第87話 シアン

「シアン・カーマイン……」

 レーキは、驚愕に隻眼せきがんを見開いた。グラナートで何不自由なく暮らしているはずの彼が、なぜヴァローナの『旅人のためのギルド』にいるのか。なぜ依頼を受けようというのか。なにも解らない。

 ただ、レーキ自身も歳を重ねたように、シアンもまた年齢相応の落ち着きを顔に刻んでいた。

 天法院時代は、見るからに金をかけた衣服を好んでいたシアンは、たった今、暗赤色の質素なローブを着て、赤色に光る王珠おうじゆを腰に下げている。

「レーキ・ヴァーミリオン……?」

 シアンはレーキをじっと見つめて、息を飲んだ。

「あ、お二人はお知り合いでしたか? こちらが依頼主様で、こちらは今回の候補の方です」

 受付の青年は二人の因縁など微塵みじんも知らない。明るく笑って二人を引き合わせる。

「お知り合いなら、積もる話などなさいますか? 個室をお貸ししましょうか?」

「ああ、いや……」

 レーキが『彼は駄目だ』と告げようと唇を開くと、シアンが急に頭を下げた。

「この依頼受けさせてくれ! ……いや、受けさせてください!」

 シアンの態度に面食らって、レーキは唇を半分開けたまま、受付の青年を見た。

「……やはり、個室を貸して欲しい」

「かしこまりましたー!」

 受付の青年は笑顔を崩さずに、二人を客用の個室に案内した。


「……何が目的なんだ?」

 客用の個室で、二人は備え付けのソファーに向かい合って腰掛ける。

 レーキは表情を硬くして、シアンを見つめた。

「……その……まず、君に謝罪がしたい。天法院に在籍していた頃の私の君への態度は酷い物だった。すまなかった」

 はっきりとシアンは言う。十数年という時を経てこの男にどんな心境の変化があったというのか。レーキは、何が何だか訳が分からずに沈黙した。

「……私には妻がいる。その妻が身重なんだ。だから、今は金を稼ぎたい。君の依頼は一度の儀式の報酬としては魅力的だ」

「……君ほどの金持ちなら、こんな所で仕事を探さなくても良いのでは?」

 問いかける声が、思わず固くなってしまう。レーキはシアンから眼を離さずに、身構える。

「実は妻との結婚を反対されてね。実家からは勘当されてしまった。無一文で追い出されたんだ」

 シアンは恥ずかしげに目をそらし、苦笑している。

 なるほど、それで質素なローブを着て、仕事を探しているわけか。

 レーキは納得したが、だからと言ってシアンのことを手放しで信用出来るわけではない。

「……シアン・カーマイン、すまないが……」

「レーキ・ヴァーミリオン、私の話を聞いてくれないか? その上で私は君に謝罪したい。それでも、どうしても私が信用できなければ、別の人に依頼してくれ」

「……」

 レーキにも好奇心はある。学生時代は横暴で尊大だった彼が、どんな経緯で身重の妻の為に働くようになるのか。それが知りたい。

 レーキの沈黙を、シアンは了承と受け取って語り始めた。

「……私の妻は、ヴァローナ天法院の教師で、セクールス院長代理の名代としてグラナート・深紅しんくの天法士団にやって来た。私はその時、深紅の天法士団の一員だった。妻は美しい女性で、長い黒髪と限りなく黒に近い藍色あいいろひとみを持ち、それが白いはだに良く映えていた」


 シアンは彼女の美しさ、弁舌のたくみさ、賢さ、大勢の異国の天法士たちを前にしても決して怯まぬ心の強さに惹かれた。一目惚れだったと。

 彼女は主席でヴァローナ国立天法院を卒業し、五つの王珠を授かって、教師として天法院に残った。

 セクールスが院長代理に就任し、ヴァローナ国立天法院は、各国の天法院との連携を深めようと動いた。そのための使者として、セクールスの信任も厚い彼女が選ばれたのだ。

 彼女に惹かれたシアンは、彼女の知性を美貌を褒め称え、自分の心を捧げたいと告げた。

「私は恋を求めにこの国にやって来た訳ではありません」

 シアンの申し出は、きっぱりとはねつけられる。それでも、彼は諦めることが出来なかった。彼女を崇拝することが運命だと思った。

 彼女は予定通り、一週間グラナートに滞在し、ヴァローナに戻っていった。その間、シアンは何度も彼女に自分の胸の内を伝え続けた。だが、色よい返事はついに貰えなかった。

 彼女がヴァローナに帰ってから、シアンの世界は色を失った。彼女がいなければ何もかもが虚しく、味気なかった。

 仕事にも身が入らず、何を聞かれても上の空で。

 それで、シアンは決心した。ヴァローナに向かうために天法士団を休職し、旅支度を始めた。彼女に一目会いたい。その一心だった。

 胸を躍らせてヴァローナに渡ったシアンは、すぐに『学究の館』へ向かった。

 それが、五年前のこと。出会いから一年以上をかけて、シアンは彼女に思いを伝えつづけた。だが、彼女は一向にうんとは言ってくれなかった。

 その間に彼は天法士団を辞め、『旅人のためのギルド』で職を求めるようになった。

 家族がシアンを呼び戻すために、仕送りを止めるようになったからだ。

 シアンの家族は、跡取り息子に再三国に戻るようにと言ってきた。そんな卑しい黒髪の女などではなく、国に戻って羽の美しい鳥人の娘と結婚しろと。そんな家族とシアンは絶縁した。

