか。

 それを考えたくなくて、分からない、知らない、という振りをしているのではないだろうか。


「――なぁ、ちび」


 ぼそりと、アレルが呟くように言った。


「あの壊れた納屋を見て、何か分かるものはあったか」

「……」


 少女は視線をアレルへと移した。


「きっと、当時は夜露で地面が泥濘んでいたんだろう。時間が経って判別しにくくはなっていたが……あそこには確かに、人の足跡が残っていた」


 旅人の男が外に出たという。故に、それはおかしいことではなかった。

 ――だが。


「二人……いや、三人かもしれない。少なくともそれだけの、別々の人間のものらしき足跡が、あの場所に残っていた。……これがどういうことか分かるか」


 別に答えを期待しているわけではない。

 返事がないということは分かっている。

 問いかけているとみせかけた、これはアレルの独り言だった。

 少女はじっとアレルを見たまま、耳を傾けた。

 アレルは言葉を紡ぎながら、自身の考えを整理する。

 過去の記憶をたぐり寄せながら、此度起こった事件との整合を取る。

 アレルは知っていた。

 実際に見たことがあった。それは幾度となく、目を背けたくてもそれを許されずに、ただ見ることを強いられていた。


「残っていた魔物の魔力の残滓。……もし、その魔物の出現が、人為的に行われていたとしたら……もしかしたら、旅人の男は……」


 一つの結論を出そうとした、その刹那。


「……タイミングがいいな」


 軽く舌打ちをする。

 素早く、傍らに立てかけていた長剣を手に取った。


「お前はここでじっとしてろよ」


 そう少女へ言い残して、勢いよく窓から外へと飛び降りた。

 そのまま裏手へと駆けていく。

 ほどなくして、目的のものを見つけた。夜の暗闇に包まれた、ひとつの影。

 夜目で視界の悪い中、月の光を頼りにその動きを追う。

 蠢く影はさほど大きさは無い。目算で人の子の頭三つ分、というところだろうか。

 今まで相手にしてきた一般的な魔物と比べても格段に小さい。

 魔物にも大人子どもという区別があるのだろうかと、疑問に思う。

 そもそも成長という概念自体があるのかも不明であったが。

 さっさと片を付けるか、と鞘から刀身を抜いた。

 ふと、修道女シスターの言っていたことが脳裏を過ぎる。


 ――それは先ほどの、夕刻だった。


 *


 教会の身廊から祭壇をぼんやりと見ていた。

 ステンドグラスから透ける夕日がやたら眩しく感じた。


「ここって信者あんたらにとってはいわゆる《神聖な場所》ってやつなんだろ? よく旅人なんかを受け入れてるみたいだけど、おいそれとあたし達みたいな信者でもない部外者を入れていいわけ?」


