3

 初めて剣を握ったのはいつだっただろうか。

 つい最近のようで、遠い昔のことでもあった。

 幼い頃は握ることさえ困難だった剣柄が今では身体の血肉の一部であるかのように馴染んでいる。白く小さな手、華奢な腕、かつてのそれは今の自分にはない。

 生きるために得物を取り、生きたいと思うが故に目の前の障害を切り開く、その為に一切のか弱さは捨てたのだと。

 そう割り切れるようになったのは、いつの頃であっただろうか――。


「よっと」


 丹念に手入れのされた刃がギラリと陽光を反射する。風の流れを裂くように宙を舞う剣先は的確に標的の急所を捕らえた。その無駄のない所作は誰に師事したわけでもなく、自ずと身についたものだ。

 身体を貫かれた《標的》はたちまち霧散し、アレルは小さくため息をついた。


「やたら多いな。前に来たときはこんなんじゃなかったけど」


 周囲を見渡して、アレルがぼやく。


「それなんだよ! 魔物のやつら、村の方まで来やがるから最近大変なんだ」


 近くの茂みに隠れていたロジェが顔を出し、きょろきょろと辺りの様子を確認する。


「やっぱアレルは強ぇな! うちの父ちゃんも見習って欲しいぜ」

「……お前、ついてくんのはいいけど気をつけろよ。魔物に喰われても知らないからな」

「おう、まかせとけ。逃げ足には自信があるぜ!」

「逃げなくていいからあたしから離れんなよ」


 そんなアレルとロジェのやり取りを、ティアは訝しげに眺めていた。


「俺は君たちについてきて欲しいとは言ってないんだけどな……」


 目的地は村の奥部から続く小道の先にある。その道中をアレル、ティア、そしてロジェの三人が進んでいた。そしてティアはこの状況に不満があるようだった。

 面倒な男だなとアレルは思う。

 村長との交渉は思いの外円滑だった。それはアレルが条件を出したからであったが、それにティアは反発した。文句を言える立場なのかと一蹴して現在に至るが、ティアは一向に納得しない。


「あたしが監視するかわりに許可がでたんだから仕方ないだろ。巻き込まれたのはあたしの方なのに文句言われる筋合いないんですけど。護衛がついてラッキーと思っていい加減諦めてよ」

「まぁ、君はともかく――」


 ティアの視線がロジェへと落ちる。


「……こいつはあたしの責任で面倒みるから気にしないでほしい」

「そうだぜ兄ちゃん。気にすんなよ。おれのことは空気か何かだと思ってくれ!」


 お前が言うなとアレルがロジェを小突く。面倒な男がここにも一人いた。

 ティアが他人の同行を渋るのはおそらく、村の外に存在する《魔物》のせいだろう。

 魔物――とは、人や獣とは違う、異質の存在である。姿形は様々だが概ね獣に近く、大きさも個体差がある。厄介なのは野生の獣以上に凶暴性が強く、無差別に人間を襲う習性を持っているということだ。

 遙か昔、古の時代からその存在は確認されているが、生態は未だ多くの謎に包まれている。長きに渡り様々な研究や調査がされているものの思うように進展が望めていないという現状である。

 それは魔物の『死体を残さない』という特異な性質のせいだった。

 魔物は身体の内部にコアと呼ばれる器官を持ち、コアに傷を負うことによってその命を終える。その際に、肉体を跡形もなく消滅させてしまうのだ。

 有識者の考察によれば、魔物の身体はコアを媒体として魔力で構成されているのではないかと言われている。が、それ以上のデータは未だ尚はっきりとしていない。

 故に、アレルやロジェのような民間人が分かるのは、魔物の存在が人間にとって脅威である、ということだけだった。

 村は軍を排除している代わりに、魔物から村を守る為の自警団を組んでいた。そうして村の中の安全は保たれているが、当然ながら外は危険のままである。

 つまり、ティアは自身の都合で他人を危険に晒すことを懸念しているのだ。

 傭兵の自分には余計な心配だが、子どものロジェまで伴うことに反対する気持ちはアレルにも理解出来た。


「おれ外に出んの久しぶりだ。やっぱセカイは広いな!」


 ロジェがアレルと初めて出会った時、彼は魔物に襲われていた。その時も親に内緒で村から抜け出していたという前科がある。

 懲りないというか、学習をしないというか――。

 発展している市街ならともかく、草木や山しかないような辺鄙な田舎の外の何が面白いのかアレルには分からなかったが、一度痛い目にあっても屈しない子どもの好奇心とは恐ろしいものだ。

