#18 Rainy Night
朝の時間
ぽつぽつと水滴が地面を叩く音が、今日の目覚ましになった。昨夜はひどい豪雨だったけれど、朝になってからその勢いも弱まって、雨音が心地よいリズムを奏でている。
この「最果ての街」は帝都よりも晴れの日が少なく、どんよりと薄暗い雰囲気を醸しているが、私はそれがなんだか新鮮で好きだった。
眠気の誘惑を跳ね返してゆっくりと起き上がり、両腕を天井に伸ばしてから、ソルヴェイさんが用意してくれたシンプルながら綺麗に設えられた寝室を見渡す。
右隣のベッドにはその主はおらず、毛布なんかが丁寧に畳まれている。スレインさんはいつも早起きしてトレーニングをするのが日課で、それは雨の日も例外ではないらしい。
左隣からはロゼールさんの静かな寝息が聞こえる。早いときは夜明け前でも起きているらしい彼女だが、遅いときはものすごくお寝坊さんだ。今日はきっと、後者。
身支度を整えて、顔を洗いに廊下へ出る。光る床のお陰で、迷うことはない。
冷たい水を浴びてさっぱりしてからまた部屋に戻る途中、キッチンからトントントンと包丁がまな板を叩く軽快な音が聞こえた。
そっと覗いてみると、すらりと高い背の向こうに均等に切りそろえられた野菜が並んでいる。
細長い指に握られた卵が右手に2つ、左手に1つ、同時にぱかっと割れてボウルに滑り落ちる。
鮮やかな手つきに見とれていると、マリオさんが生地をかき混ぜながら振り返った。
「どうしたの?」
「いえ、朝ごはん何かなぁって」
「今作ってるのはクレープの一種だよ」
「甘いものですか? やったぁ!」
「すぐにできるから、そろそろみんなを起こしてきてくれる?」
「わかりました」
ご飯を楽しみにしながら2階に上がると、反対側の廊下から怒鳴るような大声が聞こえてきて、思わずそちらを振り返る。
「もう、さっさと起きてくださいよ!! ゼクさん!!」
空いたドアからヤーラ君の声が漏れている。
そっと中を見ると、うんざりしたような彼の前には岩のようにベッドから動かないゼクさんがいた。
「どうしたの?」
「エステルさん! 聞いてくださいよ、この人昨日こっそりワイン2本空けてたんですよ。それでこのザマです! もう、なんで僕はこんなところに来てまで酔っ払いの面倒見なきゃいけないんですか!!」
ヤーラ君が嘆いてるそばで、ゼクさんは目を閉じたまま「うるせぇな」と小さく呟いている。たくさん食べるわ、よく寝るわ、子供通り越して乳幼児みたい。
「エステルさんからも何か言ってやってくださいよ」
「あはは……。ゼクさん、朝ですよ」
「……あー…………」
起きる気配、なし。
「朝ですってば。もうご飯できますよ」
「いい加減にしてくださいよ。カフェイン注射しますよ」
「そこまでしなくても……。ゼクさん、ほら」
私が軽く肩を叩くと、ゼクさんは急にがばっと起き上がって――
「うるせェェェ―――ンだよ!!! クソチビこの野郎ォッ!!!」
建物全体に轟くようなその怒声を真正面から浴びた私は、反射的にぎゅっと目を瞑って両手で耳を塞いでいた。
「……あ?」
目を開けると、私がいたのが予想外だったらしく、まだ眠そうなゼクさんはぽかんとこちらを見ている。
「……ひどいですね。エステルさんがせっかく起こしに来てくださったのに、怒鳴り散らすなんて」
「なっ!? ちげぇよ!! つーかなんでエステルまで……」
「あの、うるさくしてすみません……」
「だからちげぇって! おいチビ、お前――」
「僕、マリオさんのお手伝いしてきます」
「待てコラァ!!」
ヤーラ君がさっさと出ていってしまって、取り残された私たちはちょっと気まずく顔を見合わせる。
「えっと……おはようございます」
「……おう」
「すみません、お邪魔して。あ、お酒飲みすぎちゃだめですからね」
「……あンのガキ」
悪さを告発された子供みたいに舌打ちをしたゼクさんを置いて、きっとまだ寝ているであろうロゼールさんのもとに向かった。
案の定、ロゼールさんはさっきと変わらず毛布にくるまって熟睡している。つややかな金髪が無造作に広がっていて、その隙間からゆるやかにカールした長い睫毛が見える。
ちょっと忍びないけれど、ぐっすりお休み中のロゼールさんの肩を小さく揺らした。
「朝ですよ。そろそろ起きてください」
「んん……」
薄く開いた瞼から覗く宝石のような碧眼が、私の顔を映している。
「おはようございます、ロゼールさん。もうご飯の時間ですよ」
「んー……」
眠たそうにぎゅっとまばたきしたロゼールさんは、掛け布団からゆっくりと細く白い手を出して――私の腕をぐっと掴み、そのままベッドに引きずり込んだ。