 振り向かないまま、背後の修道女シスターに問いかけた。


「人の子とは即ち、一抹の例外もなく精霊様の御子でございます。それが何故、部外者でありえましょうか」

「……懐が広いことで」


 都合の良い信仰だなと思った。

 精霊様とは、このセカイの創世神――いわゆる神様というものである。

 アレルが持つ知識は一般認識の範疇に過ぎないが、修道女シスターが抱いている概念とは、さほどかけ離れていないだろう。

 神を信仰するという行為は極めて自然なことだと、アレルは思っている。

 誰であれ、心の拠り所というものはあるものだ。

 しかし、その神様に対する解釈は十人十色、全てを救うと信じる教えがあれば、信仰者のみに与えられる権利であるという教えも存在する。

 何が正しい――というものも存在しない。

 そのところは、あくまでも人の手が作り出した空想の産物に過ぎないのだ。


「全てを漏らさず、数多を見守り下さる、それが精霊様の御意志なのであります」

「それはありがたいな」


 妄信は、時に猛毒となるだろう。

 しかし、修道女シスターが抱く信仰は毒にあらず、誰かの――たとえば、癒やしを求めて教会に立ち寄る旅人達の――救いになりえる慈愛であってくれたら、そう思った。


「……そういえば」


 修道女シスターが、言い辛そうに口を開いた。


「貴女方は、魔物の駆逐を糧に生活をされているとお聞きしました」

「そうだけど」


 躊躇の色を滲ませながら、修道女シスターが言う。


「魔物――精霊様の信仰者は神子かみこと呼んでおりますが……我々は何人たりとも殺生を禁じられている身であるのです……」


「あたしは無宗教だけどね」

「構いません。信仰の自由はいついかなる時も平等に存在し、罪に問われることはないのです。しかし……」


 アレルがこの場にいるのは、いつ襲い来るか分からない魔物からこの教会を保護するためである。であるならば、もし魔物が現れたなら、アレルはそれを切り捨てなければいけない。

 場所が場所だけに、遣りづらいなと思った。


「じゃあ見なかったことにしておいてよ」

「そのつもりでございます。ただ――果たして、それは許されることなのでしょうか」


 そんなもん知るか――と、アレルは笑って一蹴した。


「だいたい殺生が云々ていう話はともかく、魔物あっちが勝手に襲ってくるのが悪いんだろ? こちらはただ身を守りたいだけだ」

「それは、そうなのですが」


 修道女シスターは一息ついて言った。


「魔物……いえ、神子が、魔力に引き寄せられるという話は知っています。それ故に人をも襲うと。しかし、我々の教えでは、そうではないのです」

「……?」


 訝しげに、アレルが首をかしげた。


「我々人間が果実をぎ、獣を狩り、肉を食むように。神子もまた、魔力を食むのです。彼のもの達は決して人を襲おうとする意思があるわけではありません。ただ、魔力を食らいたいがための行為に過ぎません」

「……」

「それは人と同じです。我々の教えでは、神子も人も獣も、同じ存在であると認識しています」


 息を呑んで、アレルが振り向いた。


「全て救い、全てを導く、精霊様が造りし創世の光――セカイの基軸《指針の星マイスティア》。それは、全ての命あるものの頭上に輝いています」


 ――それなのに何故、魔物だけが忌み嫌われなければならないのでしょうか。


 その時の修道女シスターは、酷く寂しげな顔をしていた。

 それがいつまでも脳裏にこびりついて、離れなかった。


 *


 だからなんだというのだろう――そう言ってしまえばそれまでの話だった。

 人間と魔物が同じだろうが、異なろうが、関係ない。

 生きるか死ぬか、殺す、殺されるかの問題なのだ。

 ――しかし。


 刀身を抜いたアレルの手が止まった。

 蠢く小さな影はアレルの存在を察知する。

 そして喉の渇きに狂い、本能のままに水を求める獣のごとく、襲いかかる。

 それは目に捕らえるのが困難なほど、速かった。

 一瞬にして視界を覆い尽くす影に、アレルはただ、立ち竦んだ。

 手が、動かなかった。

 腕を振り上げ、目の前の脅威を力のままに叩き切れば、それで終わる。

 魔物が消えて、それで終わる――それなのに。

 しかし。

 そう、例えば。

 修道女シスターの言う精霊様が全ての救いになる存在というのならば。

 この絶望的な状況からも、救われるのだろうか。


 ――このあたしが、救われるというのだろうか。

 ――己と《同じ存在》である、この、影とともに。

 

 刹那、視界が開けた。

 霧散するように、影が散った。

 再び眼前に射す、月光。

 照らされる、小さな人影。


「ちび……!?」


 少女の手に握られた短剣。鞘は抜かれていた。

 手入れがされた刃が、ギラリと光る。

 助けられたというだろうか――この子どもに。


(たった一瞬で……?)


 更に、先ほどまで周囲を満たしていた魔力の残滓すら、今は残っていない。

 何が起こったのか理解出来ず、頭の中が真っ白になる。

 アレルはただ、呆然と傍らに立つ少女を見上げることしか出来なかった。


「お前……いったい……」


 驚愕に息を呑むアレルをよそに、少女は己の手に握られた短剣、そして腕から滴る赤い血を、ただじっと見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る