 呆れつつも、アレルはロジェを責める気にはなれなかった。

 今回ロジェがついて行きたいと言い出したことには、彼なりの理由がある。

 ロジェにはアレルにはない、とある未来への志を持っていたのだ。


「安心しろよな、兄ちゃん。おれは村の皆と違って帝国や軍には理解がある!」

「……え?」

「なんたっておれの夢は兄ちゃんみたいな軍の学者になることなんだ!」


 ロジェの言葉に、ティアは意外とばかりに目を丸くした。あの両親の軍への敵意を一身に受けたばかりなのだから驚くのも当然だろう。


「軍の学者の実物に会える機会なんて、あんな村にいたら滅多にないんだ。こんなチャンス逃すわけにはいかないぜ! 兄ちゃんはおれの夢なんだよ!」


 期待と好奇心で満ち溢れた瞳がらんらんと輝いている。子どもの純粋な好意に触れ、ティアは言葉をつまらせた。


「ということだからさ、今日は特別に許してやってくんない? 子どもの夢を応援してやるのも大人の役目でしょ」

「うーん……仕方ないなぁ」


 やりぃ、とロジェが声を上げる。


「代わりに一つだけ約束してほしい」


 ティアが真面目に切り出す。


「今日のことは一切他言してはいけないよ。本来、規律で俺の業務に関わる為には条件があるんだけれど君はそれを満たしていない。傭兵のアレルはともかく、ロジェ、君のことが軍の上層部に漏れたら完全にアウトだからね」

