天法院の一学年生

第14話 天法院にて

 結局、レーキは天法院てんほういんの一学年生として入学を許された。

 入学試験を受けた結果も、悪くはなかったらしい。特待生となる事も決定する。金銭的に余裕のないレーキには、有り難い事だった。

 その事を、村の皆に向けて送る手紙にしたためた。ラエティアには『すぐに帰れなくてごめん』と書き添える。

 不安が全く無いわけではない。

 師匠に教わったことがどこまでこの学院で通じるのか。自分は本当に天法士てんほうしになれるのか?

 それでも初めての学院生活を、新しい環境をどこか楽しみに感じている自分がいる。


 天法院は天法を修めるための三年制の学院で、最終学年の卒業式に王珠おうじゅを授かることが出来た者は、晴れて天法士として世に出ることができる。

 一学年生は、基本的な天法の仕組みと用法を学ぶ。二学年生からは自分の得意とする分野に分かれて学を深め、三学年生は更にそれを発展させる。

 天法士には、その実力に応じて組がある。授かった王珠の数がそれを表していて、ようやく天法士と呼べる一ツ組ひとつくみから、最高位の五ツ組いつくみまでに分かれていた。

 ちなみに、学院の教師となるには三ツ組みつくみ以上の王珠が必要であるとされる。

 レーキの師匠であったマーロンは五ツ組、最高位の天法士であったことを、この学院に来てレーキは初めて知った。

「あの方はわしらの代の首席だった方じゃよ。大きな天分を持っておられたが、修練も怠らない……『天才』と言うのはあの方のことを指すのじゃろうなあ」

 入学が決まった休日、夏のきざしを知らせる暖かい日差しの午後。

 共に思い出話を語りたいと、院長室に招いてくれた、コッパー院長代理は懐かしそうにそう語って聞かせてくれた。

「卒業後は各国の天法士団てんほうしだんから引く手あまたでのう。だがあの方はそれを全部蹴っ飛ばして流浪の道を選びなさった」

「院長代理、どうして師匠は……マーロン師はそのような道をお選びになったのでしょう?」

「……儂も問うた、なぜ?とな。そうしたらあの方はなんと言ったと思う? 『あら、私は誰にも頭を下げるつもりはないの。宮仕えなんてつまんないことまっぴらだよ!』」

 その言い方があまりにも師匠にそっくりで、レーキは吹き出してしまうのをこらえるので精一杯だった。きっぱりと言い放った年若い頃の師匠が、目の前に現れるようだ。それほどに、院長代理の記憶に鮮明に友の姿が残っているのだろう。

 レーキにも、懐かしいと思い出せる友がいた。だが、彼は盗賊で、この先生きて再び会えるかどうかもわからない。この学院で腹心の友と呼べる友が出来たら……そう、願うことが許されるなら。

「……さて、レーキ君。君は大切な友人の最後の弟子じゃ。だがこの学院に入学するからは他の生徒達と何も変わらぬ。特別扱いは今日が最後じゃ。これからはよく学び、よく遊び、よく語らいなさい。君の行く道をよい炎が照らして下さいますように」

「はい! ありがとうございます! あ、あの、マーロン師もそうおっしゃっていました、『よい炎が照らしてくれますように』と。それはどんな意味がある言葉なんでしょうか?」

「『学究の館』に伝わる古い祝福の言い回しじゃよ。近頃は滅多に聴かぬ。……混沌からこの世界に初めて生まれ出でたのは赤竜王せきりゅうおうで、赤竜王が『火』をお作りになったと言う神話を君も知っているね?」

「はい。五色すべての竜王様に先んじるのが赤竜王様で……鳥人アーラ=ペンナをお作りになったのも赤竜王様で……だから速さを求めるアーラ=ペンナは赤竜王様を信仰するのだと、幼い頃にもそう聞かされて育ちました」

「物事を始めようとする者、生まれ出でようとする者、旅立つ者を守護してくださるのが、赤竜王様の眷属である『炎の王』であらせられるのだよ。そのご加護を祈って贈るのが先程の言葉じゃ」

 ああ、そうか。やっと解った。あの、言葉の意味。自分が死ねばレーキは学院へと旅立つ。その行く先をことほぐ言葉。それなのに。

「……お、俺、俺……とんでもない事をしてしまいました……!」

 ポロポロと涙をこぼして、レーキは死の王の呪いを受けたことの経緯を語った。院長代理は戸惑いつつも、最後まで静かに耳を傾けてくれた。

 深い沈黙の後、院長代理はゆっくりと頭を否定の方向に振った。

「……残酷なことを言わねばならぬ。死の王様の呪いを跳ね除けるだけの力は儂にも無い」

「……!」

 レーキの隻眼が、絶望の色を帯びて見開かれる。その表情を院長代理は怪我をしたばかりの孫でも見るような眼差しで見つめ、だが……と、そっと言葉を重ねた。

「だが……死の王様、ご自身が呪いを解いてくださると言う可能性も残されていないとは言えない。天法の中には力を借り受ける天地の神王様しんおうさまに直接お会いするための術もあるのじゃ……それは複雑な儀式と労力を伴うものじゃ」

「……そ、その術を習得できたら……もしかして、俺の呪い、も……?」

「学びなさい。レーキ君。他の誰よりもよく見聞きし、よく学び、いずれ死の王様の御前に到達するのじゃ。呪いに負けてしまわぬようによく生きなさい」

 院長代理は、はっきりと呪いが解けるとは言ってくれない。否、院長代理にも言えないのだ。

 その代わりに、院長代理は優しくレーキの頭を撫でてくれた。師匠がよくそうしてくれたように。静かに微笑んで。

「……ありがとう、ありがとうございますっ!」

 涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭って、レーキは勢いよく頭を下げる。

 希望が見える。その炎はずっと自分の道を照らしてくれていた。そんな気がして。

 呪いのために諦めかけていた事、人を愛しいつくしむということの意味はまだよくわからないけれど。自分の歩く道が暗く険しいだけの道でないとレーキは初めて心の底から思えた。