「えっ!?」
ぼふっ、と身体がマットレスの反発を受けるが、ロゼールさんの両腕にがっちり捕捉された私は身動きがとれなくなってしまった。
「ちょっと、ロゼールさん!?」
「いいじゃない、別に……んー……エステルちゃん、あったかいわねぇ……」
吐息が届きそうなくらい間近に綺麗な顔があって、私は温かいどころではなく顔面が火照りそうだった。
助けを求めようとしたちょうどそのタイミングでドアが開く音がして、なんとか振り返るとトレーニングを終えたらしいスレインさんが呆れ顔で立っていた。
「スレインさん、助けてください……」
「……ロゼール、我らがリーダーを解放してやってくれ」
「もう少し……」
「困った眠り姫だな」
やれやれ、とスレインさんは半ば強引に私たちを引き剥がしてくれる。そればかりでなく、不満顔になっていたロゼールさんをひょいっと抱き上げてしまった。
「え、ちょっと!? スレイン!?」
「さあ、お姫様。朝食の時間でございます。食堂までお連れいたしますよ」
「下ろしてよ、1人で歩けるってば!」
「なりません。お姫様は放っておくと何をなさるかわかりませんので」
いつもからかわれている仕返しだろうか……スレインさんはロゼールさんをお姫様抱っこしたまま外に連れ出してしまった。
ちょっとだけ羨ましいなと思いつつ、私も2人の後に続いて下の階に向かった。
◇
マリオさんが作ってくれたのは、薄いクレープ生地にチーズと細かく切った野菜をのせて蜂蜜をかけたもので、ほんのりした甘味とさっぱり感が見事に口の中で調和し、私は思わず「んー!」と唸ってしまう。
「毎日マリオさんの手料理が食べれるなんて……私、こんなに幸せでいいんでしょうか……!」
「そんなに気に入ってくれたなら、君の家に作りに行ってもいいよ」
「え、ほん――」
と喜びかけて、ゼクさんのあからさまに不機嫌そうな舌打ちが聞こえ、口をつぐんだ。
「……さ、さすがにそこまではいいですよ。あはは」
「ぼくは構わないけどなぁ」
寝起きでしかも二日酔いらしいゼクさんは、ろくに手入れされていない無造作な白髪を苛立たしげにばりばり掻いている。
髪のセットどころか着替えてすらいないロゼールさんは、半開きの目をしょぼしょぼさせながら機械的に食事を進めている。ヤーラ君はそんな彼女のために、丁寧に計量しながらコーヒーを淹れている。
いつも食べるのが早いスレインさんは、もう食器の片づけまで済ませてしまった。
そんな食堂の光景に、こうやってみんなで過ごすのも楽しいなぁ、と私は一人顔を緩ませていた。
「――さて、そろそろ本題に移ろう」
改まった口調でスレインさんが切り出すと、まだ食事中の人も含めてそちらに視線を集中させた。
「昨日エステルがロキに聞いた話によれば、<ウェスタン・ギャング>のボスはその腹心に殺されているが、不審な点が多く――陰に魔族、それも魔王の血族が関わっている可能性が高い、と」
眠気で細くなっていたゼクさんの目に、力がこもる。
「ボスを殺した男はありもしない事実を証言したそうだな。ゼク、兄弟の中でこういうことができそうな奴に心当たりはないか」
「……ヨアシュだな。こういうわけのわからねぇことすんのは」
ゼクさんは朝食の残りを無理やりまとめて口に突っ込み、水で流し込んでコップを叩きつけるように置いたあと、話を続けた。
「一番末の気色悪ィクソガキだ。よく魔界に連れてこられた人間が、他の魔族どもに余興でいたぶられることがあるんだけどよ……ヨアシュは、それを遠巻きに眺めるっつうか、何するでもなくただ観察するのが好きだった。寒気のする薄ら笑いを浮かべながらな」
言い方からして、ヨアシュというのは魔族の中では子供なのだろう。けれど、ゼクさんの話からはまったく子供らしさは感じられず、どこかおぞましいような感じがした。
「それで、ギャングには影のボスがいるかもしれないという話だったな。それがヨアシュと通じている可能性もなくはない……。あくまで可能性だが」
スレインさんの言う通りだとしたら、ギャングの人たちとは敵同士ということになってしまうけれど……青犬さんのことを考えると、どうも魔族の気配があるようには見えない。本当は関係がないのか、そのボスだけが密かに通じているのか……。
「……我々にはまだ、情報が足りないな」
それを集めるのが一番やりやすいのは、おそらく形だけとはいえ「支部長」という立場になった私なのだろう。
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