第40話 再会
「……おはよー……頭……すごく、痛い……ぐぅ~っ」
「……おはよう。あれだけ呑めば当然だ」
目の下に
「……これを。飲むと良い」
レーキは頭痛に苦しむネリネに、小瓶を差し出した。
「んー? なにこれ?」
「友人と開発した特殊な『治癒水』だ。通常の体力回復と怪我の治癒効果の他に鎮痛効果を持たせて有る。飲めば頭痛が和らぐハズだ」
「あーなにそれ、スゴい。便利ねー」
自分の声すら頭に響くのか、ネリネは抑揚もなく驚く。早速『治癒水』を受け取って、
「んー。味は要改良、かな……? 薬みたいなものだから味はどうでも良いと思ってるでしょ? コレ……」
「味か……あまり気にしていなかったな」
舌先で唇を舐めながら、ネリネが告げる。まさか、味を指摘されるとは思っても見なかった。それは盲点だった。
「……やっぱりね。でも飲むものだから不味いより美味しい方が良いじゃない?」
「かもな」
「あーでもさすが天法士の作ったブツだわ……頭痛、だいぶ楽になってきた。ありがと」
突っ伏していたテーブルからレーキを見上げて、ネリネはふっと笑った。
「ブツ……とりあえず、効いたなら良かった」
その笑みに釣られるように、レーキも口角を僅かに引き上げた。
昨晩、大泣きすることで緊張の糸が切れたのか、ネリネはひとしきり泣き喚いた後、ベッドに転がると直ぐに眠ってしまった。身体が冷えないようにシーツをかけてやると、眠っても険しかった表情が幾分和らいだ。
「……おやすみ」
声を掛けても返事はない。彼女が深く眠り込んだことを確認して、部屋に鍵をかける。それから、レーキは自分用の部屋に戻った。
ベッドに横たわり、見知らぬ部屋を眺める。
明日、半日かけて『学究の館』へ戻ればこの仕事は終わりだ。知らず大きな嘆息が漏れた。
ポーターを始めたばかりだというのに、大変な目にあった。しかも、貯金はまだまだ目標額に達していない。
昼の間、泥のように眠っていたと言うのに、隻眼を閉じると眠気が兆してくる。レーキはそのまま朝まで眠り込んだ。
「おはようございますー朝食ですー!」
宿の従業員が、笑顔とともに運んできた朝食は、柔らかいヴァローナ風の丸パンとバターで焼いたとろふわの炒り卵、付け合わせに火を通した葉物野菜と芋、それから
紅茶はこの頃ヴァローナでも流通し始めた飲み物で、心をおだやかにし、眠気を払って口の中をさっぱりさせてくれる効果がある。
原産地であり、一大産地である黄成から輸入されたモノが最上級であるが、最近ではヴァローナやアスールの一部でも生産されているようだ。
「……あら。紅茶だ。あたしこれ好き」
「うちの女将さんが最近凝ってるんですよ。黄成産とか色々取り寄せたりしてるんです」
「それって高いんでしょ? ふうん。豪勢な話じゃない」
「まあ、お客さんにお出ししてるのはアスール産のそんなにお高くない奴なんですけどねー」
従業員が困ったように笑った。ネリネは紅茶にたっぷりとミルクを注いで、スプーンでくるくるとかき回す。
「でも、アスール産もなかなか悪くないわよ? ……うん。やっぱり美味し」
ミルク入りの紅茶を一口
「うーん。頭痛が治まってきたらお腹空いて来ちゃった。ご飯おいしそー!」
ネリネは千切ったパンの上に炒り卵をたっぷりと載せて、慎重に口まで運んだ。そのままかぶりつき、頬張ると「うーん」と
その様子があんまり美味そうで、レーキも真似してパンに卵を乗せてみた。ふわふわと柔らかなパンととろりとした卵は確かに良い風味で。鼻に抜けるバターの香りがまた素晴らしい。
「……ああ、これは美味いな」
「でしょ、でしょー! ……ああ……美味しい……!」
レーキもネリネも、食事を摂る速度は早い方で。美味い、美味いと食べ進める内に食器はすぐに空になってしまう。
食後にまだ温かな紅茶を堪能し、二人は息をついた。幸福な沈黙。その後に先に口を開いたのはネリネだった。
「……あのね。昨日はありがと」
彼女は真っ直ぐに、レーキの隻眼を見つめて言った。泣きはらしていた
「……いや、俺は、何も……」
それが、レーキの本音だった。自分にできたことは、ただ黙って隣にいることだけだった。
