第70話 眺める風流、ざわめく心




「ふぅ」


 空から降り続ける粉雪に、見渡す限りの綺麗な夜景。

 体を覆う熱めのお湯と、心地良い掛け流しの音。


 ここぞとばかりに恵まれた状況。まさに日本の風流を感じさせる環境。

 そんな贅沢な場所に居ながら、俺の心は立ちつくす湯気の様にどこかモヤモヤしていた。


 もちろんその原因は、さっき見たあの光景。そして真也ちゃんの涙。



『……バカですよね?』

『真也……ちゃん』


 俺なんかに自分の事を話してくれた真也ちゃん。薄暗いながらも、その表情は悲しげなものだった。


『本当にすいません。日南さんに、こんな変な事言って……』


 ただ、その表情は……なぜか自分の心にも響く。

 他人の様な気がしない。そう、まるで過去の自分を重ねているかのように。


 信じていたけどダメだった。


 俺の時とは細かな状況は違うかもしれない。

 ただ、その悲しみは同じようにも思えた。


『変じゃない。誰かに言えることで救われる事もある』

『……えっ』


『むしろ俺なんかにそんな大事な事を言って貰えて、吐き出して貰えて……嬉しいよ』

『なっ、何言ってるんで……』


『多分さ、今の真也ちゃんと同じ気持ち……俺もなった事あるからさ。誰かに言う辛さも、誰かに聞いて貰える嬉しさも理解してるつもり』

『そっ……そんな……』


『だからさ、辛い時は目一杯泣けば良い。疲れて泣く事さえ出来なくなったら……次の事を考えればいいんじゃないかな? 無理にいつもの自分に戻らなくても良い……いや、むしろ今だけは本当の自分を大事にしても良いんじゃないかな』

『本当の自分……』


 過去の自分もそうだった。

 受け入れられない自分と、いつもの様に居なきゃという葛藤。

 ただ、その結果は結局家族を不安にさせただけだった。


 俺の場合、ある時は希乃姉。ある時は詩乃姉。

 ある時は両親が異変に気付いてくれたから。

 そして聞いてくれたから。


 だから今の真也ちゃんにもその状況が必要だ。そう思ったんだ。


『もう……日南さんは本当にずるいです。お人好しで……そのくせ人の心読んでるみたいに当てて来て』

『まぁ、経験者としてのアドバイスかな?』

『そういうところですよ……本当。そんな図星言われて……優しくされたら……』


『我慢できないじゃないですかぁぁ』


 その瞬間、真也ちゃんは何かが崩れたかのように俺へと抱きついて来た。

 勿論、そういう感情からの行動じゃないのは理解が出来る。ましてや、いつもの容姿から大人っぽく見えるけど、まだ高校生。心のどこかは年相応に違いはない。


 さっきとは違う大きな声。

 俺の体のおかげで大分小さくはなっているけど、その振動は胸へと伝わる。

 服を握る手の震えが強くなり、次第に感じる湿るような感覚。

 その度に、真也ちゃんが自分を曝け出してくれているのだと安心する。

 そして自分でも、誰かの役に立てるんだと……思うことが出来た。



「上手く出来たかな」


 思わず零れた言葉には2つに意味があった。

 1つは真也ちゃんに対して。

 そしてもう1つは、あの後いつも通りのテンションでいられたか。


 暫くして、落ち着いた真也ちゃんと一緒に部屋に戻ると、色々な隠ぺい工作を図った。

 真也ちゃんは顔を拭いて、いつも通りの表情に。

 俺は胸に付いた染みをジュースを零したことにし、あくまで何も知らないという心の準備。


『日南さんは気にならないんですか?』

『ん?』

『千那姉の返事……』


 正直気にらないと言えば嘘になる。ただ、自分が好きな人が他人が好きだという事実を突き付けられた真也ちゃんに比べれば、どうってことはない。せっかく真也ちゃんが落ち着きを取り戻しただけに、わざわざ掘り返す必要はないと思った。

 それに、


 ―――嬉しい―――


 確かに聞こえたその言葉で、その後の2人のやり取りを想像するのは容易だ。


『気にはなるかな? けど……俺達はずっと部屋に居た。玄関になんて行ってない……だろ?』

『……うん』


 今思えば完全に良い格好しいだったけどね。


 そんな数分後に2人は帰って来た。それこそ、いつもと変わらない雰囲気で。

 そこからは4人で他愛もない話をした。自分ではいつもの……あの出来事が起こる前の自分でいたつもりだけど、どうだろう? 顔に出てはなかったか。様子はおかしくなかったか。不安は残る。


 まぁそれはともかく、暫くすると千太は自分の家に帰って行った。

 そして真也ちゃんも自分の部屋に。

 宮原さんは算用子さんの布団を準備してくれて……俺は天女目を隣の部屋に。


 そして逃げる様にこの露天風呂へ。


「はぁ……」


 大きな溜め息は、温泉の流れる音にかき消される。


 モヤモヤする感情。

 それはどこか懐かしくて……どこか消し去りたいと思っていたモノに似ている。


 宮原さんはハッキリ言ってタイプだ。それに性格だって……今まで過ごしてきた中で良く理解してきたつもりだ。

 ただ、抱こうとしていた感情は、今まで3度も押し潰されてきた。


 その不安と恐怖は……やっぱり心のどこかにまだ潜んでいる。

 でも……それなのに感じるモヤモヤはなんだろう。


 自分の心は? 本当の心は? 

 真也ちゃんには得意げに話していたくせに、1番自分を分かっていないのは自分自身だった。


「今だけは本当の自分を大事にして良い……か……」


「本当の自分。本当の気持ちって……」




「なんだろうな」



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