第15話 学究祭のはじまり

 穏やかな夏が来て、短い夏の休暇をはさみ、実りの秋が来た。レーキが天法院に入学して早七ヶ月が過ぎようとしている。

 その間に二度、村の皆と手紙の遣り取りをした。手紙を送るための費用も馬鹿にならない。学業を優先させた結果、何か手伝い仕事という事も出来ず、レーキはいつも金欠だった。

 同じ教室で学ぶ仲間に、数人顔見知りが出来る。腹心の友、と、呼ぶには素っ気のない関係だったが、友と呼べる存在が出来た事自体がレーキには嬉しいような、苦しいような複雑な心地だった。

「レーキ! 『学究祭がっきゅうさい』の発表は何やるか決めたか?」

 定期試験の後に、レーキは新しく出来た友の一人、クランという二つ歳下の少年に呼び止められた。

「『学究祭』の発表?」

 耳慣れない言葉に、レーキは首を傾げた。

「あ、その様子だと知らないな? 『学究の館』ではさ、秋になると街を挙げて年に一度のお祭りをするんだよ。それが『学究祭』」

「ああ、二週間後に『学究祭』をやるというのは聞いてた。でも発表ってなんだ?」

 レーキが事情を知らないと解ると、クランは俄然張り切った表情を浮かべた。

「各専門院がそれぞれ一年研究してきたりした事を発表したりするんだよ! 『剣統院』は演武とか……『音楽院』は演奏とか芝居とか、『商究院』は屋台とかさ。それがすげー楽しいんだよ! まあ、おれたち一年はまだ専門も分かれてないし発表できることもないから、賑やかしにちょっとした出店とか芝居とかやったりする程度なんだけどな」

 何故だか得意げに胸を張る、クラン。レーキは「なるほど」と、うなずいた。

「それで、クランは何をやるんだ?」

「おれは一年の有志を集めて飲み物と軽食を出す店をやろうかと思ってる。『学究祭』には国内外からいっぱい人が来るし、そういう店なら繁盛はんじょうしそうだろ? 一儲けのチャンスだぜ!」

 青いひとみを輝かせて、クランは計画を語る。レーキは激励のつもりで、「それは楽しそうだな。頑張れよ。クラン」と、友に告げた。

「なに他人事みたいに言ってるんだよ! お前確か料理できるって言ってたよな……?」

「……ああ、簡単なものなら……?」

「頼む! おれたちの店に参加してくれ! 無愛想なお前に接客をやらすとは言わんから! なにか軽食を作ってくれ!」

「……な?!」

 まさか、自分も計画の頭数に数えられていたとは。驚愕きょうがくして絶句したレーキに向かって、クランは頭を下げてさらに頼み込んでくる。

「なあ~! 頼むよ! おれを助けると思って!」

「……」

「な、な、な?」

 クランは指を胸の前で組み、鬱陶うっとうしいほどキラキラした目でこちらを見つめてきた。

「……はぁ……それで? 俺はなにを作ればいいんだ?」

「イエーイ! おれ、レーキのそう言うとこ好・き」

 結局押し負けてしまった。実のところ、『祭』というものに参加してみたいと言う欲も有る。

 幼い頃は置き去りにされるだけだった祭。楽しげに人々が笑い、語らい飲み食い、幸福に包まれる日。自分もその輪の中に入ってみたい。

「……所で調理をするのは構わないが、料理の材料や出店の場所はどうするんだ?」

「その辺は抜かり無いぜ! 材料は商究院に通ってる知り合いの実家から安く仕入れることになってるし、場所は天法院の空き教室を借りる許可はとってある。調理器具は食堂で借りられるようになってるし」

「驚いた。もう随分話が進んでいたんだな。……もし俺が断ったらどうするつもりだったんだ?」

「んー。そんときは軽食なしで飲み物だけ出す店にしたかな……まあ、レーキは断らないって思ってたけどー」

 自分を見透かされていたようで、不思議と少し腹立たしい。ふう。レーキは溜め息をついて、至極しごく真面目な顔で告げた。

「……クラン、お前、商究院に行ったほうが良かったんじゃないか?」

「竜王様はおれに天分と商才の二物を与えてくださったんだよ!」


 二週間の準備期間は、またたく間に過ぎた。

 その間、授業は午前中だけで午後は『学究祭』の準備に当てられる。空き教室の装飾、食器の準備、宣伝用のチラシ、メニュー表、用意しなければならないものは山ほどあって、時間はいくらあっても足りない。

 学院中の空気が、『祭』を楽しむためのどこか浮かれたものになっている。教師たちも「勉学を優先しなさい」と口では言うものの、『祭』を心待ちにしている気持ちは隠しきれないようだった。


