第25話 風杜雫

 



「風杜雫で……す」


 俺と目が合った瞬間に言葉が詰まった。瞳が広がった。

 その一瞬の動作が全てを確信へと変える。


 目の前に居るのは、風杜し……いや。もう、そう呼びたくはない。

 彼女は高校で1つ上だった先輩。


 風杜……先輩。



 ――――――――――――――――――



 今でも記憶に新しい高校生活。

 俺はその3年間を……清廉せいれん学園で過ごした。

 選んだ理由は、家から離れていたっていうのもあるけど、寮があるってのが決め手。

 それに、東京に存在する名門2校。鳳瞭ほうりょう学園と京南けいなん女子じょし高等学校に対抗する形で建てられた中高一貫校とあって、歴史としては浅いものの、特に学力の面では目を見張るものがあった。


 知らない土地、寮生活。

 俺にとってはまるっきり新しい生活の始まりだった。


 そんな中、先輩との出会いは結構早かった気がする。あの時の俺は、とりあえず勉強を頑張って大学行って、安定した職に就きたい。そんな思いで一杯だった。だからバスケ部に入るつもりもなかったし、あの時もただ校内を見て回りたくてフラフラしてたんだ。


 その時、偶然見かけた生徒会室と書かれた部屋札。何気なくボーっと見ていると、突然扉が開いて誰かが出て来た。それが……風杜先輩。


 真っ先に印象に残ったのは、その大人びた雰囲気。見た瞬間先輩だって分かった。そして少し茶色がかった髪の毛。

 突然現れた茶髪の大人っぽい先輩。当時の俺からすると、そのインパクトは結構なものだった。


 まぁ……


『あら? もしかして……生徒会希望者かな?』

『えっ?』


『見た事ないから……1年生かな?』

「あっ、えっと……」


『ふふっ、緊張しなくても良いんだよ? あっ、そうだ。丁度誰も居ないし、どうせなら中でお話でも聞いていってよ。今絶賛生徒会の役員募集中なんだよね?』

『なっ、中で? でも……』


 そんな状況で、上手く会話なんて出来る事無く……


『いいからいいから』

『ちょっ……』


『ようこそー、清廉学園生徒会へ』


 手を引かれ、その部屋へと足を踏み込んでしまった。


『座って座ってー』


 いや、ハッキリ言ってやっちまったと思った。

 それこそ立花の件もあって、女の人には警戒していた。もちろん、全員が全員じゃないってのは理解していたけど、それでも出来るだけ距離は取りたいと思っていた。

 にも関わらず、早々にこんな状況になるとは。


 ただ、そんな俺なんてお構いなしにお茶を煎れ、どこからともなく持って来たお菓子をテーブルに置き……色々と話し掛けて来る先輩。

 自己紹介から始まり、生徒会の他に部活のマネージャーもしてる。髪の毛は生まれつきこの色だとか……初対面でなんでこんなに? そう思ったけど、段々と話を聞いている内に……なんとなく姉さんに似た雰囲気を感じていた。


 その口調は優しく、じっと目を見て話し掛ける。かと思えば、返事を求めてこっちの話す時間も与える。それは典型的な年下……弟に話し掛ける様な仕草と行動だった。


 まぁその時は、途中で先輩が用事出来たって言ってお開きになったけど……要約すると生徒会に入って欲しいな? そんなお願いだったと思う。何とも言えない気持ちだったけどね?


 まぁ、そんな事を思ってたのも一瞬だった。だって、先輩だし滅多に校舎で会う事もないだろう。それに1度話しただけの1年を、そこまで覚えてる訳もない。1日経てば昨日の事なんてなかった様にいつも通りだった。


