第76話 コッパー院長代理

「久しぶりじゃのう、レーキ君。大まかな話はアガート君から聞かせてもらったよ」

レーキは、アガートに呼ばれて院長代理の部屋に向かった。

 コッパー院長代理と会うのは、自分の卒業式以来のことだった。

「院長代理、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

 レーキは深々と院長代理に一礼する。

 七十の坂を越えてなお、コッパー院長代理は顔色も良く健康に見える。だが、院長代理はゆっくりと頭を振った。

わしもそろそろ歳じゃ。あちこちガタがきておるよ。そうさのう。今年の三学年生が卒業したら引退しようと考えておる」

「え?!」

 院長代理のそばで控えていたアガートが、声を上げた。引退話は彼も初耳だったのだろう。驚きに目を見開いて、院長代理を見ている。

「……そこで、じゃ。次の院長代理候補にも君の話を聞かせてやっておくれ。もうじきここにやってくるでのう」

 それはいったい誰なのか。折りもよく、部屋の扉がノックされる。

 院長代理が許可を出すと、扉が開かれて、そこに見知った顔が立っていた。

「……授業中に呼び出すと言うことは、余程緊急事態なのでしょうな、院長代理」

 苦虫を噛み潰したような表情で、一同を見回しているのはセクールス教授その人だった。


「セクールス、先生……!」

 そう呟いたレーキに一瞥いちべつをくれて、セクールスは室内に踏み込んでくる。

「レーキ・ヴァーミリオンか。お前は海で行方知れずになったと、そこの見習い教師から聞いたが?」

「ほっほっほっ。無事に帰ってきたんじゃよ。セクールス君。じゃが、行方知れずになっていた間、大変な経験をしたようなんじゃ」

 セクールスは胡散臭いモノでも見るようにひとみをすがめて、爪先から頭のてっぺんまでじろじろとレーキを見る。

「……それは授業を投げ出しても聞くべきこと、なのですかな? 院長代理」

「そうじゃよ。実に大変なことじゃ。それに、君もレーキ君が行方知れずになって心配だったじゃろう?」

「……別に。そいつも一人前の天法士なのです。何か危険が有ったとしても切り抜けるでしょう」

 一人前の、天法士。セクールスが自分を評してそう言ってくれたことに、レーキは胸の中が温かいものでいっぱいになるのを感じた。

「それで? 私に聞かせたい話とはいったいどんな話なのですかな?」

 つまらない話ならすぐに出て行くぞ。言外にそんな雰囲気を漂わせつつ、セクールスは院長代理の前に進み出る。

「長い話になるじゃろうから、まずはみな椅子にかけなさい。喫するモノも欲しいところじゃが……それは後のお楽しみじゃな」

 そう言って院長代理は自分の椅子に腰掛ける。アガートとセクールスも、来客用の椅子に座った。レーキも慌てて手近な席についた。

「さあ、レーキ君。最初から始めて終わりまで話しておくれ」


 レーキは全てを三人に話して聞かせた。

 羽を切られたと話した所で、院長代理はひどく悲しげな表情をした。

 魔法を使うシーモスの話をすると、セクールスはぴくりと眉を持ち上げて身を乗り出してきた。

『呪われた島』の環境、幻魔の数、『使徒議会』、魔装具、半竜人……話しても話しても、まだ何かを忘れているような気がする。レーキは夢中になって、この一年半に起こった出来事の全てを話した。

「……なるほど、のう。大変な冒険じゃったのう、レーキ君」

 院長代理はひどく歳をとったような表情で、眼鏡の位置を直して顎髭あごひげを撫でた。

 セクールスは難しい顔で、何かを吟味するように押し黙っていたが、やがて射るような視線をレーキに向けた。

「……この話、他に誰に話した?」

「考古学者の女性とその婚約者に話しましました。それからここの生徒にも一人。三人とも口が軽い者では有りません」

 ネリネが言っていた、今は『始めの島』すなわち『呪われた島』を表立って探す学者はいない話も付け加えておく。

「ふむ。この事を知る者は多くない方が良いだろう。『呪われた島』を目指す者が出てはならないからな」

「俺も、そう思います。俺はたまたま運が良かった。お話した通り、俺の前に『呪われた島』に迷い込んだ者は『苛烈公』と言う幻魔に責め殺されたと聞きました」

「ふん。犠牲者ばかりではない。『呪われた島』を目指す者の中には長の命を得たいがために、魔のモノとなることを目指す不届き者もいるだろう。それも数多くな。そんな奴らに均衡きんこうを崩されて、魔のモノが結界を破って外に出てくるようなことになれば……魔竜戦争の再来だ」

