一度きりの願い

「え~っ!! 2人って、帝都から来たの!?」


 帰りの馬車の中で私たちの素性を説明していたとき、マトリョーナちゃんがまず食いついたのはそこだった。


「じゃあ都会人じゃん!! てことは今から帝都行くの!? 服、どう? ダサくない?」


「だ、大丈夫だと思うよ」


 田舎出身の私に何の保証ができるのかという話だけど、マトリョーナちゃんは大興奮気味で、あんなことがあった後でもとりあえず元気そうだった。……いや、元気そうにふるまっているだけかもしれない。


「……で、ユーシャキョーカイ? ってなに?」


「えーとね、魔族と戦える資格を持った人たちを擁する組織なんだけど、設立はそもそも100年ほど前の――」


「ヤーラの説明長すぎてよくわかんない」


「ぐっ……ごめん」


 ヤーラ君はマトリョーナちゃんに遠慮のない鋭いパンチを食らってしまい、気の毒なので私がかわりに説明してあげた。ごく簡単に、だけど。


「……へー、マモノやっつける仕事なんだ。えらいじゃん」


「あはは、ありがとう。それでその……マトリョーナちゃんがいたところに魔族がいるかもってお知らせが来て、私たちが行ったの」


「ふーん……」


 年の割には聡いマトリョーナちゃんだから、私のぼかした言い方で何か勘繰ったかもしれない。けど、彼女はそのことには触れなかった。


「まあいいや。あたしもこうして助けてもらったわけだし……本当に、ありがとね」


 ぱっと花の咲くような笑みを浮かべて、彼女は心からの感謝を伝えてくれた。


「私は特に何もしてないから……全部、ヤーラ君のおかげなんだよ」


「いえ……僕は別に、そんなのじゃなくて……」


 そこでまたマトリョーナちゃんのスイッチが入ったのか、呆れたような顔でピンと人差し指を立てる。どこかで見たような仕草だった。


「あのねー……ヒトの感謝は素直に受け取らなきゃいけないんだよ。女の子に恥かかせちゃダメ」


「う……申し訳ありません」


 結局、帝都につくまでの間も2人の力関係が変わることはなかった。たぶん、この先も……。



 馬車から下りて、さっそく都会の地に好奇心が爆発したマトリョーナちゃんがどこかに走っていきそうになったが、どうにか捕まえて本来の目的地へ連行していくことになった。


 まず向かったのは<勇者協会>の診療所――カミル先生とアンナちゃんがいるところだ。

 マトリョーナちゃんのことはヤーラ君だけではさすがに大変……というかヤーラ君は牢屋に入れられている身なので、カミル先生にも手伝ってもらえないか相談に行ったのだけど……。


「わぁ、都会のセンレンされた美人さん!」


「え~、何この子メチャセンスいいじゃん。マジかわ~!」


 アンナちゃんとマトリョーナちゃんは波長が合ったのか一瞬で意気投合。傍らでヤーラ君から説明を受けているカミル先生は、平素から浮かぶ眉間の皺を二重三重に寄せていた。


「プロコーピー・ブラヴィノフ……」


 紙煙草が潰れるくらい噛みしめているカミル先生は、その名を忌々しそうに呟く。一瞬だけ、マトリョーナちゃんがぴくりとこちらを一瞥したが、すぐになんでもないような顔に改めてアンナちゃんとの話に戻った。