 ただの社交辞令で言ってるだけだし、生徒会の事は気にしなくても良い。それより、高校で友達を作る事が最優先だった。そう、最優先だった。またもや廊下で行き会うまでは。


 それは昼休み、トイレに行こうとした時だった。教室から出た瞬間に、


『あっ、いたいた』


 そんな声が聞こえたかと思うと、その視線の先に居たのは……先輩だった。


『ごめんごめん! 学年は知ってたけど名前まで知らなくてさ? でも……すぐに会えて良かった』

『えっ? あの……』


『せっかく生徒会室でお話したんだもん。こちらとしても逃す訳にはいかないんだよ? だから教えてくれるかな? 名前』

『あっ……日南……太陽です』


『日南君ね? ありがとう。じゃあ生徒会室で……待ってるからね?』


 そう言いながら、優雅に1年の教室が並ぶ3階廊下を歩いて行く先輩。まさかの行動に、驚くしかなかった。けど、本当に驚いたのはその後。


『おっ、おい日南? お前風杜先輩と知り合いなのか?』

『編入組なのに、どんな接点が!』

『えっ? いいなぁ、私も先輩と仲良くなりたぁい』

『もしかして日南君て凄い人なの?』


 ザワつくクラスに、四方八方から聞こえる質問。

 その後、中等部からの進学組の奴に聞いた話によると、風杜先輩はその見た目と性格もあってかなりの有名人だそうだ。確かに、生まれつきとはいえ茶髪、しかもあの大人びた雰囲気に性格も優しいらしい。おかげで男子は元より女子からの人気もある。


 つまり、そんな人が話し掛けて来た俺は普通じゃない。その結果がこのザワつきだった。

 良いのかどうかは分からない。ただ、先輩のその行動でクラスの皆とすぐに打ち解けられたのは幸いだった。


 その後は……大体想像通り。とりあえず、先輩の言う事は聞いた方が良いと思い放課後に生徒会室行くと、待ってましたと言わんばかりに招かれ……会長や庶務の方が居る前で、


『新しく入る事になった日南太陽君です!』


 声高々に宣言されたっけ。流石に、


『まっ、待って下さい。まだ入るとは……』


 なんて言ったものの……


『そっ……そんな……』

『じゃあ生徒会は風杜さんの代で消滅……』

『えっ? そう……なの……? てっきり入ってくれるから来てくれたのかと……』


 先輩達の雰囲気に押される形で、


『じゃ、じゃあとりあえずお試し期間でお願いします』


 期間限定でOKしてしまった。

 まぁ結局、その話もどこへ行ったのか……気が付いたら生徒会の一員にされてたんだけどね?


 そんなこんなで、俺の高校生活はスタートした。

 友達もでき、勉強も順調。すれ違えば話し掛ける風杜先輩に、時々友達の反感を買ったけど……それでも楽しかった。


 ちなみに生徒会の活動はかなりユルユル。そりゃ全員が部活に所属しているから当然っちゃ当然。暇な役員が生徒会室に来るくらいで、主な仕事は2ヶ月に1回発行する生徒会新聞の作成だけ。それも学校の行事や、部活の成績なんかを載せるだけで苦労はしなかった。


 俺は暇だったんで、とりあえず最初に顔は出すようにしてた。んで誰も来なかったら帰る。

 けど、その中でも風杜先輩との遭遇率は結構高い。

 先輩は中等部からの進学組で、ずっとバスケ部のマネージャーをしている。まぁプレーヤーじゃないからなのかもしれないけど……自然と話をする時間は増えた。


 その内、小中とバスケやってた事が知られると……


『そうなの? じゃあ入っちゃいなよ!』


 やるつもりもなかったバスケ部に誘われた。結構断ったんだけどな……


『大丈夫。ここだけの話……バスケ部弱いし、結構ノビノビだよ? 運動不足解消だと思ってさ?』


 何度も言われる内に、あれよあれよと見学の流れに。そしてあれよあれよと入部していた。実際、楽しそうな部活だったし……気楽にできると思ったからなんだけどさ?


 こうして、生徒会とバスケ部。思わぬ二足の草鞋を履く事になった訳だけど……不思議と忙しくもキツくもなかった。

 活動自体が緩いってのもあるんだろうけど、思い起こせば楽しい記憶しかなかった気がする。そしてその中心に居たのは……風杜先輩だった。


 クラスでも有名で、学校でも知らない人は居ない存在。

 勉強も出来て、生徒会にも所属。

 バスケ部では、監督からの信頼も厚く、マネージャーとしても有能。買い物だってなんでもこなす。


 知れば知る程、その凄さを思い知る。

 話せば話すほど、その楽しさに引き込まれる。

 まるで姉さんと話している様な感覚が……心地良かった。


 そして、そんな事を感じるようになったある時だった。思えばあれが……キッカケだった。


 その日、いつもの様に俺と先輩は生徒会室で他愛もない話をしていた。でも、その日は先輩の様子が少し変で……おかしいとは思っていた。

 そんな時、それは突然だった。


『ねぇ、日南君? 何か隠し事してない?』

『えっ? いきなりなんですか?』


『その……ね? 聞こうか聞かないか悩んだけど……気になっちゃって』

『何がですか?』


『間違ってたらごめんなさい? 日南君……女の子避けてるように見えて』

『えっ?』


『なんか話し方とか、距離とか……雰囲気。だからね? もしそうなら……昔嫌な事あったとかで、女子が苦手だとしたら……私、結構迷惑掛けちゃってるなって』


 正直驚いた。確かに女の子には警戒していた。ただ、それはあくまで内心で……実際には無難に話をして、接していたつもりだった。なのに、先輩はそれに気が付いた? 嘘だろ?


