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「くっそぉ……思いっきり殴りやがって、まじで痛かったんだぞこの馬鹿力女!」
「だから悪かったって言ってんじゃん」
騒動が一段落した後、兄妹を家まで送り届ける道中、ロジェは延々と恨み言を零していた。アレルに見せつけるようにコブの出来た額を摩って見せる。
「……ちょっと力加減誤ったな」
当然だが手加減はした。普段から剣を振るっているアレルの腕が思いきり全力で力を込めていたら、今頃ロジェも少年も無事に済んでいない。が。
「ちょっとどころじゃねぇよ!」
「大声出す元気があるなら問題ないな」
「なくねー!」
そもそも一発かませと依頼してきたのはこの子どもの実の母親なのだ。力加減は反省して以後気を付けるとしても、文句があるなら自身の母親に言ってくれと不服に思う。
「母ちゃんはもっと上手く殴るんだぜ。全然痛くないんだけど何故か良い音が鳴るんだ」
「……そんなコツ知るかよ」
「母ちゃんに教えてもらえよ。おれの頭は繊細なんだ!」
「はいはい」
痛みがないから懲りないのでは――と首を捻るが、
「でもまあ、お前が来ると母ちゃんいつもご馳走作ってくれっからな。今日は特別に許してやってもいいぜ」
「そりゃありがたい」
適当に受け流していたら、勝手に機嫌を直してくれたようだ。その単純さは幼さ故か、そもそも彼の
子どもの扱いはどちらかと言えば苦手だった。経験がないからだ。兄弟もおらず、職業柄普段相手にするのは厄介な大人が多い。そういう輩は力でねじ伏せるだけでいいのだが、子ども相手ともなればそういうわけにもいかない。
ロジェにはやたら懐かれている。最初は慣れずに疎ましく思ったこともあったが、今では適度な馴れ馴れしさが心地よくも思う。
慕われているわけではないが、友人ともまた違う。しかし、悪くはない。
家族がいれば、こういう感じなのだろうか――。
「なんかお兄ちゃん偉そう」
「そうだ、おれは偉いぞ。なんたって将来は偉い人になるからな」
兄妹の笑い声が心の底で響く。
ぞわりと、忘れかけていた古傷が疼いた。
*
異変に気付いたのは兄妹の生家である酒場の前に着いた時だった。
「……?」
通常とは違う気配を感じ取る。
酒場という性質上誰が訪れていてもおかしくはないが、先客はただのお客様ではないようだ。
「お願いします。決してご迷惑はおかけしません!」
扉の奥から聞き慣れない男の声が聞こえる。
「そんなこと言われてもねぇ」
次いで、困ったような様子の女将の声。
「なんだぁ? 誰か来てんのか?」
呑気に扉の持ち手に手をかけようとしたロジェを制して、アレルはさらに聞き耳を立てる。穏便とは言えないが、争っているというような危険である様子もない。
嗚呼、これは――と、アレルは静かに扉を開いた。
からんとドアベルが小さく一鳴り。
店の奥には一人の青年と、カウンターを挟んで壮年の男女――ロジェの両親が向かい合っていた。
青年の顔に見覚えはなく、女将の困惑した表情からも
中肉中背。歳は二十前後と言うところか。長い髪をゆるく結わいているがだらしなさは感じさせず、端正な顔も相まって
軽装で帯剣はしておらず、凶器を隠し持っているという様子もないことから強盗の
だが、ひとつだけ青年の装いには問題があった。
この村は大都市と大都市を結ぶ動線上にあるため宿を求めて立ち寄る旅人は多い。故に決して閉鎖的というわけではなく、むしろ収入源としてそういった余所者を歓迎している風潮がある。
しかしそんな村でもただひとつ、頑なに出入りを拒むものがあった。
「馬鹿だなぁ」
青年が肩から羽織っているものを確認し、アレルは呆れてため息をついた。
「おおアレル、いいところにきたな!」
壮年の男が声を上げる。店の主でありロジェ兄妹の父親だ。アレルはマスターと呼んでいる。
どこがいいところなのか。どちらかといえば面倒なところ、だ。
ふと、青年と目が合う。春の新緑を思わせるような若葉色の瞳が誠実さを感じさせる。
アレルを警戒しているのか訝しげに目を細めた。唐突に現れたのだから当然なのだが、なぜ自分が怪しまれなきゃいけないのかと少しだけ不愉快に思う。
それはさておき――。
「なぁマスター、あたしこの兄ちゃんとちょっと話がしたいんだけど」
「そうか! 助かるよ!」
