第21話 セクールスの課題

「それでは授業を始める」

 翌日から、セクールスの授業が本格的に始まった。

 レーキ達生徒七人は、みな一様に重い足取りで『赤の教室・』へと向かった。

「昨日『火球かきゅう』を維持できなかった者は前へ。それからそこの二人。鳥人一と人間一」

『火球』を維持することに成功していたレーキとグーミエは、セクールスに指さされて共に顔を見合わせた。

「お前たちはこいつらに『火球』を維持するコツを教えてやれ。全員が一刻(約一時間)『火球』を維持できるようになるまでは次の段階には進まん」

「……先生、私は終了の鐘の最中までは『火球』を維持していました! 彼らに請う教えなど何も有りません!」

「うるさい、鳥人二。お前は失格だと言ったはずだ。つべこべ言わずに『火球』を出してそいつらの話を聞け」

 異存を唱えるシアンを、セクールスは一瞥いちべつだにせず、吐き捨てるように告げた。

「人間一、ここに一刻分の砂時計がある。これで時間を計れ。私はここで興味深い研究書を読む。全員が合格したら知らせろ」

 そう言うと、セクールスは本当に持参した研究書を読み出してしまう。

 レーキとグーミエは困り果て、もう一度顔を見合わせた。互いに目で「やるしかないのか……」とやり取りする。

「……えっと、レーキ君。僕はこちらから半分の皆にコツを教える。君は残りの半分に教えてくれ」

「解った。それから俺のことはレーキでいい」

「ありがとう。僕もグーミエでいいよ。……ではレーキ、頼んだ」

 こくりとレーキはうなずいて、手始めに昨日最初に脱落した女生徒、エカルラートに『力』を制御する時のコツを伝え始めた。

「まずは『力』を意識する所から始めるんだ。でもその為に力みすぎてはいけない……」

 普段半ば無意識にしている事を、言語化していくのは難しい。しかし言葉にしていく内に自分の中でどんな事をしているのか、どうやっているのか、それが明確に理解できていくような気がする。

「……例えば袋の口を縛っているひもを思い浮かべる。袋の中に入っているのは俺達の『力』、天分だ。袋を縛っている紐を緩めれば中から『力』が漏れてくる。その紐で出てくる『力』の量を調節する」

「……え、と、こう? かしら?」

「そう。紐を引きすぎると袋の紐は閉じてしまうし、紐を緩めすぎても袋は大きく開いて『力』が早く出ていってしまう。だから……えっと、自分の袋の量がどれだけあるのかとか紐をどれだけ緩めればいいのかとか……長く『火球』を維持するには釣り合いが大事なんだ」

「……その……私はどうして貴方より早く疲れてしまうの?」

「それは、多分……君は天分の全体量に対して袋を開けて取り出す量が多すぎるんだ。セクールス先生は大きさは指定したけど、どんな火勢の『火球』を出せとは言わなかった。だから……」

