4
「いいか、分かったな」
「ちぇ」
あとで注意しておく――などと言った手前、忘れたふりをするのも憚れたからだ。
思春期の複雑な感情などアレルには到底理解できなかったが、とりあえずいけないと言うことは注意しておかなければならないだろう。なにがどうあれ、女の子を苛める男など最低極まりないのだ。
しかしひとつ、アレルには不服に思うことがあった。
(これは親や村の大人達の役目なのではないか……?)
どことなく不意に落ちない展開に疑問が湧くも、今日は致し方ないとあきらめる。
渋々といった様子だがアレルの話をおとなしく聞いた少年は、重い足取りで家へと戻っていった。
意外にも反抗がなかったのは、少年も自分が悪いという自覚があったからだろう。これなら大丈夫とアレルは確信してほっと安堵した。
「好きな子ほどいじめたくなる、という年頃なのかな?」
不意に声をかけられる。
「……盗み聞きとは随分悪い趣味してんな、学者様」
「あはは、たまたま通りすがっただけだよ」
人聞きが悪いなぁとティアが笑った。
「いや、もうラストスに帰ろうと思ってね。一言お礼が言いたくて君を探してたんだ」
ティアはすでに身支度を済ませている容相だった。このまま村を出て行くつもりなのだろう。
「……怪我は?」
「大したことないよ」
羽織っている外套で隠しているが、彼の腕には決して軽傷とは呼べない傷がある。応急手当はしてあるものの、早めに医者に診せるのが賢明だろう。
「君がいてくれて助かったよ。そこら辺の魔物くらいなら俺でもいなせるけど、さすがにあの規模は……」
想定外だった、とティアが苦笑した。
「礼なんていらないよ」
アレルが吐き捨てるように言った。
「あんたが怪我したのはあたしの反応が遅れたからだ。ロジェのことも危険にさらした」
自分の責任で面倒をみる――などと大口を叩いておいてこの様だ。礼など言われる立場にない。
「い、いや、君のせいじゃないと思うし、気に病まないでほしい。それにロジェ君があの時逃げてあの場から離れてくれたおかげで石碑は壊されずに済んだんだから」
結果オーライというやつだよね、と嫌みのない笑顔で言う。
とことん人が良い性格をしているようだ。
巨大な組織の中枢に身を置いている人間とは到底思えず、変わった男だなと思う。
「それに凄いものも見せてもらったしね」
興奮した様子でティアが言った。
「君が魔物を倒す様は実に鮮やかだった。あの巨体の
「……やめてよ、そんな大げさな」
露骨な賞賛を受け、照れを通り越して恥ずかしさがこみ上げる。
紅潮する顔を誤魔化すように、アレルは咄嗟に口元を手で覆う。
「こっちはそれが生業なんだ。慣れだよ、慣れ。長年やってれば
「へえ」
感嘆の息を漏らすティア。アレルは困惑したように眼を泳がせた。この手の話はあまり追求されたくなかった。
「と、ところで、魔物が増えた件は解決できたのか?」
話題を転換する。
「ああ、それなんだけどね……」
ティアが小さく首を振る。その様子から、良い結果は得られなかったことを察する。
「見当違いだったってこと?」
「いや、そうとも言えない……というか、なんて言えばいいのか……」
煮え切らないティアの答えにアレルは眉を顰める。
「手元の報告書と比べると石碑自体に変わったところはなかったんだけど、周りに奇妙な術式が残っていてね」
「……それが原因?」
「それが分からないんだ」
参った、と言わんばかりにティアがため息をつく。
「法則性が謎で全く解読出来ない。誰の仕業なのかも不明だし、ぱっと見る限り害はなさそうなんだけどそれも逆に怪しい……割と最近施されたものだと思うんだけど魔物の増加報告を受けた時期と被るから関係はあるかもしれない。と思ってね、帰ってから詳しく調べてみるつもりだ」
「そっか」
全てはこれから、ということなのだろう。それならなおさら早く帰路につきたいはずだ。
「……まぁそれもあるけど、あまり歓迎されてない身だしね」
そう寂しそうに言うティアを、アレルは自業自得だと一蹴する。
「軍の名前なんて出すから」
「それはそうだけど、隠れてこそこそ動くのはやっぱり性に合わないんだ」
「くそ真面目だなぁ」
「よく言われる」
そう言って笑うティアを、アレルは怪訝に思う。この男はよく笑う。
人が良い人間だと、出会ったときから思っていた。
