第31話 慧可断臂
「そう……だね……」
零れる様な言葉と共に、前を見つめる先輩。その顔に何を浮かべているのかは分からない。
この状況なら逃げる事も出来たはず。なのにわざわざ足を止めた。
その行動に見えるのは、話をするという意思表示。
だからこそ俺は……全てを聞きたい。どんな事であっても。
「……じゃあついて来てくれる? そこに座る場所……あるから」
「……はい」
そう口にした先輩について行く事、数十秒。その
所々に見える木々と、ブランコといったメジャーな遊具。
決して大きくはない。住宅地の中にひっそり佇むそこは……公園なんだろう。
その中に足を踏み入れると、先輩の足は端にあるベンチへと向かって行く。
そして、その前につくと……ゆっくりと振り返った。
「ここなら大丈夫」
それは久しぶりに見る先輩の姿だった。バイト中でもここまで面と向かってはない。
更に髪を下ろしたその姿は……服装は違えど、まるであの時のままだった。
だからこそ……だからこそ……
あの時の話を……聞きたい。
「よいしょ。座って話さない?」
俺に目を向けながらベンチの端へ腰を下ろす先輩。ただ、俺はその横には座れなかった。その場所に居られるのは……あの時の自分だけだと思ったから。
ハッキリ言って、事実は変わらない。
先輩と会ったから気持ちがどうとかもあり得ない。
ただ、沸々と抱いていた怒り。煮え切らない苦しみ。絶え間なく感じる胸の違和感。
それを消し去りたい。全てを知って、踏ん切りをつけたい。
俺は……それだけを望んでいるんだ。
だから……遠慮なく聞く。元彼でも後輩でもない。
日南太陽として。
「大丈夫です。少なくともそこに座れる人間は俺じゃないのは知ってるんで」
「……そっか」
さっきの会話の中で知った事もあるけど、とりあえずあの事や噂の事……聞こうか。
「まさかこんな所で会えるとは思いもしませんでしたよ。伯父さんの所に居候してるんでしたっけ?」
「うん。そうだよ」
「あいつと一緒に駆け落ちしたって噂が流れてましたよ? もっともその時には確認のしようもありませんでしたけど」
「そんな噂が……」
「えぇ。駆け落ちしただとか、妊娠してるから学園辞めただとか、あっち系のお店で働いてるとかですかね? 結局どうなんです? 数々の噂……当たってるやつもあるんですか?」
「そうだよね? どんな噂されても仕方ないよ。でもね? 全部外れかな。学園の偉い人達に呼ばれて、退学を言い渡されて……すぐにここへ来たんだ。それで、バイトしながら……高卒認定試験に向けて勉強してた」
……多分それは本当なんだろう。居酒屋で話していたのと同じ。けど、だったら尚更分からない。
先輩にはもうあいつの影はない。だったら、なぜその程度のあいつと共に退学する事になったのか。いや? あんな事をしたのか。
今までは裏切られた絶望と周りから注がれる視線が嫌で嫌で仕方なかった。
けど、心のどこかでもしかして何かあったんじゃないか? そんな思いも少なからずあった。
そんな相反する思考が混ざり合って、それを必死に隠して……今まで過ごしてきた。
本当に聞きたかったのは……その経緯。その理由だ。
「なるほど。じゃあズバリ本題に入っても良いですか?」
「本……題……?」
「えぇ。先輩……俺足りませんでしたか? 気に障るような事してましたか? 何か不満があったんですか?」
「えっ? そんな事……」
俯き加減だった先輩は、さっと俺の顔を見上げる。何か思う節がある証拠だ。それは一体何なのか。
「じゃあ教えて下さいよ。あの日の事否定しないって事は、ホテルに入ったのは事実なんですよね?」
「……うん。事実」
「ですよね? 嘘だって言われたら笑うところでした」
「えっ?」
「そういえばSNSで画像広まってましたよね? まぁそれ自体、出元は匿名アカウントの投稿。画像も保存が出来ないようにされてて、いつの間にかその投稿自体削除されてた。けど、ぶちゃけそれはどうでも良かった。だって俺は……直接見てたんですから。2人が入って行った瞬間を」
「見て……た……?」
その瞬間、少しだけ先輩の目が見開く。
だよな? 見てたなんて信じられないよな。
「えぇ、あの日俺はある人の誕生日プレゼントを買いに行ってました。そこで見かけたんです。あいつと仲良く歩く先輩を」
「うっ、嘘……」
「嘘だと思いますか? こんな事今更嘘つく必要無いですよ。でも驚きました。それを見ていたのは俺だけじゃなかった。けどまぁ……俺にとってはその第三者はどうでも良いです。ただ色々と聞きたいんですよ」
「何……を?」
「何であいつと、ああいう事になったのか……その理由です。俺にはそれを知る手立てがなかった。もちろん、それが事実なのも知ってましたけど、もしかしたら何か理由があるんじゃないかって……自分でも上手く整理が出来てなかった。その煮え切らない考えが俺を苦しめるんです。だから教えてください……先輩」
「……それは……無理」
無理? 何を今更。何俯いてる。
「何でですか? 先輩だって、こうなる事分かって、足止めたんですよね? 無理ってなんですか?」
「…………」
「言って下さいよ。教えて下さいよ……風杜先輩っ!」
少し大きな声が、誰も居ない公園に響く。
もしかすると近隣の人達が気付くかもしれない……なんて良く考えれば分かるけど。今日だけは無理だった。
何が無理だ。
だったら何で足を止めた。ここへ連れて来た。
全部言えよ。全部っ!