 けど、今日の先輩の様子を見ると……本当にそう思っているんだと思った。だから少し様子が変だったんだと。


『ねぇ? もし何かあったんなら……全然話聞くよ?』


 その言葉が……胸に響く。

 過去の事は……思い出したくない事だった。口にはしたくない事だった。


 ただ、心のどこかで……


 ―――吐き出した方が楽なんじゃないか?―――


 そう思う自分が居る。

 確かに、そうすれば楽なのは知ってる。前から知ってる。けど、俺にはそれを話せるだけ信用できる人が居ない。ましてや……先輩と言えど女……


「私じゃ……ダメ……?」


 それを耳にした瞬間。何かが切れるような音がした。

 その心配するような顔と、優しい声。先輩に……姉さん達の影が確かに重なってしまった。


 そうなると……口がもう……勝手に動き出してた。


『じっ、実は……』



 俺は過去の事を話した。

 小学校での出来事。

 中学校での出来事。

 その事が原因で、女の人への不信感が拭い切れない。

 姉さん達が居るから、全員が全員そうじゃないとも理解はしてる。

 けど、それでも信じる事が出来ない。



 全てを話した時、心はどこか軽かった。何とも言えない感覚だった。

 そして、その話をただひたすら聞いてくれた先輩は……


『そっか……そうだったんだね……』


 そう呟くと、俺の隣に近付いて来た。

 その距離は今までの比じゃない位の近さ。思わず生唾を飲み込み、心臓は大きく波打つ。

 そんな中、先輩はもう1度呟いた。


『ねぇ? 日南君。私は……怖い?』


 その甘い言葉と、吐息が触れる様な顔の近さに俺は……


『怖く……ないです』


 静かにそう零し、それは……一瞬だった。


『……嬉しい』

『せっ、せんぱ……んっ』


 唇に感じる柔らかい感触。甘い香り。それは……初めて経験する物だった。


 顔が熱い。心臓が破裂しそうだ。

 ただ、とてつもなく幸せな時間だった。


 暫くすると、そっと顔を離す先輩。その表情は赤く……見た事のない位恍惚とした感じだった。


 そして先輩は、小さな声で声を洩らす。


『だったら……日南君の口から聞きたいな……』


 この状況で、その言葉が何を示しているのかは……理解が出来た。まさか? 嘘だろ? そんな疑問も……この時ばかりは微塵も消え去っていた。だから俺は口にしたんだ。


『先輩……俺と……付き合ってくれませんか?』

『……はい。……んっ』




 それからの俺の高校生活は、まさに絶頂期を迎えた。先輩と付き合い始めたって実感は、予想以上に心を喜ばせた。

 目が合えば手を振ってくれて、話し掛けてくれる。次第に皆の目も気にしなくなって、クラスの皆も周知の関係になった。

 ちょっとした嫉妬めいた反応も多かったけど、それ以上に祝福してくれる友達が多くて嬉しかったよ。


 それに誰も見ていない生徒会室では、人目を盗んでイチャつきまくった。俺は寮で、先輩は実家から通ってる。そう考えると、生徒会室は恰好のデートスポット。この時ばかりは生徒会に入って良かったとしみじみ思った。


 休みの日には、デートにも行って……一緒に買い物して映画見てさ? 