「あ、アウト? って……バレたらどうなるんだ?」

「差し当たって君の夢が叶うことはなくなるだろう。俺にだってどんな処分が下るかも分からない……最悪クビが飛ぶだろうし」

「げ……」


 ティアの脅しにロジェの顔色が変わる。


「これは遊びじゃないんだ。君を信用しているよ。分かったね?」

「お、おう!」


 まかせてくれ、と意気込むロジェを横目に、アレルがティアにだけ聞こえるように小声で訪ねた。


「……その話はマジ?」

「うーん、八割くらいは。条件があるのは本当だけどさすがにクビには……ただ始末書を書かされるのは面倒だし、そうなると彼の名前が悪い意味で記録に残っちゃうからね」

「……もっと脅した方がいいかも。あいつ口軽いから。あたしだって軍の使いで来てることは言ってないんだ。ほんと信用出来ないからな」

「不安だ……」


 二人してロジェに視線を移す。


「ん? なんだよ、二人でひそひそ話して。遺跡に行くんだろ! おれ場所知ってるから案内するぜ!」


 一本道で迷いようがないのだが、ロジェは自分の出番だとばかりに潔く歩き出した。


「あ、こら、あたしから離れんなって言っただろ!」

「お前が遅いんだよ!」


 慌ててアレルが後を追う。

 仲の良い姉弟みたいで微笑ましい、とティアは思う。

 その新緑の瞳には、憧憬にも似た憂いが帯びていた。



 *



 遺跡――と聞いて思い浮かべていたものとは異なる景色がそこにあった。ぽつんと佇む、アレルの腰の高さほどの石。石碑とでもいうのであろうか。


「これだけ? なんかもっとこう……文明を感じさせるような建物的なやつとか……」

「お前発想が陳腐だなぁ! さすが脳筋女!」


 あはは、と笑うロジェをうるさいと一喝する。


「あたしはこういうのには疎いんだ。頭でっかちなお前らと一緒にすんな!」

「……俺何も言ってないけど」


 苦笑いしながら、ティアが石碑に歩み寄る。


「これは凄いな。こんな代物がこんなところにあったとは……」


 心底驚いたと言わんばかりの、感嘆の声を上げる。

 意味が分からず、アレルが首を捻った。どう見てもただの石の塊にしか見えない。


「なにが凄いんだ? どこからどう見てもただの石じゃん」


 それはロジェも同じだったようで、アレルが思ったことをそっくりそのままティアに問いかけた。


「……さっき人のこと脳筋って言っておいて自分も分からないのかよ」

「おれはまだまだ勉強中の身だからな。仕方ない!」


 まあまあと外野の雑音を制しながら、ティアが説明する。


「遺跡って言うのは歴史の痕跡だからね、姿形に制限はないんだよ。これに至っては石碑が……というより、これにかけられてる《術式》、俗に言うところの魔法が貴重なんだ」

「歴史の痕跡……つまり、昔の魔法がかけられてる、ってこと?」

「そう」


 それは駄目だ、と一言呟いてアレルが石碑から距離を置く。興味を失った――もとより興味などなかったが、魔法、術式、それらの単語は学者の専売特許でありいくら説明されたところでアレルが理解出来るものではなかった。

 そうと分かりきっている話を聞き続けられるほどアレルは忍耐強くない。どちらかと言えば飽き性だった。


「魔法か! なんの魔法なんだ!?」


 一方、ロジェは興味津々の様子でティアの話に食いつく。


「過去の調査報告によると情報記憶系の術式だね。大昔にここで暮らしていた人たちの日記みたいなものが保存されているようだけど、なかなか膨大な量だ」

「へえ! よく分かんねぇけど凄いな!」


 なにがどう凄いのか。そもそも分からないのに何故凄いと思うのか。アレルは理解に苦しんだ。

 ロジェはおそらく何も考えていないのだろう、ただ憧れの学者様とのやり取りが楽しい、というその場のノリと雰囲気だけで会話をしている。

 ティアもそれを察しているようで、先ほどから笑いを堪えている様子だった。

 楽しそうでなにより、と思いながら、アレルは訝しげにティアに視線を移す。

 先の彼の奇妙な発言が引っかかった。


「……過去の調査って何のこと?」


 アレルの横やりに、ティアが目を丸くした。少しの間を開けて、ああ、と自身の発言を思い返す。


「この遺跡は何年か前に軍の調査が入っててね。その記録が残ってるんだよ」

「え!? まじかよ! おれ知らねぇぞ!」

「おそらく、村の許可はとってないんだろうね。気づかれないよう秘密裏にやったんだと思う」


 ティアの表情に、不快感が滲む。村の特性を知りながらも筋を通そうとした彼にとっては面白い話ではないのだろう。

 が、アレルが聞きたいのはそこではなかった。


「いや、じゃあ、あんたなんでここに来たんだ? その調査とやらはとっくの昔に終わってんだろ?」

「……」


 苦い顔をしたまま、ティアが答えた。


「さっき君たちも言っていたけど、最近魔物の数が増えただろう。村の周辺だけじゃなく、この地域一帯でその現象が確認されていてね。俺はその原因を調べているんだ」

「……その原因がこの遺跡だと?」

「俺はそうだと思っている。魔物の性質は知っているかい? あれらは魔力に引き寄せられる習性があるんだ……それを踏まえると、ここら辺ではこの遺跡以外思い当たるものがないんだよ」


 言って、ティアは石碑の表面をそっと撫でた。覆っていた土埃がさらりと落ちる。


「よ、よく分かんねぇけど、その石が悪さをしてるのか? 壊せばいいのか?」


 ロジェの問いに、ティアは首を振る。


「将来この道に進みたいなら覚えておいて欲しい。魔力の性質を学べばいずれ分かることだけど、こういった魔力を帯びた物は迂闊に刺激を加えると危険なんだ。過去にそのせいで一帯が更地になってしまった前例があるからね」

