時間切れ

 クルト、リナ、タバサの総攻撃を受けて地面に倒れ伏したミカルだが、まだわずかに手足が動くのが見え、完全に息絶えてはいないことをうかがわせた。


 クルトは剣にこびりついた血を軽く払うと、無言で地に伏す魔人の傍に立った。


「……早く、殺してよ」


 さっきまでの苛烈さから一転、ミカルは力のない涙声になっている。


「どーせ死ぬんだから、早くカイくんに会わせてよ……」


 一瞬だけ迷いが生じたクルトだが、後ろから突き刺さるスターシャの決然とした目つきで我に返り、切っ先を下に向けて剣の柄を持ち上げる。それから女の細い首目掛けて、一突き。


 ――しかし、切っ先は硬い地面に弾かれるだけだった。

 ミカルは刃が届く直前に身体を急旋回させ、クルトの足に噛みついた。


「いっ!?」


 突然走る激痛にクルトは顔を歪め、反射的に足を引いた拍子に尻餅をついた。そのほんのわずかの隙に、ミカルは脱兎のごとく逃げだした。


「あ、待つです!」


「止まって」


 慌てて追いかけようとするリナを、スターシャが制止する。


「<BCDエクスカリバー>を匿っている本陣は、ここからかなり離れています。手負いの魔人が容易に辿り着ける距離ではないわ。下手に追いかけてチームが分断されるほうが危険よ」


 そう説明しながら、スターシャはクルトの足の傷を手当する。


「立てるかしら」


「痛いけど我慢する」


「そう。血の跡を辿っていけば、すぐに追いつくわ。行きましょう」


 何事もなかったかのように歩き出すスターシャの後ろを、クルトが剣を杖にしてついていく。リナとタバサもその後に続いた。



 しかし、スターシャの予想とは裏腹に――ミカルはすでに、復讐すべき人間を1人見つけていた。

 誰もいない通路を青い顔でふらふら歩く、錬金術師の少年を。


 他の仲間の気配はない。当の少年は具合が悪いのか、呼吸も荒く今にも倒れそうだった。ミカルにとっては、これ以上ない好機だ。


 どうせこのまま死ぬのなら。奴らのうちの誰か1人は、確実に殺してやる。そんな執念が、満身創痍の魔人を動かす。


「――ひっ!!」


 黒い影に覆いかぶされて、少年の細い両肩がびくっと跳ね上がる。見上げた双眸は恐怖に目いっぱい見開き、震えで噛み合わない奥歯から断続的に息が漏れ出ている。


「ま、待って……待って……」


 怯える少年を見下ろしながら、ミカルは吐血の筋が残る口の端を持ち上げる。


「あんた、だけでも……殺してやる……!!」


「い、いやだ……やめて……」


 少年は青ざめながらゆっくりと後退し、その歩幅に合わせてミカルが距離を詰めていく。そうして少年の細い首を掻き切るべく、手を振り上げる。


「お願いだから……」


「今さら命乞いしても遅いん――」


「これ以上、殺さないで!!」


 ようやくミカルは、自分の後ろにある異様な気配に気がついた。

 振り向いて確かめる前に、頭から何かを被せられて視界が暗くなる。


 そして、無数の棘のようなものが腹部を一気に抉り抜き、身体を真っ二つに引き裂いた。


「ぎぃああああああああッ!!!」


 怪物の大口の中に閉じ込められて、断末魔の絶叫が肉塊の壁に吸い込まれる。


 食い残された下半身は地面に倒れて血と臓物をぶちまけ、捕食された上半身も怪物の蠕動とともに骨肉を砕かれていく。そのたびにこの世のものならぬ悲鳴がくぐもったまま響き、絶命するまでそれは終わらなかった。


 その一部始終を目の当たりにした少年は、もはや立つこともままならずに地面にへたり込み、たまらなくなって逆流した胃液を吐き出した。


「僕は……僕は、こんな……っ!」


 ホムンクルスのことは、うっすらと記憶に残っていた。その記憶だけでも恐ろしいものだったが、こうして現実に目の当たりにして、そのおぞましさは想像を絶するものだと再認識させられた。


