第75話 進路を定め
「それじゃあ行ってくる」
翌朝、レーキはカァラをネリネに預けて天法院に向かった。
カァラは「レーキといっしょにいたい」と言ったが、天法院に子供を連れて行くわけにはいかない。
「すまない。今日はネリネと一緒にいてくれ。夜になる前には帰るから」
「どうして、レーキといっしょじゃダメ?」
「今から行く場所に、子供を連れていけないからだ」
そう諭したレーキに、カァラはスカートの端を握りしめた。
「早く大人になる、から、ダメ?」
「今は子供だ。まだ無理だ」
「……カァラ、今日はあたしとウィルと一緒に遊ぼ。レーキが帰ってきたら羨ましくなる位楽しくね!」
「……」
ネリネが明るく笑って、カァラを抱き上げる。カァラは押し黙ったままネリネに抱きついて、ふいとレーキから顔を背けた。
その様子に少々心は痛んだが、レーキはネリネの家を出発した。
ネリネの家から天法院までは、徒歩で半刻(約三十分)ほど。懐かしい街並みを眺めながら、レーキはそぞろ歩く。今から向かえば授業の前に天法院に着けるはずだ。
アガートやズィルバーは、アニル姉さんは、そしてセクールス先生やコッパー院長代理は変わりないだろうか?
例年通りなら、天法院もそろそろ『学究祭』の準備に入る頃。みな、忙しくしているだろうな。
そんな事をつらつらと考える内に、レーキは天法院にたどり着いた。
気難しい爺さんのように厳しく、時に優しく、自分を導いてくれた天法院。
正門にかけられた『ヴァローナ国立天法院』のプレートも、蔦に覆われた建造物も、何もかもが変わらない。懐かしい。
自分を育ててくれた学び舎に、レーキは再び足を踏み入れた。
教職員のための部屋がある棟に向かう。アガートもそこで授業の準備をしているはずだ。
一年半前、まだまだ駆け出しの教師であるアガートには、個室は与えられていなかった。まずは何人かの教師が共同で使っている準備室に向かおう。
勝手知ったる校舎の中。王珠を腰のベルトに吊り下げているレーキは、誰何されることもなく準備室前までやって来た。
軽くノックをすると、扉の向こうから「開いてるよーどうぞー」と聞き慣れた声がした。
「……失礼します」
アガートに再会したら、一体どんな顔をしたらいいのだろう。レーキは戸惑いながら、準備室の扉を開けた。
「……あー今日はテストやって、それ終わったら『学究祭』の準備……」
テスト用の紙をまとめながら、机の方を向いていたアガートがふと、振り返る。
眼鏡ごしの黒い
「……!!」
アガートはテストを放り出し、無言でレーキに駆け寄った。そのまま、飛びついてきてぎゅっと抱きしめてくれる。
「……バカ野郎!! 今までどこで何してたんだよー!! おかえり! おかえり……!!」
「すみません……! ただいま! ただいま帰りました……!」
感極まったのか、アガートは
「……君が海で行方不明になったって『ギルド』から宿屋に連絡があって……それで宿屋がオレに連絡してきたんだよ! オレは何ともないから、君が生きてるって解ってたけど……それでも心配するだろおー!!」
「ごめん、なさい……!」
話したいコトが沢山ある。聞きたいことも。今はただ、互いの無事を喜ぶコトで精一杯で。気が付けばレーキもまた、隻眼から大粒の涙をこぼしていた。
レーキとアガートが再会を喜び合っていると、授業の開始を知らせる鐘が鳴った。
その音で授業に向かう所だったことを思い出したアガートは、レーキに椅子を勧めて、「ここでちょっとまっててー!」と言い残し準備室を駆け出していった。
しばらくして帰ってきたアガートは、ズィルバーを
「?! ……レーキサンんんんっ……!!」
何も聞かされずに準備室までやって来たらしいズィルバーは、レーキの姿を見た瞬間に弾かれたように飛びついてきた。
ズィルバーは今年で三学年生。今は卒業に向けて健闘中だと言う。
「オレから言うのもなんだけどね、かなり優秀な生徒だよー学年首席も夢じゃないねー」
「そんな……まだまだデス!」
謙遜しながらも誇らしげなズィルバーの顔は、確かな努力に裏打ちされた自信で輝いているように見えた。この一年半の間で彼は着実に成長しているようだった。
「……それで、一体なにが起こったの? 始めから説明してくれるかい?」
「小生にも解るようにお願いしまス!」
二人に
黙って全てを聞いてくれた二人は、同時に長い溜め息をついた。
「『呪われた島』の結界か……それで、一年以上も連絡出来なかったんだね?」
「はい。外の世界と連絡をとる手段は何もなくて。俺が外の世界に帰るためには、強力な幻魔の力を借りなければなりませんでした」
「そうか、幻魔の……」
そう呟いて何かを考え込むアガートの隣で、ズィルバーが小さく震えて言った。
「魔人に、幻魔、魔法……伝説の中の存在では無かったんデスね……」
「ああ。脅かす訳じゃないが、『呪われた島』で彼らは確かに生きている。たった今、この時も」
中立派の筆頭であるイリスが、『ソトビト』を逃がすなどという暴挙に出て、あの島の勢力図は様変わりしていることだろう。