「うわ……怖っ」


 驚いて、ロジェが石碑から飛び退くように距離をとる。


「まぁ、最悪の場合の話だからそうある話ではないよ。ただ歴史的遺物を故意に破壊することは帝国の規律で罪に問われるから――」


 気をつけて欲しいな、というティアの言葉に、ロジェがこくこくと頷いた。


「そういうわけで、今からこれを調べるから少し待っていてくれるかい?」

「ああ! 魔物にはおれも困ってたんだ! 頼んだぜ兄ちゃん!」


 ティアが石碑へと向き直ると、それを見物しようとロジェも隣に屈み込む。

 出来ることは何もないと判断したアレルは、注意を周囲に向けた。自然が色濃く残る木立。日の陰りとともに木の葉が影を落としていく。

 その闇に紛れるかのように、極々微々たる気配だが、複数の魔物の存在が確認できた。

 アレルにとっては取るに足らない数だが、確かに以前来た時よりも数が増えている。

 平穏な日常を脅かされる人々にとってはたまったもんではないだろう。


「……?」


 ふいに、冷たい空気の流れを感じた。

 本能が警戒を呼び掛け、ぞわり、とした不快感が血の流れとともに全身を駆け巡る。

 何、と思う間も与えられず、静寂の均衡が破られた。


 ――――っ!?


 皮膚が波打つような強烈な悪寒を覚え、アレルが咄嗟に背後を振り返る。

 刹那。

 轟音とともに一つの大木が真っ二つに縦へと裂かれ、その間から姿を現したのは禍々しい異形の獣――魔物だった。大木の背ほどの巨体が大地を踏みしめると、辺り一帯が地震が起こったかのように揺らいだ。


「でかっ……」


 思わず絶句する。

 魔物相手に幾度となく剣を振るっているアレルでさえ、ここまで大きい個体を見るのは初めてだった。蔓のような器官を無数に絡ませた姿はまるで触手の塊のようで、生理的嫌悪感に肌が粟立つ。


「うわあああ!」


 突然のことに動転したロジェが、逃げるように駆けだした。ティアが制止するも聞かず、一心不乱に走る。


「まずい!」


 魔物の眼と思しき器官がロジェの動きを捕らえていた。勢いよく伸びた触手が、少年を叩き潰さんと振り上げられる。

 後を追ったティアが間一髪のところでロジェを抱え込む。そのまま飛び退くように脇へと避けると、真っ直ぐに振り下ろされた触手はそのまま大地を抉るように地面に叩きつけられた。

 強烈な震動と風圧に、二人は転がるように吹き飛ばされた。


「兄ちゃん!」


 ロジェがティアの腕の中から抜け出す。

 辺り一面の木々がなぎ倒された凄惨な光景に、少年は言葉を失った。


「いてて……」

「ごめん……兄ちゃん、ごめん……」


 恐怖と、混乱と、様々な負の感情に呑まれ、ぼろぼろと少年の瞳からしずくが零れる。

 宥めようと伸ばしたティアの手は、自身の鮮血で濡れていた。地に叩きつけられた際に負ったであろう傷は、肩から腕にかけて深々と皮膚を抉っている。


「……大丈夫?」


 ザン、と触手の束を切り落として、アレルが二人に駆け寄った。


「す……擦っただけだよ……ちょっと派手に」


 はは、とティアが笑う。傷と泥に塗れた姿が痛々しく、アレルが顔をしかめる。


「悪かったよ。あんまりデカいから驚いて剣を抜くのが遅れた」


 柄を握り直して、化け物と向き合う。

 アレルの敵意に反応して、触手が次々に襲いかかる。素早くそれらをかわしながらひとつひとつ切り落とし、徐々に視界を開いていく。

 狙うは一点。

 剣を握りしめたまま、力を込めて大地を蹴る。

 標的に大きさは関係ない。

 例え天まで届く巨躯であろうが、砂塵の一粒程度であろうが、やることは同じだ。

 眼前に振り下ろされた触手を力任せに叩き斬り、その勢いのまま身体ごと魔物へ突っ込んでいく。

 魔物の体内へと埋め込まれた刃は、確実に目的のものを突き抜いていた。

 コアだ。

 耳を劈く断末魔の咆哮。

 心臓部を失った魔物はどろりと、触手の先から溶けて崩れだし、地に落ちる前に粒子に変わる。

 そして、その全貌は瞬く間に霧散し、視界が晴れた。

 辺りが元の深閑を取り戻す。

 後に残ったのは凄惨になぎ倒された木々と、その中で佇むアレルの姿だった。

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