 五大国、すなわち商の国・グラナート、学の国・ヴァローナ、森の国・アスール、武の国・ニクス、農の国・黄成にはそれぞれ天法院が設立されている。

 中でもヴァローナの天法院はトップクラスと言われ、各国の法院で教師を務めるような優秀な人材を多く輩出していた。

 アガートは自分の勉強の合間に、簡単にそれらの事を説明してくれる。

「ま、また授業で教わることになると思うけどねー。一応基礎知識」

 結局、正式にレーキはアガートと相部屋になる事となった。

 アガートはヴァローナの商家の生まれだったが、家業よりも天法の習得にのめり込んで家を飛び出したらしい。そのため実家の援助を得られずに、苦労しているようだった。

「一応座学の成績は良いからね。オレも特待生ってことになって授業料免除とか寮費とか食費とかは支給されてるんだけどさー……生きてくためには何かと物入りでね。今はノート貸したり、テストの山はったり色々小銭稼いでるよ」

 とほほーと笑うアガートは、そんな苦労も楽しんでいるようだった。

 そんな先輩の姿を見てレーキは安堵する。


 入学して一週間は、学院の基本機能や各施設の説明を受けた。

 天法院は『学究の館』の北東の隅に位置しており、数ある専門院の中では一、二を争う古い建物だ。

 座学を行う教室の並ぶ教室棟、天法の実習を行う実習棟、講堂を兼ねた大きな食堂、学生寮、天法に関する書物が収められた図書館が主な構成になる。敷地面積は専門院の中では一、二を争う広さだった。

『学究の館』にはその他に基本教育を受けた子息たちが通う様々な『専門院』があった。

 天法を学ぶ『天法院』の他に、学問全般を研究する『学究院がっきゅういん』、騎士や武官を育成する『剣統院けんとういん』、商いに関する学問を修める『商究院しょうきゅういん』、音楽に携わるものを育成する『音楽院』などだ。

 レーキにはどれも馴染みのないものであったが、生徒たちの中にはまれに他の専門院に講義を受けに行く者もいるようだった。

「君たちも余裕があれば好きな『院』に講義を聞きに行っても構わないんだよ」

 オリエンテーションを担当した教師はそう言っていたが、授業が始まってしまうと、そんな余裕などどこかに飛んでいってしまう。

 天法の基本は師匠に習っていた事と同じで、レーキが授業について行けない事はなかった。その事だけでも感謝の念が湧いてくる。

 だが、次第に師匠に習っていなかった事柄も増えていく。

 何につけ、新しい事に出会うという経験は、レーキにとって楽しい出来事だった。

 胸に空いた大きな穴に少しずつ、少しずつだが知識が溜まって、その穴を埋めてくれているような気がした。


 無我夢中で、一ヶ月が過ぎる。レーキが天法院に入学したのはちょうど春と初夏の境の季節で、その季節に入学してくる新入生は多かった。

 その中に、見覚えのある赤い羽根の鳥人を見かけた。偶然というものは恐ろしい。それは学院にやってくる途中の街でレーキをひどく拒絶したシアン・カーマインと名乗った少年だった。

 彼もまた天法院の新入生なのだろう。黒いローブを着て同じ教室で鉢合う事もあったが、あちらはレーキを視界に入れないようにしているようだった。鳥人の取り巻きたちといつも一緒で、話しかけてくる事もない。

 レーキは元々社交的な性格という訳ではない。同じ位の年頃の少年少女たちと、一緒に何かをしたという経験も無いに等しい。同じ教室で学ぶ生徒たちと、どんな話をすれば良いのかも解らなかった。

 話しかけられれば答える事も出来るし、相手に敬意を払って接することも出来る。だが、他愛のない話題で冗談を言い合ったり、ふざけ合ったりと言う事に夢中になれるほどレーキに幼さは残されていなかった。

 加えて、レーキには『死の王の呪い』という懸念がある。積極的に友人を作ることは、その友人を死の危険にさらすことになるのかと思うと、交友を躊躇ためらわずには居られなかった。

 自然とレーキは独りでいる事を選んでいたが、寂しいとか、悲しいと感じた事はなかった。学院にはいつでも誰かが居て騒がしく、寮の部屋に戻ればアガートもいる。今よりずっと幼かった頃、盗賊たちと一緒だった頃、静かに慎ましく師匠と一緒に居た頃、そのどれよりも多くの人々が一つの場所にいる。寂しいと感じるいとまもなかった。


 村に手紙を出してから二ヶ月後に、待ちに待った返事が来る。

 村長が代筆してくれたのだろう。男性的な文字で手紙は書かれていた。

 レーキがすぐに村に戻れない事を憂うよりも、天法院に入学できた事を誇らしく喜ばしいと、立派な天法士になって村に戻っておいで、マーロン師の家は村の者が見回るから、こちらは心配しなくてもいい、と。そんな内容の手紙の最後に本文とは違うたどたどしい文字で一言『がっばってね、レーキ』と添えてあった。

 ラエティアだ。直感でわかった。ラエティアはたった一言のために懸命けんめいに文字を習ったのだ。

「……ありがとう」

 うん。俺、頑張るよ。頑張って必ず天法士になる。そしてこの呪いを死の王様に解いてもらって……君に会いに行く。待ってて、ラエティア、皆、師匠……!

 涙と共に。愛しい人々の笑顔と温かい決意が、改めて胸に満ちていくのをレーキは感じた。

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