 そして……そんな関係のまま迎えたクリスマス。先輩の家族が居ないという事で、初めて家にお邪魔した。

 可愛らしい先輩の部屋で、話して笑って……そして……


『ねぇ、そろそろ先輩ってつけるのやめない?』

『えっ……』


『良いでしょ? 太陽?』

『……分かった……雫』



 初めて1つになった。



 初詣やバレンタイン、ホワイトデー。そんなイベントは常に先輩が居て、今までの鬱憤を晴らすかのように、嫌な思い出を上書きするように楽しかった。


 そして4月になると、先輩は生徒会長に。俺は副会長に。

 関係はずっと変わらず、何度もキスして、体を重ねて……もしかしたら俺はこのまま……


 そう思ってた。思ってた。その日までは。


 それは、2年の高校生も冬に差し掛かる時だった。俺は先輩の誕生日プレゼントを買いに1人出掛けてた。それも先輩にバレないように二駅も隣の駅前に。

 去年はクリスマスと被るから、大丈夫って先輩に押されて用意しなかったけど、今年はサプライズも込めて用意しようと張り切ってた。


 そんな時だった…………先輩に似ている人を見かけた。それも隣に男の人が居た。


 最初は信じられなかった。他人の空似だと思ってた。けど、あのウェーブ掛かった茶髪と、見慣れた鞄は……明らかに先輩だった。


 だから気が付けば……2人の事をつけていた。


 楽しそうに話す2人。それは俺と居る時の先輩と一緒だった。


 その時点で、気持ちが悪かった。


 そして、いきなり後ろを振り向いた時……とっさ自販機の横に隠れる。そしてその顔を正面から目に……焼き付けた。


『あっ……あぁ……』


 それは、先輩で間違いなかった。見間違える訳もない。そしてその隣に居る男。それは……


諸見里もろみざと……先生』


 諸見里もろみざとかける。その顔もまた見知ったものだった。なんせ彼は清廉学園の体育教師であり、バスケ部の監督だったのだから。


 心臓が痛い。

 胃から何かが出そうだった。


 でも、どこかで信じてた。これは単に部活の買い物なんだ……そうだ……


 だから、おぼつかない足で再び2人をつけた。でも、その行き先はスポーツショップでもレストランでもなかった。駅前から少し離れた小道の前で、辺りを見回す2人。そしてしばらくするとその奥へと歩いて行った。


 俺は急いだよ? 小道に行かれたら見失うかもしれない。

 そしてその小道に入ろうとした瞬間……見た。


 手を絡めている2人を。

 そしてそのまま……ホテルへと入る2人を。


 血の気がサッと引いた。

 足が棒の様に動かなかった。


 そしてまた……心の中が空っぽになった。


 寮へ帰ってからは、何も出来なかった。

 今思えば、連絡して揺さぶりをかけて証拠を……なんて考えられるけど、その時の俺はそんな事考えている余裕もなかった。


 ただ、明後日学校で……どう接すれば良いのか分からなかった。そして気が付けば朝に。


 結局さ? その日、見た姿が……最後だったんだ。

 週明けの月曜日から、先輩は……忽然と消えたんだから。


 最初は居ない事が嬉しかった。連絡も来ないし、こっちからも流石に無理だったよ。

 ただその数日後、生徒の間である画像が広まった。それは、先輩と諸見里がホテルに入る画像。


 SNSで広まった画像は、高画質で2人の顔もハッキリ写っていた。

 そして先輩も諸見里も学校へ来ていない。その画像が本物なのは、誰でも分かる。


 こうなると……その真意を求める矛先は俺に向けられた。


 ハッキリ言って嫌だった。

 2人の事を聞かれるのは苦痛で苦痛で仕方がなかった。

 上手くはぐらかす事が出来ていたかと言われると……分からない。


 結局、1人取り残されたという事実に向けられた憐みの声。

 ただのフツメンが調子に乗ってた天罰だという罵倒。

 嫌でも感じる、後ろ指を指されてる雰囲気は……中学の時とは比べ物にならなかったんだ。


 それから先輩は1度も学校に姿を見せなかった。近隣じゃ結構有名校だったから、そういう情報にも敏感だったんだよね? その処分も早くて重かったらしい。諸見里は学校を辞めていた。

 先輩も妊娠して学校を辞めたとか、先生の後を追ったとか、あっち系の店で働いてるとか色んな噂があったけど、真相は分からない。


 思い切って連絡しようとしたけど、電話番号は変わってて、ストメもリストから消えてて……一切の連絡は取れなくなっていた。


 ただ、卒業式に知らないアドレスから届いた


『ごめんね』


 誰からか分からないその送られたメッセージだけは……まだ残っている。



 ――――――――――――――――――



 何1つ言わず、姿も見せずに消えた……先輩が目の前に居る。


 その事実を理解した瞬間……何とも言えない感情に襲われた。


 二股か? 

 俺が浮気相手だったのか?

 一体いつから?


 聞きたい事は山ほどある。ただそれ以上に、



 裏切ったという事実に怒りが湧き出てしまう。



「じゃあ仲良く、今日も宜しくね」

「はぁい。よろしくお願いしますねぇ? 風杜さん。僕の名前は天女目です」

「あっ、うん。よろしくお願いします」


 けど、抑えろ……バイト中だぞ? 今は……


「……俺の名前は……日南です」



「……初めまして」



 抑えろ……



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