「ううん。あなたにとっては何でもないコトかもだけど……あたしはスッゴく助かったの。だから、お礼を言うの」
あたしが、言いたいから、言う。言外にそんな意味を込めて礼を言うネリネは、すっかり立ち直ったようだった。
「……そうか」
レーキは安堵して、ふっと微笑んだ。その反応を見たネリネは、にっととびきりの笑顔を浮かべ、パチンと指を鳴らす。
「……さ、これで、この話はお終い。あなたもその……忘れてくれると助かる」
さすがに泣きじゃくる姿を見られるのは恥ずかしかったのか、ネリネは苦笑気味に言って眸を反らした。
「解った。……俺は何も見てないし、聞いていない」
「……ん。良かった。……今日はこれから少し食休みしてからすぐ出発しましょう。今日中に『学究の館』に着きたい」
きりりと、依頼人の顔を取り戻したネリネは、レーキに向かって提案する。
「解った。支度しよう」
レーキは早速立ち上がった。ネリネは「あたしはもう一杯だけ休むわ」と優雅に紅茶のお代わりを頼んだ。
昼前に金鉱の町を出発して、『学究の館』にたどり着いた時は夕食時を過ぎていた。さいわいにして、道中事故も事件も起き無かった。
街に戻った二人は、『ギルド』に今回の依頼が失敗だったと言う報告をした。それでも規定によって、ポーターへの賃金がネリネから支払われる。
「はい。コレで全額よ。……依頼受けてくれて、ありがと」
ネリネが寄越した報酬は、気持ち上乗せされていた。全額は、街で三日間ポーターとして働いたとしても、なかなか得られない程の額だった。金のない身だ。ありがたく受け取ることにする。
「ああ。こちらこそ、ありがとう」
「……あのね、レーキ。これに懲りないで欲しいの。あたし、またあなたに荷物を頼みたいし……」
礼を言われて、珍しくネリネが言い淀んだ。眼鏡越しにレーキの顔を見上げて、唇を尖らせる。その様子が
「……ああ。まだまだ金も貯まってないしな」
「良かった! それじゃあ、またね!」
ネリネが微笑みを浮かべて、右手を差し出した。レーキはそれを握り返す。ネリネは初対面の時と同じように、にっと不敵に笑った。
週末、『
「お言葉に甘えて、遊びに来ましたデス!」
「あ、オレもねー。君がどんな生活してるかちょっと気になってさ。これお土産ねーアニル姉さん特製のパンだよー」
ズィルバーは、好奇の目を避けるためのフードを脱ぎながら部屋に入ってきた。安宿の部屋が物珍しいのか、キョロキョロと部屋中を見回している。
初夏へと移り変わりつつある季節柄、ぐるぐる巻きのマフラーは止めて居るらしい。
一方アガートはいつも通りの
「はあ……良い匂いだ……ありがとうございます。姉さんにもお礼を伝えて下さい」
「うん。言っとくねー……で、どうなのさ? 新しい仕事は」
安宿の粗末な部屋に、椅子は一脚しかない。レーキがそれに腰掛ける。アガートとズィルバーは自然と並んでベッドに腰掛けた。
「……ポーターの仕事を三件ほどこなしました。一件目は魔獣に遭遇して危ない所でしたが、その外は問題有りませんでしたね。この分なら夏過ぎにはアスールに帰れそうです」
「魔獣に、遭遇……したのデスか?! レーキサン、大丈夫デスか?! お怪我は、デス!!」
ズィルバーは
「ああ。大丈夫。こうして怪我もない」
「はーっ! よ、良かったデス……!」
ズィルバーはほっと胸を撫で下ろし、ベッドに腰掛け直す。その隣でアガートががりがりと頭を掻きながら唸った。
「うーん。魔獣って、何が出たの? 場所は?」
「トリュコスです。古い金鉱の奥でした」
「うーん。トリュ……って角生えてる狼に似たヤツだよね? 洞窟とかねぐらにすることがあるって何かで読んだけど……それかなー?」
記憶の奥を探るように、アガートは首を捻る。名前を覚えることが苦手なのは、魔物にも当てはまるらしい。
「そうかもしれません。金鉱の奥に遺跡が見つかったらしいので、そちらの入り口から入り込んだのかも」
「なるほどねー。遺跡の中には魔獣を引き寄せる『
「なるほど。『魔具』は魔の者が作った
「うん。『魔具』は色々と便利な効果があるし、使用者を魔で汚染する事がほとんど無いから、今でもかなりの高値で取り引きされてるよー。高すぎて新人教師の薄給じゃ手も足も出ないくらい」
