第55話 理想の上司
「えっと、皆さん今まで本当にありがとうございました」
閉店時間を迎え、静まり返った店内。
そんな中、俺はそう言うと店長に向けて頭を下ろした。顔を上げると、バイト中には見せない笑みを浮かべる店長。そしてその後ろに居る数名の人達が、
「お疲れ様」
「いやー仕方ないけど、日南君居なくなるのは寂しい」
なんて声を掛けてくれる。
「今までありがとうな? 太陽」
何より、店長の言葉は……胸に響いた。
夏休みが終われば、あと少しでこうなる。それは前から分かっていたけど、思いのほかそれは早く、そして何事もない様に訪れた。
閉店後に皆に囲まれる事がなければ、普通に明日もバイトに来てしまいそうな雰囲気。
天女目や板倉さんは勿論。他の皆も、俺がバイトを辞める事は何となく察してたと思う。店長が皆を集めた時も、そこまで驚く様子もなかったし。俺自身、隠す気はなかったよ。実際俺に聞く人は居なかったけどさ?
けど、そんな中今までと何ら変わらない様子で接してくれたのは嬉しかった。変に気を遣わせるんじゃないかって思ったけど、そんな心配もないみたいだ。
あぁ。それに澄川は、あれからバイトの事は何も言ってこなかったな。
風杜はどうなんだろう。ここ1週間は休みもらってるみたいで、顔を合わせてはいない。でも、多分風の便り程度には聞いてるんじゃないかな?
そうなると知らないのは立花だけか? それはそれでどうでも良い。本当にどうでも良い。
「ひぃなぁみぃくぅんん」
「おいっ、天女目! お前とは大学で会えるだろうよっ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「っと。さて、本当に今日でサヨナラだな。太陽」
天女目も他の皆も居ない、ゴーストの事務室内。そう口にしながら愛用の椅子を回転させて、能登店長はこっちを向いた。
その表情はさっきと変わらず、どこか優しい笑みを浮かべている。
「そうですね」
初めてここに来たのは詩乃姉と。鷹野に誘われて来たのが2度目。その時、店長と初めて会って……鷹野との関係や、姉さん達との繋がりを知ったんだ。
そして俺はバイトを探していた。店長は人手を探してた。
全ては偶然。
ただ、偶然にしては恵まれ過ぎていた。
店長がどう思っているのかは分からない。けど、ここでのバイトは楽しくて居心地が良くて……最高だったよ。
バイトを探している人が居たら、自信を持ってお勧め出来る位にね。
店長にも良くしてもらった。仕事の面では厳しかったけど、覚える度に褒めてくれた。
キッチンスタッフの仕事もホールスタッフの仕事もこなせる。だからこそ教え方も抜群。かと思えば、、お客が少ない時には世間話に、ジュース飲んで休憩しな? なんて言ってくれたり、賄いでメニューには無いもの作らされたり……ホント、大人っぽくて友達っぽくて……理想の上司かもしれないな?
自分勝手な理由で辞める事が申し訳ない。
それを引き留める事なく、了承してくれて感謝しか浮かばない。
だからこそ、ちゃんと面と向かって……目を見て言いたい。伝えたい。
ガタッ
「あの店長……」
「おっ? どした? 立ち上がって……」
「バイト辞めてすいません。それと……本当に今までありがとうございました」
言葉として残したい。
「ふっ、顔を上げたまえ太陽」
その言葉にゆっくり顔を上げると、そこにはさっきと変わらない表情の店長。そして続け様の、
「しみったれた顔するな。自分が第一だろ?」
それはどこか自分の心に、安心感をもたらした。
「そうですけど」
「大体、本当なら夏休みの終わりと一緒に、バイトを辞める予定だったのに……私のワガママに付き合ってもらったしな?」
「それ位……区切りとして丁度良かっただけですし、皆にも店長にも最後まで迷惑掛けたくありませんでした」
「まぁ、パートさんのお子さん達の体調不良と怪我は突発的だからな。流石に太陽に頼らざるを得なかった」
「仕方ないですよ。それに当初は1週間の延長だったのに、こうして2日も前に辞めさせてくれたじゃないですか。色々無理したんじゃ?」
「その件については十分話しただろ? 気にするな。あと……息抜きがてら、たまには食べに来てくれよ? 少しはサービスするからさ?」
全てを任せろと言わんばかりのその姿は、やっぱり頼もしい。
「分かりました。必ず」
「ふっ。それにしてもバイトなのに、わざわざお菓子持って来るとは。しかも
これについては、皆にお勧めのお菓子を聞いた成果だ。色々出してもらったけど、選んだのは鷹野と宮原さんお勧めの甘川煎餅店のバラエティーセット。一口サイズで色んな種類、そしてその美味しさもこの辺りじゃ有名らしい。
「まぁ、礼儀はきちんとしないとですし」
「……そうか。本当に君は真面目だな?」
「そうですか?」
「あぁ。良い意味でも悪い意味でもな?」
ん?
「それって……微妙にディスってます?」
「んな訳ないだろ? ふっ」
なんか怪しい気がするのは気のせいだろうか?
「でもまぁ、正直太陽程のキッチン仕事を覚えた人材を失うのは惜しい。ただ、これも運命だってこった」
「……すいません」
「だーかーらーもう謝るな。それに、私は十分楽しかったぞ? 太陽と働けて?」
「本当ですか?」
「もちろん。だからさ? 本当にここで働いてくれてありがとう。そして……」
「お疲れ様」
真っすぐ俺を見つめる店長の目は、まるで巣立つ生徒を案ずる先生の様な……そんなモノにも見えた。
そしてその一言で、俺は改めて実感した。
俺は今日でゴーストを……
辞めるんだって。
「……ありがとう……ございました」
裏口のドアノブが、いつもより重い。
ここを出たら、全部が終わる。それが分かっているからなのか、異常に冷たくも感じる。
そんな色んな感情を覚えながら、俺は1つ息を吸うと……
ガチャ
ゆっくりと捻り、押し開く。
これで終わり。
納得のいく辞め方かと言われれば、答えはノー。
けど、自分の為に選んだ。
一歩足を踏み出せば、アルバイトの日南太陽は居なくなる。
ただ一歩踏み出せば、それは自分自身で決めた日南太陽の在り方。
ある意味これも、一種のスタートなのかもしれな……
「あっ」
い……
「たっ、たいよう……」
目の前にはいつもの薄暗い光景が広がっていた。
けど例外だったのは、そこにその人が居た事。私服姿に手荷物を抱えた理由も、この時間にここに居る訳も分からない。知る気もない。ただ、
……そっか。辞めるにしてもケリを付けろって? 店長の言葉を借りればこれも運命って事か。
その姿を見た途端、何となくそんな感じがした。
そうだな。もう会う事もないだろうし、丁度良いかもしれない。何か言いたい事があれば聞きますよ。
「こんばんわ。風杜先輩」
俺はそう口にすると、その足を一歩……
踏み出した。
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