その言葉から、思わず右手を握りしめてから……どれ位経っただろう。
何処からともなく、呼吸音が耳に入った。
その瞬間、俺は悟った。先輩がついに言葉を話すんだと。その真実が聞けるんだと。
そしてそれは……突然だった。
「中……等……部」
「えっ?」
「中等部」
掠れる様な声に、最初は聞き取れなかった。けど2度目の言葉は確かに聞き取れた。
「中等部って……」
「私の両親はね? 弟が出来たら……私に興味が無くなったんだ」
両親? それが何か関係あんのか?
「ある会社の社長でね? 私は……跡取りが出来るまでの繋ぎだった。それを知ってね? 私は苦しかった。跡取りでなくても風杜家の人間として恥ずかしくない様に、遠い清廉学園の中等部に入れられて……惨めでさ? 自分を必要としてくれる人なんていないと思ってた。でもそんな時……声を掛けてくれたのが諸見里先生だった」
「はっ? なんだよそれ……」
待て? 確かに先輩は家族の話を殆どしなかった。家に行った時も誰も居なくて……それに、そんな時話し掛けてくれたのが諸見里?
……待てよ? まさかっ!
「……優しく話を毎日聞いてくれる先生の存在は嬉しかった。その内、遊びにも連れて行ってくれるようになって……楽しかった。そしてそんな関係が続く内に……私は……」
「なっ、なんだよ……」
「先生とそういう関係になった」
―――そういう関係?―――
その言葉は、心にグサリと突き刺さった。
どんな真実なのか聞きたい。例えどんな事でも……そう思っていたはずなのに、それは想像以上に傷を抉る。
そしてその事実を念頭に入れると、俺の過ごしてきた色々な思い出が……一気に崩れ去った。
ちゅ、中等部の頃から……? なんだよ……それじゃまるで俺の方が……浮気相手だった?
何が自分に不満があったのかだ? それ以前の問題。俺こそ良い遊び相手だった?
……そう……か……あいつには家族の事知られて居ても。俺には一言もその話題は深く話さなかった。
その事実が物語っていたんだ。あいつは俺以上の存在だと。
俺は最初から……遊ばれていた。
「はっ……はは……じゃあさ? 生徒会入れたのも遊びか? 期待してるからとか……その言葉も嘘か?」
「ちっ、違うそれは本心」
「今更本心だって言われて納得できると思うか?」
「それは……」
そう……か。単なる遊びか。じゃあさ? 何で俺にあそこまで近付いた? なんで付き合う必要があるんだよっ!
「なぁ俺と付き合ったのも遊びか? そうだよな? 中等部の頃からそう言う関係だったんだもんな?」
「違う! 遊びじゃ……」
「じゃあなんなんだよっ!」
「うっ……」
何悲しんでるんだ? 今自分がこんな状態になって、罪悪感でも感じてるのか? そうだよな? 高校を中退する羽目になって、ここに居るんだもんな?
「ちっ、違う……」
「何が違うんだよ。言ってみろ」
「……言われたから」
「言われた?」
「言われたから……」
「何をだよ!」
「……あっ、あの人に言われたからっ!
はっ……はぁ?
しかも、日城凜恋って……確か俺の1つ下の子だよな? 何がきっかけかは覚えてないけど、知ってるのは知ってる。けど行き会えば挨拶する程度の仲だぞ?
しかも……言われた? 言われたから?
…………っ!
その瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは……最低な考えだった。そしてそれは……付き合う条件である好きという気持ちを根本から否定する……あり得ないもの。
体の奥底から悪寒が走る。無意識の内に、両手には爪が突き刺さる程の力が入る。
胸が苦しい。呼吸が上手く出来ない。
ただ、先輩の言葉には……それを認めざるを得なかった。
……あいつが……諸見里が日城の事気になるから、その手伝いをした? その為に俺に近づいて告白させた?
待てよ……それって自分の事半分捨ててるようなもんじゃねぇか? なのにそれを実行した?
