第64話 先人の言葉

 



 見下ろせば、そこには無数の光。

 見上げれば、そこには綺麗な月。


 体全体を覆うかのような温かさに、止まることを知らない額の汗。


「ふぃぃ」


 無意識にそんな情けない声が零れる程に、今この時間は最高に思える。

 宮原旅館露天風呂……恐ろしや。


 ……って、こんな最高のお風呂いただいちゃっていいのか?


 結局、宮原さんらを目の前にして、俺は折角の提案を懇切丁寧にお断りした。

 内心ギクシャクしたら嫌だなぁ。なんて思ったけど、皆の反応は意外と普通で……


『だな。なんか強引で悪かった太陽』

『ふふっ。でも気が変わったらいつでも待ってるわよ?』

『はははっ、そうだぞ?』


 ちょっと安心したっけ。けど、宮原さんは別の意味でヤバかった。


『日南君。ごめんね? 自分勝手だったね』

『いや、全然だよ』

『うぅん。本当にゴメン』


 あんなに落ち込んでる宮原さんは見た事なかった。そりゃ必死にフォローしたけど……いつもの姿とは程遠かったっけ。


 まぁ、その後宮原さんのお父さん達にお風呂勧められてさ?


『そっ、そうだよ? お風呂位は良いでしょ?』


 なんて宮原さんに言われたら断れなかったよ。

 それで、遠慮なく入らせてもらったけど……


「あぁ……最高」


 めちゃくちゃ最高。

 ちょっと暑いけど、外の空気に見下ろす限りの夜景は格別。こりゃ疲れも吹っ飛ぶわ。

 ……なんてシミジミ思いに耽っていた時だった。


「あら? その声、日南君?」


 突如として聞こえて来た女の人の声。

 一瞬ドキッとし、辺りを見回したものの……隣に聳え立つ仕切りが目に入る。そうなれば声が聞こえて来た場所も、その声の主も理解するのに時間は掛からない。


「えっ? はっ、はい。真白さん……ですか?」

「そうよぉ」


 それは間違いなく、真白さん。どうやら同じく露天風呂に居る様だ。


「あれ? 花那ちゃんはどうしたんです?」

「暑い―って言って先に上がっちゃった。とはいっても、毎日の事だからね? 私は結構長風呂なの」


「なるほど。確かに子どもには少し暑いですもんね」

「そうねぇ。それで?」


「えっ?」

「バイトの事でお話してたんでしょ?」


 なんでそれを……って、そりゃ透也さんの奥さんなんだ。知ってて当然だよな。


「ははっ、ご存じでしたか」

「ふふっ、もちろん。でも、何となくだけど……お断りしたんじゃない?」


「えっ? なんで……」

「うーん。なんというか、パッと見た日南君の印象かな?」


「印象って……」

「それに、もし私がその条件言われても断っただろうなって」


「真白さんも……ですか?」

「うん。仲が良いからこそ、そこまでの厚意に甘えたくはないもの。そうでしょ?」


 そっ、その通りだ。一言一句その通り。

 なっ、なんなんだ? この真白さんって人は。


「そうですね」

「ふふっ」


 今日初めて会ったよな? なのに……勘か? それとも分かる人なのか? けど、何となく不思議な雰囲気はする人だよな。


「でもね、日南君」

「はっ、はい」


「ここは良い所だよ? それに宮原家の皆もね?」

「それは……良く分かる気がします」

「やっぱり? 私はね? ここで働いて、色んなことを知って、色んな人に出会えた。そして今、とっても幸せ」


 幸せか……そりゃそうだろうな? 毎日笑顔が絶えなさそうだ。

 けど、なんだろう? 真白さんの言い方、なんか含みがあるというか……あっ!


『そうそう。お兄ちゃんの奥さん! 真白さんって言うんだけど、大学在学中にウチで住み込みのバイトしてたんだって』


 前に宮原さん言ってたな。

 この真白さんは大学在学中に住み込みでバイトしてたんだって。それと関係あるのかな?