「袋から取り出す『力』の量を少なくして、その分長く『火球』を燃やす、かしら?」

「そうだ」

「ありがとう! なんだか解ったような気がする!」

 ほっと華やいだ笑みを浮かべるエカルラートに、レーキも一瞬笑みを返す。

 レーキがもう一人の生徒にコツを教えている間に、グーミエは二人の生徒に説明を終えていた。

 残っていたシアンは、自己流で『火球』を作っては消している。

 イライラとした表情で「早くしたまえ!」とレーキたちを急かしてくる。こんな課題は早く終わらせてしまいたいのだろう。

「……では砂時計を落とし始めるよ。みんな『火球』を作って。行くよ!」

 グーミエの合図で七人は一斉に『火球』を作った。

 教室は静まり返って、七つの『火球』が燃えるジリジリとした音、誰かが思い出したように発する呼吸音、セクールスが本のページをめくる規則的な音以外は聞こえない。

 半刻(約三十分)が過ぎ、その半分の時間が過ぎた。

 まだ脱落者は出ない。

 もう少しで全員が合格する。そう思っていた矢先。

「……もうダメだ……!」

 レーキにコツを教わった生徒の一人が、脱落した。それをきっかけに、グーミエが受け持った生徒たちとシアンも腕をおろしてしまう。

「……全く無駄な時間だ!」

 シアンが腹立ちを隠しきれない表情で、脱落した生徒たちを責め立てる。

「貴様らのせいで大切な授業時間をこんなに無駄にしてしまった!」

「……」

 責められた生徒たちはくやしそうにうつむいて、シアンと担任教師を恨めしく見る。

 セクールスは生徒たちの恨みなど、どこ吹く風で相変わらず読書に没頭しているようだった。

「貴様らのような出来の悪い生徒は今すぐこの教室を去るべきだ!」

「……止めろ。彼らを責めたって課題は終わらない」

 激昂げきこうし言い募るシアンと脱落した生徒たちの間に、レーキは『火球』を作ったまま思わず割って入った。

「……失敗したからと言って『火球』を消してしまった君も彼らと変わらない」

「……! 何だと!」

 黒い羽の卑しい者とさげすんでいた相手に言い返されたのがよほど腹に据えかねたのか、シアンがレーキに食ってかかろうとしたその時。

「……まって、砂が全部落ちた!」

 グーミエが嬉しそうに宣言する。その時まで『火球』を維持していたのはレーキ、グーミエ、エカルラートの三人だけだった。

「……やった! やったわ! 出来た!」

 エカルラートは嬉しそうにはしゃいで、座ったままぴょんぴょんと跳ねた。

 その声に集中を破られたのか、セクールスが本から顔を上げる。

「……む。終わったか? ……当然全員合格したのだろうな?」

「……いいえ。先生。まだです」

 グーミエが悲痛な面持ちで報告する。

「ふん。では二時限目始まりの鐘まで休憩。それから全員が揃って合格するまで続けろ」

 それだけ言うと、セクールスはまた読書に戻ってしまった。

 授業と授業の間の休憩は半刻(約三十分)もない。休息に当てられる時間はわずかだった。


 結局、その日は全員揃って合格することは出来なかった。

 初めのうちは成功していたレーキ達三人も回を重ねるにつれ疲れ果て、『火球』を維持し続けることが困難になって行った。

 四度目の失敗の後。セクールスは読み終わった二冊目の本をぱたんと閉じて宣言する。

「……明日も全員がそろって合格するまで同じ『火球』の授業を続ける。今日の課題は各人なぜ自分が失敗したのかよく考察すること。そして明日の授業にそれを活かすこと。本日の授業はここまで。以上」

 言いたいことだけ言って。セクールスは生徒たちを見ることもなく教室を出て行った。

 ──明日も、これをやるのか……

 残された生徒たちは、途方に暮れた表情で帰り支度を始める。

 その中にあって。一人激しい憎悪の感情にひとみを燃やす者がいた。

 理想の羽色を持つ鳥人、シアン・カーマインだった。



 授業が始まって三日目の朝。

 まだ昨日の疲れが抜けきらないレーキは、重い体を引きずるように教室棟へと向かっていた。

「お。おはよー! レーキ!」

 背後から元気な声がした。振り向くと、そこには教科書を手にしたクランが立っていた。

「……クラン。おはよう、久しぶりだな」

 クランは『選定試験』で白の系統を宣言された。こうしてクラスが別れてしまうと、残念ながら毎日のように会うということも無くなってしまう。

「……? どうした? なんだか元気ないな?」

「……『赤のⅤ』の先生が出す課題がきつくてな……」

「実技じゃ一番のお前でも手こずる課題? 何? 座学?」

 レーキは簡単にクランに今まで赤の教室・Ⅴで行ったことを説明する。それを聞いたクランの顔色がみるみる青ざめた。

「……おれ、『白の教室』でよかった……」

「……『赤のⅤ』以外の『赤の教室』もこんなに厳しいのかな……?」

 レーキはふと浮かんだ疑問を口にする。

「うーん。わかんねーけど……多分そんなに厳しくないと思う。『赤のⅤ』が特別じゃねーか?」

 クランは首を傾げて、

「……ちょっと先輩とか他の友達とかにその辺のとこにも聞いてみるわ」

 と、請け負ってくれた。

「……ありがとう。クラン」

 その後は「また街で遊ぼう」だの「グラーヴォが座学でピンチ」だの他愛のない話題をやり取りして、レーキはクランと別れた。

 友との再会で少し気分が上向きになった。レーキは溜め息を一つ着いて気分を切り替えると『赤の教室・Ⅴ』におもむくべく階段を上る。


「……おはよう」

 教室の扉を開けると、そこは先客がいた。ここ数日で、すっかりクラスの代表的立場に収まりつつあるグーミエと高圧的な態度を崩そうとしないシアンだった。二人は会話することもなくそれぞれ席に着いている。

