天法院の二学年生

第20話 赤の教室・Ⅴ

「おかえりー。で、どうだった?『選定試験』」

 結局クランとは再会出来ずに、レーキはとりあえず寮の部屋へ戻った。

 そこでは、ニヤニヤと笑みを浮かべたアガートが待っていた。

「確かに『簡単』でしたよ。すること自体は」

「ここの天法院にはなぜか、一学年生最後の選定試験の内容を『下級生には内緒にする』って伝統があってさ。いつ頃から始まったのか知らないけど、オレも受けるまでは選定試験がどんな物か知らなかったよ」

 普段は、知識を与えることを惜しまないアガートが何も言ってくれなかったのは、そんな理由があったのか。

「それで何も教えてくれなかったのか……あ、そういえばアガートの系統は何色なんですか?」

「オレ? オレはねー黒。四分の一鮫人レビ=イクテュースの血を引いてるからかなー? やっぱりって感じだけど」

「鮫人? ……って、体に魚類の特徴を持つ亜人、でしたっけ?」

 鮫人は水中や水辺に住んでいる事が多いと聞いた。実際に会ったことはまだ無い。こんなに身近にいたとは。

「そそ。オレのおばあちゃん鮫人だったの。おじいちゃんに一目惚れして陸に上がったんだと。亜人は系統が固定されやすいって授業でやったろ?」

「やりましたね。鳥人は『赤』、鮫人こうじんは『黒』、獣人が『青』で蟲人ちゅうじんが『白』……」

「よく覚えてるねー。えらいえらい!」

「……茶化さないでください。でもアガートは魚類の特徴、ありませんよね?」

「あるよ。オレ、背中に鱗あるし。……亜人は人間との混血が進むと種族の特徴を失っていくんだよ。オレは鮫人の混血の父ちゃんと人間の母ちゃんの間の子だから。少しの鱗くらいしか特徴がない。あ、後はこの美貌かなー? 鮫人の女性は美人揃いで有名なんだ」

「はいはい」

 茫洋ぼうようとして掴み所がないというあたりは、確かに魚類らしいかもしれない。

 自分も含めて、意外な所に亜人は居るものだ。亜人も人間も五色の竜王がそれぞれ作り出したものだと言うが、それが天分の系統が固定されやすいことと、なにか関係があるのだろうか?

 思わず深く考察しそうになったレーキは話題を切り替えた。

「……所で『赤の教室・Ⅴ』ってどんな教室か、噂でもいいから聞いてます?」

「……うーん。『赤のⅤ』は今年はなんとか・コルなんとかの教室かなーきびしい教師らしいけど赤の二学年生以上しか受け持ってないから、黒のオレはあたったことないなー」

 相変わらずアガートは人の名前を覚えることは苦手らしい。

「厳しい……か」

 そんな教室で上手くやっていくことが出来るだろうか?

 幾ばくか不安を覚えながら、一学年生最後の日々を過ごす。

 その内に、今年の三学年生達は卒業式を迎え巣立っていった。卒業式に参加するのは卒業生とその家族くらいで。レーキ達、下級生は親しい卒業生がいなければ関わりのない行事だ。