 かつての魔竜戦争では人類側がからくも勝利した。だが、失われた犠牲はけして少なくはなかったと聞く。特に天法士は自らの命と引き換えに、今では禁忌となった法を行使した。再び魔竜戦争が始まれば、また多くの犠牲者が出る。

「今度も人類が勝利できれば良いが……万が一魔の側が勝てば、世界の全てが『呪われた島』と同じように魔のモノに支配されるだろう」

 それが恐ろしいとセクールスは言う。

「魔のモノは三派が鼎立ていりつして均衡を保っていた。お前を逃がしたことでそのバランスは崩れる。それがこちらに有利に運べば良いが……」

 セクールスは冷徹に見るべきモノ見て、言うべきコトを言う。

 彼の懸念はもっともで、レーキは絶句する。

 自分はただ友となった幻魔が苦しんでいなければ良いなどと、のん気に思っていた。

 イリスの失脚はもうどうしようもない決定事項で、それがヒトにとってどんな意味を持っているのか、深く考えてみたことなど無かったのだ。

「魔のモノの侵攻が明日になるか百年後になるかは見当も付かん。だが、それはいつか必ず起こるだろう。その時までに出来ることをしなくてはな」

「出来る、こと?」

 それが何かはっきりとは解らずに、レーキは首を傾げる。セクールスは重いため息をついて、「いいか?」と前置きする。

「魔のモノに対抗出来るのは主に誰だと思う?」

 それは恐らく騎士や剣士のような戦士ではない。彼らの技巧は何処までも個人のモノだ。

 どんなに優れた戦士も、出来ることには限界がある。弓兵や槍兵でもない。彼らだけでは魔法に対抗出来ない。では。

「……天法士、でしょうか?」

「そうだ。そこまで解っていて、なぜ答えが解らんのだ? 魔のモノに対抗する手段が足りないなら育てれば良い。禁忌を開示することは出来ないが、強力な法を操ることが出来る天法士を育成する事は出来る。今まで以上に我々が努力する事もな」

 出来の悪い生徒を前にした時と同じ口調で、きっぱりとセクールスは言い放つ。セクールスは、今以上に教師としての職務にはげむことがいつかやってくるかも知れないその日に備える事だと言いたいのだ。

「その通りじゃよ、セクールス君。そこで儂から君に提案じゃ。儂は今期をもって引退する。その後を君に託したい」

「……は、い?」

 一瞬セクールスが、なにを言っているのだこのボケ老人は? とでも言いたげに眉を吊り上げる。

「……誰が、何を、託されるというのです?」

「ほっほっほっ。君が、この学院を、じゃよ、セクールス君」

「はあ?」

 普段は鋭いセクールスも、このことは予想などしていなかったのだろう。眉を怒らせたまま、事態が飲み込めずに語気も荒く聞き返している。

「……なぜ私がっ?」

「だって君、レーキ君の話を聞いてしまったじゃろう? 生徒たちの育成に力を注がねばと思ってしまったじゃろう? それだけでは不満かね?」

「……っ」

 罠にかかった捕食動物のように。セクールスは肩を怒らせたまま、「やられた……」とつぶやいた。

「……解っていて……全て計画の内で私をこの場に呼びましたね? 院長代理」

「ほっほっほっ。儂は君ならレーキ君の話を聞きたいだろうと思ったから、この場に君を呼んだのじゃ。それにな、セクールス君。向いておらん者に無理に責任を負わせるほど、儂は酔狂ではないぞ」

 それが院長代理の本音なのだろう。その才が有るから、選んだ。セクールスならその責務を全うするだろうから。

 セクールスは大きなため息をもらして、肩から力を抜いた。

「……解りました。引き受けましょう。ですが、私が院長代理となるからには私のやり方を通させていただきます」

「ああ。君のやり方、大いに結構じゃ! 新しい時代には新しいやり方が必要じゃからな。……ふう。これで儂も肩の荷が下りたわい」

 穏やかに、コッパー院長代理は笑う。彼がその責務について、二十余年。もう、自分に出来ることは無い。後進に未来を託してもいい時期だ。そう決めた老人の、さっぱりとした笑みだった。

