第77話 バレンタイン

 



 2月のイベント。

 そう言われれば、誰もが口にするだろう。圧倒的認知度を誇るその名は……バレンタイン。


 3年前の嘘にまみれたバレンタイン。

 2年前の憐みの目にさらされたバレンタイン。

 去年は存在自体忘れていたバレンタイン。

 正直直近で、良い思い出はない。


 ただ、今年だけは……例外だ。

 ある意味、今までで1番重要かもしれない。


 そんな来たる2月14日の朝。俺、日南太陽は……ベッドに腰掛け、神経を集中させていた。


 ピロン


 聞こえて来たスマホの通知音。

 待っていましたとばかりに、素早く手に取ると画面をタップする。


 真也ちゃんか? 昨日はチョコ作るから連絡できないって前々から言ってた。そして当日の朝に必ず連絡するとも。

 ……そう。以前に真也ちゃんが聞いていたを誰にあげるのか。その情報をお届けすると。


 ゴクリ


 しかし、そんな緊張感とは裏腹に画面に表示されたのは……


「なっ、なんだ。詩乃姉か……」


【おはよう、たいちゃん! そしてハッピーバレンタイン。今年も希乃姉とチョコ送るよー。時間指定で送るから、夜の9時にはアパートに居てね?】


 希乃姉と詩乃姉は、毎年欠かさずチョコをくれる。時には手渡し、時には宅急便。

 その気遣いと優しさには癒されてばっかりだ。そして今年ももれなく嬉しい事には変わりないけど……ごめんよ詩乃姉。今俺は、運命の岐路に立たされている。返事が簡単だけど許してくれ。夜にはちゃんと電話するから。


【本当? いつもありがとう。必ず9時にはアパートに居るようにするよ】

【うん! お願いね?】


「ふぅ」


 メッセージを送ると、俺は1つ大きく息を吐く。

 時計を見ると、時間は刻々と過ぎていた。


 そろそろ真也ちゃんは登校する時間だ。けど、連絡はない。

 今日俺達の講義は2コマ目からだから……家を出るのは真也ちゃんが先。何かあっ……


 ピロン


 そんな時、またしてもスマホの通知音が耳に入る。もはや反射的にスマホを手に取ると、その画面に表示された名前に少し安堵する。

 宮原真也。

 待ち望んだ戦友からのメッセージだ。


【すいません! 団体さんの朝食の手伝いや、チョコの包装なんかで遅くなりました】

【いや、全然だよ】

【今、バスで駅に向かってます。大分落ち着いたので状況をお話ししますね】


 団体さんかぁ。色々忙しかったはずだよな……なんか申し訳ない。


【ありがとう。お願いして良いかな?】

【はい。まず手作りチョコなんですが、私も一緒に作ったので千那姉が用意した数は間違いないと思います】


【個数か……】

【はい。間違いなく3個でした】


 3……個?


【3個って……】

【包装紙等も一緒に買って来たので、おそらくピンク色だと思います。けど、多分千那姉は講義2コマ目からですよね? まだ包んではなかったんですけど……】


【確かに、今日は講義2コマ目からだよ】

【ですよね? ちなみに、チョコ作ってる時、色々話ししながらだったんです。その時、誰に渡すのかって話になったんですけど……この3つのチョコは千兄、天女目さん、そして日南さんだそうです】


【マッ、マジか!】

【手作りチョコが千兄の分とかって言ってくれたら確定だったんですけど、私達にとっては首の皮一枚繋がりましたね】


 まぁ、最悪の事態はとりあえず免れた。けど、結局は振り出しに戻るって事にもなるんだけど……正直

 、宮原さんの手作りチョコはめちゃくちゃ嬉し……


【もしかして手作りチョコ貰える事にテンション上がってません?】


 ぐっ! マジか? 真也ちゃんにはお見通しなのか!?


【もしかして心の中読める?】

【ふふっ。そんなの分かるに決まってるじゃないですか。私だったら好きな人からの手作りチョコ嬉しいですもん。同じ気持ちかなって】


【正解だよ】

【やっぱり。でも日南さん? 気になる点が1つ】


【何かな?】

【私、包装終わって学校行く前に……千那姉の部屋に行ったんです。自分のは包装したって伝えたくて。それで、部屋ノックしたんですけど返事がないから……起こそうと思って入ったんです。そしたら……机の上に紙袋がありました】


 机の上に……紙袋?


【紙袋?】

【はい。その紙袋には何かが入ってたんです。何かは見えなかったんですけど……その紙袋自体には見覚えがありました】


【見覚えって……】

【包装紙買いに行った時に、これチョコ入れるのに丁度良さそうー! って千那姉が買ってた紙袋でした。勿論、手作りの……3人のチョコ入れるものだと思ってたんですけど、まだチョコを包装していない状態で、既に何かが入っていたんです】


 ……チョコを入れるのに丁度良いと思って買った紙袋。その中には、既に何かが入っていた? もしかして、真也ちゃんに内緒で秘密に作っていたチョコがもう1個ある!?


