第26話 後悔先に立たず―その4―

 



 もう会う事はないと思ってた。

 ううん、会う資格がないと思ってた。

 それでも、どこか心の中に残ってた姿。

 忘れたくても無理だった。けど忘れなくちゃダメだった。


 君の記憶から……綺麗に消えなければならない。

 それが君にとって1番の幸せなんだ。そう思い続けて来た。


 なのに……君が居る。

 目の前に君が居る。


 1年と半年ぶりかな? もう会う事もないと思ってた君は、目に見えて大人びて……そして男らしくなっていた。


 ただ、そんな驚きも嬉しさも……感じてはいけない。顔に出してはいけない。


 だって私は、君の前に現れてはいけない……存在だから。



 ――――――――――――――――――



 君と初めて出会った瞬間はよく覚えてる。入学式が終わってすぐのある日、生徒会室から出ようとした時に居たよね? 余程の事がない限り、放課後にあの辺りには生徒は来ないんだもん。だから印象には残ってた。


 それに、見た事ない顔で1年生だと分かると……純粋に生徒会に入ってくれるかもしれないって、期待もあった。あの時、生徒会に居たのは4人で、私以外は3年だけ。担任の先生にお願いされて入ってただけだけど……流石になくなるのは嫌でさ? 嬉しかったし、必死だった。


 今思えばかなり強引だったなぁ。若干固まってたよね? けど、そんな君の表情を見てると……自分も先輩なんだって思えて……言葉が止まらなかった。


 得意げに話してさ? 馬鹿みたいだよ。すぐに……


 ヴーヴーヴー


『あっ、ちょっとごめんね?』



【遅いぞ? 俺はもう居る】



 現実に戻されるのに。


『ごめんごめん、用事できちゃった。でも生徒会の事考えてみてね? それじゃあ。あっ、鍵は大丈夫だからねー』



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ガラガラ


『どうした? 遅いぞ?』

『すいません。来ようとしたら友達に話し掛けられて』


『まぁ良いや。内鍵は掛けたか?』

『はい』


『じゃあ……雫』

『あっ……先生……』


 私は諸見里先生と付き合ってた。ううん、よく考えるとそんな言葉は交わしていないから、正確には違うのかもしれない。ただ私は……そうだと思っていた。




 私は風杜家の長女として、この世に生を受けた。

 お父さんはそれなりの企業の社長で、お母さんもそれを補佐する役目を担っている。今思うと、結構裕福な家庭だった。

 でもね? お父さんもお母さんも優しかったよ? 私が興味がある事にはすぐ応えてくれて、それでいて愛情も注いでくれた。


 けど、その愛情の意味を知ったのは……小学校4年の時だった。

 その時、私には弟が産まれたんだ。風杜家にとっての長男。つまりは跡取り。


 そこから……私に対しての反応はあからさまに冷たくなった。

 全ては弟中心。それは分からないという方がおかしい位で、現に私は……すぐに気が付いた。それでも見て欲しくて、褒められたくて勉強も運動も頑張った。


 けど、その結果は全部一言。


 ―――そうか―――

 ―――当然ね―――


 そして小学6年の時、私は少し遠い……清廉学園中等部へ入る様に言われた。

 中高一貫校でその教育方針は、目に見えた実績を残していた学校。もちろん嫌だった。小学校の友達と離れるし、知らない場所の中学校は怖かった。

 でも、


『お前は風杜家の人間だ。恥ずかしくないように勉学に励め』

『そうよ? そして有名企業の御子息と縁談になっても恥ずかしくない女性になりなさい』


 風杜家に恥じない人になる。


 それを守れば……もしかしたらお母さん達は認めてくれるのかもしれない。


 今考えれば、本当におかしい。私は弟が産まれるまでのだったのにね? 単に自分達の為の人形にしたかっただけなのにね?


 けど、当時の私は……切にそれを願った。


 そうして入学してから、それなりに友達は出来たよ。勉強だって頑張ったよ。礼儀作法だって必死だったよ?

