第77話 『海の燕亭』のひととき

 食堂で昼食を食べて、レーキは先輩と後輩の二人と別れた。彼らには、午後も授業と『学究祭』の準備がある。長々と邪魔する訳にも行かない。

 アニル姉さんは、お産のための休みに入っていて、今回会うことは叶わなかった。それだけが残念だ。

 ネリネの家に戻る前に、レーキはクランの実家である宿屋とオウロが働いている貴金属店を訪ねた。

 二人は久々に会うレーキの姿に驚き、再会を喜んでくれる。

 クランにもオウロにも『呪われた島』の事は話せなかった。クランは秘密を秘密のままにしておくことの出来ない性格であったし、オウロは学者でも天法士でもない。それに、二人に『呪われた島』と言う重荷を負わせることは躊躇ためらわれた。

 海に落ちて一年の間、外界と連絡が難しい離れ小島にいたと説明する。二人はそれで納得したのか、深くは事情を聞かないでいてくれた。

 羽のことも聞かれはしたが、法具だと誤魔化した。天法に明るくないオウロはともかく、仮にも天法院の卒業生であるクランもそれで誤魔化されてしまうのは少し問題だとレーキは思う。

 ついでに二人にもカァラの里親探しの件を頼み、グラーヴォから来た手紙を見せて貰う。

 グラーヴォは元気そうで、近頃は魔獣退治にも連れて行って貰えるようになったと最新の手紙に書かれていた。

 クランとオウロとは、今夜再会を祝して『海の燕亭』で夕食を囲む約束をして別れる。


 ネリネの家にレーキが戻ると、カァラは遊び疲れて二階で昼寝していた。

「おかえり。あなたが天法院に行っちゃった後ね、カァラは良い子で遊んでたわよ」

 何やら分厚い本から顔を上げて、ネリネはそう言う。ネリネの家の居間にはカァラが遊んでいたとおぼしき、紙の残骸が散らばっていた。

「ただいま。……そうか。ありがとう」

「あの子泣かないのね。表情もあまり変えないし。でも、あなたがいなくて寂しいんだってことはあたしにも解ったわ」

 そんな風に言われると、ちくりと胸の奥が痛んだ。

 だが、彼女はいずれ里親の所でしあわせになるのだ。あまり自分と関わり過ぎない方がいい。

「……そうか。そう言えばウィルは?」

「昼飯食べにギルドに行ったきり帰ってこない。多分、カァラと遊ぶのに飽きて急な依頼を受けたのよ」

 盛大なため息と共に。ネリネは読んでいた本を閉じた。

「カァラの寝顔、見てくる?」

「いや、起こしてしまうかも知れないから、このまま寝かせておこう」

「そうね。でもあんまり昼寝しすぎると、夜寝られなくなっちゃうわよ」

 ネリネは苦笑気味に笑って、ソファーから立ち上がった。

「レーキ、今夜のご予定は?」

 今夜は『海の燕亭』で友人たちと飯を食うと告げると、ネリネは「それならカァラも連れて行きなさい」と言った。

「ずっと良い子で我慢してたんだから、夕食くらい一緒に食べて上げなさい」

「ああ、解った」

 レーキが頷くと、ネリネは大きく伸びをして、にっと笑う。

「んー。あたしはどうしよーかなー? 今夜はレーキのご飯が食べられるかと思って期待してたんだけど」

「簡単なもので良ければ、作ってから行こうか?」

 レーキの申し出に、ネリネは顔を輝かせる。

