第22話 陥穽

 四日目には、小さな『光球』を一刻(約一時間)維持する課題が出された。

 半日休んで気力も体力も充実していたレーキたちは、一度の挑戦でその課題をやり遂げた。

「そうか。終わったか。では……半刻(約三十分)休憩を許す。次の時間は、小テストを行う。正解できた者から昼の休息に入っても構わんし、難しければ図書館に行って資料を探すことも許可する」

 珍しく優しげにセクールスが告げる。

 生徒たちは何ごとかと身構えたが、半刻(約三十分)後、セクールスが持参していた小テストは用紙にしてたった一枚。

 楽勝だ。今日の課題はやさしいな。生徒たちの多くがそんな感想を抱きかけた。

「まずは人間いち。お前用の小テストだ。取りに来い」

 ──個人個人でテストの内容が違うのか?

 セクールスが指差した生徒が、次々とそれぞれにテストを渡される。レーキの番が来た。呼ばれるままに教卓に近づき、テストを受け取る。

 小テストの用紙には一言。『天法てんほうとは何か?』たったそれだけ。

「何か?」と問われても。学習の途上であるレーキには明確な答えがない。

 途方に暮れてこっそりと他の生徒たちの様子を盗み見ると、彼らもまた問題を前にして、頭を抱えるもの、溜め息をつくもの、憤るものとそれぞれに苦悩していた。

 その中で一人、シアンだけがすらすらとペンを走らせて、テスト用紙に答えを書いているようだった。

 彼には容易い問題が出たのであろう。自分も負けてはいられない。

 ──天法、とは、何か?

 改めて考えれば考えるほど、解らなくなる。

 天法とは天の法を司りし王、すなわち天の王の助力を得て天法士が使う不思議な術のことだ。

 だがそれだけでは不十分。強い天分を持つ者の中には、天法士でなくても天法の様な不思議をなす者もいると師匠に聞いたことがある。

 幼かった頃、焼ける山の村で殺される寸前だった自分を救ってくれた不思議なあの炎。あれは無意識に身のうちから湧き出した天法の様なもの、なのだろうか。

 あの時のことはつとめて考えないようにしていた。

 あの大工は俺のせいで……俺のせいで、死んだ。死んでしまったのだ。

 取り返しはつかない。今更、容易く償いや埋め合わせが出来るなどとは、口が裂けても言えない。

 湧き上がる後悔と胸を押しつぶす罪悪感を、出来る限りすみに追いやって、レーキはセクールスの設問への答えを考え続ける。

「……先生、出来あがりました」

 やがて、自信たっぷりなシアンが一番にテスト用紙を手に教卓へ向かった。

「早かったな。見せてみろ」

「こんな簡単な問題でよろしいのですか? 問題をお間違えなのでは? セクールス先生」

 教師を揶揄からかうようなシアンの物言いを、セクールスはとがめなかった。代わりというわけではないのだろうがシアンに視線も向けずに彼の答えを検分している。

「……これでは不合格だ。やり直し」

 すぐにテストを突っ返されて、シアンはむっと眉を怒らせた。

「何故です? 私の答案は正しいはずです!」

「……設問をよく読んで答えろ。私が出したのは『人はいかに天法士になりうるのか?』だ」

「……ですから、その通りに……!」

「これでは『自分が天法士になれる理由』だ。そんなつまらん答えを私は欲していない」

「……!」

「他にテストが終わったものは?」

 セクールスは会話を打ち切ると教室を見回した。生徒たちは黙ったまま誰も手を挙げない。みな必死にテストと向かい合っていた。

「はあ……こんなに簡単な問題も解けないようでは先が思いやられるな。……ではその小テストを貴様らの卒業までの主題とする。心して解け」

 大仰に嘆息たんそくして見せ、セクールスは低く陰鬱な声音にわずかに喜色をにじませて告げた。



『赤の教室・』の授業が始まって、早い物で三ヶ月が過ぎた。

 クランが聞き回ってくれたおかげで、やはり『赤のⅤ』授業内容は、他の教室に比べれば進んでいるようだと解った。

 解った所でその流れを止めることも、セクールスに抗う術もない。ただただ、生徒たちは必死に授業へ食らいついた。

 基本の各色天法は勿論のこと、高位の『赤』天法、応用の混色法こんしょくほう──二つ以上の系統の天法を同時に操り、全く別の系統を作り出す法──他の教室であれば二学年生の終わり頃に習得するはずの法術を織り交ぜ、教科書にはない順番でセクールスは授業を進めていく。