「……あ、おはよう。レーキ」

 グーミエが力なく挨拶を返してくれる。彼もこの数日で随分疲れてしまっているようだった。

「……おはよう。レーキ君」

 意外なことにシアンが返事をした。

 何事が起こったのか。驚いて何も言えずにいるレーキに向かって、シアンはダメ押しとばかりにっこりと笑ってみせた。

「……!」

「……いや、何。折角せっかく同じクラスになったのだからね。挨拶の一つでもするべきだろう?」

「……」

「どうした? 私の顔に何かついているとか?」

「……いや。驚いてしまっただけだ。君から挨拶を返されると思っても見なかったから……すまない」

「ふふん。私は無礼な相手にも完璧な礼儀作法で応じるよう厳しくしつけられているんだよ」

 シアンの言葉は相変わらず上から物を言うようであったが、態度を軟化させると言うならレーキに言うべきことはない。

「……ところで君、私と同じグラナートの出身だと言っていたね。具体的にはどこの生まれなんだい?」

「……ああ、俺は……テルム山地の奥の村の出身だ。田舎の村だったから、村に名前がないんだ」

「ふん。そうか。私は首都チャラスの出身だ。素晴らしい都だよ、チャラスは。君、チャラスを訪れたことは?」

「いいや? 一度もないな」

 グラナートの首都チャラスは、巨大な商業都市だと幼い頃話に聞いた。祭の日にやってくる旅の一座も、チャラスで一旗揚げたいと息巻いていたようだった。『山の村』からはとても遠くて、師匠とともにグラナートからアスールに向かった時も通ることはなかった。

「それは勿体無い! 生涯で一度は訪れるべき場所だよ、商都・チャラスは。街並みは、それはそれは美しくて活気に満ちていてね。どんなものでも手に入るという大市場があるんだよ」

 我が事のように街を称賛し、シアンは親密な者にでも話しかけるように続ける。

「……しかし君、そんな山深い所からはるばるヴァローナまで? 君の家は村長か何か務めていたのかい?」

「……? いや。ただの農家だ」

「ではどうして?」

「俺の亡くなった師匠が……ここに来て勉学を続けるように取り計らってくれたんだ」

「……師匠ね。ちなみにどなたに師事していたんだい?」

「アカンサス・マーロン師だ」

「ふうん。知らないな。……私も師について学んでいたんだ。師はグラナートでも指折りの天法師だったよ。私には大いなる才能があると言って教え導いてくれたんだ。その彼が『ヴァローナ天法院で王珠を得給え、それが最上だ』と勧めてくれたからこんなヴァローナくんだりまで来たんだよ」

「……なるほど」

 結局は自慢話に落ち着くのか。レーキは妙に納得して頷いた。

 シアンは自分がいかに優れているか、いかに恵まれているかをこちらに見せつけたいのだ。そうしたいと言うなら、させておけばいい。

 そんな会話をしている内に。次第に疲労の色濃い生徒たちが次々教室にやってくる。

 全員が揃ってすぐにセクールスがやってきて、その日の授業が始まった。


 本日二度目の挑戦でクラスの全員、七人が『火球』の課題に成功した。

「……先生、全員成功しました!」

 グーミエが喜色を隠せぬ声色でセクールスに報告する。

「……ふん。ようやく終わったのか? では本日の授業はこれまで。皆休息を取るように。以上」

 セクールスは、相変わらずの冷たい態度で言い置いて教室を出ていく。

 それを待っていたかのように、生徒たちは口々に喜びの声を上げた。

「やった! やったぞ!」

「もう『火球』出さなくていい! わーい!」

「ちくしょーっ! あの鬼教師! こんな課題出しやがってー!」

「おおー! もー二度とやりたくない!」

「……でもさ、どうしてセクールス先生はこんな課題を僕らにやらせたんだろう?」

 熱狂の一時が収まると、グーミエが呟くように疑問を口にした。

「……ふん。あの教師は底意地が悪いのさ。私達が疲れ果てるのを見て喜んでいるんだろう」

 シアンはその一言でセクールスの意図を片付けてしまう。

「……」

 本当にそうなのだろうか?レーキは考える。セクールス先生はただ生徒たちを痛めつけるためにこんな課題を出したのだろうか?

 確かに、この課題を嫌がってこの教室から出ていく者がいれば、教える生徒が減って先生の手間が減るかもしれない。読書の時間も増えるだろう。

 だが、この教室に所属している者は、この数日で確実に精密な天分の使い方を覚えていっている。

 やり方は確かに手厳しいが、生徒たちは確実に成長している。それにこうして休みをくれたのは、生徒の体力がもう限界だという事も解って居るのではないか?

 そう思うと、レーキは完全にはセクールスのやり方を否定できなかった。

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