 家族も彼を勘当し、その後一切の連絡もして来ないと言う。

 シアンの家族は、彼女の内面の美しさも知性も何も知らず、ただ彼女が黒髪で有ると言うだけで批判する。

 その時、自分がいかに愚かで偏見に満ちたモノの見方をしていたかという事に、シアンは思い当たった。

 黒い羽を持っていたクラスメイトを攻撃した自分と、黒い髪の彼女を嫌う家族は同類だ。どちらもただ物事の表層だけを見て、本質を見ようとはしていなかった。

 ある日シアンは彼女にそのことを告げた。自分がいかに底の浅い者であったかと、過去を恥じ入ったと。それでも自分は彼女を諦められない、改めるべき所は何でも改める、彼女を心の底から愛していると。

 彼女は初めて、シアンのオレンジがかった眸を見つめて言った。

「あなたは、過去をかえりみることの出来る人。あなたは懸命けんめいで愚かな人。私のために多くを投げ出した人。私があなたに報いるためには何を差し出したら釣り合いがとれるの?」

 彼女は苦しげな表情で胸を押さえて、じっとシアンを注視する。

「心が欲しい。……君の心が。ただ私を愛していると。その一言だけがどんな宝物にも代え難いんだ」

 シアンの言葉に、彼女は沈黙した。そして、意を決したように前を向く。

「……解ったわ。私の真心をあなたに捧げます。愛しています、シアン」

 そうして、シアンと彼女は結ばれた。

 祝福してくれたのは彼女の天法院の同僚たちだけ。シアンの家族に結婚を知らせたものの、返答は何もなかった。

 彼女は鮫人レビ=イクテユースの血を色濃く引く者で、鳥人のシアンとの間に長らく二人の愛の結晶は生まれなかった。

 彼女の懐妊が解ったのは、三月前。彼女はそのまま体調を崩してしまい、天法院を休職する。産休中、天法院からの給与は半分になってしまう。そのために、シアンはなんとしても金を稼ぎたいと言った。


「私は愚かだった。盲目に教えられた価値観だけを信じて君を軽んじた。君に大変不快な思いをさせた。……許してくれと、言えた義理でないことは解る。だが、謝ることは許して欲しい。本当にすまなかった!」

「……」

 自分の前で深く頭を下げるシアンを見つめて、レーキは憮然ぶぜんと腕を組んだ。

 今でも感情はシアンを許せないと思い、理性はもう良いではないかと考える。

 迷いに迷って、結局、レーキが出した答え、それは。

「……シアン・カーマイン。頭を上げてくれ。俺はやはり君の仕打ちを許す事は出来ない。君がどんなに謝罪してくれたとしても」

「……やはり、そう、か。本当に……申し訳ないことを……」

 シアンは後悔を隠せぬ表情で、うつむいた。

「……だが、俺は君の奥方に何の遺恨もない。子を産む女性は命懸いのちがけだ。そんな奥方のためと君が言うなら、協力する」

「……え……?」

 驚いて顔を上げたシアンに、レーキは静かに言葉をつなげる。

「依頼を受けてくれ、シアン」

「……あ、え、……ああ! 受けさせてくれ! どんな儀式でも、必ず君を助けてみせるとも!」

 うっすらと涙ぐんでいたシアンは、学生だった頃と変わらぬ自信に満ちた笑みを浮かべた。ただその顔から、傲慢ごうまんあなどりは消えていた。

「それで、どんな儀式を行うつもりなんだ?」

「俺がやりたいのは死の王様との『謁見えつけんの法』だ。俺は……呪われているんだ。死の王様に」

 シアンに、『呪い』の内容と経緯をかいつまんで説明する。シアンは絶句して、両の眼を見開いた。

「それ、じゃあ、学生だった頃に君はすでに……あの頃、金を稼いでいたのは……」

「ああ、そうだ。『呪われて』いた。だから、『呪い』を解いて貰うために死の王様に謁見したくて祭壇を買うために働いていた」

「私は……君がただ自由になる金が欲しいから働いているのかと思っていた。やはり私には真実は何も見えていなかったんだな……」

 愕然がくぜんとシアンはつぶやく。自分が毛嫌いしていたクラスメイトは、考えていた以上に深刻な荷を負っていた。そんなこととはつゆ知らず彼を攻撃していた自分が、改めて恥ずかしい、とシアンは言った。

「……セクールス先生が俺に興味を持ってくれたのも、その『呪い』のお陰だ。俺の実力じゃない」

「……セクールス先生……先生がくれた課題は結局、学生時代に解けずじまいだったよ。『人はいかに天法士になりうるのか?』……今でも私は、どうしたら自分が天法士たりうるのかどうかと考えている」

「それが、先生の狙いなんだ。先生は俺たちに命題をくれたんだ。それは学生だった頃だけじゃない。天法士になってからもその先も、ずっと俺たちを導いてくれる」

「先生の下で学んでいた頃は、腹立たしいことも多かったが……今はあの人の元で学んで良かったと心から思えるよ」

「ああ、俺も、そう思う」

 初めて、レーキとシアンは笑いあった。

 旅の途中、宿の部屋で。シアンに手酷く拒絶されたあの日から、すでに十数年の時が流れていた。

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