「え! ホント? やったあ! 是非そうして!」

「まずは何があるのか見せてくれ。足りなければ買い物に行ってくる」

 レーキは、ネリネの家の台所と食料庫を見せて貰って、十分な量の食料が有ることを確認する。これなら、ネリネが満足出来るだけの夕食が作れそうだ。

 パンを焼いて、肌寒い秋に相応しい温かな煮込み料理でも作っておこう。

「どう? 足りないモノとか有る?」

「いや、このままで大丈夫だろう。早速始める。パンの仕込みに少し時間がかかるから」

 ネリネの家の台所は清潔で、掃除も行き届いていた。使い勝手も悪くない。パンの仕込みをしながら、レーキはふとネリネに訊ねた。

「いつもは君が料理をするのか?」

「うん。ウィルがいるときはね。あいつがいないとつい外食しちゃうけど。一人でご飯作って食べるのって、なんだかわびしいじゃない?」

「かもな」

 料理を作ること自体に楽しみを見いだしているレーキでも、自分一人が食べる時は簡単なもので済ませてしまう。

 それに、『学究の館』のように大きな都市では外食するあても多くて、作って食べるよりもずっと手軽だ。


 パンを焼き始め、煮込み料理が良い匂いを漂わせ始める頃、カァラが眠い眼をこすりながら二階から下りてきた。

「おはよーカァラ。レーキ、帰ってきてるわよ」

 ネリネにそう告げられたカァラは台所に飛び込んできて、レーキの足にしがみついた。

「おい、こら。今は調理中だ。危ないぞ」

 カァラはレーキの足をぎゅっと抱いたまま、放そうとしない。仕方なく、レーキはカァラを抱き上げて居間まで運んだ。

「今日は『海の燕亭』と言う所で夕飯を食べる。お前も来るか?」

「うん!」

 カァラは大きく頷く。その表情のない顔が明るくなっている。

「レーキ、お腹空いた!」

「夕飯はご馳走だぞ? それまで待てないか?」

「良いにおいするから!」

「それはあたしのご飯よー! 味見する?」

「する!」

 カァラに煮込み料理を味見させると、それで彼女は満足したようで、嬉しそうに鼻息を吐き出した。

「おいしい!」

「ふふふ。やっぱりねー! 夕飯楽しみ!」

 はしゃいでいるカァラとネリネは、仲の良い親子のようだ。ネリネは実に楽しそうにカァラの相手をしてくれる。彼女は子供の扱いがずいぶん上手いが、一体どこで覚えたのだろう。

「ネリネ、君はどこで子供の扱い方を覚えたんだ?」

「あ、あたしね、昔子守の請け負いしてたのよ。小遣い稼ぎにね」

「ああ、なるほど」

 ネリネは子供と接した経験が多いのだ。それなら納得だ。願わくばネリネくらい経験豊富な人を、カァラの里親にしたいものだとレーキは思う。

「ん。そろそろ出かける準備した方が良さそうね。カァラ、そのままだとちょっと寒いから着替えよっか。かわいいケープ、レーキたちに見せて上げよう?」

「うん。いいよ」

 カァラがネリネに着替えさせられている間に、レーキは料理を火から下ろした。

 我ながら良い出来だ。ヴァローナ風の野菜の旨味を生かした煮込み料理と、焼きたてのアスール風パン。アスール風のパンはヴァローナの物より少し固めで、素朴な味が特徴だ。作り方も、ヴァローナ風のそれよりも手間暇をかけず簡単だった。

