第88話 謁見
『天王との
アガートとシアンの二人とは、天法院で待ち合わせている。レーキは一人で、天法院へと向かった。
これで三度。死の王に、どんな思惑があって十年後に
今回、『呪い』を解いて貰えれば良いが、それが叶わなかったら?
思考は目まぐるしく働いているのに、気持ちは静かに
せめて、皆が寿命まで生きられるよう死の王に掛け合ってみよう。そのために、己の命を引き換えにしても構わないとすら、レーキは思う。
まだ子供のカァラと幼いレドのことは心配だ。だが、彼らを生かすためなら、今すぐに自分が死の王の国に連れて行かれても仕方がない。ラエティアには苦労をかけることになるが……それだけは気がかりで。
それでも、覚悟を決めてレーキは実習室へと向かった。
実習室では、黄色いローブを着たアガートとシアンが、すでに待っていてくれた。
「おはよーレーキ。もう祭壇は用意してあるよ」
「おはよう。昨日のうちに
「アガートも、シアンも、今日は宜しくお願いします」
部屋の真ん中には祭壇が設えられて、準備はすっかり整っていた。
「……あのさーオレ、死の王様に聞きたいことがあるんだよね」
突然、アガートがそんなことを言い出した。
「だからさ、オレが何を言っても止めないで欲しい」
「え? 一体何を聞くつもりなんですか?」
レーキは驚いて、頭の後ろで腕を組んでいるアガートを見た。
「んーその時になったら解るよ」
秘密めかしたアガートの口調に、レーキは疑問を覚えつつ、祭壇の前に
背後から咳払いと、「いいよ」の一言が聞こえてくる。レーキは大きく息を吸い込んで、十年ぶりの呪文を唱え始めた。
「では……始めます。『地の母、地の父、全ての生きとし生ける者を統べる定めの王、すべての死せる者を束ねる死人の王。地の母の眷属にして刈り取る者……』」
朗々とレーキは言葉を紡ぐ。その後を助祭の二人が追いかける。
至り来たれ、至り来たれ。
祈り呼びかける声よ、死の王の元に。我が願いを届けておくれ。愛しい人々のよろこびを、しあわせをしかるべき時まで刈り取らないで下さいと。
「『……我が呼びかけに応えられよ。至り来たれ。死を司りし天王』」
ゆっくりと、最後の言葉が唇から吐き出される。
沈黙の後に、立ち上る光の渦。死の王がやってくる、前兆。広い実習室を吹き荒れる風に、レーキは思わず
『……我を呼ぶは汝か、
死の王の姿は十年前と変わらない。年若い男の顔をして、滑らかで感情の見えない声が実習室に低く響く。
「はい。
『汝の願いは変わらぬか?』
死の王は抑揚のない声で問うて来る。
「はい。どうか、私が
『要らぬ。汝の寿命など、何の役にも立たぬ』
にべもない。レーキの覚悟をはねつけるように、死の王の声はいつにも増して平坦で色もない。
「……では、死の王様は何をお望みなのでございますか? 一体何を引き替えにお捧げいたしましたらこの『呪い』を解いていただけますのでしょうか?」
平伏したまま、レーキは死の王に訴える。
「俺っ……私はどの様な罰を受けても構いません。たとえ八つ裂きにされても構いませんから……!!」
『……汝にその覚悟があるのなら、我にも慈悲はある。汝はまだ年若い。今はその時ではない』
死の王は繰り返し、『今はその時で無い』と言う。では、その時とはいつなのか。
その時がきたら、死の王は一体なにを取り上げようと言うのか。『呪い』を解いてくれるのか。レーキは身の
「
アガートが身体を伏したまま、声を上げた。
『面を上げよ。天法士』
死の王はアガートを一瞥した。その姿が
「死の王様、偉大なる方。ご尊顔を拝する栄誉に浴します、私はアガート・アルマン。死の王様が『呪い』を賜りました、レーキの友人でございます。そして私も恐らくその『呪い』によって、寿命を刈り取られる者でございます」
アガートは顔を上げて、真っ直ぐに死の王を仰ぎ見た。
「死の王様は彼に何度も『その時で無い』と仰いました。では今がその時でないなら、それは一体いつなのでございましょう。死の王様は何を待っておいでなのでしょう。彼はいつまで『呪い』に怯えねばならないのでしょう」
淀みなく、アガートは死の王に訊ねる。これが、アガートが聞きたかったこと、なのか?