待ってましたとばかりにマスターが手を叩く。
「いくら言ってもね、帰ってくれないんだよこの人。ほんと迷惑な連中だよ、《軍人》っていうのはさ」
「まぁまぁ」
気が立つマスターを諫めながら、アレルは青年を一瞥して外へ出るように促す。
青年は困惑した様子だったが、一瞬何かを考えた後、アレルに従って店の外へと出た。
「ったく、どいつもこいつも」
子どもの喧嘩の仲裁をしたばかりだというのに今度は大人か、と、アレルは慣れない《仕事》に疲れを覚えた。
*
話をするならなるべく
「この村、軍人は出禁なんだよ。そんなあからさまに軍服羽織ってたら拒絶されて当然。ましてやここは帝国領だ、まさか知らなかったわけじゃないよな?」
アレルは鬱憤を晴らすかのように青年に詰め寄った。青年はきょとんと目を丸くさせる。間近で見れば思いの外とぼけた面をしているなと思った。
「知らなかったわけじゃないけど、身分は明かしておかないとと思って」
「……は?」
とぼけているのは面だけではないのかと絶句する。
「考えが甘いんだよ。話せば分かってくれるとでも思ったのか? あんた頭のいい学者様だろ、本の読み過ぎで脳みそ発酵しちゃったんじゃないの?」
ふと、青年が不思議そうに首をかしげる。
「俺は確かに軍の人間だけど、何故学者だと?」
「丸腰の軍人なんて学者か上層部の年寄りくらいだろ。この近くにある遺跡を調べにきたってところか?」
その通りだという様子で青年が肯定する。
「……君の言う通りだよ」
「この辺りで学者様の興味を引くものなんて遺跡くらいだもんなぁ」
で、とアレルは話を区切る。腹の内がむずっとする感覚を覚えたが、気付かない振りをした。
「悪いけど、今日のところは帰ってくんないかな。あたしはただの傭兵でこの村とは関係ない余所者だけど、村のみんなには世話になってる。そんな人たちから頼まれたんだ、このまま、またあんたを村に入れるわけにはいかないんだよね」
「……」
青年が難しい顔をして沈黙する。言われていることはもっともだが引き下がるわけにはいかない、そんな顔だ。おそらく遺跡に行かなければならない深い事情があるのだろう。それなら許可など取ろうとせずこっそり忍び込んで調べれば済んだ話だ。生真面目とはこういう人間のことをいうのだろう、とアレルは青年の困ったような瞳を除き見て思う。
むずむず、と堪えていた歯がゆさが全身を駆け巡る。咳払いでごまかそうとするも我慢の限界のようだ。
もう少しこの状況を楽しんでいたいと思う反面、人を騙すのはどうやら苦手なようだ、と新しい自分の内面を発見した。
「なんてな」
耐えきれず、アレルは思いっきり吹き出して笑った。
「あたし、今めっちゃ悪い奴っぽくなかった!? 一度こういうのやってみたかったんだよな!」
「……え?」
状況が飲み込めず、青年が呆気にとられる。そのとぼけたような顔さえアレルの笑いのツボを刺激した。
「ああスッキリした。正味慣れない仕事でイライラしてたんだよね。全部あんたのせいなんだから恨むなよ」
「ええ?」
戸惑う青年にアレルはいい気味だと愉悦を覚えた。
種明かしをしようか、と得意げに青年を見上げる。
「あたしは確かに傭兵だけど、野良じゃない。ちゃんと雇い主がいる。あんたと一緒だよ、学者様」
「……軍?」
そう、とアレルが続ける。
「あたしは軍に雇われている専属の傭兵。今回の仕事はとある向こう見ずなアホ学者とこの村の仲介。初めてだよこんな仕事……普段は魔物ぶった切ったり悪党とっ捕まえたりしてるだけなのにさ」
「お、俺、何も聞いてないけど……?」
「そりゃあ、あたしが依頼を受けたのがあんたが帝国を立った後だからさ。馬車で先回りしたけど結構ギリギリだったな」
「ええ……」
戸惑いを隠せない青年の顔は、アレルにとって今日一番の傑作だった。少し意地悪をしたかもしれないが、可愛い悪戯程度で済むものだろう。アレルにはこの後もうひとつ面倒な仕事が待っていた。それを思えばこれくらいの憂さ晴らしは許して欲しい。
「そんなわけだから、帝国に帰れってのは冗談だよ。村に帰ったら村長と交渉してやるからついてきな」
村長――とはロジェの祖父のことである。ロジェを魔物から助けた経緯があるアレルは特に村長と懇意にしている。それがアレルが村から歓迎されている所以であった。そして今回の仕事の依頼を受けることになった原因でもある。