 今までどうやって従えていたのか。このまま狂ってしまえればいいのか。だが、それでは誰を巻き込むかわからない。

 少年はひび割れた爪を強く噛み締めた。


 創造主が苦悩している間、ホムンクルスは我関せずとその場でうごめいていた。やがて興味をなくしたように、その身体をひきずってどこかへ行ってしまう。


「ヤーラ君、ホムンクルス見つかった?」


 入れ違いで追いついてきた少女は、この惨状の跡を目の当たりにして、しばし絶句していた。



  ◆



『魔人ミカルには一度逃げられましたが、後を追ったところ、魔物に捕食されたような死体を発見しました。これからいかがいたしますか? 皇太子殿下』


「ご苦労、スターシャ。いったんこっちに戻ってきてくれ」


『承知いたしました』


 魔人が1人減ったのは吉報だったが、トマスもそれだけで安心はできなかった。ダリアが動き出す前に止めなければならないが、肝心のヤーラが動けるかどうかわからない。エステルが見てくれているはずだが、いつ戻ってくるのか。彼は3つ並ぶ水晶を、じっと睨んでいた。


 ここで待機している下位ランクの勇者たちも、先ほどは一声かけて鼓舞したものの、外にいる魔物にさえ勝てるかというレベルだ。


 そこでようやく、エステルからの連絡を告げる<伝水晶>が光を発した。


「エステルか? ヤーラの具合はどうだ」


『トマスさん。ヤーラ君はまだ調子が悪くて。それから、その……大きな声では言いにくいんですが――』


 トマスは人のいないほうに場所を移し、エステルからの報告を聞く。

 それは、にわかには信じがたい話だった。制御不能の恐ろしいホムンクルスが、敵味方無関係に襲撃して回っているという。


「……そうか。そっちは無事だったのか?」


『まあ、一応……。今、ホムンクルスから離れていて……どこに行ったのかはわからないです』


「そいつにうっかり出くわしたらどうなる? 問答無用で襲ってくるのか?」


『いや……わからないです。攻撃してくることもありますし、逆に何もしないことも……』


「逃げられないわけじゃないんだな」


『そうですね。足は遅いので、私でも逃げようと思えば』


「なら、放置だ」


 水晶の向こうから、「え」と短い困惑が返ってくる。


「今の俺たちの目的はダリアたちを食い止めること。ホムンクルスについては注意を喚起して、放っておけばいい。魔物も倒してくれるならラッキーだ」


『なるほど……』


「敵の魔人も1人減って、戦闘班も戻ってくる。いったん合流して、ダリアを――」


 ドォン! という轟音がトマスの言葉を遮断した。

 巨人に建物ごと殴られたかのような衝撃が、待機中の勇者たちのどよめきを広げる。よからぬことが起こっている気配を、そこにいる誰もが感じていた。


 嫌な予感を裏付けるかのようなタイミングで、ロキから連絡が入る。


『やあ。時間切れみたいだよ』


 その端的な報告だけで、トマスは事態を理解した。

 ダリアが捕らえた勇者たちの力を吸収しきって、完全体になったのだ。


「……わかった。引き続き監視を頼む。ヤバそうだったら戻ってこい」


『了解』


 トマスは思考を巡らせた。ダリアがどれほど強くなったのかは不明だが、ここにいる勇者たちではとうてい太刀打ちできないだろう。まともに戦えるとして、上位ランクに匹敵するガルフリッドやクルトくらいだろうか。


 いや――と、トマスは考え直す。力だけなら対抗できうる存在を、今エステルから聞いたばかりだ。

 すぐに中断していたエステルとの通信を再開し、前置きも何もかもすっ飛ばして問う。


「エステル。さっき言ってたホムンクルスを、狙った敵にぶつけることはできるか?」

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