「……あんた、ホントに毎度毎度とんでもないことしてくれるわね」


「すみません」


 言葉の上では嫌味っぽいようで、その実ひとかけらの悪意もない言い方だったが、ヤーラ君は申し訳なさそうに肩をすぼめている。


「ホムンクルスには関わらないつもりだったけど……宿命、ってやつかしら」


 カミル先生の口元で、白煙が気だるげにゆらめいている。それは大きなため息に吹き飛ばされてくるりと宙返りをし、虚空に溶けた。


「ま、しばらくはうちで預かってあげる。そのかわり、面倒ごとになったら全部あんたにぶん投げるからね」


「ありがとうございます」


 しばらく診療所で暮らすことになったマトリョーナちゃんはアンナちゃんと一緒になって喜んでいたが、ふと思い直したようにヤーラ君のほうを見た。


「ヤーラはこないの?」


「僕は……なるべく会いに来るつもりだけど、いつ時間が作れるかわからないんだ。ごめんね」


「ふーん……」


 一応の理解は示してくれたようだけど、伏せた目と少し膨れた頬からは不満そうな気配が漂っている。その気配をアンナちゃんが軽やかに拾い上げた。


「ほらぁ~、ヤーきゅんちょくちょく会いに来ないと、リョーにゃん寂しがっちゃうぞ?」


「努力はしますよ」


「いいもん。ヤーラはエステルお姉ちゃんとイチャイチャしてるほうが楽しいんでしょ」


「いっ……!?」


 ヤーラ君は耳まで真っ赤にして狼狽している。そういう話が好きな年頃の女の子には全然慣れてないんだろうな。


「はぁ~。あのねー、年上の女の人にデレデレしてるとコドモっぽく見られるから気をつけたほうがいいよ」


「……」


 人差し指を立ててアドバイスをするマトリョーナちゃんにヤーラ君は何も言い返せず、完全に部外者のアンナちゃんがニヤニヤしながら見守っている。


「なになに~? 三角関係始まってる? マジ修羅場じゃん、激アツ!」


「はいはい、勝手な話膨らませてる場合じゃないわよ」


 カミル先生が呆れ果てた顔で手を叩き、話を強制終了させた。


「そっちの子、とりあえず検査するからこっちいらっしゃい」


「おにーさん、変な喋り方」


「……なるほど、一筋縄じゃいかなそうね」


 マトリョーナちゃんはなんやかんや名残惜しそうにしていたが、ひとまず今日はこれで解散として、私はヤーラ君を連れて診療所を後にした。



  ◇



 外はすでに暗くなっていて、今日は空気が澄んでいるのか、夜空は光の粒を撒いたように星が瞬いていた。その中にひときわ明るく輝く一等星がある。あれは星に願う人々の思いが集まって、大きな光になっているのだと、昔誰かに聞いた気がする。お兄ちゃんだったかもしれない。


 後ろについてきてくれているヤーラ君はいまだにマトリョーナちゃんから受けたダメージが残っているようで、気まずそうに視線を地面に固定している。心持ち、私との距離も遠い。


「マトリョーナちゃん、なんか意外とズバズバ来るからびっくりしちゃうよね」


 気を紛らわせてあげるつもりで話しかけてみた。ヤーラ君は目を伏せたまま「まあ、はい」と曖昧な返事をする。


「大丈夫だよ。あの子も本気で言ってるわけじゃないだろうし……私もそんなに気にしてないしね」


 ふと、ヤーラ君の表情からすっと熱が引いていくのが見えた。落ち着いたというよりは何か別のことに気を取られたように黙り込んでしまっている。時折こちらを一瞥することはあっても、会話が生まれることはなかった。


 しばらくは帝都の石造りの道が眼下に通り過ぎるのを見送る時間が続いた。このまま真っすぐあの地下牢まで向かうのもなんとなく憚られる。そういえば、レオニードさんたちもそろそろ戻ってきている頃だろうし、一度挨拶に寄るよう誘ってみようかな。


 そんな考え事をしながら橋の上に差し掛かったとき、ようやく後ろから声が聞こえた。


「エステルさん」


「うん?」


 立ち止まって、振り返る。言葉の続きはすぐには出てこなかったが、私は目を合わせたままじっと待っていた。

 夜の灯りにうっすらと照らされた彼の瞳は、どこまでも透き通っている。静かな風が、そっと頬を撫でる感触がした。


「……お願いが、あります」


「いいよ。何でも言って」


 ヤーラ君がこんなことを言うのは珍しい。頼み事をするのは慣れていないせいだろう、どう言うべきか逡巡しているように両の瞳が右へ左へと往復する。そしてようやく決心がついたように、上目がちに私の顔を覗き込んだ。


「あの……僕が今から言うことを、断ってほしいんです」


「うん? いいけど……」


 なんだか不思議なお願いだった。よくわからないけど、それが今の彼に必要なことなんだろう。


 これまでで一番長い沈黙が続いた。時々思い出したように流れる微風のひやりとした感覚だけが、時の経つのを教えてくれる。


 私たちの間をふわふわと飛び回っている風に、深い呼吸の音がまざったのを感じた。

 張り詰めたような空気を吸う。澄み渡った優しい眼がぴたりと合う。柔らかい微笑みと一緒に、息を吐く。そこにまた、風がするりと入り込む。


「僕は、エステルさんのことが好きです」

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