「おまたせ、レーキ。こっちは準備できたわよ」

 ネリネに連れられて戻ってきたカァラは、レーキが買ってやった服一式を着て、肩掛け鞄も右肩にかけて、出かける準備は万端のようだ。

「こっちも終わった」

「ありがと! 美味しくいただくわ」

 レーキとカァラはネリネに見送られて、『海の燕亭』へと向かった。


 レーキたちが到着する頃には、すでにクランとオウロが宴会を始めていた。

『海の燕亭』は今日も盛況で、そう広くない店内は客たちが夕飯を楽しむ声で溢れていた。

「遅かったっスね~もう勝手に始めてるっスよ~」

「よー! その子か、レーキ。グラナートで拾ったって子は?」

「すまん、遅くなった。ああ、この子が昼間話した女の子、カァラだ」

 知らない大人二人を前にして、カァラはレーキの陰にさっと隠れる。

「レーキとカァラちゃんは果実水で良いっスか~?」

「ああ、それで良い。頼む」

 オウロが注文を店の主人に伝える間に、レーキはカァラを席に座らせた。カァラは、テーブルの上に乗っている料理たちに興味津々のようだ。

「カァラは腹が減ってるらしいんだ。まず何か食わせて良いか?」

「もちろん! 大いに食えよー! おれはクランだ。よろしくな、カァラ」

「クラン、クラン……」

 カァラはクランの顔をまじまじと見て、名前を覚えようと何度も口の中で繰り返す。

「オレっちはオウロっスよ~カァラちゃん」

「クラン、オウロ、レーキ!」

 三人をそれぞれ指差して、カァラは嬉しそうに声を上げる。

「そうだ」

「正解!」

「当たりっス~!」

「っス~!」

 オウロの口癖を真似て、カァラは唇をとがらせる。その様子に大人たちが微笑むと、カァラもネリネ教わった通り、にっと歯を見せる。

 カァラに夕飯を食べさせながら、レーキはグラナートに行ったと言う話をした。

「ヴァローナに戻ろうと思って、船を待っている間にこの子と出会ったんだ」

「それでこの子を拾ったんスね~でも思い切ったことしたっスね~」

「どうしても、あのままグラナートに残して置けなかったんだ」

 グラナートでの黒い羽の鳥人扱いを、生まれたときからヴァローナにいる二人に説明する。

「……それじゃあ、レーキも相当苦労したんっスね……」

「ああ、それなりにな」

「お前そう言うこと話さないよなー! 前だって孤児だってこと聞くまで言わなかったし……水臭いぞ!」

「話しても、楽しい話題じゃないからな」

 レーキは困ったような表情で、クランを見る。

「それは……そうかも知れないけどさー!」

 クランはいきどおるようにくしゃくしゃと髪を乱して、「あーもー!」と叫んだ。

「とにかく! おれはお前が困ってたり苦しんでたりするならどうにかしてやりたいって思う位には、お前の友達だからな!」

「オレっちもっスよ! オレっちもレーキの味方になりたいっスよ!」

 酒の入っている二人は、常にないほど熱く宣言してくれる。酒の勢いだとしてもそんな言葉が嬉しい。レーキは微笑んで礼を言う。

「クラン、オウロ……ありがとう。頼りにしてる。カァラのことも、よろしく頼む」

「おう! 任せとけ!」

「オレっちも心当たりを探してみるっスよ~!」

 当人のカァラは解っているのかいないのか、『海の燕亭』名物、海の魚介のバター焼きを黙々と食べている。

 その口元についたバターを拭いてやって、レーキはカァラの頭をそっと撫でた。

「?」

 カァラは不思議そうにレーキの手を見上げる。この子と過ごす時間もそう長くはない。そう思うと、少し寂しい。

「それ、美味いか?」

「うん! おいしい!」

「そうか。他の料理も美味いぞ。色々食べると良い」

「うん!」

 元気の良いカァラの返答に、レーキは笑みを返す。それから彼はクランたちと他愛のない話を続けた。


「……所で、オウロ。お前に預けてある金のことなんだが」

「ああ、アレなら商業ギルドで預かって貰ってるっスよ~」

 アスールに帰るために貯めた金は、そこそこの額になっていた。それを宿屋に置いておくのは、やはり不安がある。そこで、レーキはオウロに相談したのだった。

 オウロのような商人は商業ギルドに口座を持っていて、給与や売り上げ、資金などを預けている。それを利用させて貰った。

「必要なら二、三日中に引き出してくるっスよ~」

「ああ、頼む。少しまとまった金が必要なんだ。それに、カァラに冬の服も買ってやりたい」

「これからどんどん寒くなってくるっスからね~」

「了解っス~」とオウロは請け負ってくれた。これで、『謁見の法』を試みるための報酬を払うことが出来る。

「レーキはやっぱり、アスールに帰るのか?」

 酒入りのジョッキを傾けながら、クランが聞いてきた。

「ああ。年が明けるまでには帰り着きたい」

「ふうん。じゃあ、ようやくかわいい彼女と会えるな!」

「……その……まだ、彼女、じゃない」

 珍しく口ごもって眼をそらすレーキに、クランは頭の後ろで腕を組み、にやっと笑みを向ける。

「そうかーまだかー。でも、いいよなーそう言う決まった人のいるヤツはさー」

「……そう言うお前には、決まった人はいないのか?」

「そんな人がいたら、実家で手伝いとかしてねー!」

 吠えるクランに、レーキはしょんぼりとした眼を向ける。

「そうか……」

「うっ。そんな可哀想なモノを見るような顔すんなよー!!」

「いや、俺だって……ラエティアが俺を待っていてくれる保証なんてどこにも無いんだ……」

 真顔で呟くレーキを横目に、クランもしょんぼりと肩を落とす。

「うーん。現実は甘くない、の、か……?」

「……」

「なに暗くなってるっスか! 信じるっス! ラエティアちゃんは待っててくれるって! クランはいつか運命の人が現れるって信じるっスよ~!!」

「スよ~」

 空腹も満たされたのか、退屈そうにしていたカァラがオウロの語尾を真似する。

 その間の抜けたタイミングに、大人たちは顔を見合わせて、笑いあった。

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