イリスやシーモスは無事だったのだろうか? よもや極刑に処せられることは無いだろうが、何らかのペナルティーは与えられているかも知れない。それが、気にかかる。
「……君を助けてくれたって二人は、話が通じそうだけどねーそんな奴らばっかりじゃないんだろ?」
「はい。ヒトを自分たちよりもはるかに下に見下しているような、そんな幻魔や魔人のほうが多数派でした」
「ううーん。この話、院長代理の耳にも入れといた方が良さそうだな……」
アガートは珍しく、難しい顔をして立ち上がる。レーキが「俺も行きます」と立ち上がりかけるとアガートは手でそれを制した。
「あ、君はここでちょっと待ってて。詳細は君から院長代理に語ってもらう。その前にズィルバー君にその魔具を見せて上げてよ」
「ズィルバーに?」
「彼、君に魔獣よけの鐘を作ってから、法具の研究に興味もってね。新しい法具試作したり古い魔具を修理したりしてるんだ。将来は本格的にそっちの道に進みたいみたいだよ」
「小生は元々職人の息子ですカラ……見よう見まねで何トカ。魔具を見せていただけるならありがたいですケド……」
そう言うことならレーキに否やは無い。魔具を見せやすいように、恐縮するズィルバーに背を向けてやる。
「一度取り外すと元通り着けられるか解らないから、このままで大丈夫か?」
「ハイ! 取り外し出来るようなモノなのかも含めて見てみマス!」
「頼む」
後輩二人のやりとりを見つめていたアガートは、ようやく
「それじゃあオレは、院長代理のとこ行ってくるねー」
「はい。お願いします」
アガートを待つ間、ズィルバーはレーキの背中の魔具を検分して、取り外しが出来ることを発見した。
「ここにボタンがあって……これを押しながら滑らせれば魔具が外れるようになっていマス。修理の事を考えると外れるようになっていた方が利便性があがりマス」
「なるほど」
「……これは……加工の精度が素晴らシイ。蟲人の親方でもココまでの精度を出せる者は少ないでショウ。それにとても軽い……ヒトの世界には伝わっていない未知の金属である可能性がありマス」
レーキの羽から取り外した魔具を、ズィルバーは丁重に調べていく。
「ナルホド……魔法の込められている部分については手も足も出まセンが、羽の形の部分は複製することも出来そうデスね。問題は材質の重さ……」
あれこれと考え込むズィルバーにレーキは訊ねる。
「なあ、ズィルバー。この魔具の色を黒くする事は出来ないか? このままだとひどく目立つんだ」
「ええっと、この魔具は完全分解出来そうにないノデ……機能を損なわずに塗装は難しい、デス。申し訳ないデス……」
「そうか……いや、出来ないならいいんだ。仕方ない。勝手なことを言ったな。すまない」
うなだれるズィルバーから、魔具を受け取ってレーキはそれをまじまじと見つめた。
初めてシーモスの工房で魔具を見た時は、驚きもしたし、なにより嬉しかった。何度も一緒に空を飛んだ今は、これを失いたくないと思うほどには愛着がわいている。
「これは、まだ一人では着けられないんだ。着けてくれるか?」
「あ、ハイ!」
ズィルバーは慎重に、魔具を羽に取り付けてくれる。羽ばたいて感触を確かめるわけにも行かないので、羽を広げたり畳んだりして試してみた。
「滑らかに可動していマス。違和感はありマスか?」
「いや、問題はない」
「良かったデス! この魔具はレーキサンの羽にぴったり合うように作られていマスね。でも、これが試作品、なのデスね……」
「ああ。試作一号とか言っていたな」
『使徒議会』に捕らわれたことで試験飛行も無しに飛び立つ事になってしまったが、試作一号は壊れることもなく今までレーキの翼となってくれている。
「塗装されていないだけで、動作は完璧デス! でも、もしその魔具が壊れたら……修理出来る者は外界には恐らくいないでショウ」
それが口惜しいように、ズィルバーは言う。
「天法を使用して、それに近いモノが作れないか試してみたいデスね」
「それはありがたい。これもいつ壊れてしまうかは解らないからな。それに君が似たようなモノを作れるなら、俺の他にも助かる鳥人がいるだろう」
事故などに遭って翼を失う鳥人もいる。そんな人々のためにも、ズィルバーの思いつきは役に立つことだろう。
「あ、それを応用したら、手や足を失った方々のための法具を作るコトも出来るかもしれまセン!」
ズィルバーの顔が一層、明るくなる。確かな手応えと、進むべき道を見つけたヒトの顔。ズィルバーは何かを決意したように、レーキの顔をじっと見た。
「……決めまシタ! 小生がやらなきゃいけないコト。やるべきコト。小生はレーキサンのお役に立ちたいし、もっと大勢の方のお役にも立ちたいのデス! だから、ヒトのお役に立つ法具の研究をしマス!」
自分を罵る人々に怯えていた少年は、天法院での三年間で大きく成長していた。
そんな後輩を、レーキは
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