「何故『法術』の書にある通りの順番で教えないのかだと? ……ふんっ。私のやり方のほうがはるかに効率が良いからに決まっているだろう?」

 そうのたまう師の顔は自信に満ち溢れていて、レーキたち生徒は反論も許されない。


 三ヶ月の間に幾度か『小テスト』の答案を提出した。その度にセクールスは不合格を突きつけてくる。

 解らない。天法とは。考えれば考えるほど袋小路に入って抜け出すことが出来ない。

 一度、困り果ててアガートに『小テスト』の内容を話してみた。アガートは不正解だった答案をしげしげと見て肩をすくめた。

「うーん。難しく考えすぎ、かなーオレはなんとなく答え解ったよ……でも、それはオレの答えだからね。君は君の正解を探す事ほうがいい。それがそのセクなんとかって教師の意図なんじゃない?」

「自分の、正解……?」

「『自分の頭で考えること』はね、簡単に答えを教えて貰うより苦しいし、辛いし、大変だけど……でも近道するよりずっと沢山のモノをくれるよね」

「……俺、この問題には正解がないってのが正解かと思い始めていました……でも正解がある、なら、もう少し頑張ってみます」

「うん。頑張れー」

 レーキの決意に、アガートは茫洋ぼうようとしたいつもの笑顔で応えてくれた。


 入学の季節は、課題に溺れて汲々きゅうきゅうとする内にいつの間にか終わっていた。寮にも新しい顔ぶれが増えているが、まだレーキと親しいものはいない。

 春の暖かな日差しを楽しむ余裕もなく、日々は慌ただしく過ぎていく。

 すでに大気は夏の気配も濃厚に、枝の先に芽吹いた新芽は若芽となり青々と茂り、寮生たちは衣替えを終えた。

 そんな日常を送る内に。次第、他の教室にいるクランや他の生徒たちも、「授業がキツくなってきた」と口々にらすようになっていった。


 毎日セクールスの授業に付いていったレーキたち七人も、どうにか一人も欠けることなく毎日教室『赤のⅤ』に通っている。

 この三ヶ月、授業内で出される課題は過酷なものであった。それに加えて。宿題が生徒たちの行く手に立ちふさがった。

 一学年生の間、座学の成績に目立った問題もなくクラスで上位に居たレーキを持ってしても、宿題の質、量、共に歯ごたえのあるものだった。

 この頃レーキは寮に戻ってから夕食の時間まで机に向かう。アガートにうながされてようやくかきこむように夕食をった後、消灯時間を過ぎても机から離れられないこともある。

 当然、クランたちと街に遊びに出かける余裕もない。貴重な休日は、宿題の消化と休息に充てられた。

 天法院の週に一度の休日である『諸源しょげんの日』が開けて翌日、『の日』。

 レーキは今日も『赤のⅤ』へと向かう。その足取りは重くはなかったが、決して楽しげというものではなかった。

 たった今、彼を思い悩ますのは今日の課題の成否と、昨日の宿題が合格をもらえるかと言う学生らしい悩みだけ。

 そんな贅沢な時間が、一年以上も続いていたから。過去の全てを、忘れ去ったしまった訳ではないけれど。

 その陥穽かんせいは、ポッカリと口を開けてレーキを待ち受けていた。


「おはよう」

『赤の教室・Ⅴ』に向かったレーキは、すでに着席していた生徒たちに朝の挨拶をする。

 近頃は生徒たちは、自分の定位置とでも言うような席を決めていた。レーキの定位置は階段状になった教室の最前列、右の端、一番扉に近い位置だった。

「ああ、おはよう」

「おはようーレーキ、昨日の宿題終わった?」

 グーミエやエカルラートが、真っ先に声を返してくれる。そろって着席していたほかの生徒たちも、軽く挨拶を返してくれた。

 シアンの姿が見えないのはいつものこと。彼がやってくるのは決まって始業の鐘が鳴る前、セクールスがやってくるほんの少し前だった。

「ああ、なんとか終わった。昨日のは少し手強かったな」

「やっぱり! レーキでも難しかったのね……私も苦労したけ、ど……?」

 会話の途中で扉を見やったエカルラートに釣られてレーキも振り返る。そこにはシアンが立っていた。

 彼がやってきたと言うことはもう始業の鐘が鳴るのか? 慌てて席に着こうとしたレーキに、シアンはうっすらと勝ち誇ったような微笑みを向けた。

「レーキ・ヴァーミリオン君」

「……? なにか?」

「きみ、その姓と『ヴァーミリオン・サンズ』とか言う盗賊団とどんな関係があるんだい?」

 私は知っているんだぞ。シアンの微笑みの形を作っても笑っていないひとみがそう語っている。

「……?」

 何だって? こいつは何を言っている? 『ヴァーミリオン・サンズ』。壊滅した、盗賊団。わからない。何も考えられない。

 壊滅した? なにが? ヴァーミリオン・サンズが?