【もしかして別にチョコがあるって事か。そして、それは真也ちゃんにも内緒で、それがもしかすると……】

【可能性は十分あると思います】


【……そっか。じゃあ俺は、まずはその紙袋。そんでその中のチョコらしきモノの行先を観察するよ。真也ちゃん、忙しい時に本当にありがとう】

【とんでもないです。後は……日南さんに託しますので】


 本当に真也ちゃんには感謝しか感じない。手伝いに、普段の高校生活。その上、宮原さんを見てくれる。

 この恩は絶対に返さないといけないな。

 あっ、それともう1つ……言わなきゃいけない事がある。


【任せて。あっ、あと真也ちゃん?】

【はい?】


【千太へチョコ渡すの……頑張ってね】

【なっ……もう本当に日南さんはズルいですね。本当に不意打ちの様に……】


【ごめんごめん】

【でも、ありがとうございます。元気出ました。それじゃあ日南さん、また連絡しますね? ハッピーバレンタイン】


 真也ちゃんの嬉しい一言で、俺の1日が始まる。

 今日の肝となるチョコレート。宮原さんが作ったそれは、どうやら俺達に向けられたものらしい。

 ただ、問題はの中身。


 もちろん、ただの荷物かもしれない。

 真也ちゃんにさえ内緒にしている千太への本命チョコなのかもしれない。


「ふぅ」


 俺は思わず息を吐くと、ベッドから立ち上がった。


「よし。身を清める為に……シャワー浴びるか」



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「よいしょ」


 誰も居ない教室。

 まだ1コマ目も途中の時間。2コマ目の講義が行われるこの教室は空き教室になっている。

 緊張のあまり、居ても立っても居られずに早めに教室へ来てしまった。


 いつもの指定席には、もちろん誰も居ない。そんな席に俺は座ると……刻一刻とその時が来るのを待っていた。


 こうしてポツリポツリと教室へと現れる人影。その度に渦中の人かと視線を上げるが、その多くは空振りだった。


 そして何度かそんな行動を繰り返したのち、ついに見覚えのある人影が現れた。


「おはよう! 日南君!」

「おう、おはよう天女目」


 まずは天女目。必ずと言って良いほど、俺がいつも教室へ来ると座っている。流石に早い時間に来ているもんだ。


「今日早いねーどうしたの?」

「なんか目冴えちゃってさ?」


 こうして天女目と他愛もない雑談をしていると、またしても見覚えのある人影が近付いてくる。


「おっすぅー! 日南っち。なのっち」

「おはようー算用子さん!」

「算用子さん。おはよう」


 算用子さん。彼女もまた、俺が教室へ来ると既にいる人物だ。


「あっ、はい! 2人共ー! ハッピーバレンタイン」

「えっ? あー今日バレンタインだー。ありがとう算用子さん」


 まさかの算用子さんからのチョコ。思わぬ行動に驚きは隠せない。


「マジで? ありがとう、算用子さん」

「お返し楽しみにしてっからねぇー? なんちって」


 ……いや。見た目と話し方はギャルそのものだが、実のところ算用子さんは優しい。気遣いも出来るし、周りの状況も良く見ている印象だ。つまり、知り合って1年も経っていない俺達にも義理チョコくれるのだろう。

 だが、いざ貰うとなるとやはり嬉しいものだ。


 こうして思わぬご褒美を貰いながら、3人の雑談タイム。

 それがしばらく続いたのち、次に姿を見せたのは……


「おっはよー!」


 渦中の宮原さんだ。

 その刹那、俺は宮原さんの荷物を確認する。いつのも鞄に…………鞄だけ!?


 ただ、その手にはいつも大学へ持ってくる鞄しかない。

 かっ、紙袋は?

