RESET

 私にとっては見慣れた――見慣れたくなかった光景がそこにある。もう二度と戻ってきたくなかった場所で、もう二度と見たくないものを見ている。


 浮かない表情をしているであろう私とは裏腹に、仲間たちは落ち着いて構えている。辛いのは、みんなだって同じだろうに。


「結局ここに戻ってきちまったな」


 一番怒りそうなゼクさんが、冗談めかして笑った。縞模様みたいな、鉄格子の向こうで。


 ――ウェッバー会長の裁定は、中立的なものだった。<ゼータ>が協会に貢献してきたことは認めつつも、危険性は否定しきれない。よって、協会管理の下での活動を限定的に認める。そういうことだった。


 クエストには制限を設けられ、しばらくは私以外の仲間が獄中で監視下に置かれることになり、皮肉にも私が初めて仲間たちと出会った状況の再現になってしまった。


「ああ、またこんな臭いところにいなきゃいけないなんて」


「でも設備は前より頑丈になってるみたいだよ」


「僕なんて病み上がりでここですよ……。先輩、怒ってるだろうな」


 ロゼールさんとマリオさん、ヤーラ君までもが普段と何ら変わらない様子で話している。暗い顔をしているのは、私だけだ。


「エステル、そんな顔をするな」


 スレインさんが慰めてくれても、簡単に気分は晴れそうにもない。


「だって……『大侵攻』が――」


 その言葉が出た途端、みんなが口を閉ざしてしまう。

 協会の監視下に置かれた私たちは、大侵攻に参戦することができない。<スターエース>とともに魔界に乗り込むという作戦も、水泡に帰してしまった。


「……まだ方法はあるはずだ。今できることを考えよう」


「はい……」


 私は俯いた顔を上げることはできなかった。ロゼールさんのわざとらしいため息が聞こえて、ようやく目を地面から離す。


「可愛いエステルちゃんがこ~んなに落ち込んじゃってるのに、ゼクがこんな上機嫌なのがな~んか腹立つわねぇ」


「は? 関係ねぇだろクソババア。別に機嫌良くもねぇよ」


「どうせ、私たちの処遇を巡ってレイちゃんがあなたを庇ってくれたのが嬉しかったとかでしょう?」


「関係ねぇっつってんだろコラァ!! 鉄格子ぶっ壊して殴りに行ってやろうか!?」


「やだぁ、番兵さんこの人処罰して」


 ゼクさんとロゼールさんの喧嘩に突如巻き込まれそうになった番兵さんたちはぎょっとしている。一方で他の仲間は我関せずと建設的な話を始めた。


「今できることって、具体的に何がありますかね」


「君の場合は、体調を万全にすることじゃないかな」


「それはそうですけど……」


 マリオさんのやや的を外した正論に、ヤーラ君も反応に困っている。スレインさんがすっと軌道修正に入る。


「ここに残るとなれば、協会内部にいる魔族を見つけ出すのが第一だな」


「職員全員並べてロゼールかマリオが片っ端から尋問すりゃいいじゃねぇか」


「我々に信用があれば、可能だったかもしれないが」


 ゼクさんのアイデアはそう悪くない気もするけれど、獄中にいる間はやっぱり難しいだろう。


「それに、職員に化けてるんじゃなくて職員を操っている可能性もあるよ。サラとか、誰かを乗っ取る魔術を使ってたよね」


「潜入しているのが私の見たレメクなら……おそらく奴の魔術は、感覚や心理を操作するようなものだと思う。職員を操ることができても不思議ではないな」


 レメク。私とゼクさんも見た、仮面の魔人。彼が本当に<勇者協会>の中にいるとしたら……どこかで私と会っているのかもしれないんだ。いったい、誰が――



  ◆



 無数に並ぶ窓の向こうで、落雷が薄暗い空を引き裂いた。遠雷の叫び声はしかし、城内にいる2人の声をかき消すほどではなかった。


「首尾は」


 玉座に腰掛ける男が、しわがれた声で端的に問いかける。御前でひざまずくアモスは面を下げたまま答えた。


「すでに大勢の魔物を集めてございます。指揮する魔人の部隊も、魔王様の仰せの通りに」


 魔王、と呼ばれた男は古木の幹のような手で頬を支えてじっと耳を傾けていた。魔界を統べる王としての威厳は申し分なく、しかし年季を重ねた皺深い顔はどこか疲労と諦観を感じさせる。何の感情も映さない顔からは、大儀そうなため息だけが漏れ出てくる。