「……」

「何度でも言おう。きみは、盗賊団と、どんな関係があるんだい?」

 噛んで含めるように。わざとらしい大声で、教室中の生徒たちに聞こえるように。シアンの貴公子然とした顔が、次第に愉悦ゆえつじみて醜怪しゅうかいゆがむ。

「なぜきみの名は壊滅した盗賊団と似ているのかな? なぜだか答えたまえよ!」

 肯定も否定も。レーキに答えはない。壊滅した。その一言だけが、ぐるぐると頭の中を駆け巡っている。ああ。心臓が。心臓が早鐘のように鳴っている。こめかみに血が上って、頭が破裂しそうだ。そのくせ胸の奥が冷たく凍り付いて。何も考えられない。考えたくない。

「……答えられないと言うことは、きみが盗賊団に所属していたという報告は本当らしいな! 汚らわしい!」

「……!」

 息をすることを忘れていた。知覚できることを忘れていた。シアンが放った一撃の鋭さに負けたわけではない。ただ信じたくなかった。ヴァーミリオン・サンズが壊滅した。そんなこと、信じたくない。

「……壊滅、した……?」

 息とともに、やっと吐き出せたのはその一言だけで。ではじいさんは、テッドは、頭は、タイク、カイ、サラン、みんな、みんなは?

 こんな日が来るのではないかと、心のどこかで恐れていたのかもしれない。でもそんなことはあり得ない無いと、子供のような願望で押しつぶしてきた。

 盗賊団はお尋ね者の群れ。執行官の手にかかって処刑台の露に消えることだってあり得ることだったのに。

「……みんな! 何か無くなった物はないか? こいつは薄汚い盗賊だったんだ! 隙あらばきみたちの大切な学用品を盗んでいたのかもしれないぞ!」

 ああ、何かが。何かとても醜い物が、きーきーと何かを叫んでいる。俺は何をしているんだ? こんなところで何を見て、聞いている?

 泣き出したかった。誰もいない場所で。ただみんなの行く末を案じて一人で泣きたかった。逃げ出せた者はいたのだろうか? それとも全員が処刑されてしまったのだろうか?

 彼らは盗賊で善人とはとても言いがたかった。子供だからとレーキを揶揄からかったり、軽くあしらう者もいた。それでも彼らは、あの砦は、初めてレーキが人らしく生きることができた場所。初めて得られた居場所だったのに。

「……みんな、みんなは……どうなった! 全員、処刑、された、のか……!?」

「……っ! 薄汚い盗賊どもの最後なんて知るもんかっ!」

 急に問い詰めたレーキに気圧けおされて、シアンは一歩後じさって吐き捨てる。

「やはりな! 盗賊の最後をそんなに気にかけるなんて、お前も薄汚い盗賊なんだろう!? お前も一緒に処刑されればよかったのに!」

 その一言で。レーキの中で決定的な何かがふつりと切れた。腹の底から熱く煮えたぎる何かが湧き上って、喉の奥を焼くようだ。そのくせ胸の奥はずっと冷たく凍ったままで。

「……てめえに、何が、わかる……!」

 気がつけば口に出していた。

「のうのうと環境に甘えて……家柄とやらにふんぞり返って生きてきた、てめえに何がわかる……!!」

 せきを切ったように言葉が止まらない。悔しくて苦しくて絶望で目の前が暗くなるほど傷ついて、こいつはそれをレーキの敗北だと思っている。他人を、他人の人生を容易い言葉で破滅させようとして喜んでいる。そのことにひどく腹が立った。

「俺は死にたくなかった。ヴァーミリオン・サンズに拾われなければ、俺は怪我と飢えとで死んでいた! ……十一だった。 十一のガキには他に行き場なんて無かった! 生きていくために……それが悪いことだと、知っていても……やるしかなかったのに! てめえはそれをこんなところで言い立てて何がしてえんだ! それをみんなに知らせれば俺が這いつくばって許しを請うとでも思ったのか!」

「……ほ、ほら見ろ! 正体を現したぞ! 薄汚い盗賊の一員め!」

「確かに、俺もあの人たちも盗賊だった。盗みもしたしもっとひどいことをしていた奴だっていた。しあわせに死ねるなんて誰も思ってねえさ! でも……大きなお屋敷で召し使いにかしずかれて、いい家に生まれたってだけで偉そうにしてるてめえが、てめえのような奴があの人たちを語るな! あの人たちは俺を助けてくれた! 飯を食わせて雨露あめつゆから守ってくれた! それが気まぐれだったとしても……

 喉の奥から血を吐くように言葉をつむぐ。固く握りしめた拳が、知らないうちに小刻みに震える。その拳で、シアンを殴り飛ばしてやることも忘れていた。泣くまいと思っていたのに。紅色の隻眼せきがんが後から後から涙をこぼして止まらない。

「俺のことは何とでも言うがいいさ! 結局ヴァーミリオン・サンズを裏切ったんだからな……だがてめえのような奴があの人たちを悪く言うことは俺が許さねえ! 絶対に! 絶対にだ!」

 盗賊団を離れても、ヴァーミリオンを名乗り続けたのは。師匠に出会うまで、彼らだけが自分を人らしく扱ってくれたから。それを忘れたくなかったから。

 だから。それだけは譲れない。

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