苦笑するアガートをみれば、新人教師の給料は相当安いらしいことがうかがえる。この先輩は苦学生であったが、就職しても金銭には苦労しているらしい。
「あー……『魔具』で思いついたんだけど、魔獣除けの法具とか作ってみる? あんまり強力な魔獣には効果無いけど……そのための本とか貸し出すよー?」
「ああ、それはありがたいです。魔獣なんて遭わず済むにこしたことはないですから」
「……あ、あの……っ」
先輩たちの話を黙って聞いていたズィルバーが、おずおずと手を挙げた。
「その法具、小生にも作れマスでショウか?」
「ああ、うん。ズィルバー君なら大丈夫じゃないかなー? そんなに難しくないし。オレが教えてあげるからやってみるー?」
「ハイ! 小生は何かレーキサンのお役に立ちたいのデス!」
力強くズィルバーは請け負う。後輩の心意気に胸が熱くなる。レーキは魔獣除け作りを、ズィルバーに任せることにした。
「ありがとう、ズィルバー。頼めるか? 当然、勉強の合間で構わないから」
「ハイ! もちろんデス!」
ズィルバーは元気良く、どんっと胸元を叩いて背筋を伸ばした。奮起する後輩の様子が頼もしくもあり、微笑ましくもある。
その後三人は
夕方の鐘が鳴ると、今度会うときまでに魔物除けの法具を作ってくると約束して、ズィルバーとアガートは帰って行った。
休日を挟んで今日も『ギルド』へ向かう。仕事はないかと、数々の依頼が掲示された壁を眺めてみる。
ポーターを必要とする依頼は幾つか有る。賃金の良い仕事を探して、依頼書を見比べていると、
「……ふうん。ロクな依頼がねえな」
レーキの隣で腕を組んだ男が、依頼書を眺めて溜め息をついた。
それは、どこかで聞き覚えの有る声で。
レーキよりも頭半分ほど背が高いその男は、長短二本の剣を左腰に下げていた。
ふっと浮かび上がる情景。それはいつかの『学究祭』の日、『
「……あんた、『剣統院』の……グラーヴォの、先、輩……?」
「……あン? なんだ? お前、グラーヴォの知り合いか?」
男は訝しげにレーキを見てくる。その眼光は鋭く、こちらを値踏みするようだった。
「友人だ。何年か前にあんたとグラーヴォの試合を見た」
「ふうん。……あー試合の後に控え室に来た連中の一人だろ? その黒い羽、なんだか見覚えがあるぜ」
レーキを指差しながら男はにやと笑う。あの頃は、髭など生やして居なかったような気がする。
「ああ。あの日は確かに控え室に行った」
次第に記憶がはっきりして来る。確かこの男はあの日グラーヴォに『治癒水』を渡して
「やっぱりな。……あの後、グラーヴォに妙に懐かれてなぁ。卒業まで面倒見てやった。あいつ、ニクスの騎士団に入っただろ? オレとすれ違いになったな」
なるほど、あの時のグラーヴォの感激具合からすればそんな事もあるだろう。
確かに、グラーヴォはニクス騎士団に入団したとレーキが告げると、男は肩をすくめて自嘲気味に笑う。
「……オレもニクス騎士団に入ったんだがなぁ。どうにも
ニクスの騎士団と言えば、精強な武闘派で知られている。ニクスと言う国自体が武を尊ぶ気風も有って、資金も潤沢で規模も大きい。毎年の入団志望者も多いが、採用される者は実力者ばかりだと聞いた。そんな騎士団を自ら辞めてきたというこの奇特な男にレーキは興味が湧く。
「……所であんた名前は?」
「オレか? オレはウィリディス・レスタベリ。呼びにくいからウィルでいいぜ」
親指で自身を差して、ウィルは不敵な笑みを浮かべる。
「解った。俺はレーキ・ヴァーミリオン。レーキで構わない。よろしく頼む。ウィル」
ニクス風の挨拶は知らない。レーキがとりあえずヴァローナ風に両手のひらを上向きに差し出すと、ウィルも同じ様に両手を差し出した。
「……おう。再会ってヤツを祝して飯でも食おうぜ。オレは腹が減った。最近のヴァローナの様子も聞きたいしな」
「ああ」
『ギルド』の一階の半分は、旅人のための食堂になっている。レーキとウィルはそこへ場所を移して、早速昼食を注文した。
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