「ダリアの様子は」


「損傷は激しいものの、当人は平然としています。戦場に立たせるのは無理がありましょうが」


「あれはむしろそのほうが良い。レメクのほうは」


「一度こちらに帰還しましたが、すぐ人間界に引き返しました。狙いはおそらく、エステル・マスターズ」


「……」


 その名が聞こえた瞬間、魔王の虚ろだった口元が不気味に弧を描く。


「ならば、我らは予定通り」


「はッ!!」


 玉座から立ち上がった魔王はマントを翻し、乾いた靴音を響かせて雷の轟くほうへ歩みを進める。アモスもその後に続き、魔王とともに外に出た瞬間、割れんばかりの歓声が雷鳴をかき消した。


 眼下には、何千という魔族たちがひしめき合って一帯を埋め尽くしている。魔物たちは吠え、魔人たちは叫び、彼らの王をあらん限りの力をもって歓迎している。

 王がゆっくりと手のひらをかざすと、喚声が少し小さくなった。


「皆のもの、よくぞ集まってくれた」


 その短い言葉だけで、王を崇敬する者たちは感動に胸を震わせている。


「機は熟した。我らはこれより人間界に侵攻し、勇者どもを殲滅し、人間どもを完膚なきまでに打ち滅ぼす!! 勇気ある者は我とともに来い!!」


『オオオオオオオオオオッ!!!』


 魔人も魔物も区別なく、王の呼びかけに全霊で応えた。血を滾らせた魔族たちは、戦いの衝動を剥き出しにしたまま我先にと進軍を開始した。魔王もそれを見送った後で城内に引き返し、ただ一人アモスだけが、魔の軍勢を冷徹な眼差しで見下ろしていた。



  ◇



 私は公園のベンチに座っていた。その前の記憶はなく、気がついたらここにいたという感じだ。ベンチの周りには草木が広がっているだけで、遠くの景色は何かわからない白いもやの中に溶けてしまっている。小鳥のさえずりと、風が草や葉を撫でる音だけが耳に触れる。


 隣に人がいた。どこかからやって来たわけでも、そこに出現したわけでもなく、前からずっとそこにいて、ようやく私の意識下に上ったような感覚だ。

 私はこの人を知っている。でも、名前以外には何も知らない。


「レメク」


「覚えていてくれたのか」


 仮面の魔人は、表情は見えなくとも微笑んでいるような気がした。


「初めに断っておくが、俺は君に危害を加える気はない。むしろ君たちを応援しているんだ」


 闘技場で見たときのような冷徹さが嘘のように、レメクは好意的な態度を示している。彼を信用するのは危険だ。けれど――嘘を言っているようにも見えない。


「<ゼータ>が捕まっちまって、困ってるんだろ?」


「……」


 まだ素直に返事をする気にはなれなかった。レメクはふっと苦笑したように見える。


「まだやれることはある。君たちはもっと強くなれるはずだ。俺は、その手伝いをしに来た」


「……魔族が、私たちの味方をしていいんですか」


「魔族とか人間とか、そんなの関係ない。君ならわかるだろう」


 その考えには私も賛成だ。けれど、彼はただの魔族ではなく、魔王の子なのだ。人間に与するようなことを言って大丈夫なんだろうか。


「俺は、人間と魔族が共存する未来を願っている。そのためには……エステル。君の力が必要だ」


「私が……?」


「そう。君は2つの種族を繋ぐ架け橋になれる存在だと、俺は思っている。ただ、君一人の力だけでは難しい。だから、<ゼータ>を強くしないといけない」


「……稽古でもつけてくれるんですか」


「ハハハ!」


 レメクは心底おかしそうに肩を震わせている。笑い声が仮面を通り抜けて、ふと、聞き覚えのあるような声色になった気がした。


「そんな優しいことはしない。俺は君たちのことをよく知っているんだ」


 細長い指で仮面を押し上げて、その隙間から赤い月みたいな瞳を覗かせる。


「俺はこれから君たちに、試練を与える」

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