憧れのヒーロー

 街はすっかり眠りについて、柔らかな夜風がふわりと通り過ぎる。半分欠けた月は控えめに空を照らし、雲はその仕事を邪魔しないようまばらに散っている。

 いい夜だな、とヤーラは思った。特に、ひとりでぼんやり考え事をするにはうってつけだ。


「何してんだよ」


 雰囲気をぶち壊すような声が、ふいに投げかけられる。


「ゲンナジーのイビキがうるさすぎて眠れねぇんだろ~。わかるぜ、あれは人間じゃねぇ。魔物の咆哮だ」


「……否定はしませんけど」


 レオニードは宿の壁に寄り掛かり、酒瓶を開けた。すぐに帰るつもりはないらしい。


「今から飲むんですか?」


「いいじゃねぇかよ、月見酒。お子様はココアで我慢しな」


「ありがとうございます」


 妙に気が利くのを不審がりつつ、ヤーラはカップを受け取る。レオニードはそんな文明の利器は使わず、瓶から直接アルコールを流し込んでいる。


「はぁー……。なんつーか、エステルってすげぇよなーって今日思ったわ。器がでけぇっつーか、なんでも受け入れてくれそうな安心感あるよな。しかも可愛いし」


「馬鹿なこと言ってると殺されますよ」


「だっておめぇ、実際可愛いだろ?」


「…………否定は、しませんけど」


 すでに酔いが回り始めているレオニードは、ニタニタと笑いながら後輩の肩をバシッと叩く。


「がーっと行っちまえよ、この野郎。同じパーティなんてオイシイ立ち位置じゃねぇか、なあ?」


「……無理ですよ。エステルさんは、みんなに優しい人ですから」


 だらしなく頬を緩めていたレオニードも、察しがついたように片眉を上げる。


「あー……『みんな』か」


「いい人なんですよ、本当に。でも……そうですね。可愛いです」


 珍しく年相応の少年らしい表情を見せたヤーラに、レオニードはまた愉快そうに笑う。


「だよなぁ! あれ可愛くねぇは男じゃねぇ! 見た目もこう、純朴~な感じでいいけどよ、中身が良すぎてもはや輝いて見える」


「そう、優しいんですよ。信じられないくらい。いつも誰かのことを考えてて、何事にも一生懸命で、失敗してもめげなくて……」


 ヤーラはおもむろに、その顔を俯けて夜闇に染める。


「僕は――……エステルさんを、殺そうとしました」


 声は平坦でも、その奥には並ではない感情が渦巻いて溢れそうになっている。


「どうしてあんなことをしたのか、わからない……僕は、自分が怖い、です」


 震える声に耳を傾けて、レオニードはゆっくりと酒を飲み干した。酒気を含んだ生温かい息を長く吐き出す。


「そりゃあお前、あれだな……。エステルのことが、大好きすぎるんだな」


「……は?」


 ヤーラは全身を蝕む恐怖も忘れて、気の抜けた顔のレオニードを凝視する。


「エステルなら何しても許してくれるって、確かめたかったんじゃねぇの? 実際許してくれてんだから、それでお前が満足すりゃあ、もうそんな危ねぇことはしねぇだろうよ」


 赤ら顔で気楽そうに語るレオニードだが、ヤーラは反論を差し挟むことができなかった。


「つーか、考えてみろ! 何しても受け入れてくれるんならよ、もっとやれることあるだろ? なあ?」


「先輩……絶対サイテーなこと考えてますよね」


「そのくらい気張れってことだよ、このヘタレ小僧!」


「うるさいなぁ、先輩みたいなのと一緒にしないでください!」


 静かな夜を台無しにするような言い合いを、2階の窓で煙草をふかしながら聞いている誰かがいることを、2人が知ることはなかった。



  ◇



 訓練所は今日も大盛況で、場所によっては行列ができていたり、ギャラリーが集まっていたりと一種のお祭り感がある。


 ラムラさんはクエストの報告に行っていて、レオニードさんとゲンナジーさんはここで待つことにしたらしい。私とヤーラ君はソルヴェイさんに用があるのだけど、まだ姿が見えないので一緒に待機している。


