第2話 ダンジョンズ・インク

この世界には勇者と呼ばれる職業がある。それは例えば冒険家、とか戦士、とかいうそれとは似て非なるもの。一線を画す。勇者の定義は各国の王室が認めている、ということであって世界に数十人しかいない。彼らの目的は世界に蔓延る魔物たちの討伐。各地には魔王城と呼ばれるものが建てられ、そこから凶悪な魔物たちが人の支配圏を犯しにやってくる。さらには魔王城には魔王と呼ばれる格上の魔物が居座っているのだ。

では魔王はどこから来るのか。それは天界。天界には大魔王城という三千里四方の大宮殿があり、その主、大魔王が日々魔王たちを地上に送り込んでくる・・・ということになっている。

本当の話をする前にこの物語の主人公を紹介しよう。


社畜の朝は早い。午前4時半社員寮にブザーが鳴り響く。株式会社ダンジョンズの社員No.277、通称ニナナは目を覚ました。24歳の男の絵を描け、と言われたら彼の写真を持っていくのが正解だ。とでも言うべき男だ。

彼の本名は4歳の時に意味をなくした。即ち彼がこの会社に入った時からである。それ以来彼の名前はNo.277であり、仲間内でのあだ名がニナナである。

社則で睡眠時間は3時間以内と決められているが、この日は特に酷かった。1ヶ月かけて準備したダンジョンのオープン初日、人事部員の指摘を受けて役職をクビになった。次の責任者が必要とするかに関わらず引き継ぎ資料を作らなければならない。残業でこの日は1時間しか眠れなかった。

株式会社ダンジョンズはダンジョン経営で成り立っている。ダンジョンへの挑戦料、ダンジョンの経営権の売買、それから勇者の勝敗を賭けるカジノの運営が主な仕事だ。厳密な秘密管理によって各国王室のトップしかこのことは知らない。

そして。秘密管理のため、所有するダンジョンのあらゆる運営業務は株式会社ダンジョンズの社員が行う。社員といっても、幼い頃会社に買われたか攫われたかで属している者がほとんどであるから、実際には家畜と同じ。言うなれば、社畜である。

ダンジョンの設計、システムの構築、魔物としての戦闘がその業務だ。

件のニナナはと言えば。極めて有能とも言えない彼がダンジョンの責任者になれたのはかなりの幸運だった。しかし、オープン初日、それを棒に振った。彼は再びただの社畜に戻り、デスクワークや低ランク魔物としての戦闘を繰り返しているのだった。


「うげ。」

給料日。袋が配られた直後ニナナが中身を確認すると。銀貨が3枚入っていた。3000ゴールドだ。

「2000ゴールドも減った・・」

社食で一番安いのはリンゴの果実。1日の食事を極限まで切り詰めればリンゴ3個だろうか。100ゴールド程度。1ヶ月だとギリギリだ。

4000ゴールドだった給料は5000ゴールドに上がったかと思えば今月は3000ゴールドだ。諸行無常。色即是空。

「あの人事部のひと、ただの悪口だったよな。センスないとか。」

ため息が溢れる。しかし人事部はかなりのエリート部署だ。給料袋はきっと風が吹いても飛ばされない。

「54かあ。」

彼は社員No.54。しかしこの数字はニナナのそれとは別物だ。1200人居る社員の内、人事部の査定の下、成績が99位以内になると番号が変わる。月末の査定の度にその順位のものに変わるのだ。だから3桁、4桁社員と2桁社員は扱いの差が歴然だ。財務や人事、営業などの花形部署に入れてもらえるとか。少なくとも「北ヨーカルド大陸ダンジョン開発部」になんて入れられたりはしない。

ところで2桁以上の数字は毎月変動するが、実際には大した移動はない。2桁と3桁の間には大きな差があるし、1桁のいわゆる常務と言われるバケモノ達は数字が固定されているからだ。因みにバケモノたる彼らは人間らしい名前を持っているとか・・・


No.9こと監査部のハーグスタフ部長は長閑な庭園でハーブティーを片手にしていた。白のスーツに薄灰色のストライプが映える。片眼鏡の奥の左目は笑っていない。

「あなた様からお尋ねになられていらっしゃるなんて、どうかなされましたか?No.5。ヴォルフワークス人事部長殿?」

「ええ。経理部の件で相談があるのです。」

丸テーブルの反対側に足を組んで座る赤シャツの男が言う。彼の顔にも笑みはない。ハーグスタフはこう答えた。

「あの方々には悪い噂が絶えていらっしゃいませんからね。」

敬語の使い過ぎだ。

「あの方。ですがね。」

あの方、というのは経理部長のことだ。2人は冗談をぼかすように笑った。相変わらず目は笑っていない。

「しかし。」

ハーグスタフが口を挟んだ。

「良い噂を伺いませんのはあなた様方についても同じでございます。」

「監査部殿ほど潔白にはなれません。」

庭園には冷たい2つの笑い声と、寒い4つの目と、そして殺気が張り巡らされていた。ハーグスタフはハーブティーを口につけた。

そこに、地下階から人事部の社員が上がってきた。この花畑は本社の地上部分にある。

「お、お話中失礼します!ヴォルフワークス部長!北ヨーカルド大陸ダンジョン開発部の《凍れる地下迷宮》、オープン初日の報告書です!」

「茶会にお仕事を持ち込まれるなんてマナー違反でございますよ。」

「あなたの二重敬語には負けます。ほう。責任者の変更を提案・・。まあ良いでしょう。次は、辞めてもらうことになるでしょうね。No.277。」

この会社に、辞職はない。あるのは辞世だけだ。

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