軍人絶対拒絶主義の村で唯一、干渉が出来る人間がアレルだったからだ。
このセカイには大小様々な国が存在している。その中でも一際強大な力を持った国があった。東に位置するラストス帝国である。軍事力、あらゆる研究のための設備、知識量、そのどれをとっても現状敵う国は存在しない。その力は国内に止まらず、小さな国の多くは帝国の力を借りながら維持しているといっても過言ではなかった。
その強大な帝国を支えているのが国内随一の規模を誇る組織――ラスティアード統制機関。通称《軍》と呼ばれる組織である。
村は帝国領にありながら《軍》に対して否定的な姿勢をとっていた。権力が国外に及ぶということは、他国を支配しているという見方もある。そしてその状況を良しとする者もいれば、非を唱える者もいた。村は後者であった。故に、村人達は皆、軍に所属する人間を毛嫌いし、拒絶の意思をみせるのだ。
「当たり前だけど、村のみんなにはあたしが軍のお抱えだっていうのは内緒だからな。野良傭兵って言ってあるんだ」
身分は明かすべきだ――と青年は言った。それが青年にとっての誠意なのだろう。その考えを否定はしない。ただ、物事を円滑に進めるための嘘も時には必要ではないだろうか。というのが、アレルの考え方だ。
アレルが最初に村に訪れたのも、軍から魔物の討伐依頼を受けたからである。無駄な衝突を避ける為に事情は明かさずに偶然を装った。結果、手厚く持て成されるようになってしまった現状だがそのことに後ろめたい気持ちは微塵も持っていない。それが自身に与えられた仕事をこなした結果に過ぎないからだ。
「……ああ、もしかしたら君のことを知っているかもしれない」
青年が突拍子なことを言った。
「はい?」
「他部署に親しい友人がいるんだけど、彼からよく聞いていたんだ。女性で一人、熱心な傭兵がいるって。きっと君のことだろうね」
「熱心、ねぇ」
金に欲深いと馬鹿にされているようにも、純粋に感心されているようにも聞こえて複雑な心地を覚えた。
公人様の給与体系などアレルが知る由はないが、最低限の生活の保障が約束されているだろう目の前の青年とは違い、自身は所詮飼われている身。金は自身の働き次第なのだから熱心になるのも仕方ないのだ。食い扶持を得ることは戦いそのものである。欲深くなければ生きることすら難しい。が、そんなアレルの事情など青年が知るはずもなく、そもそも青年がアレルを卑しめたというわけでもない。
被害妄想も甚だしいなとアレルは自身に苦笑した。
「今回の依頼主はそのご友人様で私の担当の軍人だよ。あとで感謝しておくんだね」
「そうするよ」
今まで小難しい表情だった青年が、ようやく笑みを見せた。素性を明かしたからだろう、先ほどまでの警戒心がなくなっている。これで面倒な仕事の第一段階はクリアした。
問題は次である。
さて、どう村長を説得したもんだかな――とアレルは思案した。今まで度々魔物討伐で貢献していたのだから、軽く頼めば願い事のひとつくらい聞いてくれるだろうか。それなら楽なのだが――。
「あ、そうだ。あんたの名前きいてもいい?」
思い立って、アレルが言った。学者などとは縁遠い日常だが、いつどのような縁が役に立つとも分からない。有能な人脈はいくらあっても困らないであろう、これも処世術のひとつだ。
「あたしはアレル。さっきも言ったけど傭兵をしてる」
「ティア。ティア・アーレンハルト」
アレルが差し出した右手を、青年――ティアは快く握り返した。
(アーレンハルト……?)
どこかで聞いた名前だと記憶を辿り、アレルは身体を強張らせる。
「……あんたが?」
ティア・アーレンハルト――それは帝国内では広く知られた名前だった。
「あれ、俺を知っているの?」
「……」
狭き門であるラスティアード屈指のエリート、魔道学者と呼ばれる役職に史上最年少で成り得た男の名だ。広い組織の中でも中枢の地位にいると言われており、普通に生きていればアレルのような雑兵には縁のないはずの存在である。
マジもんの天才かよ――。
彼の、人が好さそうな風体には威厳や風格の欠片も感じず、どんなに出来た人間でも間の抜けたところがあるものなのだなと、ただただ驚嘆するばかりであった。
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