「あの真白さん? 大学在学中にここで住み込みのバイトしてたんです……よね?」

「うん。そうだよ?」


「あの、こう言っちゃあれなんですけど……どうして住み込みで?」

「……」


 あっ……ヤバいか? これ地雷踏んだか?


「…………私はね? 透也君に……宮原家の皆に救われたんだ」

「えっ?」


「私、高校生の時にね? 家族を交通事故で失ったの。私だけ運よく生き残ってね? 本当、あの時は生きる希望なんてなかった」


 っ! 事故? 家族を失った? 待て待て……ヘヴィ過ぎないか!?


「そんな時、当てもなくどこかに行きたいと思って……偶然辿り着いたのがここ。そこで透也君に会ってね? 多分私、凄い顔してたと思うんだ。そんな私を家に案内してくれて、ご飯やお風呂勧めてくれて……初めて会ったはずなのに、瞬く間に皆があの温かい雰囲気をプレゼントしてくれたんだ」

「あの雰囲気……」


「そう。それでね? 私嬉しくって、本当に嬉しくって恩返ししなきゃって思ったの。それで黒前大学を受験して、無理を承知で住み込みで働かせてもらったんだ」

「そっ、そんな経緯があったんですね」


「あっ、そういえばあの時……結構な待遇を用意して貰ったなぁ」

「結構な?」


「日南君なら大体どんな様子だったか分かるんじゃない?」

「……あっ!」


「ふふっ。逆にこっちが頭を下げて、必要最低限のバイト代にして貰っちゃった」

「何となく、その時の光景がイメージ出来ます」


「まぁねぇ。ちょっとした思い出話よ」

「ちょっ、ちょっとですか?」


 ……全然ちょっとどころじゃないですよっ!

 でも、何となく真白さんの独特の雰囲気の理由が分かる気がする。つらい経験を乗り越えてこそのだったのかな。


「ふふ。ごめんね? おばさんの昔話に付き合って貰って」

「なっ、何言ってるんですか! お綺麗ですよ?」


「まぁ。東京の人はお世辞が上手ね」

「いやいや、そんな事は……」


 って、あれ? そう言えば話は前後するけど……真白さん住み込みで働いてた時、大学までどうやって行ってたんだ?


「あっ、真白さん?」

「うん?」


「ちょっと話が前後するんですけど、住み込みで働いていた時大学へはどうやって……」

「もちろん。バスと電車で行ってたわよ? 始発で乗り継いでいけば1コマ目には間に合うから」


「とっ、透也さんに乗せて行って貰ったりとかは……」

「透也君優しいから、いつも誘ってくれたんだけどね? 流石にそこまで甘えられなかったな。私は働けるだけでも嬉しかったし、その上通学まで甘えたらね?」


「なっ、なるほど……」

「でもたまに、大学終わりに2人でご飯食べた時は……ねっ?」

「あっ……ははは」


 ぐっ!! なんだ? 不意打ちの様に胸が抉られたんですけど!? 

 うぅ……ズキズキする……


「ふふっ。じゃあ日南君? 私そろそろ上がるわね?」

「えっ、あっ……はい!」


「また来てちょうだい」

「あっ、ありがとうございます。まっ、真白さん!?」


「はーい?」

「最後にもう1つ聞いても良いですか?」


「何かな?」

「真白さんは、住み込みで働いてた時キツくなかったんですか? 後悔とかしなかったんですか?」

「後悔? そんなのする訳ないよ?」


 うおっ、即答か……


「私にとってここは……もう1度家族をくれた大切な場所なんだもん」

「そう……ですか。すいません、引き留めてしまって」


「全然よ? 日南君、いつでも待ってるからね?」

「はっ、はい」



 行っちゃったな真白さん。てか、思いの他話が重くて、それ以上になんか感慨深いんだけど……


 バスと電車か……凄いな。




 ……家族をくれた、……か……



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