 そんな疑問で頭が一杯になって居た時だった。


「あっ、はーい。日南君! ハッピーバレンタイン」


 突然のチョコレート。

 正直、自分の口がいつもの様に回ってたかは分からない。

 もしかすると、可笑しいと思われたかもしれない。


「えっ!? 宮原さんも? 嬉しいよ!」


 それでも、何とかお礼の一言は言えたような気がする。


「ありがとうー宮原さん!」

「あれ? もしかしてすずちゃんも?」

「そりゃ友達には、もちろんあげるでしょー? 千那にもあるからね?」

「嬉しいー! 私はね、すずちゃんに今日の学食おごってあげようと思ってたんだ」


 手渡されたのは真也ちゃんに言われた通り、ピンク色の包装紙に包まれているチョコ。

 と言うことは、これが真也ちゃんと一緒に作っていた手作りチョコに違いない。

 ただ、俺が気になるのは、あくまであの紙袋。その登場はあるのかどうか……俺の気は休まる事を知らなかった。


「あっ、後これ……真也ちゃんからのチョコだよ?」

「えっ?」


 それは水色の包装紙に包まれたチョコ。

 真也ちゃん……ありがとう。




 見えない紙袋への不安と、宮原さんから貰ったチョコと、サプライズで貰ったチョコ達の嬉しさ。

 そんな狭間に揺られながらも、俺はあくまで自分の成すべき事を全うした。


 最後に現れた千太。

 もちろん千太にも算用子さんと宮原さんはチョコを渡したけど……俺達と同じモノだった。


 その後も、いつあの紙袋が出て来るか……

 それとも、2人で抜け出してこっそり渡すのか……


 なんて考えていたものの、続く講義も、昼休みも、空き時間もそんな素振りも動きもない。

 そして、何事もないかのように今日の講義は終了。


 いつもの様に俺達はサークルへ行き。





「お疲れ―」

「お疲れ様でした」


 良い汗をかいて、帰宅の途に就いた。


「おつかれっしたー」


 体育館を後にすると、いつもは冷たい風が心地良い。

 ただ、そんな心地良さとは裏腹に、心に残るモヤモヤ。


 ついにあの紙袋の存在は確認できなかった。

 千太との怪しい行動も見当たらなかった。


 結局……何事もなく2人が付き合っているかという問題は、振り出しに戻った。


「ふぅ」


 真也ちゃんに報告するか。

 そんな失意のまま、ポケットのスマホを取り出そうとした時だった。


「日南君!」


 突然後ろから聞こえた声。

 思わず反射的に振り向くと、そこに居たのは……


「えっ? 宮原さん?」


 宮原さんだった。

 あれ? 一緒に体育館出て、駐車場の方に行ったんじゃ……


「良かった間に合った」

「間に合った?」

「うん。あのね、日南君……これ!」


 いつもの明るい表情で、徐に手を前に向ける宮原さん。その手の中には、白いリボンが付いている真っ黒い箱があった。


「えっ? これは?」

「んとね? 今年、日南君には色々良くしてもらったし、色々迷惑もかけちゃったし、色々楽しい思いもさせて貰ったから……バレンタインチョコ!」


 ……えっ? でもチョコなら朝に貰ったよ? 手作りチョコ!


「えっ? チョコ? けど、朝にちゃんと貰ったよ?」

「あれとは別に……その……かっ、感謝のチョコだよ! えっと、今年1年のお礼と、来年も楽しませて貰える様に、先払いチョコ!」

「先払いって……」


 その思わぬ言葉に、思わず吹き出してしまった。

 けど、そんな行動はいかにも宮原さんらしくて、俺の好きな宮原さんの行動そのものだ。


「あっ! そういえば日南君、先輩達からも結構チョコ貰ってたよねぇー。じゃあ私のはいっか。そうだよねー」

「違う違う! ごめんってそう言う意味じゃないから! うっ、嬉しいです。サプライズチョコ嬉しいです」


 そして自然と、笑顔が零れる。


「ふふっ。じゃあ改めて、ハッピーバレンタイン」

「じゃあ改めて、頂きます。ありがとう」


 ……いやいや。なんか特別な気がするな。てかサプライズ過ぎて嬉しいんだけど。これは……


「あっ……そういえば日南君?」

「うん?」


「あのね、ちょっと聞きたいんだけど……」

「何かな」



「……真也ちゃんと付き合ってたりする?」



 その言葉は、あまりにも衝撃的だった。

 一瞬、真也ちゃんとの運命共同体関係が頭を過ったものの、それはあくまで両者の目的の為だ。

 なぜいきなりそんな事を? なんて色々疑問は浮かんだけど……今大事なのは、誠心誠意本当の事を言う事だと思った。


 焦らずに!


「真也ちゃんと? いやいや、ありえないでしょ」

「ほっ、本当に?」


 いきなり過ぎて驚いたけど……むしろそれを聞きたいのは俺の方なんですけど?


「当たり前じゃん。大体真也ちゃんは、まだ俺と距離取ってる感じでしょ? あーりーえーなーい」

「そっ、そっか。そうなんだ」

「どうしたのさ宮原さん。急に変な事言い出して」


 ……あれっ? ちょっと待てよ? この流れ……この会話の流れはチャンスなのでは? 俺も冗談交じりで、そんな事言うなら宮原さんと千太って付き合ってるの? って聞け……


「へへっ。ごめんごめん。全然気にしないで? それじゃ、私行くね? バイバーイ」

「あっ、ちょっ!」


 そう言うと、宮原さんは走って行ってしまった。

 それはもう、俺のチャンスをかき消す程の速さで……質問の一言さえ言えなかった。


 おーい。今なら聞けたじゃないのかぁ?

 とはいえ、終わってみれば手元には宮原さんの手作りチョコと……サプライズで貰った第2のチョコ。


 結局、紙袋の正体は分からずじまいで、付き合っているのか問題の進展はなかった。

 けど……


 ん? 宮原さんこっち振り向いたぞ?


「日南くーん、そのチョコ本当に美味しいから……絶対食べてねー?」


 手を振りながら、見せる笑顔は……やっぱり可愛かった。




 ……帰ったらすぐ食べよう!



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