 でも当たり前のように両親の反応は変わらなかった。それどころか、どんどん弟に構うようになって、私は完全に蚊帳の外だった。


 そんな生活をしていると、次第に30分も掛けて通うのが辛くなった。

 それに対してちょっとでも励まして貰いたくて……お母さんに言ってみたんだ。


『なら、学校近くに部屋を借りましょ。1人暮らししたら近くなるわよね?』


 ……ショックだった。そして思いがけない言葉を掛けられた私は全てを悟った。



 今の私は誰からも必要とされていないんだと



 何を言ってもダメだと分かり。1人暮らしの事もなかった事にした。そしてただひたすら、片道30分、往復1時間かけて清廉学園に通った。


 でもまだ……どこか抱いていた。風杜に恥じない人になれば……良い企業の人に貰われれば……その一筋の希望だけが私を繋いでいたんだ。


 けどね、やっぱり耐えきれなくて……学校で無理矢理浮かばせる笑顔も辛くて……泣いた。

 ある日見つけた、体育館の裏にある小さなスペース。滅多に誰も来ない場所で放課後1人で泣いていた。

 時間はいくらでもあった。どんなに遅く帰っても、両親は私に無関心。ご飯だけは残して置いてはくれていたけど、私に話し掛ける事は殆どない。


 悲しい……悲しい……

 いつからかそうやって過ごすのが当たり前になってた時……先生が現れたんだ。


 最初は驚いてた。けど、私の様子を見てとっさに気が付いたんだと思う。


『どうした? 話なら聞くぞ?』


 話を聞いてもらえる……その言葉がこんなにも嬉しいと思った事はなかった。中学1年の子どもにとって、それは何よりも求めていた言葉だったんだから。


 私はひたすら泣いていた。ただ、先生はそれを黙って見てくれて……付き合ってくれた。

 そして一頻り泣き終わると……優しく言ってくれた。


『何かあったら、いつでも話聞くよ』


 この時知ったんだ。先生の名前は諸見里翔。清廉学園高等部の先生でバスケ部の監督だという事を。


 それから、私は毎日放課後に体育館裏に行った。すると、先生は来てくれた。部活の合間を縫って本当に来てくれたんだ。

 そして私の他愛もない話をいつも聞いてくれて楽しかった、嬉しかったよ。


 ポロっと両親の事を言ってしまった時だって、


『酷いな……こんなに頑張ってるのに。何も出来なくてごめんな? 風杜』


 私を庇てくれて……心が温かかった。

 何も出来なくない。私の話を聞いてくれるだけで十分だった。


 でもね? 先生は……それ以上の事もしてくれた。仲良くなるにつれて、遊びに連れて行ってくれるようになったんだ。

 近くだとあれだから、少し離れた町に先生の車に乗って買い物。映画や遊園地にまでも行ったよ? 

 もちろん、生徒と先生がそう言う事するのは色々とマズいのは分かってた。それでも、それを覚悟で私を連れて行ってくれる先生に私は感謝してた。


 家の嫌な事も忘れてさ? 学校でも明るく過ごせてさ? 先生の近くに居たいからって、バスケ部のマネージャーも始めて……それ位、全部先生のお陰だったと思ってたんだ。

 先生と居ると自分の存在意義を思い出せるって。


 そして次第にその感謝の気持ちは……別の感情に変化してた。


『せっ、先生……私先生の事……』

『えっ? 俺は先生だぞ?』

『そんなの関係ないです』


 仲良くなるにつれて、感じた感謝。

 近くに居るにつれて感じる……大人の魅力。

 そして何でも話せるという安心感。

 心に芽生えた……男女としての感情。


 私は完全に……先生に依存していたんだ。


 そういう関係になって、それは顕著に表れた。秘密という関係がそれを助長したのかもしれないけど……先生が私を必要としてくれたという喜びが、どんどん大きくなった。


 デートはもちろん、遊びに出掛けるのも、これまでにない位嬉しかった。手が触れるだけでドキドキして、先生の匂いが心を落ち着かせる。


 ……そういう事もした。何度も何度もした。

 先生に求められれば、それだけ嬉しくて……自分の存在意義を見出せたんだ。


 そしてそんな関係は私が高等部になっても続いた。

 その頃は、2人で会える学校が……そういう場になっていたんだよ。

 最初は断ったんだよね? でもあの優しかった先生が急に変わって……


『そうか。俺のお願いが聞けないんだ』


 その冷たい言葉が突き刺さった。反射的に捨てられる。先生に見捨てられたら、私は誰からも必要とされなくなる。

 そう思うと、怖くて怖くて仕方なくて……許してしまった。

 思い起こせば、それからだったのかもしれない。先生が徐々に……そんな姿を見せるようになったのは。




 そんな私の前に……君は現れた。

 最初はね? 単なる後輩君だったんだよ? 反応もなんか初々しくてさ? 別に今まで年下の子と話した事なかった訳じゃないけど……言われてみると1対1であんなに話したのは初めてだったかもしれない。


 それに生徒会の話は本当。何かの縁だと思ったのも本当。だから、廊下で偶然出会えたんだと思う。


 日南太陽君。


 この時から……君は私を照らしてくれていたんだよね?


 君は真面目だった。

 だって、じゃなきゃいくら先輩に言われたからって生徒会室来ないでしょ? ちょっと驚いたなぁ。でもさ、無理矢理入れちゃった。


 それに生徒会の活動って言っても、ユルユルなんだ。2ヶ月に1回生徒会新聞作るだけだし、会長とかみんな部活入ってるから滅多に生徒会室来ないしね? 

 でも、君は律儀に毎日来てたよね。

 私はさ……マネージャーだったけど、色々言い訳出来たんだ? 意外と信頼されてるみたいで、先生の手伝いとかね? 

 だから、先生の指定した時間までの間……良く生徒会室で暇つぶししてた。だから必然的に君のそういう姿も分かったんだよ。


 そうなると……話す機会も増えるよね。

 徐々に砕けていく話し方。けど、少しイジると焦り出す。そんな君の反応が面白かった。

 バスケしてたって聞いてさ、思わず誘っちゃったりしてさ? 


 そして気が付けば……自然と笑ってた。作り笑顔でも何でもなく、訳も分からず零れていたんだ。

 年下……ううん、後輩……違う。まるで弟と話している様な雰囲気と心地良さ。

 それは先生から感じたモノとは別な……自分の存在意義だった。


 君が来てから数ヶ月。私の高校生活は今までのモノとは違っていた。

 それは紛れもなく、君との接点が要因。


 ここまで1人の後輩と話をした事はなかった。だからこそ初めてだった。

 自分が求められているんじゃないかという……気持ち。


 自信過剰かもしれないけど、どこかそんな別の感情があったのは確かで、楽しかったのも事実。


 こんな日が続けばいいのに……そう思いもしたよ? 


 でも、無理だった。


『ふぅ……なぁ、雫』

『……は……い……』


 それは先生の……


『お前さ? 日南と付き合ってくんない?』



 お願いだったから。



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