あり得ない。自分があいつにとってどんな存在なのかを知っていながら、あいつの手助け? しかも俺だけじゃない。日城も巻き込んで? あり得ない……あり得ない……
俺はこいつの事を何1つ分かっちゃいなかった。
「ふざけんなよ? なんだよそれ、俺だけじゃない。日城も巻き込んでんじゃねぇか! おいっ、まさかあいつは……日城にも手を出したんじゃ……」
「ごっ、ごめんなさい。でもそれはない……かも……会えば、全然脈がないっていつも言ってた」
……それが本当なら、日城は大丈夫って事か。
けど、これでハッキリした。こいつは、全部諸見里の為に動いてた。あいつの指示で俺と付き合った。
……ははっ……バカらしい。あいつに脅されてとか、何か事情があってとか……そんなの考えてた自分がアホみたいだ。
あいつの為に近付いて、あいつの為に付き合って、あいつの為に俺と遊んで、あいつの為に俺と交わった。
あいつが望むから。そうすればあいつが喜ぶから。
……全てはあいつの為。
「そうか。じゃあ俺と付き合えて良かったな? 大好きな先生の望みを叶えたんだから。俺はさ? 楽しかったよ? 嬉しかったよ。けど、お前にとっちゃただの時間潰し。いや? あいつから褒めてもらえる為の時間だったって訳だ」
「ちっ、違う。最初は……そうだった。でも、でも……君と過ごす内に、君の優しさが温かくて心地よくて……私の気持ちは……」
「そんなの信じろってか? 俺と遊んでる裏で、あいつとも遊んでたんだろ?」
「あの人は……烏真さんに夢中で……遊びに行く回数なんて全然だった。会えば……求めるだけ」
「求める? なんだ? 学校でヤルだけとかか?」
「…………」
「マジかよ? お前ら……最低だな。じゃあ、あの日は久しぶりのデートで嬉しかったんだろうな? たった2駅離れた場所だぞ? それすら忘れる位テンション上がってたって訳か?」
「……はい」
最低だ。最低過ぎる。
求めていた真実がここまでのモノだなんて……
「ごっ、ごめんなさい。もう何も言えない……全部事実だから……」
自分がまさか浮気相手だったなんて。
自分に気があるから付き合ってくれたと思ったら、それすら指示だったなんて。
言えるはずないよな?
しかも退学になって……逃げた先で俺と会うなんてな?
体のあちらこちらが痛い。顔が熱くて火傷しそうだ。胃から何か出て来そうな位気持ちが悪い。
……けどさ? 良く考えれば……良かったのかもしれない。
「……そうか。予想以上の話だった。けど、良かったよ」
「えっ……」
だってさ? これで心おきなく……
「話聞いてたら、過程はどうであれ、モヤモヤしてたモノが消えてさ? 1つだけハッキリ残ったよ」
「のっ、残った……」
あんたに怒りの矛先……向けられる。
いや? それだけじゃない。今まで知らないふりしようとか、格好付けるのもバカらしくなったよ。だから……
「あぁ。誰も気にせず……思うがままに生きてやろうってさ」
お前だけじゃない。澄川の事も立花の事も……曝け出してやる。
表に出さずに知らない振り。関係を隠す為に嘘を吐く。なんで俺がいちいちそんな事をしなくちゃいけない。その考えからして間違っていたんだ。
だから堂々と、貶してやる。怒りをぶちまけてやる。
聞かれたらなんでも言ってやる。お前らのしてきた事を包み隠さず言ってやる。
「思うがまま…………だよね。充実した……大学生活の邪魔してごめんね? わっ、私ゴースト辞めるからさ? それで……」
だからお前らは俺が今まで苦しんできた分、いや……それ以上苦しめ。
「何言ってんだ?」
「えっ?」
「また逃げるのか? それだけは許さないよ。あんたにとって、この状況でゴースト居るのが嫌なんだろ? 俺に過去の事言われるのが怖いんだろ?」
「そっ、それ……」
「だったら逃げずに、ずっとそんな気持ちのまま怯えて過ごせ! 四六時中、四方八方から感じる視線に怯えてろ!」
「……しっ、視線?」
「あぁこっちの話。とりあえず、話聞けて良かったよ。踏ん切りがついた。義理とか格好良さとかプライドとか考えずに、やっぱ自分の為に生きないとな?」
「じゃあ先輩。さようなら。また会う日まで」
心がスッキリとする中で、顔を覆う何とも言えない熱さだけが記憶に残っている。
それ以外の記憶は殆どない。
ただ天女目の話によると、俺はその後居酒屋に戻って来たそうだ。
そして、店長に向かって確かにこう言ったらしい。
「店長、急な話で申し訳ないですけど」
「バイト……辞めます」
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