「おっ」


 レオニードさんが反応したのは、マーレさんたちだった。見つけるやいなやすぐに声をかけに行く。


「マーレ、前のリベンジだ!」


「えー? またやんの?」


「このチンピラ、きっとマーレさんを狙ってるです。リナが蹴っ飛ばしてやるです」


「私が矢でぶち抜くのが先よ」


「そんなことしたら死んじゃいますよお」


 なんやかんや、レオニードさんは女子軍団の中に平然と溶け込んでいる。取り残されたゲンナジーさんはどこか恨めしそうな視線を送っていた。


「なんであいつ、女の子たちとフツーに喋れるんだろうなぁ? オレ、緊張してまともに喋れねぇのによぉ」


「ここにエステルさんいますけど」


「エステルはなんか平気なんだよなぁ」


 そう言ってもらえるのは嬉しいかな。ヤーラ君もなぜか納得しているふうだ。


「でもなぁ~、今回も女の子と出会えるチャンスなかったし。くそぉ、魔族ぶっ飛ばして可愛い女の子助けてヒーローになるっつー夢がぁ~!」


「……いつも思ってたんですけど、まさかそのために勇者になったとか言いませんよね?」


「おお、レオニードもそうだぜぇ」


 ヤーラ君の顔つきが一気に呆れモードに切り替わる。ゲンナジーさんはそんなことは一切気づかないまま、話を続けた。


「オレとレオニードは昔は地元の悪ぃ奴らと喧嘩ばっかりしててよぉ。もちろんオレたちは強かったんだぜぇ! でもよ、あいつが言ったんだよ。『あんな連中ぶっ倒すより、もっと魔族とかぶちのめして、人のために戦う勇者になりてぇ。そんでモテてぇ』ってよぉ!」


 最後でちょっと台無しにするところも含めて、彼らしい話だった。


「人間殴るよか、魔族ブン殴るほうがいいことだもんなぁ。あいつアタマいいぜぇ」


「きっと、レオニードさんたちに助けられた人はいっぱいいますよ」


 そのうちの1人は、呆れの薄れた顔で当の「勇者」を見つめている。その視線に気づいているのかいないのか、レオニードさんはこちらに手を振った。


「おーい! 今チームでやろうって話になっててよ、ゲンナジーも付き合え!」


「うおっ!? オ、オレが女の子と……たたたた戦うのかぁ!?」


「根性見せろよ、チャンスだぞ! ヤーラ、お前も来るか?」


「先輩たちの煩悩の所業に付き合わされたくありません」


「ケーッ、生意気なガキ! そうかい、お前は大好きなエステルちゃんとよろしくやってろよ!」


「な、何言ってるんですか!」


 レオニードさんは一通り笑うと、ゲンナジーさんを連れて<クレセントムーン>のほうに合流した。残されたヤーラ君が、なんだか気まずそうに私をちらちら見ている。どうしたんだろう。


「……。先輩って、本当に……アホですよね。言動が子供です」


「あはは!」


 相当大人びているとはいえ、子供のヤーラ君が言うのがちょっとおかしかった。


「いや、だって! ヒーローになりたいとか、あの人今いくつだと思ってるんですか! 20歳にもなって部屋は汚いし、飲んだくれだし、あとパーティ名のセンスひどいです! あれ手続きのときとか毎回恥ずかしかったんですよ?」


「まあ、確かに変に長い名前だけど……<エクスカリバー>のところは勇者っぽくていいと思うな」


 確か、どこかの国の伝承に出てくる英雄の剣の名前だ。それを知っていて名付けたのかはわからないけれど。


「……適当に考えただけだと思いますけどね。うち、剣使う人いないですし」


「そういえばそうだね。ヤーラ君が剣を覚えればちょうどいいんじゃない?」


「無理ですよ! それに……僕はもう、<ゼータ>ですから」


 そうは言いつつ、ヤーラ君の表情には未練のようなものがちらついて見えた。レオニードさんたちと話しているときの彼は、<ゼータ>にいるときとは違って自然体だった。


「……そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも――戻りたかったら、戻ってもいいんだよ?」


「ダメです。僕は……あそこにいたら、甘えてしまう気がして」


「ヤーラ君は、もう少し甘えたほうがいいと思うけどな」


「そうですか?」


「そうだよ。私にも、してほしいこととかあったら何でも言ってね」


 そこですぐに要望を答えず、真剣な顔で長考するところがヤーラ君らしい。まだ遠慮が残っているのだろう、彼は少し無理が入ったような、照れくさそうな笑顔で切り出した。


「えと、じゃあ……また一緒に、クレープ食べに行きたいです」


「もちろん!」


 そんなささやかな願いが、ヤーラ君にとってのギリギリのラインなのだろう。今はそれでも構わない。もっとわがままを言ってもらえるよう、私が頑張ればいい。


 わっとざわめきが起こって、私たちはそちらに意識を引っ張られた。レオニードさんたちとマーレさんたちの模擬戦が始まったようだ。


 ソルヴェイさんたちが来るまで、ヤーラ君はずっと――おそらく彼にとっての一番のヒーローの活躍を、少年らしい純真な眼差しで見守り続けていた。

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