「……私がお断りしたらどうしました? 院長代理」

「なあに。君は第一候補じゃ。まだ候補は何人かおる」

「そうですか。……少し早まった、か……」

 もう一度セクールスは深いため息をつく。

「おめでとうございます! セクールス院長代理!」

 アガートは茫洋ぼうようとした笑みを浮かべて、どこか揶揄からかうようにセクールスを祝福する。

「うるさい。まだ就任してはおらん、見習い」

「オレはアガート・アルマンです。いい加減覚えて下さいよー。……オレも人のことは言えないですけどね、その『癖』なおした方が良いですよー、セクールス先生」

 がりがりと頭をかきながら、アガートは苦笑する。

「なんと言われても興味が無いモノは覚えられん。覚えて欲しいなら、少しは努力して見ろ、見習い」

「ちえーレーキは覚えて貰えたのになー」

 アガートはセクールスの仏頂面を前にしても、いつもの調子を崩さない。有る意味、彼も大物であるとレーキは思う。

「……さて、私は食事を摂ってから午後の授業の準備をせねば。院長代理、失礼いたします」

 セクールスは院長代理に軽く一礼して、部屋を出て行った。

「おお、もうそんな時間かね。儂も昼食をいただこうかのう」

 院長代理も席を立って、秘書を務めている職員を呼んでいる。足の不自由な院長代理は滅多に食堂に下りてこない。昼食はこの部屋に持って来させているようだ。

「レーキ、オレたちもご飯にしよっか。ズィルバー君も誘って食堂に行こう」

「はい」

 アガートが立ち上がるのにつられて、レーキも席を立つ。

「あ、レーキ。君が宿屋に残してた荷物ね、オレが預かってるよー」

「ありがとうございます。あの、祭壇も預かって貰ってますよね?」

 宿屋に残したモノは世間的には大した値打ちの有るモノでは無かったが、師匠の『法術』の本や調理器具、少しの現金などが戻ってくることは嬉しい。持つべきモノは優しい先輩だ。

「ああ。あれもちゃんと管理してるよー必要になった?」

「はい。アスールに帰る前にもう一度死の王様との『謁見の法』を試してみたいんです」

 レーキが、ここ『学究の館』に戻ってきた目的の一つを告げる。アガートはうんうんと頷いた。

「なるほどねーじゃあ、またオレが助祭をつとめようか? 後一人は……またセクールス先生にでも頼む?」

「そうしたいのは山々なんですが、今回は二人も天法士を雇えるほどの金が無くて……どうしようかと」

「……その一人、儂ではダメかのう?」

 秘書がくるのを待つ間、黙って椅子にかけていた院長代理が、不意に会話に入り込んできた。

「え?!」

 アガートとレーキは驚いて、顔を見合わせる。

「報酬は無しでもかまわんよ。死の王様との謁見は珍しい儀式じゃから。経験しておきたいのじゃ」

「え、あの、その……?!」

 思っても見なかった申し出に、レーキは慌ててしまう。

「儂とて四つ組の天法士じゃ。資格はあると思うがのう」

「いえ、あの、その、資格は十分と言うかっ! むしろ畏れ多いというか……!!」

 にこにこと笑みを浮かべて、院長代理はレーキの返事を待っている。

 金が無いのも、これからカァラに金がかかることも、どうしようもない事実だ。レーキは腹をくくって、頭を下げた。

「……そのっ、よろしくお願いいたします! 院長代理!!」

 その言葉を待っていたように。院長代理は身体全体を揺すって笑いながら、鷹揚おうように頷いた。

「ほっほっほっ。では善は急げじゃ。今日は水の曜日じゃから……儀式は三日後の、土の曜日の放課後に行うのはどうじゃ? その方が多少は成功確率も上がるじゃろうて」

「はい!」

 院長代理が協力してくれる。こんなに心強いことはない。三日後の再会を約束して、レーキとアガートは院長代理の部屋を後にした。

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