それはきっと、間違いないのだろう。しかし、度が過ぎれば違和感が目に付く。
こんな理不尽な状況下でも笑うのか――と。
「あんた、別にこの村に恩も義理もないんだろ? 怪我までして体張ってんのに礼の一つもないの、酷いとか思わないの?」
純粋な疑問だった。
自分だったらとっくに見捨てているだろう、そう思ったのだ。
「……ええと」
アレルの問いに、ティアはきょとんと目を丸くさせた。しばらくの沈黙のあと、ああ、と口を開く。
「俺は別に村のためにここに来たわけではないよ。もともと魔物の研究をしているんだ。ただ成果を挙げたいだけなんだよね」
出世欲ってやつだね、と変わらない笑みを浮かべて言う。
「金の為ってこと? そんな野心家には見えないけどね」
「それも何故かよく言われるなぁ」
でもさ、と続ける。
「それなりの欲がないとあの組織にはいられないよ。それこそ権力に取り憑かれて他人を陥れるような人間がたくさんいるからね」
「……まあ、確かに」
「今回だって別にただ怪我をしただけじゃない。得られたものはあったよ。例えばあの巨大な魔物。君はあれをどう思う?」
どう――と、急に話を振られても、とアレルは困惑した。
「……やたらデカくてびっくりした、としか」
率直で頭の弱い感想みたいなことしか言えなかった。が、ティアは、そう、と肯定した。
「あんな存在感のある大きさの生き物に、何故俺たちはあんな間近に接近されるまで気づけなかったんだろう? 不思議じゃない?」
つまり。
「もしかしたらあの魔物は近づいたのではなく、あの瞬間、あの場所で、生まれたんじゃないだろうか?」
一つの仮定に過ぎないけれど、と前置きをしながらも、どこか確信めいた様子でティアが言った。
「魔物の生態はほとんど解明されていないからね。こういった経験はとても貴重なんだ。だからあの瞬間に立ち会えたのはとても幸運だった。傷の痛みなんてどうでもいいと思うくらい今とても気分が良いんだよね」
「……今初めてあんたを学者だと思ったよ」
欲、といっても金ではない。知識欲、探究心、そういった類いの欲念が彼を行動に駆り立てているように思えた。
「ただの魔物マニアってことか」
「なんか誤解を受けそうな表現だなぁ」
魔物が好きというわけではないよ、と苦笑する。
「どちらかと言えば駆逐したいと思ってる……その為の研究だ。それにやっぱり、それとは別に野心めいたものもあるよ。俺はこの分野で、このセカイに未来に残るものを残したい、そう思っている」
「残る、もの?」
「そう、俺が生きた証し、みたいなもの」
「……」
ティアの瞳の中に、ギラリと光るものを見たような気がした。仮面のような笑顔の裏に隠していた刃のような、鋭利な感情だ。
「……ま、そんな俺の都合で村一つ助けることが出来るなら、それはとても喜ばしいことだよね。平和が一番だよ」
底が読めない、そんな男だと思った。
*
「えぇ! もう出てったのか!」
ティアと入れ違うように、ロジェが姿を現す。
ティアが帝国へ帰ったことを告げると、ロジェは不満げに声を上げた。
「せっかく良いこと教えてやろうと思ったのになぁ」
つまらなそうに頬を膨らませた。
何せ憧れの存在だ、もっと話をしたかったのだろう。ティアが去った村の出入り口を見つめながら、ロジェは寂しそうに、ちぇ、と呟いた。
「しゃーないか。まあ、じゃあお前でいいや。アレル」
唐突に何事かとアレルがロジェを見下ろす。
「良いこと教えてやるからフルネーム教えろ」
「はあ?」
目を丸くするアレルに、ロジェはこれだよと一冊の本を差し出した。
細かい装飾が施されたどことなく薄汚れている表紙に分厚い
「んーと、せんじゅつ……し? とかいったか? そんななんかどっかの偉い有名な人が書いた本らしいんだよ」
「……占術師?」
いわゆる、占い師だ。そんな人間が書いたというのなら、その本の中身は占いに関する事なのだろう。……が。
「母ちゃんがこの人の凄ぇファンなんだよな」
「俗っぽい趣味だな……」
あの豪快でさっぱりとした性格の女将がこんな女々しい嗜好を持っていたのが意外であった。が、何にしろアレルには興味が無いことだった。信じられるのは誰の言葉かも分からない預言より、自身が培ってきた経験と勘である。
「最近文字の勉強してんだよな、おれ。だから家にある本かたっぱしから読んでんの。で、今はこれ。結構面白いぜ!」
