第26話 牙を捨てた獣

《蛙の湿地洞窟》での件から2週間後の真夜中。ニナナが、ようやく帰ってきた本社地下10階の自室の扉を開けると。

「やあ。ニナナ君。」

株式会社ダンジョンズのトップ、カムイがニナナのベッドに腰掛けていた。

「君に話があってきたんだ。」


ニナナは急いで扉の外の部屋番号を確認した。

「あはは、大丈夫。ここは君の部屋さ。」

藤色の長い髪をかき上げた男性。青く燃えるような両眼。ニナナは彼に見覚えがあった。カジノでの乱闘に関わっていた男だ。しかし。

「だ、誰?」

「アッハハハハハ!カムイ、って言っても分からないよね。ならこれはどう?シンラの副人格。」

ニナナは驚愕した。シンラ社長が多重人格者というのは有名な話だ。

「はは。ザムザ君もそうだったけどさ、僕ってそんなに有名じゃないのかな。社長の顔まで知ってる社員がどれくらいいるか分からないけど、僕の名前くらい覚えといて欲しいな。」

ということは彼はこの会社の代表者、ということか。

「そ、その・・・なぜそんな人がここに?」

早口で捲し立てられて混乱したニナナの口から出たのはそれだけだった。

「まあ、入って寛いでよ。ここは君の部屋だからさ。」


「それにしても君は変わったね。まず口数が増えた。」

カムイはニナナをじっと見つめていった。ニナナは寧ろ部屋をキョロキョロと見回している。彼は自分の何を知っているのだろう。過去の口数の少なさ?きっとそれだけではないだろう。

「雰囲気も明るくなったよね。カジノで見かけた時とは別人だ。数週間でここまで変わるかな。やっぽど、毎日が充実してるんだね。」

充実、という言葉がニナナの考えを刺激する。

「違います。周りの環境が変わっただけだ。」

「それを充実って言うんだよ。君は確実に変わった。No.277からニナナへ。そしてニナナからNo.277へ。」

言っている意味がよくわからないが、認めるわけにはいかない。なぜなら自分は。

「僕はただ!」


それをカムイが遮った。

「ニナナ君、君は自分が本質的には変わっていないと思っているのかい?本当に?」

ニナナは唾を呑む。

「いいや。君は変わったんだ。君が16人の死と引き換えに生き残ったあの事件からね。」

「そんなことはない!」

自分は生きる覚悟をしただけだ。待遇が変わっても自分は変わっていない。

「上物のスーツを着て髪型を整えて部屋を出る君が?給料が2桁増えて馬鹿みたいに喜んでた君が?イマルク君を守ってやらなくちゃ、なんて上から目線で物を考えていた君が?

間抜けで考えなしの過去の自分と同じだって?本気でそう考えているの?」

「同じです!同じ!」

カムイの顔に混沌が差す。それはカムイのものともシンラのものともつかないあの顔だ。

「それは君の怠慢だよ。今の自分の生活があの事件の上に成り立っているという事実から目を逸らしているだけ。言い訳が欲しいだけなんだよ。」

ニナナはカムイに掴みかかった。歯を食いしばって、目に涙を浮かべて。


「ま、いいよ。今日は君を馬鹿にしに来た訳じゃないからね。No.277、君に頼みたいことがあるんだよ。」

「聞いてたまるか!」

「まあ落ち着いてよ。お遣いをお願いしたいのさ。もしかしたら、君の欲しいものも揃ってるかもね。」

ニナナの目から涙が垂れていた。

「君の決断を楽しみに見させて貰うよ。」

そう言った直後には、カムイはニナナの背後に立っていて、そのまま部屋を出ていってしまった。

「カムイ!僕はあなたを・・!」

叫びは月すら見えない宵闇に溶けていった。

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