 新たな始まりの春。冬の間に葉を落としていた木々の枝先に新芽が吹いた。

 水はぬるみ、暖かな南の風が人々の衣を軽くする頃。学院が新しい入学生たちを迎える前に。

 新二学年生が『赤の教室・Ⅴ』に向かうその日がやってきてしまった。



『赤の教室・Ⅴ』。

 そう書かれた赤い扉を開けると、すでに五人の生徒が思い思いに席に着いていた。

 レーキは慌てて、教室の一番前の手近な席に腰掛ける。同時に教室のドアが開かれた。

「……ぁ」

 それは見覚えのある、素晴らしい赤い羽の色。鳥人のシアン・カーマインだった。

 シアンはレーキの姿を認めると、あからさまに不服そうな表情を作る。

 教室に鳥人はレーキとシアンの二人きり。レーキは内心でかつて手酷く拒絶された出会いの時を思い返して、動揺どうようした。

 外見は努めて平静を保ち、誰がいようとどう思ってもいない、自分は正式な天法院の生徒で、すでに二学年生となったのだからと自分に言い聞かせる。

 レーキは、何気なく見えるようにと願いながら黙って法術の本を広げた。

「……貴様が最後だな、鳥人の新二学年。突っ立ってないでさっさと席につけ」

 突然の再会に気を取られて立ち尽くしていたシアンの後ろから、低く脅すような声がした。

 現れたのは黒いローブをまとい、四つの赤い王珠を身に着けた長身の男。

 年の頃は、四十を少し超えたくらいだろうか。神経質そうな眼差しと酷薄そうな唇。細身ではあったが動作はするどく、アガートのようにひょろひょろとした印象はない。

「私がこの教室の担任である、フォス・レクト・セクールス・コルニクスである」

 一学年生の時に授業で習った。フォスは天法士の正式な敬称。レクトは教師を意味する敬称だと。公の場で名乗る時、天法士は名前に敬称をつけることになると。

 ではこの威圧感の塊のような男が、正式な赤の教室・Ⅴの担任であるのか。

「……新二学年は担任に挨拶もできんのか?」

 セクールスの迫力に圧倒されていた生徒たちは、その一言で弾かれたようにそれぞれに「おはようございます……!」と声を出した。

「ふん。……まずはそれぞれ自己紹介をしろ。私が覚えるに足る名かどうかはまだ解らんがな、聞くだけは聞いてやろう。その端の奴。そうだ、お前だ」

 指をさされて端に居た、人間らしき新二学年生の女の子が慌てて立ち上がる。

「わ、わたしは……エカルラート・リュミエール、です。よろしくおねがいします!」

「ふん。つまらん、個性のない自己紹介だ。次」

「ぼくはグーミエ・カルディナルです。ヴァローナの出身です。よろしく……」

 次々にクラスメイトが名乗っていく間に、シアンはレーキから離れた場所に座った。

 ホッとしたのも束の間、すぐに自己紹介の順番が回ってきてしまう。

「俺はレーキ・ヴァーミリオンと言います。グラナートの出身で……見ての通り鳥人です。……以上です」

「貴様が特待生の……ふん。面白味のない奴だ。もういい。次」

 うながされて最後の生徒が立ち上がる。やけに自信に満ちた表情のその青年は、シアンだった。

「私はシアン・カーマインと申します。グラナートの名門カーマイン家の出身で次期当主であり、座学では一学年生で二位でした。特技は……」

「どんな家柄だろうと私の教室に来たからにはただのつまらん生徒だ。加えて一学年生の時の成績なぞ当てにならん。次」

 自己紹介を遮られたシアンは、一瞬ムッとした表情を浮かべて腰を下ろした。

 おずおずと、グーミエと名乗った生徒が手を挙げる。

「……セクールス先生、シアン君で最後です」

「ふんっ。本当に今年の新二学年生はつまらんな! ……では授業を始める」

「先生。その前にどうして私達がこの教室にはいされたのか理由を教えていただけますか?」

 色々と不服を訴えたいのだろう。シアンが厳しい表情で手を上げた。

「……ああ? それはお前たちが選定試験で火の系統と判別され、そこそこの天分量を見せて私の教室に相応ふさわしいと試験を担当した教師が判断したからだ。全く忌ま忌ましいことにな」

 吐き捨てるようにセクールスは言った。それは腹の底、本心からクラスを受け持つことを嫌がっているような声音で。

「私は本来なら生徒を見ることなぞしたくない。研究のためにこの天法院にいるのだ。だが院長代理の命令で全ての教授は三年に一度は必ず生徒どもの面倒を見なければならん。くだらん命令だが仕方がない」

 命令に従ってこうして出向いてきている辺り、根は真面目な人物なのかもしれない。だが、セクールスが生徒たちを見る眼差しは、お世辞にも慈しみや優しさとは縁遠かった。

「なにか不満があるなら教室から出ていってかまわんぞ? くだらん生徒が減れば私の研究の時間が増えるというものだ」

 くつくつと低く笑って、セクールスは持参した本を開く。

 シアンは抑えきれない怒りに拳を握って、押し黙った。

「……では基本中の基本だ。掌大の『火球』を作って授業の時間中途切れることなく維持せよ。……初め!」

 それだけでいいのか。『火球』は火の天法では基本の技で、一学年生の間に習得する法だ。厳しいと聞いていたから拍子抜けだ。

 そう難しいものではない。簡単だ。ただ『火球ファイロ』と唱えて掌に力の流れに意識を集中させるだけでいい。

 火の色や大きさにははそれぞれ個性があったが、七人の生徒たちはそれぞれ容易く『火球』を掌に出現させた。

 レーキも掌から少し離れた空中に『火球』を浮かべた。『火球』は小さくても燃える火だ。うっかり扱いを間違えば火傷してしまうこともある。注意は必要だが……

 簡単だったのはそこまで。

 慎重に『火球』に力を送り大きさを変えずに保つことは、一瞬大きな『火球』を作ることよりずっと集中力と精神力を必要として、至難しなんの業だった。

 それを授業の時間、一刻いっこく(約一時間)の間続けろというのだ。

 次第にセクールスが自分たちに求めている事の高度さを、教室に居た全員が思い知ることとなった。

 ──これは、とんでもない先生の教室に来てしまったのではないか?

 レーキがそれを自覚し始めて、戦々恐々せんせんきょうきょうとしていると。

 半刻はんこく(約三十分)で最初の脱落者だつらくしゃが出始めた。エカルラートと名乗った女生徒だ。

「……はぁ、はぁっ……先生……もう、無理、です……!」

「ふむ。では貴様はそこで『法術ほうじゅつ』の百三十ページから百五十ページを帳面ちょうめんに書き写せ。それが終わったら帰っていいぞ」

「……そんなっ……!」

「……不満があるなら今すぐ出ていってもいいんだぞ? この程度のことも出来ないような生徒は私の教室にはいらない」

 セクールスが温か味の欠片もなくピシャリと告げると、エカルラートは疲労困憊ひろうこんぱいといった顔色で、泣き出しそうになりながら『法術』の本を書き写し始めた。

 授業時間が終わるまでに、次々と生徒たちが脱落していく。

 結局終業の鐘が鳴り終わるまで最後まで残っていたのは、レーキとグーミエの二人だけだった。

 シアンは終業の鐘がなっている途中で、安堵したのか『火球』を消してしまって失格となってしまった。

「ふん。たった二人だけか? まったくつまらん。最後まで残った貴様らも『火球』を消して帰っていいぞ。……これで貴様らの力量は大体解った。明日からの授業はこんな楽しい物ではないぞ。覚悟するように。以上」

 言いたいことだけ言い置いて、手にしていた本を閉じると、セクールスはさっさと教室を出ていった。

 後には、明日からの日々を思って呆然とする生徒たちだけが残された。

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