「……それで、なんでフルネーム?」
「それを使って占うんだよ」
「胡散臭いなぁ」
同じ名前などこの世に溢れるほどいるだろう。その全ての人間が同じ運命を辿っているとでもいうのだろうか。
当然そんなはずはない。
占術など人の心の弱みにつけ込んで支配を目論む悪徳商法だ――とは言い過ぎかもしれないが、やはり信じられないとアレルは嘆息した。
「なんだよノリが悪いな。シェンナにはすげぇウケたんだぞ」
「まあ、女の子はそういうの好きだしなぁ」
「え、お前男だったのか」
「……もういっぺん殴ってやろうか?」
低い声色で脅すと、冗談に決まってんだろと慌てて弁解する。
名前か――と、記憶の奥底に押し込めていたものをふと思い出す。
アレルにとって名前とは、鎖のようなものであった。幾重にも手足を縛り付ける、忌まわしい枷だ。
とうの昔に、断ち切って捨てた。
捨てたと思っていた。
しかし、こうも簡単に、ふとした切っ掛けで思い出してしまうのは、ただそう思い込んでいただけだったのだと思い知る。
「アリーシャ」
アレルが告げる。
「アリーシャ・オーティス。……本名だよ」
ほんの一瞬、息が詰まった。が、ロジェがそれに気づいた様子はない。
「……アレルはアレルじゃないのか。偽名ってやつか。犯罪者がよく使うやつだな……」
「馬鹿言うな!」
どこでそんな知識を仕入れてくるのか知らないが、妙な噂が立ってはたまらないとすかさず否定する。
「傭兵なんてだいたい通り名なんだよ。そういうもんだから覚えとけ」
日頃剣を振るっていればこちらにその気が無くとも自ずと敵を作る機会は多い。その為、本名を名乗らない者がいるのは事実である。
アレルにはまた、別の理由があった――が、それ以上は口を噤んだ。話さなければならない理由はない。
「で、ほら。教えたんだから結果は。というかそもそもなんの占いなんだよ」
「お、おう、ちょっと待ってろ! ええと……」
本を開いてペラペラと
「やっべー、分かんねぇ!」
「は?」
「まだ全部読めてないんだよな……難しい文字とかあってさぁ」
くっそーと悔しさをその声に滲ませながら、必死に手元の文字を追う。
「帰って女将に聞けばいいんじゃね?」
「それじゃ駄目だ。こういうのは自分で調べて解決しないと身につかないって父ちゃんが言ってた!」
単に教えるのが面倒なだけなのでは、という大人の都合が見え隠れする台詞だが、息子は素直に信じているようだ。
それとも、勉学とはそういうものなのだろうか。
アレルには学がなかった。出来ることといえば自身の名前を書くのがやっとで、文字などまともに読めやしない。
「……」
目の前の少年は聡明である、とは言い難い。どちらかと言えば単純思考で、頭を使うより拳を使う方が性に合っているだろう。
しかし――。
だって痛いのは嫌じゃん――かつて、何故学者を志すのかと問いかけた時、少年はそう答えた。
単純な彼らしい答えだった。
だが、実に平和的だ。
その答えを聞いたとき、アレルは少年を応援したいと思った。具体的に何か出来るわけではないが、夢が叶えばいいと、強く願った。
「まぁ、また近いうちに寄るからさ。そのとき教えてよ」
「おう! まかせとけよ!」
得意気に胸を叩くロジェ。その単純さを微笑ましく思い、アレルは自然と笑みをこぼす。
またこの村に来る口実を作ってしまった。
ここは存外居心地がいいのかもしれない。
つい、帰る場所が出来たような、そんな錯覚に陥る。
やんわりと、
自分の中の甘い思考を自制する。
近づき過ぎてはいけない。距離を保たねばならない。気安く情を、移してはいけない。
「今頃かーちゃん飯作ってアレルのこと待ってるぞ! はやく行こうぜ!」
「……ああ、今行く」
アレルの返答を聞いて、ロジェは踵を返して家へと駆けだした。その小さな背は、夢へと一歩ずつ、確実に未来へと歩み出しているのだろう。
太陽の逆光にアレルは瞼を細めた。
瞬間、一陣の風が吹き抜ける。
豊かな木々が、ざわめき、歌う。
「生きた証し……か」
ふと、ティアの言葉が脳裏を反芻した。
また今度。
そう言う事が出来るのは、あと何度なのだろうか――。
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