「今日も『祭』の準備かい?」

 授業を終えて教科書を置きに寮へ戻ったレーキに、アガートは振り返りながらどこか面白そうに聞いた。

 彼は相変わらず机に向かっていて、何かを書いている途中のようだった。

「ええ。今日は昨日考えたメニューを飲み物担当にも教えます。調理が俺一人だと休憩もできないし……」

「楽しそうだねー君。いい顔してるよ」

「え……あ、そうですか?」

 そう言われて、レーキは無意識に頬に手をやった。アガートは椅子を引き、ペンを指の先で弄びながら、反対向きに座り直して背もたれにあごを乗せた。

「君もすっかりここに馴染んだなぁ。後輩よ」

「……そう、ですね。馴染んで見えますか?」

「うんうん。『よく学び、よく遊び、よく語らいなさい』って、コッパー院長代理の口癖。あれを実践してるみたいじゃないか」

「実践できているなら……嬉しいです」

 アガートの台詞が褒め言葉のように感じて、レーキは誇らしいようなくすぐったいようなそんな心地でふと尋ねた。

「あ、そういえば、アガートは『祭』の発表は何をやるんですか?」

「んー。二学年生はねー専門分野の研究発表かなー。同じクラスには天法で作った治癒水ちゆすいの出店とかやる奴らもいるみたいだけど……オレは『水浄化の天法の発展型とその比較研究』ね。発表の出来、不出来も一応成績に関係有るから。結構必死だよ」

「二学年生は大変なんですね……」

「そ。だから楽しめる時に目一杯楽しんどくといいよ。レーキ」

 そんなアガートも、一学年生の時は目一杯楽しんだのだろうか?

 そんなことが気になってわずかに表情を曇らせた後輩に、先輩はいつもどおりの茫洋ぼうようとした笑顔を向けた。

「……ささ、オレはレポート作成に戻るから。君は準備に行っといで」

「あ、はい!」

 クランとの約束に遅れてしまう。慌てて部屋を出ていくレーキを見送って、アガートは袖をまくり「さて。もうひと頑張りしますかー」と一人つぶやいて机に向かった。


『学究祭』一日目の朝。

「……」

 気がつけば目が覚めていた。朝が明ける間近の時刻のようで、部屋は暗かったが、カーテン越しの窓は薄っすらと明るい。

 時計などという贅沢品は、この部屋にはない。だが、早く目が覚めすぎたことはレーキにもわかった。

 ベッドに身を起こす。この半年ですっかり慣れたアガートの寝息が、部屋の反対側に有るベッドから聞こえてくる。

 ──そんなに楽しみにしてたのかな……?

 声に出さずに自問する。確かに鼓動はわくわくと喜ぶように高鳴っていて、自分が思っていた以上にこの『祭』を待ち望んでいたことを理解した。

 レーキはルームメイトを起こさぬように息を殺してベッドを出ると、真っ先に、眠る間外していた眼帯をつける。

 ──コレもだいぶくたびれてきたな……

 丈夫な皮で作って貰った眼帯は、一度師匠が直してくれた。その時、師匠は傷ができた経緯もなにも聞かないでいてくれた。

 でも。今になっても傷痕を他人の目にさらすことが怖かった。みにくいとさげすまれることよりも、どうして傷ついたのかと問われることの方が怖かった。

 寝間着から普段着に着替える。そっと鳥人用に背に切り込みの有るローブを羽織って、部屋を出た。

 寮の中はまだしんと静まり返って、普段なら騒がしい廊下を歩いている者も、誰ひとりいない。

 物音を立てぬよう階段を下り、静かに寮の中庭に出る。そこでレーキは幾度か羽ばたき、空に向かって飛び上がった。羽音さえうるさいほどあたりは静寂に満ちていて、レーキは慌てて寮の屋根に降り立つ。そのまま、まばゆい朝日が古めかしい教室棟の屋根をなめて、早起きの小鳥を照らし、学生寮の屋根に到達するまで立ち尽くした。

 朝焼けの色は紫。次第に赤く、明るく、涙を誘うほど美しく空を染め変えて、青い空へ。雲ひとつ無い快晴だ。

「……!」

 天に向かって喜びを叫び出したいような、そんな高揚感。火照り気味の頬に、朝の清冽せいれつな空気は冷たく心地よい。

『祭』がなければ、このままどこまでも飛んで行きたいような素晴らしい朝。

「……さあ、『祭』だ」

 叫ぶ代わりに満足気に小さく呟いて、レーキは両手でぱんっと自分の頬を叩いた。気力が満ちてくる。

 今日はきっといい一日になる。そんな予感がした。

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