死の王は沈黙したまま、答えを返さない。
『……』
「お答えいただけませんか……それでは、別の問いを。私はいつまで生きることが出来ますでしょうか?」
アガートがレーキより先に死ぬなら。それが『呪い』なら。アガートの寿命が解ればレーキはそれより長く生きるはず。
そのために己の寿命を知ろうとするアガートを、レーキは慌てて振り返る。
『我は寿命を告げぬ。それが死の王の
「お許しくださいませ、存じ上げておりました。では、死の王様がその時をはっきりお告げにならないのは、レーキの寿命と関わりが有るからで御座いますか? 彼の寿命まで『呪い』を解くおつもりは無いと仰るので御座いますか?」
またしても、死の王の沈黙。それを肯定と受け取ってアガートは顔に喜色を滲ませた。そして、水面に輝く光の様に揺らめく死の王の姿を見つめる。レーキははらはらと、アガートを盗み見た。
『……小賢しい。不遜なる者とその友よ。汝らの命が尽きるその時に再び見えよう。それまでは我を呼び出すこと
それだけ言うと、死の王の姿は煙のように掻き消えた。
「はあ……」
溜め息をついたのは誰だったのか。三人の天法士は起き直り、互いに顔を見合わせた。
「これで、良かったのか? レーキ」
シアンが、案ずるようにレーキを見る。
「……んー。良いんじゃないかな? レーキが寿命まで生きられる事は解ったし。寿命が解らないってのは、ま、他の人とおんなじさ」
のんびりとした物言いで、アガートは言う。死の王を怒らせるのではないかと、気を揉んだレーキは、アガートをたしなめるように言った。
「でも、無茶です! 死の王様にあんな物言いを!」
「大丈夫。あの方は案外寛大なお方だよ。三回も会ってるんだもん。その位解るさ」
「三回も……こんな重圧を……」
シアンはがっくりと肩から力を抜いた。初めて『謁見の法』を行った彼は、死の王を目前とする緊張から解き放たれて、文字通り羽を伸ばす。
「死の王、『もう呼ぶな』って言ってたな。『その時』とやらが来たら迎えに来てくれるのかな? ……ってことはこの祭壇もしばらくお役御免だねー」
「……そうですね。あの様子だと『謁見の法』を行っても来ては貰えないでしょうね」
『呪い』を解いては貰えなかった。レーキは途方に暮れて、アガートを見つめる。
「ん?」
「結局『呪い』を解いて貰えませんでした……」
「んー。そうだね。でも、オレは安心したよ。レーキは寿命まで生きられる。それがいつになるのかは解らないけど、オレは君の死に顔を見なくて済むって、これではっきりしたからねー。親しい人が先に死ぬって苦しいものだからさ。君には悪いかなって思うけど」
呆気ないほど明るく、アガートは言う。その顔には確かに笑みが浮かべられていた。
「でも……っ……でも、貴方は寿命まで生きられないかも知れない、俺の『呪い』のせいで……!」
「ああ、気にしないで……って言っても難しいだろうけど……そもそもオレの寿命だって後どれほど残ってるか解らないしさ。明日死んでそれがオレ本来の寿命かも知れないし。だから、君がオレに対して気負うことは何にもないよ」
事も無げに、アガートは言う。それが彼の本心からの言葉だと、レーキには解った。
「昔、学生だった頃言っただろ? 君はさ、愛しい人をたくさん作れ。世界中の人を愛する位の気持ちでいなよ。死の王が『こんなに大勢死ぬなら呪いを解かなくちゃ!』って思うくらいの数、人を愛して生きなよ」
「アガート……」
「君は人を愛することが出来る人だ。人に愛されることが出来る人だ。……人にはね、誰かを、何かを愛する権利があるんだよ。それは死の王にだって奪えないさ」
アガートは笑っていた。それはいつものように
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